第11話 暗中飛躍のイノセント
結びの洞窟。その名のとおり、3番道路とシギシティを結ぶ洞窟だ。
日が沈みかけ、人通りが少なくなってきたからか、ポケモンたちが活発な活動を始める。
そんな中……
「「ひゃあああああああ!!」」 人間の悲鳴が2つ。
片方は女声。
「ゴメンね、イシツブテ。本当に蹴飛ばす気はなかったの!」
セキナである。
彼女は今、その名のとおり、石の礫に腕が生えたような形のポケモン・イシツブテに追いかけられていた。転がるイシツブテは"ロックカット"を使ったらしく、かなり素早い。
イシツブテがセキナを追いかけるのは、洞窟内を歩いていたセキナに誤って蹴飛ばされ、天井に頭をぶつけてしまったからである。よもや、
重さ20kgであるのにもかかわらず人間、それも小柄な少女に蹴飛ばされるなど、イシツブテは夢にも思わなかっただろう。怒っているというより、動揺しているだけなのかもしれない。
もう片方は男声。
「イワーク、ゴメンっス! 住処を荒らすつもりはなかったんスよ!!」
シグレである。
彼は今、岩蛇ポケモン・イワークに追いかけられていた。イワーク自身はあまり素早くないが、人間とポケモンではスタミナが違う。3分ほど全力疾走して、シグレはヘトヘトだ。
イワークがシグレを追いかけるのは、洞窟内を歩いていたシグレがイワークの住処につながる穴に落ちてしまったからである。よもや、
直径4mだが普通に避けて通れる大穴に人間が落ちてくるなど、イワークは予想だにしていなかっただろう。怒っているというより、動転しているだけなのかもしれない。
彼らは知らない。そうこうしているうちに、敵対する者同士が近づいているということを。
セキナは右折、シグレは左折した。その瞬間――!
ごつーん!! 人間は人間と、ポケモンはポケモンと、それぞれごっつんこ。しかし、イシツブテとイワークが激突して砂煙が上がったせいで、人間2人はぶつかった相手がわからない。
数秒経って、砂煙が晴れていた。イシツブテとイワークが共倒れしているのが見える。
そして、今、人間同士の姿も見えた。
セキナもシグレも、お互いの姿をまじまじと見つめ……
「「あーっ!!」」
全く同じタイミングで相手の正体に気づき、指差し合う。
「タナボタ団!?」
「露出さん!?」
2人とも、いろいろ間違っているが。
「あ、そうだ! 口上、口上」
先に口を開いたのは、シグレ。「よいしょ」と立ち上がり、黒ローブについた砂埃を手で払うと、
「はいはい、みなさんご注目っ!」
何か言い出した。
前後の文脈からすると何かの口上だと思われるが
……「みなさん」と言ってもこの場には1人しかいないはずだ。
「そこのトレーナーさん、ここから先は通さないっスよ!」
「通さない」も何もイワークが地面に倒れているので、
そもそも退路などない。
「大胆不敵、電光石火、小さい体に元気100倍!」
それなりに格好いい言葉並べているように聞こえて、なんだかんだで言い得て妙なので、
どこか屈辱感を煽られる。
「ホウライを又に掛ける風雲児……」
ただし、
どう考えても先の部分は嘘だろう。
「シグレ、参上っス!」
……まあ、そういうことだった。
普通の人間なら、こんな口上を聞かされては「馬鹿だ……」と頭を抱えるに違いない。
しかし、アブノーマルな少女は、
「あんたね、
タナボタ団ってのは……!」
大真面目に、さらなるボケをかました。
「っ……オイラたちは、そんな間抜けな名前じゃないっスよ〜!」
さすがのシグレも、こんな名前を聞かせられたらツッコまざるをえない。
「タ・ナ・ト・ス・団っス! T・A・N・A・T・O・S・
H・U!」
そういう方も、なぜか余計な「H」が混ざっているが。これを読むと「タナトシュ」……普通に考えれば間違えないはずだ。
「そうだったの!? 『タナトス』って、一体何なのよ……?」
しかし、セキナはローマ字なんて気にしない。すぐに次の質問。
「ぶっちゃけ、わかんないっス!」 シグレは、堂々と言ってのけた。小学生が挙手した後「わかりませんっ!」と元気よく答えるようなノリで。
「むぅ……下っ端に名前の意味を教えるような奴らじゃないよね。恐ろしい……!」
セキナもセキナで、どこに恐れ入る要素を見出したのだろうか?
「でも――ディアンシーは私が守る!」
セキナは右の拳をぎゅっと握った。しかし、シチュエーションが最低だ。
実際、モンスターボールの中からディアンシーが
(ねぇ……タナトス団って案外大したことないんじゃない?)
と的を射た念をセキナに送ったが、
(ううん、油断を誘っているだけなのかもしれない。気をつけて!)
(……そういうモン、なの……?)
セキナは妙に警戒している。ディアンシーはさすがにセキナの判断を疑ったが、一応は気を引き締めておいた。
「わかってるよね? トレーナー同士のいざこざは、ポケモンバトルで白黒つける!」
セキナは、シグレを指差して高らかに言い放った。
「かかってこいっス! 後悔しても知らないっスよ?」
シグレも、売られた喧嘩をいとも簡単にお買い上げ。
(あんなボケボケから、よくこの流れになったわね……)
ディアンシーの言うとおりだ。こんな状況で熱くなれるのは、彼らだけだろう。
これほど「そんなこんなで」という言葉が適する経緯があっただろうか? とにもかくにも、バトル開始。
「ヌメラ、お願い!」
「いくっスよ、ムックル!」
セキナの初手はヌメラ、シグレの初手はムックル……のはずだった。
しかし、ムックルの体が眩い光に包まれて、形を少しずつ変えていく。進化の兆しだ。
進化とは、ある条件を満たしたポケモンが何らかの刺激により、その姿形や性質を瞬間的に変化させるという、ポケモン特有の現象である。ほとんどの場合、能力も上昇するので、
「はぁ!? ここで進化とか反則!」
セキナは全く面白くない。
「いいじゃないっスか! ムックルは頑張って、やっと進化したんスよ。文句を言われる筋合いはないっス!」
今回ばかりはシグレが正しい。
その正論に力をもらったかのように、進化の光ははじけ、ムックルの進化形・ムクバードは形をとった。真ん丸だった体はすらりと伸び、足と尾羽が進化前よりしっかりとしている。
よって、シグレの初手はムックルではなくムクバードだ。
「あー、もう! ヌメラ、"体当たり"!」
予期せぬ出来事に、セキナは速攻で勝負をつけようとするが、
「
ムック……ムクバード、"影分身"っス!」
ムクバードは"影分身"でヌメラの攻撃をかわした。シグレが指示する時、明らかに「ムックル」と言いかけていたがそれはそれ。
「まだまだ! ヌメラ、今度は"泡"!!」
セキナは唇を噛みつつ、広範囲に届くヌメラの技・"泡"でムクバードの分身を消そうと試みる。
「ムクバード、分身を消すっス! からの、"電光石火"!!」
ムクバードは言われたとおり分身を解除し、無数の泡を縫いながら、技名どおりの電光石火でヌメラに突撃。
だが、いつものことながら、ヌメラはただではやられない。
ぬめり。
ご存知のとおり、隠れ特性『ぬめぬめ』が今回も猛威を振るう。
もともとの素早さが高いムクバードは、1回の『ぬめぬめ』では動き鈍らず、反撃される前にヌメラから離れた。表情からは、未知の感触で直感した危機感が見てとれる。
「大丈夫っスか、ムクバード?」
ムクバードの異変に気がついたシグレには、この現象の意味がわからない。ただ「触れたら危険」ということだけが確かだった。
「どーよ、『ぬめぬめ』作戦!」セキナは得意になって、その勢いで「やられてばっかじゃないんだからね! ヌメラ、もう一丁"泡"!」反撃開始。
ここで、つい先程の『ぬめぬめ』が生きてきた。
"泡"は広範囲に届く技だ。ムクバードが避けられたのは"電光石火"で加速したからできたことで、1度『ぬめぬめ』が入ると回避はとても厳しくなる。
今度の"泡"は全弾命中だ。
「よし! 形勢逆転だね!!」
「むぅ……なかなかやるっスね。ムクバード、まだいけるっスか?」
もろに"泡"を食らったムクバードは、1度地面に落ちかけながらも、シグレの呼びかけに笑って答えてみせた。
「じゃあ、一撃で決めればいい話っス! ムクバード、"捨て身タックル"!!」
シグレは、この1発にすべてを賭ける。
反動で自身もダメージを受けてしまう、技名どおり「捨て身」のタックル。それだけに威力は高い。さらに、彼のムクバードの特性は『捨て身』だ。
勇猛果敢なタックルは、ヌメラに直撃した。
吹っ飛ばされて倒れたヌメラの目は、点から真一文字になっていて、全く動かない。戦闘不能である。
「ヌメラ、ありがとう。今はゆっくり休んで」
セキナがヌメラをプレミアボールに戻した、その直後……
ムクバードも、よろりと地面に倒れ伏した。
「いや、あんたも力尽きるんかいっ!?」
「全力出し切って燃え尽きたんス! その頑張りを悪く言うんスか?」
セキナがツッコむ気持ちもわかるが、なんだかんだ言ってシグレの言うことは正しい。
「あんな
小人の言うことなんて、気にしない気にしない! よく頑張っていたっスよ、ムクバード」
それに労い方も丁寧だ……が、
「あんたが『小人』言うなっ!」セキナもあながち間違っていない。「じゃあ、どうしてローブがそんなにブカブカなの?」
「っ……それは、その……
これから伸びるんス!!」
言うまでもなく、シグレは成長期を終えている年頃である。あれは、幼少期から「これから伸びる」と言い続けて結局伸びなかったクチに違いない。
「嘘だ〜! こんななりでも大人でしょ? いやぁ、絶対伸びない伸びない」
「オイラはまだ18っスよ! まだ間に合うはずっス! そっちだって、露出している割にはそれほど育っていないじゃないっスか!!」
「私はまだ10歳だもん。これからぐんぐん育つんですぅー! シンオウ地方のテンガン山かってくらい大きくなるんですぅーってか変態!!」
まさに、団栗の背比べ。ツッコミ所が何か所もあったが、セキナが自爆して、シグレに"メガトンパンチ"を浴びせたことで終止符が打たれた。
それでも、シグレは少し尻もちをついただけで、それほど動じていない。
「イテテ……まあ、こんなモンっスよね、普通は」
「マジ……どうしてあんまり傷負っていないのよ!?」
セキナは、厳罰が思ったより効かなかったことにかなり驚いている。
「まあ、
"ダストシュート"なんかと比べたらどうってことないっス」
(だ、"ダストシュート"て……!?)
何気なく発せられた技名に、セキナは、シグレの小さな体に秘められた耐久性を思い知った。
"ダストシュート"――トレーナーズスクールでリョウゴが「半ば意図的」に校長にぶつけた"ヘドロ爆弾"よりも威力、というか、毒技最高クラスの威力を誇る技だ。
「あ、
そんなことより、バトルの続きっス」
だが、シグレにとっては「そんなことより」程度のことらしい。
(なんて奴……!?)
セキナは変な敗北感を覚えた。
しかし、それは一瞬だけのこと。
「じゃあ、バトルでシメる! メリープ、やるよ!!」
ここでの負けは、バトルで倍返しすればいいのだから。
メリープもいつになく闘志を燃やしていた。モンスターボールから登場した時、ちらっと後ろを振り返って視線を向けた方に……ディアンシーのボールがあった。
――ディアンシーは、僕が守る。
ささやかな宣誓。それが後々生きてくることになるなど、メリープはこの時考えもしなかった。なぜなら、
「次は君っスよ……コイキング!」
対戦相手の姿形に、思わず萎えてしまったからだ。セキナも「あんた……馬鹿にしてる?」とシグレを睨んでいる。
コイキングといえば――
『No.124 魚ポケモン コイキング
跳ねることしかできない、
情けないポケモン。なぜ跳ねるのか調べた研究者がいるほど、とにかく跳ねて、跳ねて、跳ねまくる』
実際にシグレの出したコイキングも、地上でびちびちバタバタしている。
「馬鹿にしてるって……馬鹿にしてるのはそっちっスよね!?」あまりにも白い目で見られたもので、さすがに能天気なシグレも最初は憤りかけた。が、すぐに「まあ、いいっスけど……最後に勝つのはコイキングに決まっているんスから!」
ハッタリか? それとも、勝算があるのか? セキナは、彼の真意を図りかねる。
「よくわからないけど、水に電気はよく効くはず。メリープ、早いところ決めちゃおう、"電気ショック"!」
だが、こうなったら猪突猛進あるのみ。メリープも、ディアンシーを守るという意思の下でイケイケだ。
だから、彼女らは気づかなかった。
そもそも、シグレはブラフができるような性ではないということに。
「コイキング、"飛び跳ねる"っス!」
跳ねることしかできなくて、情けないポケモン――哀れなレッテルを貼られた種族のレジスタンスが始まる。
コイキングは、宙高く飛び跳ねた。メリープが真上を見なければ姿をとめることができないほど高く、大きく。そこから急降下してくる……と、セキナは踏んでいた。
が、
「か・ら・の〜……"跳ねる"!」
シグレがコイキングにさせたのは、さらなる上昇。
1、2、3、とジャンプの度にコイキングはもっと高くへと向かっていった。
セキナは、ようやく気づいた。
(ムクバードたちと戦った時のアレ!?)
あの時、ムクバードの群れへ上空から突っ込んでいったコイキングだ。
(じゃあ、あのムックルも……さっきムクバードに進化した子?)
だとしたら、群れを蹴散らしたムックルとコイキングの連携からして……などと考えているうちに、
「コイキング、落ちまーす!」
シグレも依然間抜けな合言葉とともに、コイキングがメリープの顔面に墜落してきた。メリープの額にはたんこぶが出来上がっている。
「ごめん、メリープ。大丈夫?」
戦闘中であるのにもかかわらずぼーっと考え込んでしまい、セキナはメリープに謝った。メリープは「心配しないで」と言わんばかりにセキナの方を向いて苦笑しつつ、首を横に振る。
そしてセキナは、シグレに向き直る。
「意外とやるじゃん、あんた……!」
不覚にも、ちょっとだけ感心してしまった。
「やっと気づいたんスか? でも、今更じゃ遅いっスよ! コイキング、もう一丁ブチかますっス!!」
勢いづいたシグレは、もう1度コイキングを跳ねさせた。
しかし、墜落に向けて高度を稼ぐ間、対抗策を考える時間がある。
(時間はあんまりない……考えるんだ、私!)
セキナは、まずメリープの技を思い出す。"体当たり""電気ショック"電磁波""綿胞子"……劣勢を覆せるような有効打はない。
次は、相手をよく観察……しようにも、目視しづらい場所にいるのでやめにした。
ならば、もう周りに目を向けるしかない。地の利を生かす、ということである。
薄暗い洞窟。イワークが倒れているため、広い範囲を動くことはできない。コイキングが照準を定めやすい状況を作ってすらいる。
(八方塞がり、ってこと……!?)
セキナは焦燥を覚えながら上を向いた。コイキングはすぐ上にいる。
(そろそろ落ちてくるよね……もうすぐ天井についちゃうし)
そこで、ふと、
(……天井……!?)
馬鹿は馬鹿なりに型破りな思考回路がつながった。
「メリープ、上を向いて!」
セキナが指示する。それと全く同じタイミングで、
「コイキング、落ちまーす!」
シグレの間抜けな合言葉が洞窟に響くが、それを言い終わる前に大きな大きな声で、
「絶対に落とすもんか! "電気ショック"!!」
セキナが割り込んだ。指示と指示の割り込み合い。女性特有の金切声に近い大声でセキナの勝ち。
コイキングが落下し始めた。その下から、メリープが上に向かって放った"電気ショック"が襲いかかる。それが命中するかしないかのギリギリで、
「跳ねてかわすっス!」
コイキングが上に戻ってかわす、が……
ばちこーん!! ……
頭から天井にぶつかった。「計画通り……ってか、本当に嵌るとは思わなかったわー。ばーかばーか!」
「むぅ〜……馬鹿という方が馬鹿なんス!」
「はいー、そんなこと言っている間にもう1発撃っちゃえー!」
「あっ……コイキング……!?」
その後は、苦手な電気技でコテンパン。そんなコイキングの様に、メリープも"電気ショック"を撃つ時、少しだけ同情しそうだった。
言うまでもなく、コイキングは瀕死状態だ。
「いえーい、やりぃっ!」
セキナは右の拳でガッツポーズ。メリープも、ぴょんと跳んで喜んでいる。表情も清々しい。
「コイキング、お疲れっス。仇はちゃんと討つっスよ」
シグレは、動かなくなったコイキングをボールに戻した。しかし、その台詞からまだ戦えるポケモンがいるということがわかる。
「じゃあ、オイラの切り札……いくっスよ、タツベイ!」
そして、このポケモンが彼の切り札だということも。
セキナは唾を飲んで、気を引き締めた。
その切り札は――
『No.371 石頭ポケモン タツベイ
大空を飛ぶことを夢見て、繰り返し断崖から飛び降りているうちに、頭が鋼鉄のように硬くなった』
「『頭が〜』って……何勝手に完結してるんだポケモン図鑑! まだあるでしょ、タツベイ奮闘記の続きが!!」
セキナは、図鑑説明文にある物語に感情移入してしまってる。さっき気を引き締めたばかりなのに。
「そうっスよ! タツベイの夢を、頭のお堅い学者たちがわかった風に語るなんて、絶対に間違ってるっス!!」
シグレも同様。
ちなみに、この図鑑の内容は他地方の図鑑をまとめたものなので、リンドウが書いたわけではない。彼は、ポケモン図鑑をアプリにしただけで、出版でいうと装丁にあたることしかしていない……そのはずだ。が、
「今度博士に会ったら、訂正してもらおう!」
完全に彼がしたこと扱いである。
「タツベイのためにも頼んだっス。それじゃあ、改めて……"竜の舞"!」
「は!? いきなりすぎない、ねぇ!」
そうこうしているうちに、タツベイに先手を取られる始末。
"竜の舞"とは、攻撃力と素早さを上げる技だ。繰り出したタツベイの周囲に、竜を思わせる光が舞う。
「卑怯者ぉっ!」
「卑怯じゃないっス! 目の前のバトルに集中しない方が悪いんスよ!!」
「うるさいうるさいうるさーい! メリープ、"体当たり"!!」
メリープは、先程コイキングを倒した勢いに乗ってタツベイに突撃する。
「"ドラゴンクロー"で迎え撃つっス!」
タツベイは、爪の動きひとつで迎え撃った。"竜の舞"で上がった攻撃力が、その一挙一動に生きている。
"ドラゴンクロー"の刺突で傷ついたメリープは、反撃の態勢を整える間もなく、
「もう1発!」
追い打ちの一手を打たれ、今度こそ地面に倒れた。それでも、"竜の舞"さえ使われなければ反撃の間を見出せたかもしれない――本当にタッチの差だった。
「メリープ、大丈夫?」
セキナが瀕死のメリープに声をかけると、彼は苦笑いのような表情を見せ、そのままゆっくりと目を閉じた。「でも、1匹倒せたよ」という喜びが、柔和な相好からうかがい知ることができる。
「……そうだね。お疲れ様」
この声はメリープに届いているだろうか? ともかくセキナは、たんこぶができている彼の頭を撫でて、モンスターボールに戻してやった。
(……で、どうしようか、これ?)
セキナのポケモンで、戦えるのはあと1匹。しかし――
躊躇う彼女に相変わらず強気な念が飛んできた。
(何やってんの? ここは私の出番でしょ? あの程度なら大丈夫よ)
当の姫様は、戦う気満々である。
(で、でも……相手が相手だよ!)
セキナは抗弁してみるが、
(あー、もう、これだから……っ!)
わかっていた。そんなことをしたところで、
「降参したら負けでしょうが! ここで引き下がって負けるくらいなら――」
姫様のわがままは止まらないということくらい。
モンスターボールから飛び出した姫様ことディアンシーは、紅玉の瞳に闘志を燃やし、高らかに叫ぶ。
「全力で戦って、ボロボロの傷だらけになってから、惨めに負けを認めてやる!!」
(かっけー……!)
ディアンシーの姫らしからぬ雄叫びに、シグレは、彼女が敵だということを忘れて見惚れた。ムックルを撃ち落としていた時におてんばな性格を垣間見せていたが、本当におてんばだ。勇敢ですらある。
「そこのブカブカローブ!」
そのディアンシーにビシッと指を差され、シグレはようやく我に返った。
(というか、いくらなんでも「ブカブカローブ」はヒドくないっスか!?)
だが、事実だ。
ディアンシーはお構いなしに続ける。
「警告よ。私はあんたのタツベイの"ドラゴンクロー"でも傷ひとつつかない。逃げるなら今のうちだけど?」
それは、明らかな挑発だった。
シグレの答えは決まっているようで、
「姫さん、さっき言っていたっスよね? 『全力で戦って、ボロボロの傷だらけになってから、惨めに負けを認めてやる!!』って。……その言葉、そっくりそのまま返すっス!」
その答えを受けて、ディアンシーははっとした。
(このアホ、ただのアホじゃない。セキナと似た何かを感じる……!)
言葉を交わすうちに造ったダイヤの剣を固く握る。
極力緊張を悟られぬように、
「いいわ。じゃあ、お望みどおり『ボロボロの傷だらけ』にしてあげる!」
タツベイに切っ先を向けた。
「だから、それはこっちの台詞っスよ、姫さんっ!」
返すシグレの声も、もはや活き活きとしている。それはもう、ディアンシーが逆に気圧されたくらいに。
(でも、挑発には乗ってくれたみたいね)
だが、彼女には作戦があった。
(あの手のアホは、きっと"ドラゴンクロー"を使ってくるはず)
最近「あの手のアホ」と同種の人間と付き合いだして、その思考に少しだけついていけるようになったからこそ、実行できた作戦。
(セキナだったら言いそうじゃない?)
ディアンシーは、あえて動かない。
(「面白い! じゃあ、耐えてみな!!」ってね)
「それじゃあ、耐えられるなら耐えてみろっス! タツベイ、"ドラゴンクロー"!!」
タツベイが"ドラゴンクロー"を構えても、依然としてディアンシーは不動。……多少溜息をついたのを動きにカウントしなければ、だが。
そして、ついに命中する――その瞬間、ディアンシーは、ただ剣を振り上げるだけだった。
だから、"ドラゴンクロー"はディアンシーの胸部にクリーンヒットしている……そのはずだった。
しかし、ディアンシーは挑発どおり傷ひとつついていない。
どころか、
「隙ありっ!」
攻撃のため接近してきたタツベイが超至近距離にいるのをいいことに、その石頭を世界一硬い石剣で打突した。ガコン! と鈍いようで爽快な音が、洞窟内に反響する。
いくら石頭であろうが、人間でいえば鈍器を脳天に叩きつけられたような、強烈な一撃である。そうされて人間が気絶するように、タツベイも気絶した。
さすが、追われている姫であるのにもかかわらず戦いたがるだけはあるようで、ディアンシーの剣の腕は磨き抜かれているようだ。
「成敗、ってところかしら? 言っておくけど、私、こんなやんちゃでもフェアリーなんだから」
倒れたタツベイを一瞥してから、ディアンシーはシグレの方を向いて悪戯っぽく笑った。彼女の言うとおり、フェアリータイプにドラゴンタイプは効かないのである。
勝負ありだ。
この時、ディアンシーの戦い方に圧倒されていたセキナが、初めて口を開いた。
「ディアンシーって……フェアリータイプだったんだぁ」
ディアンシーは、浮遊しているのにもかかわらず、危うくズッコケそうになった。
「はい、じゃあ白黒ついたんで、オイラはこれで」
バトル終了後、シグレは惜しむ風もなく悪びれることもなく、まるで何もなかったかのように撤収しようとしていた。
「いや、ちょっと待てぃ!」セキナは、もちろん引き止める。「負けた奴には負けた奴なりのけじめってのがあるんじゃないの!?」
「えーっ!? だって、先にしかけてきたのはそっちっスよ。オイラは
むしろ被害者っス」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
セキナにとっては、とんだ屁理屈である。
が、
『わかってるよね? トレーナー同士のいざこざは、ポケモンバトルで白黒つける!』
先に「ポケモンバトル」と言ったのは、たしかにセキナだった。
「それに、お互いこれといった賭けもしていないし。だから、失うものはないはずっスよ?」
「えっ……!? じゃあ、ディアンシーは……その、どうするつもりで……?」
「勝ったら交渉するつもりだったっスよ、そりゃ。なんか、こっちだけ代償求めるわけにもいかないじゃないっスか」
「こ、交渉、なの……?」
セキナは、思い切り脱力した。しかし、不思議とシグレを責める気はしなかった。
(何なの。タナトス団のくせに、フェアプレーしちゃって……)
だから、
「わかったかた。行くなら行けば?」
半ば投げやりに言ってやる。
「マジっスか!? それじゃあ、お言葉に甘えてっ! それじゃあ、また!!」
「誰が『また』よ! 二度と会うもんか!! ていうか、今度会ったら耳たぶチョップしてやるぅっ!!!」
結局、どこまでも能天気なシグレであった。
彼の背中が見えなくなって、セキナは大きな溜息を吐く。
「タナトス団って……案外、大したことないんじゃない?」
モンスターボールの中で、ディアンシーがコクコクと首を縦に振っていた。