第4話 再会は怪事件とともに
真っ青に広がる海に、橙色の夕焼けが映えている。
自然が織りなす荘厳な光景。それとは裏腹に静かな海岸を、潮風が吹き過ぎる。
ソビタウンとは、そういう町だ。
ドクン、ドクン、ドクン……
心臓の重い鼓動が聞こえる。
ポケモントレーナーになったからには、やらなきゃいけない。それくらいは承知している。が、セキナは、この行為に罪悪感を感じずにはいられなかった。
あと3歩……2歩……1歩……0歩!
「あのっ、すみません!」
思わず、拍子抜けた声が出てしまった。しかし、逃げるわけにはいかない。これは、この先何度もしなければいけないのだから。ポケモントレーナーとして。
極力緊張を悟られないように、深呼吸。
時は来た。
「ポケモン、回復してくださいっ!!」
♪てんてんてれれん
今日も、ポケモンセンターは平和だ。
「ふぁ〜……緊張した」
セキナは、ポケモンセンターの前で一息ついた。
ポケモンセンター。ポケモンの体力回復やポケモンの交換、モンスターボールの整備、トレーナーの宿泊、レストランもある、ポケモントレーナーのための施設だ。
「どうして緊張するの? 『ポケモンを回復してください』ってお願いするだけでしょ?」
セキナの少しだけ強張った表情を解せないディアンシーは、少し呆れた風に尋ねた。
「いやぁ……あれ、タダだから」
「タダならいいじゃないの」
「そうなんだけどさー」
セキナは、肩にかけた紺のショルダーバッグに目をやる。
「タダだと、なんか申し訳なくない? さっきモンスターボール10個大人買いしたばかりだから、金の重みっていうのが」
「じゃあ、10個もまとめ買いしなければ……」
「10個で、1つおまけでプレミアボールがついてくるの!」
ディアンシーは、セキナの弱点をまた1つ、見つけてしまった。わかりやすい販売戦略にいとも簡単にはまる、ということ。
「……ってか、なんで出ているの!?」
セキナは、今更ツッコむ。
ディアンシーは強いとはいえ、追われている身だ。あまり人目に触れさせられない。
しかし、彼女は、普段はツンツンしていても、根はお転婆らしかった。気が付いたら、モンスターボールから勝手に出ている。ちゃんとセキナについてくるのがせめてもの救いなのだが、それでも、守る側はヒヤヒヤするものだった。
「せっかく旅のトレーナーと出会えたのよ。いろんな景色を見とかなきゃ損じゃない」
しかし、こう反論されては言い返しようがない。もし、自分が同じ立場だったら、外界への好奇心を抑えられるだろうか? ……いや、絶対無理に決まっている。
ディアンシーはメレシーをまとめる姫だったのだから、外界には出られなかったのだろう。それも、今や狙われの身なのだ。1匹で出掛けることすら危険につながる。だから、彼女は、思いを馳せていた外の世界を自身の目で見られる今を、セキナが思う以上に謳歌しているのかもしれない。
セキナは、黙り込むしかなかった。
「仕方ないなぁ。できるだけ、人に見られないようにね」
だからといって、放任してしまうのもいかがなものか? セキナは10秒後、それを思い知ることになる。
ディアンシーは、海に向かって飛び出したのだが、
早速、人とぶつかっている。
(言ったそばから人に見られてる!?)
セキナはどうしていいのかわからず、とりあえず謝りにいく。
できるだけ、ディアンシーだとバレないように、普通を装って、
「すみません。私のポケモンが……んんん?」
が、それは杞憂だったようだ。
セキナは、ディアンシーがぶつかった相手の顔に見覚えがあった。それどころか、忘れるはずがない。
年の頃は、セキナと同じくらい。その割には、少しだけ背が高く、精悍な顔つきをしている。制服姿しか見たことはなかったが、私服だと、その表情がより生き生きとしてくるから、間違えるはずがない。信頼できる親友の顔だ。
「リョウゴじゃん! 万年2番手の」
「セキナ……? ってか、万年トップのお前が言うな」
ちなみに、彼らの会話、実は「万年」の後に「ワースト」が省略されている。要するに、ともに居残り、長期休暇の補習……様々な困難を耐えてきた「戦友」と言っても過言ではない間柄なのだ。
その万年
ワースト2番手の同級生が、今セキナと話している彼、リョウゴである。
「ふっふっふっ〜。私は、リンドウ博士の推薦を受けたんだよ? もう『万年
ワーストトップ』だなんて言わせないからねっ!」
「『ワースト』小声で話すのやめろよ、悲しくなるから」
「そうだね……私たち、もろにトレーナーズスクールに毒されきっているね」
2人で、青春の1ページ――と言っても美化しきれないが――を振り返る2人に、ディアンシーはおずおずと声をかけた。
「ねぇ……2人は、どういう関係なの?」
「え? まあ、えーと――」
セキナが考え込んでいると、リョウゴが代わりに答えた。
「まあ、よく『戦友』だなんて冷やかされたよな……劣等生同士という意味で」
「あぁ……そんな話もあったっけなぁ、あははははー」
しかし、古傷に触れてしまったようで、目も声も笑っていない。そもそも、感情が見当たらない。
と、
「……って、今、ポケモン喋った?」
リョウゴは、そんな古傷に触れた張本人がポケモンであったことに、遅まきながら気づいた。
「んー……まあ、テレパシー? みたい」
「へぇ。そんな珍しいポケモン、一体どこで……?」
状況が整理できていないリョウゴに、セキナは、ディアンシーと旅するに至った経緯を話した。途中で「タナトス団」を「
タナボタ団」と間違っていたが、ツッコむ者がいないため、その間抜け未満の名前のまま話が進む。……まあ、初対面時の「タナバタ団」よりは、
3文字目の母音が合っているだけマシと言えよう。それよりも、そのような名前でも気にせず話を進める子供たちも子供たちだ。
リョウゴは一連の話を聞いて、ただ「大変なんだな」とだけ呟いた。
しかし、セキナは
「そんなことないよ。旅の途中で話す相手がいると、なんか安心できるし。
ところで、リョウゴは何しに来たの?」
「ああ。俺は、まあ……なんというか……」
リョウゴは躊躇いがちに口を開いた。
「
仕事……って言えばいいのか?」
セキナは、その言葉の意味を理解するのに数秒の沈黙を要して、
「
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
思いっきり拍子抜けた声をあげた。
ある日のトレーナーズスクールにて。
『今のままじゃ落第、だってよ』
『リョウゴも言われちゃったんだ……本当っ、何様なの、あのジジババどもは! 「トレーナーになりたい」って夢を叶えるための学校でしょ? それなのに、子供の夢を粉砕してさぁっ!!』
『いや、先生たちは「ジジババ」ってほど年とってないし、この暴言聞かれたら、今度こそ反省文じゃ済まなそうだからやめろ!』
『……おっ、そうだ!』
『何なんだよ? 藪から棒に』
『リョウゴ、捕獲だけは本当の首位なんだし、いっそのことポケモンハンターにでもなっちゃえば?』
「――と、そんな話もしたっけなー、って流れで」
「ハンターになっちゃったの!? てか、あれ、真に受けちゃってたんだ!」
「うるせー! 俺の学力じゃ、他に道はなかったんだよ!!」
「んで、収入の方はー、おいくらくらいー……?」
「初っ端から、そんな生々しいこと訊くか普通!?」
問題児コンビ、ここに再臨。「戦友」と奉られることだけあって、息バッチリだ。
たしかに、ポケモンハンターになったということは、リョウゴの服装からも表れている。茶色のデニムジャケットといい、カーキのカーゴパンツといい、アースカラーで纏まっている。擬態性は抜群だ。
ついでにいうと、
(うーむ……私のすぐ近くに、こんなイケメンがいたなんて……残念すぎて、顔まで目がいかなかったなぁ)
年頃の少女は、あらためて「戦友」の姿を見る。トレーナーズスクール卒業後から半月ほどしか経ってないのに、少しだけ大人びたように感じた。私服だからだろうか? それとも、「男子3日会わずすれば刮目して見よ」ということなのだろうか? なんとなく、悔しい。
「あと、お前さ……その……」
気づけば、年頃の少年も、同い年の少女を見つめている。
「『ルチャブル少女』なりに、いい体してるな。『小さいカイリキー』だなんて言えたモンじゃねぇ……」
セキナは一瞬たじろいだが、すぐに気づいた。
彼女は、ロンパースを着ている。上衣はキャミソールで、ブルマーと一続きになっているタイプのものだ。
小柄ながら、シャープな二の腕と引き締まった太ももを露出させているセキナは、たしかに「いい体」をしていた。
それだけならよかったのだが、リョウゴは思ってしまった。
(あれ、下着じゃない……よな?)
目は口ほどにものを言うらしい。
セキナは、ふと顔を赤くして、
「変態!!」
神速で殴りかかった。
リョウゴが少しだけ大人びたように見えたのは、私服補正だ。彼が大人びるなんて、あるはずがない。同時に、セキナは確信した。
「うがーっ! んで、あんたは誰を捕まえるの!?」
「結局訊いてくるのか……お前、目はやめろ! 悪かったから……だから、まず顔から離れろ! 殴るなら、せめて体を
ふぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
ともかく、これが「小さいカイリキー」の実力である。
海魔。
ソビタウンの海に突然現れた謎の存在だ。とりあえず、ポケモンであろうとは推測されてはいるが。
ただの謎で済まされるのであれば、問題なかった。ポケモンは、まだまだ謎だらけなのだから。
が、海魔は、海を泳いでいる人々を襲うのだ。その魔手にかかって帰ってきたものは、ついぞいなかった。
かつては港町として栄えていたものの、今や申し分程度の灯台と海水浴場しか残されていないソビタウンには大打撃だ。
「……で、その海魔とやらを殺すのはかわいそうだから捕獲してくれい、だとさ」
リョウゴがひとしきり話し終えて、セキナは、
「そんな物騒な依頼、よくこんなクソガキにしたね」
率直すぎる感想を述べた。
「同い年のお前がクソガキ言うな。年金で暮らしている爺さんだったから、いちばん安上りで済む人雇ったんじゃねぇか?」
「その爺さん、自分が何しているのかわかっているよね? ボケちゃってて、図らずもアマチュア丸出しのハンターを間違えて雇っていないよね!?」
「……お前が『ルチャブル少女』じゃなかったら、そのケンカ買っていたんだがなぁ……」
同級生とはいえ、かなり辛辣だ。危うく、リョウゴの逆鱗に触れかけて、セキナは「いやぁ、ゴメンゴメン。冗談だって」とやめにした。ポケモンセンターだって、公共の場である。変に騒ぎを起こしたくない。
「でも――」
セキナは、天上を見上げ、ぽつりと言った。
「すごいなぁ、リョウゴは。いつも苦を共にしてきた同級生が、知らないうちに、こんな遠くて高いところにいたなんて」
リョウゴも、
「お前が言うなよ。こっちは、同じ土俵に立っていたやつがいきなり博士に推薦されやがったんだぞ? どう頑張っても、到底追いつけねぇ」
つられて本音を吐いた。視線は、セキナに向いていない。
「そうかなぁ? 私は、もう抜かれている気がしたけど」これは慰めではない。セキナは大真面目だった。「リョウゴはたぶん、自力で這い上がっているじゃん。私は、博士に他力本願だし」
とはいえ、少し顔が赤い。
それは、リョウゴも同じだった。
「お前、寝ボケてるんじゃねぇのか? さっきまで、けちょんけちょんにけなしていたクセに」
紡ぎ出される言葉はアンニュイな感じがしたが、まんざらでもないようだ。
セキナも「っ……!? ま、まあ、初日で疲れちゃったのかも」とはぐらかして、それでも、この感じが嫌ではなかった。
「じゃあ、また明日。久しぶりに、リョウゴの捕獲ショーが見たいな」
次の日。
春であるのにもかかわらず、「春昼」と表現すると語弊が生じるような快晴だった。普段は静かな海も、今は子供たちの遊び場となっている。日に照らされきらきらと光る様は、まるで「遊びにおいでよ」と誘っているようだった。
「うーんっ! 今日は捕獲日和だねっ!!」
セキナも大きく伸びをして、陽光と潮風を一新に受けている。
「いや、相手は海魔だからな。こんなかんかん晴れじゃあ、かえって出てこないことだってあるかもしれねぇ」
リョウゴも、昨日は着ていたデニムジャケットを脱いで、水色のTシャツ1枚。身軽になって、臨戦態勢も整っていた。
「これだけ子供たちがいるんだよ? 海魔にとっちゃ、飛んで火にいる夏の虫ってところなんじゃないの?」
言いつつ、セキナはモカシンパンプスを脱いで、海の方へと歩みを進める。
「お前、遊ぶ気満々じゃねぇか」
「だって〜、私は、リョウゴのお手並み拝見に来ただけなんだもーん!」
リョウゴに何を言われようが、セキナは止まらず、足を海水に浸らせた。
その時、
ブシュウウウウウウウウウウウウッ!! 海上、やや細い水柱が立ち上がった。
「危ないっ!」
戦う覚悟があったリョウゴは、とっさにモンスターボールからポケモンを繰り出した。背中にキノコが生えたようなザリガニのようなポケモン・パラスだ。
(まずは、こっちにおびき寄せないと……)
海は海魔のホームグラウンドだ。やみくもに戦っていれば、劣勢になってしまう。何より、リョウゴは泳げるポケモンを持っていない。
「パラス、いくぞ! "甘い香り"だ!!」
技名のとおり、パラスのキノコから芳香が発せられた。
水柱は、香りに誘われ浅瀬へ向かう。
セキナは、その気配を感じ、
「っ……危なっ!」
「ルチャブル少女」ご自慢の運動能力で回避した。それだけではなく、回避の動作をとっている間に、ポケットからモンスターボールを出し、
「メリープ! "電気ショック"!!」
メリープを出撃させる。
何かが、彼の電撃に感電したのが見受けられた。
海魔だ。
その正体は――