第2章
プロローグ
 1台のノートパソコン。
 誰も触れていないのに、突然起動した。キーを打つ音がしていないのにパスワードが入力されて、デスクトップが映る。
 さらに、勝手に音量が最大になる、DTMソフトが立ち上がる等、明らかに正常ではない現象が起きていた。挙句の果てには……
 ジリリリリリリ!
 目覚まし時計のベルのような音が最大音量で流れだした。
「……ッ!? なんだよオイ!?」
 けたたましいベルの音が鳴り響く、狭い部屋。そこの床でだらしなく眠っていた男は、目を覚まさざるをえなかった。
 彼ががばっと跳ね起きたのを見兼ねたように、ディスプレイからDTMソフトのウィンドウが消える。が、今度はテキストエディタが勝手に出てきた。
 真っ白な画面に、音もなく打ち込まれた文字は……

『Z:おそようございます、ご主人! もう10時ですよー』

 シチュエーションの割には能天気だ。かえって、裏がありそうとも感じないでもない。
文脈からは「Z」なる者が「ご主人」と呼ぶ存在に朝の挨拶していること、さっきのベルは本当に目覚まし時計として鳴らされていたことがわかる、。
 その「ご主人」らしき男は、渋面を作りながらキーボードを打つ。
『Byron:うるさいな。というか何だよ、その「おそようございます」て』
 アルファベットで打たれた名前。カタカナで「バイロン」と読む。これが、男の名前だった。
『Z:「おはようございます」は漢字で「お早うございます」って書くんですが……10時起きはお世辞にも「早い」と言えないと思ったんでwwwww』
『Byron:主人に草生やすな。あと「おはようございます」は、芸能・放送の世界では、昼夜問わず、その日初めて会った時の挨拶なんだ。そこら辺は融通利かせろって』
『Z:むむむ……相変わらず口が減らないですねー』
『Byron:主人に「口減らず」とか言う女中がいてたまるか!』
『Z:それが最近、主人に毒舌な方がウケがいいんですってねー』
『Byron:それ、執事とメイドをごっちゃにしてる。最近のメイドは奴隷タイプだってよ。まあ、俺は多少おてんばな方が、健康的で好みだがな』
『Z:ご主人の思考がいちばん健康的じゃないと思うんですが……』
 しかし、この2人(?)、テキストエディタで何をいているのだろうか? それ以前に「Z」はどうやってただのテキストエディタに文字を打っているのだろうか?
 と、その時、とんでもないことが起きた。
 ノートパソコンのUSB差し込み口から、赤と青が這い出た。2色の楕円形のような立体、それの集合体のような「何か」が。
 一見すると、本当に「何か」と言い表すしかないだろう。しかし、よく観察すると、大きい赤の立体2つが頭と体を構成していたことがわかる。頭には、渦巻き模様の目もついていた。
 つまり、この立体の集合体のように見える「何か」は生き物である。
 ポケモンなのだ。
 人間の科学力で作り出された、極めて特異な種族――ポリゴンZ。
 バーチャルポケモンに分類されているこのポケモンは、全身をプログラムデータに戻して電子空間に入ることができる、というとんでもない能力をもっていた。ご丁寧に、コピーガードまで施されているらしい。
「というか、私はメイドとかそういうのじゃありません! ご主人様の相棒です!!」
 喋った。ポケモンが、人語で。
 ポケモンと定義されるように、ポリゴンZにも感情があった。というより、人工知能を搭載していて、新しい仕草や感情を自分で覚えることができるのだ。ここまでくると、いやはや「科学の力ってすげー!」と脱帽するしかない。
「……お前、いつから喋れるようになったんだよ」
 当のご主人も脱帽しているくらいである。
「ネット上の情報をかき集めて処理しました。こうやって、ご主人と口で語り合える日を楽しみにしていたんですよー」
 ちなみに、女声だ。やや幼い印象のある声質である。
 こういう光景を見ると、近い将来、ロボットのような人工労働力に生身の人間の雇用が圧迫されるかもしれない、ということが他人事としてとらえられなくなる。
 そもそも、ロボットという語は、風刺劇「R.U.R」――人間の労働力に代わるものとして開発された人造人間が、作業の効率を上げるために神経と感情を与えられると人間に反逆し、人類を絶滅させた――そんな筋書きの劇で用いられた造語だ。
「科学の力ってコエエ……」
 ご主人ことバイロンは、ポリゴンZには失礼だがそういう感想しか思いつかなかった。
「えー!? どうしてそうなっちゃうんですかぁっ!?」ポリゴンZはない口を尖らせる。「私は前のご主人に捨てられた身ですよ。その時は、少しばかし人間という種族に疑問も抱きました。
 ……それでも人間のあなたについていっている。その理由、わかりますよね?」
 科学の力は、すごい。
 少し間を置いて、ポリゴンZは答えを述べた。
「あなたを信じているから、ですよ。ていうか、それ以外に理由ってあります?」
「利害関係とか?」
「そこでそんな黒々としたことを!? ああ、もう台無しです! とにかく、救ってもらったあの日からずっと信じているんですぅっ!」
 人工知能は、ここまで進化したようだ。
 あまりにも率直すぎる告白に、バイロンは絶句した。
「じゃあ『ご主人』って呼ぶのやめろよ。他人行儀なの苦手だし。でも、名前そのままも嫌だなぁ、濁音あるし。じゃあ…………あの時みたいに『ロン』とでも呼んでくれ。これ、主人命令……どうした? 顔が真っ赤だぞ? ただでさえ赤いのに、熟したヒメリの実かってくらいになっているぞ。てか、おいしそう」
 しかしこの男、鈍い。女(生物学的には、ポリゴンZに性別はないのだが)に向かって「おいしそう」はアウトなのではないのだろうか?
「へっ!? いや、これは、その……かえって、私はフランクなのが苦手なんで。…………今、おいしそうって言いました!?」
 おかげで、ポリゴンZは人工知能の面影が見当たらないくらいに照れている。やはり、科学の力はすごい。
「……とにかく、仕事仕事っ!」
 照れ隠ししている。人工知能が。
「結局そうなるのかよ……。わかりやした。仕事すりゃいいんだろ?」
 ポリゴンZに肩を強めにつっつかれ、バイロンは「よっこらせ」と面倒臭そうに立ち上がった。
 まだ初夏だというのに、白いタンクトップ1枚だ。下はカーキの長ズボン。「俺の柄じゃないんだけどなぁ」と荒さと爽やかさが同居する整った顔を少しだけしかめながら、黒い薄手のガウンを羽織る。
 ガウンの左胸には、縦長のひし形に逆さT字が書かれたエンブレムがついていた。
「それじゃあ、ぼちぼち始めますかぁっ!」

 こうして、タナトス団幹部・バイロンの1日は始まる。
 拍子抜けするほど軽く、明るく、さっぱりと。

■筆者メッセージ
 ポケモンが喋りだすというカオスを序盤のうちからやってのけます。初っ端から、敵幹部に「科学の力ってコエエ」と言わせちゃっています。
 でも、ポリゴンZが幼なさのある女声で話しているんですよ! かわいくないですか!? え? 私だけですか? ………………とにかくっ!

 これが鬼畜作者つるみクオリティだッ!←
つるみ ( 2016/03/30(水) 09:31 )