第3話 硬度10の剣
ツバクロタウンから続く1番道路は、田園風景の散歩道だ。
何が悪いかというと、
「なんか、おつかいと変わらない気がする……」
ということだった。
この道路にも、草むらや水辺は点在しているし、ポケモンも生息している。しかし、買い物のため隣町のソビタウンまでせかせかと歩いていくツバクロタウン町民の姿を見るうちに、人間に対して敵意を抱かない……どころか、友好的な態度をとるようになってしまった。
「うわぁー、あそこにスバメがいるー」
棒読み。おかげで、セキナも反応だけは旺盛な図鑑を片手に萎えているのであった。
彼女にとっては、いつもの道、いつもの方角へてくてく歩いていくだけ。
その傍らで、
「ほら、気を緩めない。これだから、強くなれないんじゃないの? 常に周りに気を配ること!」
コーチのように叱責しながら、セキナを引っ張っていくディアンシー。
どうしてこうなったか? 答えは簡単。ポケモンを捕まえるのに必要不可欠なモンスターボールを持っていなかったからだ。経験値の足しにするため、野生のポケモンを倒すのは、あまり気が進まない。彼らの人懐っこさを裏切るような気がする。
セキナは、半ばぼーっとしながら、遊歩道を歩く。
……誰かとぶつかった。
「……あ、すみません」
セキナ自身も、その衝撃で尻もちをついてしまった。謝ろうとして面を上げ、
「って、ゲッキーじゃん! うわぁ、久しぶり〜」
ぶつかった相手が友達であったことに気付く。
人型だが、ポケモンだ。空手の道着を着、黒帯を締めている人間のような姿だが、体色は青い。ダゲキである。セキナから発せられた「ゲッキー」という単語は、このダゲキのニックネームだろう。
「トレーナーズスクールに入学してから、寮生活で全然会えなかったもんね。補習とかあって、帰省している暇もなかったから……2年も会ってないのかぁ。しばらく見ないうちに男前になっちゃって〜!」
楽し気にまくしたてるセキナに、ダゲキも笑顔で応えている。
一見は、幼馴染同士の微笑ましい再会。しかし、トレーナーズスクールでは「
ルチャブル少女」だの「
小さいカイリキー」だの、女性には少し失礼にあたりそうな二つ名(特に後者)を轟かせたセキナ。彼女が、野生のダゲキと仲睦まじく話している。普通の関係ではなことは、誰の目にも明白だった。
「ねぇ、あんたたち、どういう関係なの?」
ディアンシーもそのただならぬ気を感じて、尋ねた。一抹の恐怖を孕ませて。
「んー……まあ、
ライバル、かな」
「ッ!?」
ディアンシーでなくとも、驚かざるをえない。
年端もいかない人間の少女が、格闘タイプのポケモンと実力伯仲。トンデモ、ここに極まれり。
(セキナが、私の思う以上に強いのか……単にダゲキが弱いだけなのか……?)
ディアンシーは、頭を抱える。
遅ればせながら登場したメリープも、目で誰にともなく問いかけていた。「僕、必要なの?」
(でも、このダゲキ……強者の覇気がある)
ディアンシーは戦慄した。強すぎる。ダゲキではなく、セキナが。強いことを認めたからこそついていったのだが、ここまで並外れているとは想像すらしなかった。こうなると、もはや滑稽だ。
黙ってなんかいられるはずがない。ディアンシーは、右の拳をぎゅっと握った。
「あんた……私と勝負して!」
空気が、少しだけぴりぴりとしだす。
「ちょっ、ディアンシー!? 勝負って、ゲッキーと? 生半可な防御じゃ、綺麗な体がどこかしら砕けちゃうよ! もっと強くなってから……」
「人間が相手できるんだから、私もできるはず」
ディアンシーの反論に、普通なら「セキナを人間と認識することがナンセンスなのでは?」という旨のツッコミが入るはずだ。が、今はそれを諭すことができる者も、そもそもセキナの運動能力が人外の域も達していることを知っている者もいなかった。
「仕方ないなぁ。ゲッキー、その……お手柔らかにお願い」
セキナは、この頑固な姫を説得するのを早々に諦め、ダゲキに後を任せた。彼は、合点承知の助と言わんばかりに胸を叩いて引き受ける。
その後ろ、いかにも男前なダゲキの様を、メリープが複雑そうな目で見ていたことは、誰も知らない。
かくして、ディアンシーとダゲキの一騎打ちが始まった。
本来、ディアンシーのトレーナーであるセキナも参加すべきなのだが、姫様命令で不参加を強いられている。曰く「自分だけで戦いたい」とのこと。
(そういえば、ディアンシーが戦うところを見るのは初めてだ。どんな風に戦うのかな?)
いつもツンツンしているので、戦う姿に新鮮さを感じない。
しかし、セキナは、目の前のバトルを手に汗握る思いで見入っていた。
お互いに一歩も引かない熱戦。リンドウから「ディアンシーは、メレシーというポケモンの突然変異で、彼らの姫でもある」という逸話を聞いていたので、戦闘に不慣れなイメージがあった。実際はその逆で、歴戦の闘士と一進一退の攻防を繰り広げている。
ディアンシーが"岩落とし"を繰り出せば、ダゲキはすかさず"岩砕き"で技名通り粉砕。
ダゲキが"空手チョップ"で攻撃しようとすると、ディアンシーは"角張る"を使って、決して触れさせない。
鎬を削る中で、しかし、ディアンシーは密かに焦っていた。
(このままじゃ、埒が明かない……!)
そろそろ、隠し続けた疲労も表れてきた。しかし、ダゲキはペースを落としていない。むしろ、先程よりもピッチが上がっている。
と、
「ぁ、っ……」
今度こそ、ダゲキの"空手チョップ"が命中した。
「ディアンシー――!?」
「邪魔しないで!」
セキナの気遣いを制して、ディアンシーは立ち上がる。
しかし、彼女は、ただ立ち上がっただけではない。
小さな手の中に、最終兵器を隠し持っていた。
――否、造っていた。
『両手の隙間で空気中の炭素を結集して。たくさんのダイヤを一瞬で生み出す』それが、ディアンシーのお家芸だ。
彼女は、ダイヤを棒状に生成することで、剣を創り出したのだ。光輝くそれは、まさに、姫のための聖剣。しかし、華麗な外見からは誰も気づけないだろう。その刃はどんな鉱物よりも硬く、どんな刀剣よりも鋭く整えられた恐るべきものだということに。
ディアンシーは、光の尾を引く聖剣を携え、駆けだした。そして、ひゅっと空を切る音を鳴らして切りかかる。
迫った刃を、ダゲキは間一髪でかわした。しかし、黒帯に切れ込みが入っている。
ディアンシーは、一太刀目で生んだ好機を逃さない。間合いをとるべく後退するダゲキにまた近づき、剣を振り上げ、
「私は、温室育ちのお姫様なんかじゃない!」
斜めに振り下ろした。
右の腰に一突き。
あまり深く刺されていない。手加減しているのが明らかなくらい、浅く穿たれている。
一応は、ディアンシーの勝利だ。
彼女は、ほっとして溜息をついた。すると、そこへ、
「すごいすごい! ディアンシー、あんな大技持っていたんだ」
セキナが拍手しながら駆け寄ってきた。
「別に大技ってほどでもないけど……そもそも、これは本当に強いポケモンにしか使わないと決めてたのに」
それを初っ端から使ってしまった。ひやりと、この先への危機感が湧く。
「そんなことないよ。いきなり剣なんて出てきても、普通は対応しきれないって。ゲッキーだって、最初のよけた時、絶対『やばい死ぬ!』って顔してたもん」
それなのに、不意に褒められて。
(「普通は対応しきれない」から、封印してたのに)
ポケモンでも、武器を使う種族は少ない。それに、ダゲキのような肉弾戦を得意とする格闘タイプに使うのは卑怯な気がした。
しかし、内心まんざらでもない。
ディアンシーは、ふと、ダゲキと目が合った。
何を言えばいいのか――ディアンシーが迷っていると、ぺこりとダゲキは笑って頭を下げた。試合後の礼だろうか? その礼儀正しさ、潔さに感心し、ディアンシーも習って礼を返しておいた。
ちなみに、セキナと同じく観戦していたメリープは、ダゲキの方をちらりと見やっては、なぜか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「そういえば……」セキナは唐突に切り出した。「旅立つ時、ゲッキーに頼みたいことがあったんだよね」
ディアンシーもメリープも、少しくらいは予想していた展開だった。しかし……おそらく、この「頼みたいこと」はメリープにとって都合が悪い。
「ママと一緒に留守番してもらっていい?」
メリープは首を横に振る準備をしていたが、その必要はなかった。密かに、胸を撫で下ろす。
「……いいかな?」
セキナの頼みを、ダゲキは、相変わらず男前な合点承知。
メリープは、ちょっと面白くない。
『だーかーらっ! 私は、孤独死するような年じゃありませんっ!!』
「いいでしょ? 人生、『かもしれない』運転でいったほうが、老後が楽そうだし」
『私がおばさんになった頃には、あなた帰郷してるでしょ、普通に考えて!』
「あれ、まだおばさんじゃなかったの……いや、冗談だって! 本当!!」
あの後、タブレット越しに母と談笑(?)するセキナの後ろで、
「あんた、もしかして、あのダゲキに嫉妬してる?」
メリープにディアンシーが耳打ちしてきた。
認めたくないが、図星であった。さすがに表に出しすぎたか、と後悔する。表情も重く、頷く。
「……大丈夫よ」
ディアンシーは、ぽんとメリープの背中を叩いた。声は相変わらず素っ気ないが、そこに秘められた温かさに、胸を打たれかけた。
が、
「『男は愛嬌』って言うでしょ?」
一転、今すぐにでも食ってかかりたい衝動に襲われた。ディアンシーに悪気はないはずだが、メリープにとってはとどめの一撃だ。
――いつか、もっと強く、頼れる男になりたい。
メリープは、まだモフモフしている小さな体に誓った。
彼が見た青空は、やはり大きかった。