第1章
第9話 青春は闘う
 校庭にて。
「先輩!? 授業やるなら言っておいてくれればよかったのに」
「マッちゃん……また会えたね、あはは……」
 言えない。「実は、ミナヅキ先生に嵌められちゃって」だなんて、口が裂けても言えない。
 と、いうわけで、セキナは再び先生をやらされていた。
 トレーナーズスクールの生徒にとって、現役のトレーナーと戦える機会はとても貴重だ。だから、彼らにそういう機会をできるだけ多く与えてあげたい、というミナヅキの思いはわからないでもない。
 だが、
「今日みんなと戦ってくれるのは、なんと……リンドウ博士が太鼓判を押す、期待のルーキー・セキナちゃんでぇーす!」
 正しいと言えば正しいが、戦歴に対してあまりにも不釣り合いすぎる紹介はよしてほしかった。
「先生! なんでそんなプレッシャーになるようなこと言っちゃうんですか!?」
 セキナは、ミナヅキに異議を申し立てるものの、
「生徒たち、『相手は強い』と煽れば煽るほど燃えてくれるから」
「だからって……あんな詐欺紛いなこと言わなくたって」
「まあ、ドンマイってことよ」
 教え子に宿直を押し付けるような教師が、まともにとりあってくれるはずがなかった。
 結局、「期待のルーキー」の訂正もままならず、生徒たちは必要以上に闘志を燃えがらせている。
「エイパム、いいとこ見せちゃおう!」
 マカテも例外ではない。ポニーテールを結び直して、気合十分。
(ヤバイよこれ! フルボッコにされちゃうよ!!)
 セキナは、冷や汗が止まらない。
 そこへ、
「あの……すみません」
 別の生徒が、セキナに話しかけてきた。緊張しているのか、その呼び声も小さい。
「ん? どうしたの?」
 セキナは優しく返事するが、額を流れる冷や汗が加速していることをはっきりと感じていた。
(ひぇ〜、もうバトル!?)
 他の生徒は、各々ポケモンの点検をしているというのに。
 恐る恐る呼び声をするほうを向いた。男子生徒が1人。
「ミナト?」
 マカテが、彼を見てぽつりと言った。
 ミナトと呼ばれた男子生徒は「あ、マッちゃんが先? 邪魔してゴメンね。先いいよ」と微笑んだ。
「友達なの?」
 セキナが問うと、
「はい。ミナトっていって、私を名前で呼ばない数少ない男子なんです」
 マカテは答えて、「いいよ。ただの雑談だから」とミナトに譲った。
「待って! バトルなら、もうちょっとだけ後にして!!」
 言葉とは裏腹に、セキナは臨戦態勢である……格闘戦の。
 しかし、思いがけないことに、
「いっ、いや、大丈夫です! 僕、本当に素人なんで、先輩とバトルだなんて、そんなこと……」
 ミナトは、自ら勝負を降りたのであった。
「ちょっと、ミナト! そんなに卑屈になっちゃ駄目!!」そこに口を挟んだのは、マカテである。「まずはやってみなきゃ! ついでに、男子に目にもの見せてやらないと」
「でも、僕の成績じゃ申し訳ないよ! みんなだって、先輩と戦いたいはずなのに、僕なんかに時間を割いてもらうなんて……」
 妙に謙遜するミナトと、妙に彼の背中を押してやろうとしているマカテ。

『寮長、ああ見えて、成績最下位の男子をすっごく気にかけている――ってか、あれは絶対恋しています!』
『「守られたい」じゃなくて「守ってあげたい」って思考なのが、いかにも寮長らしいです!』

 昨夜、アサから聞いた(というよりも、一方的に話してきた)マカテの事情。
 これで、すべてがつながった。
(そういうことか)
 ミナトの第一印象というと、優しそうな男の娘……を通り越して、病弱そうとすら言える。
 さっきマカテに見せた微笑みも。抱擁するような柔らかさで、どこか儚い。そんな表情を浮かべる顔も、小さく丸いのであった。
 そして、もはや清々しくさえある卑屈さ、気弱さ。
 マカテのような女丈夫が守ってあげたくなるのも頷ける。
「ポケモン見てもらうだけだから!」
「駄目! そうやって実践を避けているから伸びないのよ。知識はまずまずなんだから、もっと自信を持って!!」
 彼らのやりとりは、母と子のよう、生徒と先生のようで微笑ましい。
 だが、セキナは、古傷が痛むのを感じた。この痛みが、何かをひらめく前兆であったことも。
「わかった。バトルしよう、今すぐ!」
 だから、衝動に任せて叫んでいた。
 自分みたいに、惨めなまま卒業せずに済むように――たったそれだけを思って。


 身勝手なオーディエンスが口々に言う。
「ミナトが先輩とバトル?」「アイツが勝てるわけねぇだろ」「びりっけつなんだよな、アレ」「身の程知れっての」
 セキナは、そんなヤジを溜息ひとつであしらえる。しかし、この精神防衛方法を習得するまで、どれだけ意思をすり減らしてきたか――それを考えると、セキナよりも気が弱いのに、ここをやめずに頑張っているミナトは偉い。
(そりゃあ、やっぱり守ってあげたくなるよね)
 けなげな彼の姿に母性本能がそそられるマカテの気持ちもよくわかる。
 だから、言い返してやった。
「女子の寝顔を撮って、売ろうとしていた野郎どもー、身の程を知れー!」
 できるだけ憤慨を抑えて、言ってやった。
 さっきまで言いたい放題だった悪童たちは、セキナの暴露に「ギクッ!?」という効果音が今にも聞こえてきそうな顔つきになった。
 そこへ、追い打ちをかけるように、
「はぁ!? あんたたち、女子寮覗いていたわけ!?」女子寮寮長の激怒。「本ッ当最低! あんたたち、寮長特権でチクるからね!!」
 ざまあみろ、である。
 だが、当のミナトは、
「やっぱり、僕、やめた方が……」
 嘲りの視線に、すっかり怯えきってしまっていた。
「大丈夫、大丈夫! もともと私がけしかけたんだし、自信を持って」
 セキナが、そんな彼を励ますために言葉をかけると、
「先輩の方から!?」「嘘だ。アイツ、そんなに才能あった?」「なんか気になるー!」
 ぼちぼちと、嘲りから好奇の視線に変わってきた。「期待のルーキー」という大仰極まりない肩書も、たまには役に立つものだ。
「そうだ、誰か審判……」
「私がやりますっ!」
 審判を募ると、マカテが真っ先に名乗り出た。気になる彼の闘う姿を見るのに、審判のポジションは特等席だ。セキナとしても、自分の本性――実は成績最下位で卒業した――をこの場で唯一知っている生徒が審判というのは、気が楽だ。
「それじゃあ、いくよ……ヌメラ、お願いっ!」
 審判も立てたところで、バトル開始。
 セキナは、試運転も兼ねて、初めて使うヌメラを選んだ。
「は、はいっ……! ヤドン、出てきて!!」
 対するミナトのポケモンは、桃色の体、短い4本足、口がポカンと開いている……

『No.079 間抜けポケモン ヤドン
 尻尾を川に入れて餌を釣っているが、そのうち何をしているのか忘れてしまい、川べりに寝そべったまま1日を終える』

 ヌメラと同じ脱力系であった。奇しくも。
 熱気漂うはずのバトルフィールドは、のほほんとした空気に包まれる。
「先攻はもらうよ! "体当たり"」
 ……ということに気付かない、空気の読めない少女が、若干1名。観客が、一瞬だけあんぐりとしていた。
 ミナトでなくとも、これには反応が鈍る。
「えっ!? っと……ヤドン、"のろい"!」
 ヤドンは、ヌメラがぶつかる寸前で力を溜めた。
「ヤバイ!」
 ヌメラがヤドンにぶつかった瞬間、セキナは戦慄――
「って、あれれ? ダメージ受けていない?」
 しなかった。
 ヌメラは無傷だし、攻撃はちゃんとヒットしている。
「今のって、"呪い"!?」
「? はい、"のろい"ですけど……」
 わかりにくいが、こういうことだ。

 "のろい"≠"呪い"

「えっ!? じゃあ、どうしてHP減らないの?」
「HP減る技だったんですか!? 僕は、素早さ下げて、攻撃力と防御力上げる技だとすっかり……」
 劣等生同士、話が進まない。
 それを見兼ねたマカテ。
「"のろい"って、使ったポケモンがゴーストタイプかそうでないかによって効果が変わるんですよ。ゴーストタイプだった場合は、自身の体力を削って、相手に呪いをかけてる技になって、そうでなかった場合は、さっきミナトが言ったとおりです」
 丁寧な解説に、新旧劣等生はこくこくと頷くことしかできなかった。
 さて、双方の認識が一致したので、バトル再開。
「もう1発、"体当たり"!」
 再びヌメラが先手をとった。「間抜けポケモン」と分類されるほど、ヤドンはトロいのである。直前の"のろい"で、そのトロさに拍車がかかっていた。
「えっと……"しねんの頭突き"!」
 それでも、今度は"体当たり"してくるヌメラに自らぶつかっていく。
 激突。
 ヤドンが頭に纏っていた念力のおかげで、威力はそちらの方が上だ。しかし、ヌメラもただではやられない。
 ぬめり。
 ヌメラの特性『ぬめぬめ』 自らの粘液で相手の動きづらくする。もともと敏捷性が極めて低いヤドンには、よりいっそう効果的だ。
「嵌ったね! ヌメラ、次は"吸いとる"!!」
 作戦が成功し、セキナは絶好調だ。
「うっ……じゃあ、"アクアテール"!」
「じゃあ」という単語から、ミナトが知恵を振り絞って"しねんの頭突き"に代わる対策を練ろうとしているのがよくわかる。
 しかし、ヌメラの"吸いとる"が遠距離でも届く特殊技であるのに対し、ヤドンの"アクアテール"は接触が必要な物理技だ。ヤドンが近づこうとすれば、もろに"吸いとる"を食らってしまう。
 それ以前に、攻撃しようにもかわそうにも、先程の"ぬめぬめ"が効いていて思うように動けない。
 ヤドンに草タイプの技"吸いとる"は効果抜群。そのうえ、吸いとられたHPも大きく、ヌメラはダメージが完治させている。
(なんか、悪いなぁ……)
 セキナは、虫の息になったヤドンを見て少し罪悪感がした。しかし、手加減するほどの能は、セキナにない。
 ミナトには悪いが……
「ヌメラ……"体当たり"!」
 繰り出す技だけは少し選んで、ヌメラに最後の一撃を命じた。
 その時、
「ごめん――」
 セキナや審判のマカテにしか聞こえない、ミナトの呟きが聞こえた。しかし、何に謝っているのか、全く解せない。
 ヤドンは迎え撃たずに、主の指示を待っている。その主であるはずのミナトは、ただ立ち尽くしていた……ように見えた。
 だが、彼はその時、少年にできる限りの強さで左の拳を握っていた。
 その次の瞬間、

「"トリックルーム"――!」

 バトルフィールドの時空が歪んだ。
 "トリックルーム"とは、時空を歪め、遅速の概念を入れ替える技だ。どういうことかというと……

 ヤドンが無茶苦茶なスピードで"体当たり"をかわしていた。

「ヤバイ!」
 セキナは"トリックルーム"の効果を知らないが、野生のカンで、今度こそ戦慄した。彼女にも、とりあえず、形勢逆転の一手だったということはわかる。
 実際、この空間では、ヤドンの鈍さが長所になる。しかも、先程"ぬめぬめ"によってさらに鈍くなった。
 これだけ鈍さに磨きをかけたヤドンが、遅速の概念を入れ替えたら……
「いきますよ、先輩! "しねんの頭突き"!」
 地面を軽く蹴って、華麗に飛びだち"しねんの頭突き"を繰り出す、という芸当をやってのけられるのであった。しかも、ぶつかるスピードも、今までとは段違い。セキナに指示する暇すら与えず、ヌメラにヒットした。
 ここで"ぬめぬめ"が発揮されるが、"トリックルーム"内では、粘液はむしろ潤滑油だ。
 圧倒的不利を一気に覆したこの技を、なぜ最初から使わなかったのか? セキナは疑問に思ったが、今はそんな場合ではなかった。
「ヤドン、次は"のろい"!」
「え、ちょっと……何が起きているの!?」
 そんな疑問よりも、まず状況が理解できていない。
 この空間で"のろい"ということは……要するに、こういうこと。

 攻撃↑ 防御↑ 素早さ ↑

 もう、手加減とか言っている場合ではない。ヤマカンで、セキナは身構えた。
「ヌメラ、もう1回"吸いとる"!」
「かわして、"アクアテール"!」
 本気で倒そうと、効果抜群の"吸いとる"をもう1度繰り出させる。しかし、今のヤドンはもはや暴走特急。すぐ射程外に逃げられてしまった。
 それどころか、先程の"のろい"で攻撃力も増した"アクアテール"が襲ってくる。これを食らえば、相性は今一つとはいえ、瀕死は必至だ。
 しかし「期待のルーキー」は、それで終わらない。
「ヌメラ――っ!?」
 セキナが小さく悲鳴をあげた、その瞬間、
 ヌメラの体が緑色の球体に覆われた。
「これって……ヌメラ、もしかして"守る"を覚えたの!? やったね!」
 ヌメラは、トレーナーの問にのんびりと頷いた。
 予想外の幸運に、セキナは胸を撫で下ろす。
 起・承に続く、転・転。先がわからないバトル。これを審判として間近で見ていたマカテは、
(なんだろう……見ているこっちも燃えてきた!)
 彼女だけではない。バトル開始前はあまり期待していなかった観客たちも、セキナとミナトからの熱気をたしかに感じていた。バトルフィールドを縦横無尽に駆けたり跳んだりしているのは、ヌメラとヤドンなのにもかかわらず。
「今、"守る"を覚えちゃったんですか……」
 再び劣勢になる気配を感じたミナトが、少し沈んだ声でこぼした。しかし、秘めた闘志は変わらない。
「逆転されちゃったんだから、元に戻さないとでしょ!」
 ミナトが自信を取り戻したのを見かねて、セキナも、闘志の炎が"オーバーヒート"。大人げがないのは承知だが、全力で相手するのが先輩の礼儀だろう。
(でも、いくら"守る"を覚えたって、反応できなければ意味がないから……まだいける!)
 ミナトも、鈍っていた戦闘勘を全力で巡らせ、セキナの全力に応えようとしていた。
「だったら、次は……もう1度"のろい"!」
 何か策があるのだろうか? さらに、ヤドンの能力を強化していく。
「今だっ! ヌメラ、今度こそ"吸いとる"!」
 その隙を突いて、セキナは1発逆転に賭けた。
 ヌメラもそうだが、ヤドンだってHPはあと僅かなのだ。ここで効果抜群の技を食らえば、もう後がないだろう、という狙いだった。"守る"は連続して使うと失敗しやすいので、ここで"のろい"を使ってくれたのは、セキナにとって好都合だ。
 ……と、思いきや、
「ヤドン、背後に回って!」
 "のろい"で素早さを下げた――つまり、素早さを上げたヤドンは、ヌメラが大口を開け攻撃を繰り出そうとした瞬間に、シュンと走ってヌメラの背後をとったのだった。
「嘘でしょ!?」
 セキナは、"トリックルーム"が何者かを知らないため、唖然としてしまった。一体、ヤドンに何があったのか?
「これで決めます! ヤドン、"しねんの頭突き"!」
 我に返った頃には、ヤドンが、ヌメラに向かって猛スピードで突進していた。既に時は遅し。
 ヤドンの頭突きで、頭部にあった念力がピカッと爆発。
 ……煙が晴れた時に見えたのは、すちゃっと華麗に着地したヤドンと、目が点から「×」になったヌメラだった。
 数秒、沈黙が流れて、
「えっと……ヌメラ、戦闘不能! よって、勝者……ミナト!」
 マカテのぎこちないジャッジが、バトルの終わりを告げた。
 ぼちぼちと拍手が湧いてきて、それが、気が付けば喝采まで加わっている。
「やった……やったよ、ヤドン! 僕たち、勝てたんだよ!!」
 拍手喝采が自分に向けられるなど夢にも思わなかったミナトは、感激のあまり、思わずヤドンに抱き着いた。……当のヤドンは「なんかよくわからないけど、嬉しー」といった表情だが、それはそれだ。
「ヌメラ、"守る"を覚えたの、なんというか……すごかったよ。ゆっくり休んでね」
 セキナも、本来の目的が果たせて、負けたものの悔いはなかった。ヌメラを撫でようとして、
「ひゃあ!? ……本当にぬっめぬめだぁ!」
 手がぬめぬめになってしまったようだが、それはそれだ。
「すごかったよ、ミナト。あんな大技隠していたなんて」
 審判席からマカテがミナトに駆け寄ってきた。
「大技ってほどでもないけど……ありがとう、マッちゃん……ぁ……」
 ミナトは照れ笑いながら彼女のお祝いに答えていたが、ふと、目を閉じ、くらりと倒れてしまった。
「ちょっと……ミナト!? ヤバイ、早く保健室……!」
 使命感からだろうか? それとも、また別の感情からだろうか? ――突然のことに、マカテは思わず、ミナトをお姫様抱っこしていた。
「かっけーぞ、マカテ〜!」
「委員長、やっぱり男前〜!」
「ひゅ〜、ひゅ〜!」
 年頃の少年少女がこんな特ダネを見逃すはずもなく、冷やかしの声があがる。
「な、何言ってるのよ!? 私は女の子だし……てか、その名前で呼ばないでっ!!」
 マカテの顔は真っ赤っか。でも、内心まんざらでもなかった……自分の名前を呼ばれたことを除いては。


 爽やかな陽光が窓から降り注いでいる。
 真っ白な、シワ1つないベッドの上で、ミナトはゆっくりと目を覚ました。
 保健室である。
 まだはっきりとしない視界に見つけた時計は、短針は12と1の間を、長針は8の近くを指している。ちょうど、昼休みの時間帯だ。
(ちょっと、無理しちゃったかな……?)
 ミナトが体を起こすと同時に、シャッ、とカーテンが空いた。
「ミナト……!?」
 マカテが入ってきたのである。彼女は、起き上がったミナトを見て、ぽつりと呟いた。
「大丈夫? 無理してない?」
 彼女はすぐさまミナトに駆け寄り、落ち着きなく容態を尋ねてくる。
 無理をしたにはしたのだが、心配をかけるわけにもいかず、
「うん。もう起き上がれるから」
 2割ほど、答えに嘘を混ぜた。
 これを受けて、マカテは「よかった……」と安堵していた。とりあえず、余計な心配をかけずに済んだようで、ミナトもほっと溜息を吐く。
 さて、2人きりだ。
 話すことがない。覚醒したばかりなのにもかかわらず、ミナトの心臓は旺盛に音立てている。
 口火をきったのは、マカテだった。
「養護教諭から事情は聞いた。"トリックルーム"に適応できない、って……」
 バレた。ミナトは、らしくもなく思ってしまった。
 "トリックルーム"は、一定時間フィールドの時空を歪め、その空間内で遅速の概念を逆転させる技だ。
 しかし、それで生じた時空の歪みは、本来人間が体感することないものである。だから、体の弱い人間は、この感覚になかなか慣れることができず、頭痛や吐き気を催したり、さっきのミナトのように気絶してしまうこともあるようだ。
「うん、実は……。でも、せっかく"のろい"を覚えていて、もとが素早くないんだから、決まれば強いだろうなぁ……なんて、思っちゃって」
 堪忍したように頭をぽりぽり掻きながら、ミナトは語る。
 また、彼が"トリックルーム"を封印していたのは、自分のためだけではなかった。
「それに、こういう体質って、実際に"トリックルーム"の中に入ってみないとわからないんだよね。僕のも、実は……結構重症なんだけど、もっと重い場合、脳死しちゃったり、心臓が止まったりしちゃうことがあるから。下手に使えないんだ」
 観客のことまで、しっかり考えていたのである。
 マカテは、その事実を知って愕然とした。
 仲間と切磋琢磨し合って実力の向上を図る――それが、トレーナーズスクールの方針だ。だが、ミナトは、その仲間のために"トリックルーム"を封印して、劣等感を植え付けられている。
(どうにかならないのかな……?)
 そのせいで、彼がどれだけ自身を卑下してしまったことか。
 ミナトに密かな――だが、実際はバレバレな――恋心を抱くマカテは、何かできることがないか、子供なりに思考を巡らせる。しかし、まだ未熟な自分たちにできることは1つも思いつかない。それが、たまらなく悔しい。
 ただ1つできることは、
「優しいんだね、ミナトは」
 申し訳程度の慰めをかけてやることだけだった。
「そんなことないよ。だって、ポケモンバトルは楽しめるものじゃないと……」
「ほら、また謙遜してる」マカテは、優しくたしなめる。「そうだってわかっているのに、自分が楽しめない状況作って……辛くないの?」
 しかし、だんだんと母性が暴走して、その声は半泣きだ。
 それにも、ミナトは物憂げな顔ひとつ見せず……それどころか微笑んで、こう答えた。
「みんなが楽しんでバトルできるなら、僕の勝ち負けなんて大したことないよ」
 マカテは、いつものように確信した。
 ――いい子すぎる!
 そして、いつものように、その「いい子」を助けてやりたいと願った。
 と、その時、
「ミナト君、大丈夫?」セキナがカーテンを開けて、2人の世界に入ってきた。「桃缶買ってきたよー」
 絶対、何か勘違いしている。普通、桃缶は風邪に効く食料であるはずだ。そして、その発想もレトロすぎる。
「あの後、博士に電話したんだけど……」
 だが、その流れの中で、唐突に本題を切り出してきた。
「どうだったんですか!?」
 マカテは、期待に胸をはずませる。もしも何かしら解決法があるのならば、率先して手伝うつもりだ。
「基本的には慣れるしかないんだけど、キーの実と万能粉を混ぜたもの毎朝飲んだら治ったって。ゲロマズだけど、2ヶ月続ければ嘘のように症状出ないとかなんとか」
 リンドウ曰く、あの症状は、体が時空の歪みになれていないが故、"トリックルーム"内が危険だと本能が判断しパニックを起こしてしまっているというような現象らしい。だから、混乱に効くキーの実や、とてもよく効く分苦い漢方薬が効果的、とのこと。
「博士も、昔は症状出たんだって。熱出しまくったらしいよ」
 実例もあるので、効果はかなり期待できる。副作用があるとしても、容姿が多少冴えなくなるか、少しばかり趣味嗜好がマイノリティになるだけだろう。
「だって。よかったね、ミナト!」
 マカテは、ミナトがいるベッドに身を乗り出して、この吉報を自分のことのように喜んだ。
「うん……! ありがとうございます、先輩!!」
 ミナトも、こればかりには破顔一笑し、彼にしては大きな声を上げていた。


 昼休みの後も、セキナは他の生徒たちとたくさんバトルして……見事に惨敗した。はっきり言って、全戦全敗のフルボッコだった。
 しかし、勝った生徒たちには肩すかしを食らったという風はない。負けたセキナも苦笑いの連続だったが、なんだかんだ言って楽しかった。
「……と、いうわけで、お別れの前に、先輩から一言どうぞ!」
「いきなりですか、先生!? どうしよう、何話そう……?」
 だから、最後の挨拶なんて「楽しかった」と「勉強になった」と「ありがとう」しか思いつかない……
(そうだ……!)
 というわけでもないようだ。
 夕暮れ時の教室。セキナはおもむろに白いチョークを手に取って、板書した。
 カン、カン、カン……チョークの音だけがして、音が途切れた時、黒板にはこれだけ書かれていた。

『306/306』

「これの意味がわかる人、挙手!」
 セキナが明るく募ると、数人の生徒が机から身を乗り出して「はいっ」と手を挙げてくれた。この場で唯一真実を知っているマカテは、空気を読んでいるのか、挙手していない。
 指名してみると「わかりませんっ!」だの「先輩のテストの点数!」だの「戦歴!」だの、大小様々なツッコミ所がある答えが返ってきた。
 だが、現実はもっとシビアだ。
「ぶっぶー! 全部外れ。306点満点のテストなんてないし、さっきみんなに完敗したばかりだってば」
 言って、セキナは板書に2文字だけ書き加えた。

『306位/306人』

 教室がどよめく。同じく最下位のミナトも「信じられない」と顔に書いてあった。ミナヅキとマカテも、セキナの意図がわからず、ただ黒板の真ん中にぽつんと書かれた白い文字を見つめるだけだ。
 予想通りの反応。セキナは構わず続ける。
「まあ、こんなんだったんだよね……私の成績」
 しかし、言いたいことがまとまらず、
「でも、こんなんでも、ちゃんとトレーナーできてる」
 途切れ途切れで、
「ってか、私1人じゃできなかったこともあったけど……なんだかんだ言ってやり抜いた」
 筋道なんてなくて、
「先生方は、やっぱり『トレーナーになるのはやめとけ』って言ってきたよ。今になって、その意味がちょっとわかりかけてきたような……とにかくっ!」
 しかし、これだけは教えたかった。
「諦めないことっ! あと、仲間を大切にすることっ! それさえできれば、腕はともかくポケモントレーナーになれるから!!」
 ――ミスった。言い放ってから、セキナは真っ先にそう感じた。説教臭くて、全然自分らしくない。こんなので、ちゃんと生徒に伝わるだろうか?
 そこへ、
 ぱちぱちぱち……
 少しずつ、拍手が聞こえた。それは波紋のように広がって、やがて教室全体に響く。
「みんな……今日は、本当にありがとう!」
 セキナは、涙ぐみそうになるのを必死にこらえ、今は湧き上がる歓喜に酔いしれた。


 夕日が沈みかけ空が紫に染まる頃、セキナはようやく解放された。それと同時に、
「ふわぁ……久しぶりに浴びる風は気持ちいいわね」ディアンシーも、今日初めての顔出しだ。「見てたわよ、今日の勝負。特に、あのヤドン……私も戦いたかったわ」
「本当、あれはビビったよ〜。"トリックルーム"だっけ? ポケモンってやっぱりすごいね」
「あと、マカテって子? あの子のエイパムもなかなかだった」
 マカテは、実は現在次席の成績優秀者らしい。彼女のエイパムをメリープが相手したが、見事に瞬殺されてしまった。
 ディアンシーは。今日1日モンスターボールの中から見ていたバトルについて、あれこれと語った。彼女にしては、かなり興奮気味だ。参加できなかったことへの未練もあるのだろう。
 ひとしきり喋り終えて、ディアンシーはこう結んだ。
「私たちも、負けちゃいられないわね……先輩!」
 どこか挑発的な含みがある。セキナは、言うまでもなく乗った。
「言われなくても! もっと、もっと強くなろう!!」

 彼女たちは気づかない。
 久方ぶりの外界に、羽目を外しすぎてしまったこと。警戒を怠ってしまったことに――


「マジっスか……!?」
 セキナとディアンシーの様子を眺め、仰天している男がいた。
 無駄に童顔。思わぬ遭遇に、その瞳は無邪気に輝いている。それだけならよかった。

 セキナたちの落ち度は、そこに黒ローブがいることに気付かなかったことだ――

■筆者メッセージ
 地味に10000文字超えました。しかし、何でしょう? 私らしくない、この謎のいい話感は。

 Q1."トリックルーム"続きすぎじゃね? 
 A1.アニポケでもこんなモンですよね←

 Q2.てか、危険だな"トリックルーム"
 A2.だって……バトレボの実況がなんか苦しんでいたし……

 Q3.最初のトレーナー戦で、主人公フルボッコにしたら駄目じゃね?
 A3.これが、鬼畜作者つるみクオリティ。

 Q4.これってトレーナーものですよね? 学園ものではないですよね?
 A4.安心してください。「青春は〜」編は、これでやっと完結です。
つるみ ( 2016/02/28(日) 17:23 )