第10話 試しに尾行してみました
『あー、シグ……お前、もしかして変態?』
イヤホンの奥から返ってきたのは、そんな心無い(?)一言だった。
「先輩が言えることじゃないと思うっス」
シグと呼ばれた男は、日常会話のように言い返した。
『!? そ、それは、若かりし頃の話……!』
「この前、先輩のパソの履歴見た先輩が『人体見て何が楽しいのか解せない』とこぼしてたっスよ」
『ちょっと待て! えーと……俺のパソ見てて、テメェの先輩がこぼしてたってことだよな? ……アイツが男子としてアブノーマルなだけだ。普通、男子ってのは、女体に少なからず興奮を覚えるんだよ』
「でも、流出はマズイっスよね〜」
『ッ……流出ぅ!? おい、あんな体でも秘密結社だぞ! 組織内で流出って……!?』
「最近、先輩の相棒がいろいろイジっているみたいっス」
『結局俺のせいなの!? ……ってオイ。早速本題から逸れているぞ』
この会話をすべて信じるのならば、彼らは秘密結社の一員で、イヤホンの奥の声はエロサイトを見ていたらしく、その履歴が内輪で流出した――そういうことになる。
どこかに嘘が混じっているのかもしれない。秘密結社の暗号なのか?
『とにかく、テメェはテメェで、ターゲットの第一印象に
「露出」はねぇだろ』
「え〜? でも、
まるで水着か下着っスよ、あの格好」
『それ、ただの露出狂だろうが!』
「安心してください。履いてるっスよ」
『安心も何も、履いていないと困るから!』
何が本当で何が嘘か不明瞭だが、とにかく、イヤホンの奥の声が――それらしい威厳はないが――先輩で、やたら語尾が体育会系臭い男のほうが後輩らしい。
「まあまあ、先輩。大事なのはここからっス。なんと、先輩の『ぞくせー』だとか好みだとか言っていた、身長140cm未満っスよ?」
『!?』
「あと、この前赤毛がどーたらこーたら言っていたっスけど……」
『わかった。幹部命令だ………………
激写せよ!!』
全く説得力がないが、イヤホンつけている体育会系臭い後輩は、黒ローブだった。
彼の名はシグレといった。
無駄に童顔。加えて小柄。こんななりでもタナトス団の団員なのだが、その制服たる黒ローブもブカブカなのだから台無しだ。
おまけに「〜っス」という、汗臭さを感じないでもない語尾。座右の銘すら「報・連・相」なのだから、宅配業者と言ったほうがまだ合点がいく。
「『激写せよ』って言われても……オイラ、そんなことできないっスよ〜……」
一人称が「オイラ」となっては、もはや真実すべてが嘘くさい。しかも、冗談以下の幹部命令を真に受けてしまっているあたり、頭のネジが数本足りないようだ。
しかし、彼は今、組織に標的・ディアンシーに最も近づいている。なんと、視線のすぐ先にいるのだ。今、身を隠している茂みから出れば奇襲だってできる。
だが、本当に曲がりなりにも、シグレは立派なタナトス団の団員。ここで不意打ちはしない。
(戦は敵を知ることから、っス!)
それなりのセオリーは弁えていた。
「よーし、やるっスよ、ムックル!」
お手伝いにとモンスターボールから出したのは、むくどりポケモン・ムックル。体は小さいが、羽ばたく力は強いので空中偵察に向いている、という算段だ。主に似てしまったのか、その目に無邪気な光をたたえているが、それはそれ。
「あそこに、キラキラしたポケモンがいるのはわかるっスね? その隣にいる小さい子をマークするんス。できるっスね?」
シグレのお願いに、ムックルは雄叫びのような鳴き声をあげて了解した。
「しーっ! 静かにっスよ。それじゃ、頼んだっスよ〜」
こうしてムックルがセキナの真上の空へ飛び立った時、セキナは、
「大儲け、大儲け〜♪」
トレーナーズスクールのバトルで自陣が鍛えられたのをいいことに、ここ3番道路にいるトレーナーに勝負を挑んでいた。……と言えば普通だが、実質、ポケモンバトルを経たカツアゲである。
別になんてことはない。ポケモントレーナーにはよくあることだ。しかし、ポケモンという兵器並みの殺傷力をもつ生物によって警察が機能していない今、このような陋習のせいで風紀が乱れているのは言うまでもない。
「これで、しばらくは安泰だな〜……ん?」
セキナは、地面に映った影から、ムックルの存在に気づいた。顔を上げ、ポケモン図鑑を見てみる。
『No.396 むくどりポケモン ムックル
むしポケモンをねらって、野山を
大勢の群れで飛び回る。
鳴き声がとてもやかましい』
……尾行にムックルは向かないらしい。
「1匹で飛んでいるけど、迷子かな? おーい、君、大丈夫ー?」
早々に気づかれたうえ、声をかけられてしまっている。
ムックルは答えない。彼にも、命令遂行への使命感というものがあるのだろう。
だが、そういう態度が命取りになってしまった。
ディアンシーがボールから出てきて、
「野生のポケモンには、人間には従わないってプライドがあるのよ。本当に助けたいんだったら、こうやって……」
"撃ち落とす"!
なんと、彼女はダイヤで手頃な弾を造り、それでムックルを技名どおりに撃ち落としてしまったのだ。しかも、効果は抜群である。それ以前に、野生ではないのに。
「落としちゃ駄目でしょ! ゴメンね、大丈夫!?」
ムックルは返事しない、というか、返事すらできなかった。
「姫様があんな性格だなんて、聞いてないっスよー……」
ムックルの受難を眺めていて、シグレは思わず目を伏せた。
(うう……ムックル、ゴメンっス……)
それでも、きちんと期待に応えようとしている姿に胸が痛んでくる。
一応、標的であるセキナは、責任もって治療してくれた。しかし、今更持ち主として出てくるわけにはいかない。ツバクロタウンを襲撃したという話を聞いたから、服装で素性がバレてしまう。
(いっそ、特攻かけたほうがいいんスかね、これ?)
と、考えかけ、ムックルの生殺与奪権は相手にあって、そんな真似をすれば逆鱗に触れかねないと思い直した。
結論、傍観あるのみ。
(うう……本当にすまないっス……)
シグレは、大きな溜息を吐いた。
「これで大丈夫かな? どう、ちゃんと飛べる?」
バッグに傷薬をしまいながら、セキナはムックルに声をかけた。
ムックルは、渋面を作って頷いた。こんなはずじゃなかった、早く解放されたい、と顔に書いてあるが、セキナはそれに気づけるほど繊細ではない。
「よかった。それじゃあ、群れのところまでちゃんと行けるかな?」
群れもクソもないが、ムックルはまた頷いた。主のところまでなら、ちゃんと行ける。
「うん。それじゃあ、気をつけて。いってらっしゃい!」
野生のポケモン(実際は違うが)によくここまで。ムックルは、それだけが心残りだった。しかし、振り返らずに飛翔する。
……それから、少し時間が経って、セキナは「大丈夫かなぁ?」と空を見上げた。すると、
「ちょっと……アレ、ヤバくない!?」
上空で、ムックルの行く手をムクバードの群れが阻んでいた。
ムクバードは、ムックルの進化形だ。身長はムックルの2倍ほどあり、羽や足もよりしっかりとしている。
『No.397 むくどりポケモン ムクバード
森や草原に生息。グループが出くわすと、なわばりをかけて争いが始まる』
集団の社会は、時に個々で生きる場合よりもシビアだ。そこでは少数が軽蔑され、実際不利である。そんな状況をどうにかしようとしても、少数では何もできないのだ。
だけど……いや、だからこそ、誰かが手を差し伸べてやらなければいけない。セキナは、トレーナーズスクールでの経験から、そのことをよく知っている。
「野生のポケモンの事情はよくわからないけど……メリープ、あの子を助けるよ! "綿胞子"!!」
飛行タイプをもつムクバードに相性が良い、電気タイプのメリープを繰り出した。
彼の新技"綿胞子"は、綿を相手に向けて散布し動きを鈍らせる技だ。綿はよく飛び散るので、たくさんの相手に当てられるのが魅力である。群れで行動するムクバードには手痛い一撃だ。
ムクバードたちが一挙にスピードを落としたところへ、ムックルが一矢報いる。まず、"影分身"を使い、動きが鈍ったムクバードたちを混乱させた。その隙を見て、分身を消し、群れへめがけて"捨て身タックル"
「すごい……!」
セキナは、その巧みな技裁きに驚嘆した。
「野生のポケモンも、あんなにすごいんだね。私たちも負けてらんない! メリープ、"電気ショック"!!」
野生ではないけれど。
「ああ……あんなケガした後に"捨て身タックル"なんて使ったら……」
しかし、ムックルの持ち主であるシグレは、危機感を覚えていた。
"捨て身タックル"は、技名どおり、捨て身の一撃。強力だが、その分、自らも反動でダメージを受けてしまうのだ。
シグレもムックルは、特性『捨て身』――実は、セキナのヌメラと同じく『隠れ特性』――だ。反動でダメージを受けてしまう技の威力が大きくなる分、自分が受けるダメージもそれに比例する。
シグレに、敵(一応、セキナはそういうことになる)に手を貸さないようなプライドなど、あるはずなかった。
あるのは、ちょっとした人情と、考えるよりも先に動いてしまう体だけだ。
「コイキング、ムックルを助けるっスよ!」
ほら、何も考えていない。
モンスターボールから出てきたコイキングは、びちびちと地上で跳ねているが、奮い立っているわけではない。分類は『魚ポケモン』でも、コイキングは本当に跳ねることしかできないのだ。
そのうえ、目つきはヤドンのそれと似ていて、戦闘能力は劣っているのだから、脱力しきっている。
だが、シグレの手にかかれば「跳ねているだけ」でも十分戦える……いや、それすらも長所となるのだ。
「いつものアレ、やるっスよ! "飛び跳ねる"!!」
まずは、いっぺん大ジャンプ。この状態から急降下するだけでも、コイキングにしては高い威力の攻撃ができる。
でも、シグレは、そんな型にはまった戦い方などしない。
「か・ら・の〜……"跳ねる"っス!」
青空で、コイキングはさらに跳ねて、跳ねて、跳ねまくる。
シグレは、この時のコイキングが好きだ。
跳ねることしかできず、世間一般に「情けない」とされるポケモンが、しぶとく一生懸命に跳んで天へとたどりつく――その勇姿に元気をもらえるから。
(そういえば、この子と出会ったのもここだったっスね)
と思い出しかけて「10年以上経ってもまだ進化させてあげられないって、どんだけ未熟なんスか、オイラ!?」と自嘲した。
彼にだって青春時代はある。このコイキングの初勝ち星は、すぐ隣にある町のトレーナーズスクールでの先輩方の助力があってこそ上げられたものだ。
(コイキングは、ここのこと覚えているっスかね?)
あの時は、水揚げされたまま池に戻ることができず、情けなく地上を小刻みに跳ねていた。けれど、今は空高く跳べる。このことを、コイキングはどう感じているのだろうか?
……などと、らしくもなく郷愁に浸っていたら、コイキングはムクバードの群れよりも上にいた。
さあ、番狂わせだ。
「コイキング、落ちまーっす!」
かなり間抜けな合言葉で、コイキングは自ら墜落した。跳ねた高度に比例した勢いで、ムクバードの群れへ突っ込んでいく。1匹、2匹、3匹……たくさんのムクバードが、落下の巻き添えを食らった。挙句の果てには、不時着したコイキングにジャンププレスされる始末。
その途中、コイキングの"飛び跳ねる"でシグレの意図に気づいたムックルは、地上でムクバードに態勢を立て直させまいと"電光石火"でとどめを刺した。
「今の、コイキングだよね……?」
野生のポケモン(実際は違うが)による圧巻の連携プレーに、セキナもメリープも目を見張った。しかも、その中核を担ったのはコイキング。
(何あれ……? すっごく格好いい)
セキナの中で、コイキングのイメージが逆転した。というより、従来の情けないイメージがあったからこそ、倍増しで格好良かった――いわゆる「ギャップ萌え」だ。
しかし、今は傷ついたムックルをもう1度治して……
「あれ? あんなに傷ついているのに、飛んでいっちゃったのかな? ……メリープは見た?」
そのムックルが見当たらない。メリープに尋ねても、不安そうな表情で首を横に振った。
「大丈夫だよね……? あー、でも心配だなぁ! 早く群れに戻れればいいんだけど」
あれこれと心配するセキナを見兼ねて、ディアンシーは、
「だから、言ったでしょ? 野生には野生のプライドがってのあるの。そっとしてあげなさい」
あえてぶっきらぼうに諭した。
その裏で、
(あのコイキングとムックル……示し合わせたように息が合ってた)
一抹の不審を抱く。
(もしかしたら、彼ら、人のポケモン? だとしたら、きっといいトレーナーなんでしょうね)
または、感慨。
(でも、どうしてここに……?)
それから、恐怖。
現実とは皮肉なものだ。
「ターゲットと連携プレーしてどうするんスか、オイラ!」
しかも、1度は助けられた。それなのに、これから自分がしようとしていることは、恩を仇で返すような気がして気が引ける。
困った時は「報・連・相」ということで、イヤホン装着。
「あー、もしもし、先輩ー?」
『ん……またテメェか?』
まあ、普通はそう返ってくる。
そこで、上司を引きつける属性魔法。
「ディアンシーは、割とおてんばだったっスよ〜!」
『マジか!?』
……それでも、この前の通話のとおりならば、イヤホンの奥の声は幹部のものである。どこかのポケモン博士と似た何かを感じるが、事実は事実。
「やっぱりノってくれたっスね、先輩? それが、大マジなんスよ〜。
まあ、それはそれとして……この先に洞窟あるじゃなっスか?」
『「それはそれ」って、お前、おてんば姫様と赤毛幼女のベストカップリンングなんだぞ!?』
まあ、ネットスラングが会話に混入しないだけ、まだマシとしよう。
『んで、洞窟がどうした?』
イヤホンの奥、一気に語気がアンニュイになる幹部。これでいいのか、タナトス団?
「その先って、オイラの記憶では行き止まりだったはずなんスけど……どうっスか?」
『あん? ……たしか、シギシティっつぅ町があるぜ。察しのとおり、行き止まりだが?』
「ほーほー。じゃあ、いわゆるふくろこーじっスね?」
『けど、あそこにはジムリが……って、誰が袋小路だぁ!?』
「よっし! ちょっくら捕えてくるっス!」
シグレは、胸を右手でバンと叩いて宣言した。
『「ちょっくら」て……テメェなぁ、おつかいみたいに言ってくれるなっての』
イヤホンの奥で悪態を吐く幹部。だが、シグレを止めるようなことは言わなかった。
『でも、まぁ……チャンスは平等にあるべきだろーよ』
シグレのような下っ端の下っ端にも、
『行って来い。どうなろうが、公にならなきゃこっちの勝ちだ』
こう言ってやれる――度量の広さと言うべきなのか? それが、この男の幹部たる所以だろう、とシグレは憧れている。
そんな想いを能天気な声の裏に隠して、元気にお返事。
「了解っス!」
両雄相見える時は近い――