Interlude どことなくファンシーな、夜の路地裏
いつの時代も、ならず者とは必ずどこかに潜んでいるものだ。
例えば、街灯の光が差さない、落書きだらけな夜の路地裏。
「てめぇ、このアマ!」
「他人にぶつかっておいて、その態度はなんだ!」
……どうやら、潜めてすらいないようだ。
呂律の怪しい怒声が、1人の女の耳にはいった。すぐ後ろから聞こえたそれに「あーあ……」と言うように溜息を吐く。しかし、わずかな義侠心から、声のする方へ駆けつけて、
(やっぱり……)
そして、再び溜息を吐いた。
路地裏の端、ゴミ溜まりになっている行き止まりで、大柄なスキンヘッズの男達が5・6人、誰かを囲んで輪を作っていた。
その輪の中で、
「それはこっちの台詞よ!」
反論の声を上げるのは、ライトブラウンの髪をポニーテールにした、10代の少女だ。
「そっちからぶつかっておいて、その態度は何さ!? 『服が汚れた』だって? 酒と汗で臭いあんたらが、今更何を言ってるのよ、このハゲジジイ!!」
大体理に適った糾弾。しかし、こんな所で少女を恫喝するようなスキンヘッズがそれを素直に受け入れるはずがない。
(ああ、まずい……)
女は建物の陰で様子を伺いながら、黒いフードの中の頭を抱えた。
「俺は酒に弱いんだよ! これはニンニクだ!!」
「臭けりゃ、どっちもこっちでしょ! じゃあ、なんで呂律がこんなんになってるのよ!?」
「これは無理矢理飲まされたんだよ! 畜生……あの時飲まされなければ、こんなことになんか……」
……と思いきや、口論は予想の斜め上方向に突進しているようだが。
「今認めたよね!? 自分からぶつかったって」
「うるせー! 俺はむしろ被害者だってのに……こうなったら、実力行使だ! いけ、ピッピ!!」
結果的に、口論は当初の予想通りポケモンバトルへと発展してしまった。が……スキンヘッズのリーダー格らしき男が繰り出したのは、愛くるしい表情と、くるりとカールした頭の毛と尾が特徴的なピンク色のポケモン・
ピッピ。
あまりのミスマッチ具合に、一同が唖然としていた。それを察したのか、
「な、なんだよてめぇら……
ピッピかわいいだろ、ピッピ、なあ!?」 スキンヘッズのリーダーは、潔く開き直っていた。「そうやって顔を赤くするあんたがいちばんかわいいよ」取り巻きが、生暖かすぎる視線で語っている。
「……っ、とにかく! お前らもポケモン出せ!!」
だが、それでも事件は起きている。生暖かい視線はちらほらと残っているものの、各々ポケモンを繰り出した。
デルビル、コマタナ、ルクシオ、キバニア、ポチエナ……加えて、ピッピ。どのポケモンも最後まで進化していない時点で、その実力もたかが知れている。とはいえ、ピッピを除いたすべてが、野生では群れで生息している種族だ。少女の実力にもよるが、相手は集団。明らかに、スキンヘッズの方に分がある。
ここまでの一部始終を立ち聞きしていた女は、少女に助太刀せんと踏み……出そうとして、しかし躊躇った。
――万が一、ここで顔を晒してしまったら。
今の服装で、顔を晒すわけにはいかない。この町では、特に。そのために、わざわざ自分で繕ったフードを目深にかぶり、町の治安が悪いことを承知で、人目も街灯の光もない路地裏を通っているのだ。
そうこうしている間に、
「あー、もう……今急いでいるのに!」少女が文句を垂れながら「でも、それで言いなりになるようなアタシじゃないんだから!」不利であるはずの戦いへ、突っ走っていってしまった。
「ヒンバス、いくよっ!!」
あまりにも無鉄砲に。
魚ポケモンであるヒンバスは、薄い土色の体、痩せこけた頬、切れ込みが入ってボロボロになったようなヒレと……率直に言ってしまえばみすぼらしいポケモンだ。進化もしておらず、お世辞にも強いとは言えない。というか、弱い――今は、まだ。
しかし、その貧相な姿に、女は懐かしさを抱いた。
(そうよね……。助けに行こう、「あの時」みたいに!)
相手は6匹。
(これを相手にするのかぁ……今更だけど、かなり厳しそうだな)
少女は、肌で一筋の冷や汗を感じた。我ながら無謀な真似をしてしまったな、と、遅まきながら気づく。
しかし、少女には退けない理由がある。
(でも、早く倒して、行かなきゃ。見失っちゃう……!)
立ち向かう覚悟もできていた。
スキンヘッズどもは、ヒンバスと油断している。薄ら笑いが丸見えだ。
少女だってわかっている。ヒンバスは、まだ弱い。だが、いつか強く美しくなれると知っている。
「憧れのあの人」だって、同じ道を辿ったはずだ。
「すぐに目にもの見せてあげる! ヒンバス、"凍える風"!!」
少女がヒンバスに指示を出した、それと全く同時に、
「そこまでよ!」
女が助太刀に入って……"凍える風"の余波が吹き寄せた。
目深にかぶっていたフードが、ふうっと外れる。
顕わになったのは、長い黒髪、色白な小顔、透き通った黒い瞳……髪を下ろしてはいるが、その顔は、トゥインクル・エンジェルのアリスにそっくりだ。
……というか、なんとびっくり、御本人様である。
「えっ……マジ!?」少女は右の頬をつねって「痛っ! ……ってことは、夢じゃない!?」
かなり動揺していた。しかし「喜色満面」という四字熟語がまさにぴったりといった顔をしている。おそらくは、アリスのファンだろう。
スキンヘッズの方も、同じくらい動揺していた。
「おい、アレってあーちゃんじゃないか!?」
「嘘だろなんでこんな所にサインくださぁいっ!」
そして、彼らもファンだったりした。
「あっ、コラ……先にサインもらうのはアタシなんだから!」
アリスは、思わず拍子抜けしてしまった。「なんでこうなるの!?」
とはいえ、こんなゴミ溜まりに、しかも黒ローブ姿の彼女がいれば、さすがに不審に思うようで。
「でも、本当に、なんでこんな所にいるんだ?」
「つーか、黒ローブって、まさか……!?」
その瞬間、アリスの防衛本能にスイッチが入った……否、暴走した。
「たぶん、何かの間違いですミロカロス"凍える風"ぇっ!!」
息継ぎなしで言いながら、モンスターボールからミロカロス――長魚のような姿をした、ステンドグラスのような鱗が特徴のポケモン。ポケモンの中で最も美しいとされている――を繰り出し、"凍える風"を吹かせる。
"凍える風"は広範囲に届く技だが、あまり威力は高くないはずだ。しかし、スキンヘッズらのポケモン達は、ことごとく戦闘不能に陥っていく。
どう見てもレベルの暴力です。本当にありがとうございました。
スキンヘッズを眠らせて、別のポケモンで幻覚を重ねがけしてから、アリスはひとまず、少女を比較的安全な場所につれていった。
人間に向けてポケモンの技を使う――いわゆる「ダイレクトアタック」をしたことは済まないと思ったが、これが正当防衛だったのだと思うことにした。でないと、やりきれない。
「大丈夫? ケガはない?」
「はい、全然平気です!」
幸い、少女は無事だった。返事も元気溌剌だ。
しかし、ここでひとつの疑問が生じる。
(この子、どうしてこんな時間なんかに……?)
この町は、治安がすこぶる悪い。日中はともかく、夜はならず者が蔓延る無法地帯と化する。そのため、一般的な住民は、日が沈むと同時にすたこらと家へ帰る。イッシュ地方のカゴメタウンに似ているが、あちらが「化け物」を恐れてのことであるのに対し、こちらはアウトロー達という、現実としての脅威から身を守るためなのだから物騒だ。
ならば、この少女は町の外から来たのだろうか? いや、しかし、わざわざこの町に来るような一般人がいるとは考えづらい。見る限りでは、夜の住民というわけでもなさそうだし、それでも、よりにもよって女性が……
(まあ、私も女だけどね。……今更だけど、どんどんここに染まっちゃってるなぁ……)
複雑な思いが先走って、なかなか思考がまとまらない。そうこうしている間に、
「あのー、ところで……」少女が口を開き「トウィンクル・エンジェルのあーちゃん、ですよね?」
逆にこちらが核心を突かれてしまった。
「へっ!? ……あ、えっと、それは……」
まずい。本格的にまずい。先程の疑問など、どこかへ行ってしまった。ただ、焦りだけが胸を支配していた。
さっきの戦闘で、よくステージで使うミロカロスを出しておいて、このなりだ。もう言い逃れようがないし、あったとしても、それに気づける余裕がない。
幸い、この少女は、タナトス団のことを全く知らないようだ。
「……うん、そうよ」
ならば、下手に隠すよりは白状してしまった方が、まだ楽だろうか。それが、焦りの中で至った結論だった。その裏で、変に計算高くなってしまったことを、アリスは痛感する。
「やっぱりそうですよね!? えっ、そうしよう……とりあえず、サインもらっていいですか!?」
アイドルとしての自分しか知っておらず、純粋に喜ぶ少女を見ていると、尚更胸が痛んだ。
「あ、うん、いいよ。サインくらいなら……」
とりあえず、アリスは手頃なメモ用紙とボールペンを出して、要求に応じてやった。
「ところで、どうしてあんなところにいたの? きっと何か理由があるんだろうけど、ここの夜は特に危険なのよ」
紙片にボールペンを滑らせながら、ようやく知りたいことについて問う。
「えっと、それは……」
すると、少女の笑顔が引きつった。アリスから必死に目を逸らそうとしているのがバレバレだ。
だが、結局堪忍した風を見せて、その理由を話してくれた。どうやら……
「尾行してた!?」
ということらしい。ただでさえ落ち着かないアリスのペースが、どんどん乱されていく。
「はい……隣町でたまたまあーちゃんを見つけてから、ずっと」
「嘘!? 全然気づかなかった……」
「そりゃあ、目星をつけた相手は絶対に逃がさない自信あるんでっ!」
「そこ、胸張るところじゃないからねぇっ!」
それにしてもこの少女、勢いだけは無駄にあるようだ。
「そしたら、あーちゃんのミロカロスまで間近で見られて……。アタシ、あーちゃんのミロカロスに憧れて、ヒンバス育ててるんです!」
実は、世界で最も美しいと誉れ高いミロカロスは、あのヒンバスの進化形だ。大器晩成とは、まさにこのことだろう。
「へ……? そんな……『憧れ』だなんて……」
無邪気な尊敬を向けられて、アリスの頬は一気に桜色に染まった。素直に受け取りたいところだが、今の自分にはそれが許されない。周囲を欺いているのだから。それでも、1人の女性として手を退けないのだから。ならば、せめて罪悪感で自戒しなければ。
「気持ちは嬉いんだけど……とにかく、今は帰らないと。危険だから、ついていくわよ?」
普通に「ありがとう」と言えないことに、モヤモヤしてくる。表に出せる感情と、表に出せない感情の落差に、浅ましくて醜い自分の存在を思い知らされていた。
「すみません、それが、その……」
しかし、今度は、少女の方も勢いを潜めてしまう。
「来た道、覚えてなくて……」
アリスがその言葉の意味を理解するのに、5秒の沈黙を要し、
「……ゑ?」思わず素っ頓狂な声を出してしまった。「もしかして……帰れない?」
少女は、少し泣きそうな顔で、首をぶんぶんと縦に振る。
そんな顔されると、断れない――隠し事への罪悪感を抜きにしても、アリスとはそういう人間だった。
要するに、それなりにお人好しなのである。
(あはは、なんか「彼」に似ちゃってきたなぁ、私)
そうなってしまった原因に、明確な心当たりはある。
とはいえ、ここで頼れる場所など、ひとつしかない。そこにつれていけば、よっぽどのこと――例えば、入った直後、女性アレルギー持ちとエンカウントするなど。いや、それ以外に例示できる事柄がない――がない限り、快く泊めてくれるだろう。
(でも、そうしたら……)
この少女に、自分の裏の顔が知られてしまう、確実に。
けれど、まとわりついた罪悪感を振り切って、純粋に慕ってくれている少女の期待を裏切られるほど、アリスは非情になれなかった。
(それに、こういう時、「彼」もきっとそうするんだろうな)
だから、そうやって正当化するための理由を無理矢理作って、自分に言い聞かせた。
そしてこの少女に告げる。
「よめれば、泊めてくれそうな所、紹介するわ。私がもっと早く気づいていれば、こんなことにはならなかったでしょうし」
どこに泊めるかということと「ごめんね」の一言を呑み込んで。