第1話 運命、拾いました
ホウライ地方の片田舎・ツバクロタウンにて。
これから旅立つポケモントレーナーの姿を前にして、ポケモン博士のリンドウは早速驚かされた。
「ロンパース、だと……?」
ロンパースとは、上衣とブルマーが一続きになった……小児服であったはずだ、とリンドウの知識が呻く。1〜2歳の子供の遊び着であったはずだ、とも。
残念ながら、30代後半にして伴侶がいないどころか、女性とそれほどの関係を築いたこともない――いわゆる童貞の彼には、女性とは計り知れない生き物だった。
それでも、ポケモン博士として、1つだけ忠言しておく。
「露出多くね?」
そう、そのロンパースは、上衣がキャミソールなのだ。
(キャミソールは下着だと思っていました、はい)
おかげで、原始的欲求に満ちた視線を、その新しいトレーナーたる少女に向けてしまうリンドウなのであった。
よく見れば、羽織った白衣の下には、ヨレヨレのポロシャツがハーフパンツにインされている。さらに、わかりやすく、リュックサックまで背負っていた。
とにかく、リンドウとはこういう人間なのだ。
しかし、少女は気にした風もなく、
「家でいちばん動きやすい服がこれだったんです」
よく通る明るい声で答えた。
「でも、草むらでかゆくなるし、痴漢、とか?」
「別に草むらのかゆみは嫌じゃないし、痴漢は『これ』でなんとかします」
堂々と胸を張っている。「これ」と言った時、蹴りの素振りをしてみせていたから、彼女に挑もうとなどと画策する無謀な男はそういないと予想された。
(そうか。スカートだと、蹴った時にめくれちゃうからな)
1人だけ、予備軍がいないでもないが。キャミソール=下着という固定観念が悪いのだ。その予備軍二等兵は1人プロパガンダを叫ぶ。
「……よし。衣服の話はやめよう」
「よし」は「観察完了」を意味する。このポケモン博士、いろいろな意味でなかなか食えない男なのであった。
赤毛のツーサイドアップに、胡桃色の瞳。これだけだと不良少女の印象を受けるが、懸案のロンパースは空色で、胸にリボンがついている。靴も、落ち着いた色のモカシンパンプスだ。
生まれ持った頭部の色彩と、ちぐはぐな、胴体以下のコーディネート。おかげで、第一印象は悪くない。
(さらに、小柄でロンパースとか疑似的ロリだし、この顔でツンデレだったら最高だよねっ!?)
ポケモン博士ならではの観察力で、リンドウはこう品評したのであった。
少女の名はセキナ。
つい最近、トレーナーズスクールを卒業したばかりで、今、ポケモントレーナーへの第一歩を踏み出そうとしている。
「わざわざこんな田舎まで来てくれて、ありがとうございます」
「いやいや、『ありがとう』はこっちの台詞だよ。だって……」
「ポケモン図鑑のデータ集め、ですよねっ!」
彼女は目を輝かせて、来るべき時を待ちわびていた。
ポケモン博士から、ポケモン図鑑の完成を託される。
素質を見出だされた新米トレーナーにしか機会が降ってこない、栄誉ある仕事である――他の地方では。
しかし、ここ、ホウライ地方は、ポケモンが発見されてから約10年しか経っていない。気が付いたら、既存の生物が消えていて、ポケモンが繁栄していたのだ。故に、ホウライ地方の生態系は、あまり把握されていない。ポケモンリーグも、他の地方の見様見真似で作ったばかりだ。
つまり、ホウライ地方に「ポケモン図鑑の完成」はない。誇張抜きで、生涯をかけて行う大仕事だ。
だから、トレーナーとしての挫折は、絶対に許されない。
まだ未熟な10歳の少年少女に、自らの生涯を代償にした仕事を持ちかけるわけにはいかない。リンドウは、この地方でもっとポケモンに対する理解が深まるまで、依頼することはないと見ていた。
「最後にもう1度だけ訊くけど……本当にいいんだよね?」
「もちろん! リンドウ博士が推薦してくれなかったら、私、トレーナーになれなかったですから」
セキナは、トレーナーズスクールの問題児として疎まれていた。
実際は、ただ、地毛が赤かっただけで、知識と理解力が欠けていただけなのだ。
証拠、実習で彼女と共闘したポケモンは、勝っても負けても心底楽しそうな笑顔だったことを、リンドウはしっかりと覚えている。彼女が問題児であると聞いた時は、むしろ逸材なのではないかと耳を疑ったほど、その様は胸をすっきりさせた。
が、トレーナーになれるかどうかを決めるのは、セキナでもリンドウでもないわけで、トレーナーズスクールの教員から「トレーナーになるのは諦めろ」と責められたセキナは、やりきれない思いが溢れた表情をしていた。
それを見たリンドウが、迂闊にもその生涯をかけて行う大仕事を託すことを条件に、「トレーナーになれる」という餌をちらつかせたのである。
(我ながら、すっごく卑怯な気がするな……)
彼は、それを引け目に感じていた。あの時から、ずっと。
しかし、
「あ、そうだ! 博士。私、今朝、見たことのないポケモンを拾ったんですよねー」
当のセキナは「楽しみで仕方がない」といった様子だ。思わず責任を捨ててしまいたくなって、
(いや、駄目だ。まだまだ青い10歳の女の子を唆しているんだから、ちゃんと責任とらないと)
湧きだしそうな出来心を、どうにか拒絶する。
と、
(え?)
耳をくすぐる吉報を、ようやく認識した。
「『見たことのないポケモン』ですと!?」
問題児であろうとなかろうと、セキナは、トレーナーズスクールでたくさんのポケモンと触れ合っている。本当に稀少なポケモンなのかもしれない。
「どこで!?」
「家の前……、ちょうど今、博士が立っているあたりです」
「!!」
10歳よりも興奮している、アラフォー。ポケモン博士だから、仕方がないと言えば仕方がない。
「こんな田舎町に!?」
「朝5時には、気絶していました」
と、セキナが「5」と言った時には、リンドウは彼女の部屋へ向かって突進していた。……字面は、変態のそれだ。
2階にある、男性は息苦しくなるであろうファンシーな空間に、そのポケモンはいた。パステルピンクのベッドで、すやすやと眠っている。
全身は宝石の如く。瞳は紅玉、胴体は原石。石竹色の宝石をドレスのように纏うそのポケモンは、ただのポケモンではない。
「で、でぃあんしー……?」
リンドウは目をこすって、もう1度見る。幻のポケモンは、視界から消えなかった。
「セキナちゃん。ほっぺ抓ってくれないかな?」
結局、リンドウの頬にはっきりとした痣ができたが、それでも、幻のポケモンは彼の視界に在った。
未だじんと痛む頬を手で押さえながら、リンドウはリュックに詰め込んであった本をめくる。
「これだ! 全国図鑑719番、宝石ポケモン・ディアンシー……セキナちゃん、この子、本当に幻のポケモンだよ! ほら、これ見て」
リンドウに言われ、セキナは本を覗き込んだ。
今、ベッドで眠っているポケモンとそっくりの写真が載っている。
しかし、リンドウは、ただ感激しているわけではない。
本では、こう述べられている。
『両手の隙間で空気中の炭素を圧縮して、たくさんのダイヤを一瞬で生み出す』
悪寒がした。
ディアンシーの能力は、魅力的ではある。しかし、それ故に、胸に懸念が渦巻いた。
(でも、これ、一部の人たちにバレたらヤバイ系だよね……)
もし、そういう人たちのエゴに利用されたら――想像したくない。
しかし、想像する以前に、現実となって表れかけていた。
「あれ? こんな田舎町に何なんだろう?」
セキナが窓から外を覗いた。
「なんか変な人たちがいますねー、10人くらい。黒い……ローブ? まあ、そんな感じのを着た男女がいます。でも……ローブって、女性用の服だったような?」
黒いローブ。
黒魔術師を彷彿させる、そんな集団の名を、リンドウは知っている。彼らであるならば、胸部にあるべきものがあるはずだ。
――あった。
縦長のひし形をした、白いエンブレム。横に引かれた対角線と、その真上の角からひし形の中点にかけての線分は黒、というか、要するに「T」の字を逆さまにしたような図形が描かれている。
近頃、彗星のように現れて、様々な憶測が囁かれている秘密結社。その凶兆を、リンドウは暫しの間凝視し、ぎりと唇を噛む。
「タナトス団――ッ!」
冴えない風貌が、双眸が険相を作った。
「えっ!? ……何、その
タナバタ団って……?」
が、リンドウの険相は、まもなく崩れ去った。セキナがわざとらしいまでの聞き間違えをしたからだ。
「タ・ナ・ト・ス・団っ! どうして僕が、敵の名誉のために大口開けないといけないの!?」
「タナ」しか合っていない。
慌て様から見るに、本人は大真面目らしいが。
「セキナちゃんは知らない……てか、知っていたら逆に怖いけど。いわゆる秘密結社? とりあえず、こんな田舎町に襲撃なんて、狙いはディアンシーだよなぁ……」
リンドウの額に、冷や汗が一筋、流れ落ちた。
タナトス団への恐れから、ではない。それも1割あるが、リンドウは勝てる気しかしていない。
冷や汗の主成分は、
(巻き込んじゃってごめん)
再びセキナを巻き込んでしまったことへの罪悪感だった。
しかし、彼女は窓を覗きながら、
「あー……これくらいなら、ぶったり蹴ったりでなんとかできます」
「か弱い乙女」とは程遠すぎるパワフルな方法で対処しようとしている。
彼女なら、できないでもない。先程、リンドウは、その指先にまで満ちる力を確かめたばかりだ。
だが、世の中には眠り粉や破壊光線、果てには伝説の化け物にしか使えない凛冽の技を人に向かって撃つような輩がいるらしい。
相手が何をしてくるかわからないのに、少女1人を戦線に出すのは、どう考えても迂闊すぎた。
「ええい、ままよ!」リンドウは、とりあえず理屈諸々すべて吹っ飛ばして「セキナちゃん! とりあえず、僕のリュックから適当にモンスターボール使って!!」
何も知らないセキナは、夢見ていた瞬間への歓喜のみをのせた声で「はいっ!」と返事した。うきうきとした様子で、無作為にモンスターボールを1個取り出す。
リンドウは、彼女に課した試練を、そうした自分自身を恨んだ。
が、セキナは棒立ちを強いられた。
「リンドウだと、冗談じゃねぇぞ!」「あんな化け物、どうやって……!?」「馬鹿! つべこべ言わずに攻撃しろ!!」
潰乱する、タナトス団団員たち。
彼らのポケモンを討つのは、リンドウのランクルス。腕が生えた細胞質のような液体に、胎児のような体つきの本体が入ったポケモンで、戦いっぷりから歴戦の猛者であることがわかる。
対する敵は、雑多な毒タイプといい悪タイプといい……どう考えてもオーバーキルだ。
(見かけによらず、強いんだなぁ)
セキナがトレーナーズスクールで見た、勇ましさとは無縁の顔と性格はどこへ行ったのやら? 今のリンドウは、闘志を露に、全力出しすぎな攻伐を繰り広げている。
(なんか「化け物」なんて言われちゃってるし……どう見ても、冴えないアラフォーなのに)
おそらく、ポチエナに襲われて「助けてくれ!」とポケモンすら持っていない近所の少年に求めるようなポケモン博士よりも、圧倒的に強いだろう。
しかし、多勢の無勢。
ランクルスは決して素早くはないので、技を発して再び撃つまでのタイムラグが発生する。小回りが効く大量のポケモンに対しては、手数が足りない。無双しているように見えて、かなりの量の毒ガスを吸っていて、追撃も食らっていたのだ。
(私もやらなきゃ!)
セキナは頬を叩いて、自らを鼓舞した。
「誰かよくわからないけど……お願い! 相棒!」
そして、勢いよくモンスターボールを投げる。
誰であろうと憚らずに「相棒」と呼べるのが、セキナという少女である。
ポン、という音をあげて、セキナの「相棒」が現れた。
綿の塊を見紛うほどモフモフした、羊のポケモン・メリープだ。
のんびりとした、場違いな鳴き声が戦場にこだました。しかし、険しさと和やかさが同居した表情からして、メリープにとっては雄叫びのつもりなのだろう。
「メリープ、だったっけ? とりあえず……"電磁波"!」
今、セキナにメリープの能力を調べる術はない、どころか、身近なポケモンの名前覚えているかすら危うい。乏しい知識を絞り出して、セキナはひとまず、メリープに指示を出した。
メリープは、彼女の方を振り返って頷き、弱い電磁波を力いっぱいまき散らす。
"電磁波"は、当たったポケモンを痺れさせ、動きづらくする――いわゆる麻痺状態にする技だ。これで、ランクルスへの攻撃が落ち着いて計画通り……のはずだが、
「あれ? なんか、イメージと違う、よう、な……」セキナは怪訝な表情で「ダメージ与えられていない、よね……」
それもそのはず、
「セキナちゃん……それ、」
リンドウが言いづらそうに、
「"電
撃波"だと思う」
「!?」
セキナの顔がかあっと赤くなった。
ごく一部の忍び笑いが、よく聞こえた。
「メリープ……コイツら倒そう、一緒に!」
セキナは、メリープに禁断の命令を下す。
よりによって、一緒に、だ。
リアルファイトのゴングが鳴った。
この場にいたすべてのトレーナーを、セキナが文字通り蹴散らす。一仕事終えたセキナを取り巻く光景は、どこか世紀末的なにおいがした。
メリープは……相変わらず愛嬌ある表情で、"体当たり"を連発。しかし、リンドウの温厚なランクルスに説得され、頬を膨らませながらも、攻撃の手を休めた。
「セキナちゃんっ!? とりあえずもちついて――」
「博士の馬鹿ぁーーーっ」
同じ頃、セキナがリンドウを突っ張り、K.Oした。