第12話 天使たちの円居
結びの洞窟を抜けると、そこは呆れるほどの雑踏だった。
断崖絶壁に囲まれていて、結びの洞窟を歩いて通り抜けるかポケモンに乗って飛来するか以外の交通手段ではたどり着けないというのに。日が沈んでからだいぶ経つというののに。
セキナの「なぜ?」はすぐに解決された。
その理由とは――
セキナは街頭スクリーンにぞっこんだった。
「セキナ」
ディアンシーが話しかけても、
「セキナ?」
気づかないくらい、
「セーキーナっ!」
ぞっこんだった。
ディアンシーの両手で右の頬っぺたを抓られて、やっと現実に戻る。
「っひゃあ!? 痛いよー、ディアンシー! 悪かったから、もっと優しくしてよ」
「さっきまで優しくしてたわよ。セキナ、呼んでもきづかないから」
抓られたセキナの右の頬っぺたは、見事な淡紅色がかかっている。どうも、この姫様は手加減というものを知らないらしい。
仁王立ち(浮いているが)で説教するディアンシーに、セキナは反論を試みた。
「だって……あの『トウィンクル・エンジェル』のライブ生中継だよ!」
「? 何……とうぃん?」
「『トウィンクル・エンジェル』! 期待の新人コンテストアイドル2人組だよ」
「こんてすと……?」
「あ、ディアンシーは知らない? コンテストっていうのは……」
疑問符を複数浮かべるディアンシーに、セキナはひとつひとつ説明してやった。
「コンテスト」とは「ポケモンコンテスト」の略で、ポケモンバトルとは違い、ポケモンを「魅せる」競技であること。
コンテストに出場するトレーナーは「ポケモンコーディネーター」と呼ばれるということ。
今スクリーンに映っているのは、コンテスト業界に現れた新星コーディネーター2人組――「コンテストアイドル」は俗称――「トウィンクル・エンジェル」の競演であること。
「あ、どおりでこんなに人がいるのかぁ!」
セキナは目を輝かせながら納得するが、実のところ、彼女が至った答えは100点満点中40点だ。
スクリーンを見る限り熱狂していることがわかる、コンテスト会場。その周囲には、摩天楼とは言えないものの高さのあるビルが並んでいる。
やたら彩度の高い色の装飾をなされたビルの数々。なんと、これらすべてが電気製品を取り扱う店である。
……などとオブラートに包んだ表現は煩わしい。看板が、この町の特徴を直球で言い表している。
『ここは、シギシティ
サブカルチャーの町』
どこかで、
とあるポケモン博士が、
花粉症でも風邪でもないのに、くしゃみをした。
「あのっ、すみません!」
セキナは、公共の場であるのにも関わらず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
一般的なトレーナーにとっては造作もない些事なのだが……セキナは、その「造作もない些事」に妙な緊張感と罪悪感を覚えてしまうのだ。
(ああ、もう、しっかりしなきゃ!)
両手で頬をぺちんぺちんと叩いて、雑念を追い払う。
時は来た。
「ポケモン、回復してくださいっ!!」
♪てんてんてれれん
この軽快な音に、人もポケモンも安らぎを得るのだった。
夜のポケモンセンターにて。
「メリープ、ヌメラ。おかえり〜」
回復したメリープとヌメラを、セキナは明るく出迎えた。
メリープの毛をわしゃわしゃと撫でたら、彼はくすぐったそうに笑った。
ヌメラの頭を撫でかけて、
「うわぉっ!? やっぱり、ぬっめぬめだ〜」
手に粘液がたっぷり付着。今度がセキナが笑わされた。どうして彼女が笑っているのかわからないヌメラは、他人事のように首を傾げているが。
それは、ありふれた団欒の光景だった。
だから、セキナは考えもしなかった。
この団欒が、運命の出会いを呼び寄せる――なんてことを。
「メリープだぁ! 懐かしいなぁ」
セキナたちの輪に、快活なアニメ声が入ってきた。
向日葵色の髪をツインテールにしていて、べっこう眼鏡をかけた女性だ。眼鏡の奥の瞳はあどけなさを湛えていて、幼い子供のようにかわいらしい。もしかしたら、べっこう眼鏡のせいで大人っぽく見えているだけで、実は少女なのかもしれない。
彼女のフレンドリーな雰囲気につられ、セキナは
「メリープ育てていたんですか?」
と返して、話相手の顔を見たら――
「!?!?!?!?!?」
言葉にすらなっていない驚愕。
「へ、ちょっ……マジ!?」
両目をしばたいて、右の頬をびよーんと抓って、その痛みで思わず「痛いっ!」とぼやいて。そうまでしても、彼女はこの現実を受け入れられなかった、いい意味で。
セキナが知っている限り、この女性はべっこう眼鏡をかけていないはずだ。しかし、立場が立場だ。
――じゃあ、やっぱり……?
「あのー、すみません」
「んー、何?」
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。
「『トウィンクル・エンジェル』の……のえるん、ですよね?」
聞いて当たれば一生ものの幸福。
「あ、バレちゃった?」
で、当たった。
「やっぱり、べっこう眼鏡だけじゃ無理があるかなぁ? おちおちポケセンにも行ってられないや」
……と、いうわけで、
人気絶好調のコンテストアイドル「トウィンクル・エンジェル」の「のえるん」こと、ノエルご本人様である。
街頭スクリーンにぞっこんになって、周りが見えなくも聞こえなくもなるセキナは、天にも昇る心地だ。
「そうだ。握手して……ああっ!」だが、こういう時に限って「手がぬっめぬめなんだっけ……?」
唸って悔しがるセキナに、ノエルは、
「じゃあ、サイン書こうか。なんか紙持ってる?」
代替案を出すという、神対応。
セキナは、同性ながら「マジ天使!」と思ってしまった。
「ありがとうございます! 大事にしますっ!」
ぺこぺこと何度も頭を下げる。すると……
「のえるん、こんなところにいたの?」
幸福感が倍増することになった。
耳にすうっと入って来る女性。色白な小顔に対して、少し大きすぎな白いつば広帽子をかぶっている。そのせいで、目元がすこし影っているが、帽子の中からはみ出た黒髪のポニーテールが、彼女の容姿を保証するようにぴょこぴょこ揺れていた。
ノエルにかけた声の馴れ馴れしさから、声の主など明白だ。
「あーちゃんさん!?」
「えっと……なんか変だから、気軽に『あーちゃん』でいいわよ?」
同じく「トウィンクル・エンジェル」の「あーちゃん」ことアリスご本人様である。
「そっかぁ。のえるんが初めて育てたポケモンって、メリープだったもんね」
「そうだったんですか!?」
アリスは、メリープに夢中になっているノエルを見ながらしみじみと言った。
セキナは、少し運命めいたものを感じた。少し嬉しい。
「そうだ、見たい? メリープの進化形」
もはや、ファンサービスの域をゆうに超えている。ノエルも、セキナと同じような感覚だったのだろうか?
セキナが返事するより前に、メリープがぶんぶんと首を縦に振っていた。彼は、未来の自分――特に容姿――に希望を寄せていたのである。
ポケモンセンターの一室。セキナが今日寝泊りする部屋である。
やはり、アイドルとなるとプライベートではできるだけ人目に触れたくないようで、場所を変えたのであった。
「デンリュウ、出てきて〜」
ノエルが出したのは、黄色い体に黒の縞模様が点在しているポケモン。
メリープの進化形らしいが、綿毛らしいものは見当たらない。尻尾の先の電球は赤く、額にも同じものがついている。
『No.181 ライトポケモン デンリュウ
デンリュウの灯りは宇宙からでも見える。昔の人は、デンリュウの灯りを使い、遠くの仲間と合図を送りあっていた』
図鑑の説明文から、強くなれるということがよくわかる。
が、未来の自分を見て、メリープは正直がっかりした。
なぜなら……
進化したとて、真ん丸なくりくりお目々は変わらないと悟ってしまったからだ。
「デンリュウ……!? って、ノエルさんのエースじゃないですか!」
「そうだよー。あと、気軽に『のえるん』で構わないから」
セキナはうきうきしながら、
「やっぱり、メリープは進化しても
かわいいなぁ」
無自覚に言葉の槍をブッ刺してきた。
「だよね。すっごく
かわいいよね!」
ノエルも。
「いいわよね、進化しても
かわいいって」
アリスも。
言葉の三段突きである。
「……だって。よかったね、メリープ!」
セキナは破顔しているが、メリープにとっては全然よくない。彼だって、立派な男の子なのだから。どんなにかわいかろうが、モフモフしていようが。
しかし、今は主人をがっかりさせたくなくて、必死で作り笑いした。
「ねぇねぇ、他の子も見せて〜」
ノエルはセキナの方に身を乗り出してせがんだ。顔に「ワクワクが止まらないよぉ!」と書いてある。
「いいですよ。ヌメラ、出てきて!」
セキナは、あえてディアンシーを出さなかった。何かの拍子にトラブルが起きるかもしれないという、彼女なりの気配り……そのはずだった。が、
「ヌメラと……ん? 誰、このキラキラしたポケモン? 初めて見るんだけど……」
おてんばな姫様が、除け者にされることを許すはずなかった。
(ひぇ〜!? ディアンシー、悪いけど今は引っ込んでてよー!)
セキナは、叱りたいのをぐっと堪える。しかし、当のディアンシーは、テレパシーでセキナの気持ちを受け取っていたようで、
(だって、ちょっと気になるんだもん……その、コンテスト)
いつもより弱々しく、しかしいつもどおりの好奇心溢れる念が返ってきた。見れば、彼女は少しはにかんでいる。人間に好奇の視線を向けられるのに、まだ慣れていないようだ。
ディアンシーの気持ちもわからないでもないので、セキナは、とりあえず黙って見守ることにした。
だが、思いがけないことに、
「この子……もしかして、ディアンシー?」
そこに、ディアンシーを知る人間がもう1人いた。
「あーちゃん、知ってるの?」
「うん……ちょっとだけなんだけど」
アリスである。
「そっかぁ。あーちゃん、トレーナーズスクール入ってたもんね。今だって、すごく勉強熱心だし」
「そんなことないわよ。それに、トレーナーズスクールなら、のえるんも入っていたじゃない」
「いやぁ、ウチは馬鹿やりまくってドロップアウトしちゃったから。悔いはないけどねっ!」
ノエルは、言葉の最後にグーサイン。この2人の仲は、決してキャラ作りや媚などといった類いのものではない。そう感じられて、セキナは微笑ましい気分だ。
「すごいわね。幻のポケモンに認められるなんて」
「は、はいっ!?」
そこに、あまりにもナチュラルにアリスが褒めてくれたものだから、セキナは一気に照れ臭さが噴き出してしまった。
「幻のポケモンってね、強すぎる力をもっているから、人間に乱獲されたり、害を与えるからって駆除されたりした過去があるの。それで、データをとる前に個体数が激減しちゃったから『幻のポケモン』って種族もいるのよね。
だから、人間を嫌う本能のようなものがあるって……。それなのに、一緒に冒険できるなんてすごいわ」
ノエルの言う「勉強熱心」というのがよくわかる、アリスの称賛。感情論なんかではなく、理路整然としている。その様子にセキナはもちろん、ノエルも圧倒されていた。
当人には、自分が知識豊富であるということに欠片も自覚がないようで、
「よかったわね、いい人間に出会えて」
と、ディアンシーに笑いかける。つば広帽子を外したおかげで、透き通った黒い瞳がきゅっと細められているのが見えた。
「〜〜〜〜〜っ!」
さっきからはにかんでいたディアンシーは、ついにたまらなくなって、シュッと後退した。気丈に見える彼女も、一応は『幻のポケモン』であり、箱入り娘の姫様なのだ。
「いや〜、いいもの見せてもらったよ。ありがと」
しばしガールズトークをした後、ノエルが言った。
「これ、お礼ね。ほら、手ぇ出して」
そして、セキナの右手に、ぽんと何かを置いた。
それは、白い石。その中に黄色い炎が燃えている――そんな風に見える、不思議な模様だ。
「これは……?」
「んー……お守り、みたいなモン? とりあえず、メリープにつけてやってよ」
セキナが尋ねて、答えは返ってきた。が、彼女の疑問は収まらない。なぜ、わざわざメリープを名指ししたのだろう? 何か、メリープでなければいけない理由があるのだろうか?
「それじゃあね。今後とも、ウチら『トウィンクル・エンジェル』をよろしくっ!」
それを訊く前に、ノエルは行ってしまった。
「あ、のえるん、ちょっと……! ごめんね、適当で」
せっかちなパートナーに代わって、アリスがセキナに謝った。
「いいえ。あーちゃんさんたちも忙しいですもんね」
「だから『あーちゃん』だけでいいわよ。ちょっと変だし」
幻のポケモンって、今でも狙うような人たちが多いから、危険なことが多いかもしれないわね。でも、ディアンシーはそれを覚悟であなたを選んでくれてる。それはね――」
アリスは、セキナをしっかりと見つめ、
「あなたのことを信じてくれている証拠よ。だから、しっかりと向き合ってあげて」
そして、しっかりと言い聞かせた。その後すぐ「まあ……私も、そんなこと言えるようなできるトレーナーじゃないけどね」と自嘲したが。
しかし、劣等生意識が未だに心に影を落としているセキナにとって、他人から「ディアンシーに信じてもらえている」という評価をもらえたのは、大きな自信になった。
「はいっ、私頑張ります! 今日は本当にありがとうございました!!」
その自信をバネに――
明日は、初めてのポケモンジムに挑戦だ。