第7話 青春は語る
ポケモンセンターでセキナとリョウゴを迎えたのは、彼女らの恩師・ミナヅキ。なんと、講師歴18年の大ベテランである。
が、彼女が生徒に年齢を訊かれると、答えはいつもいつも「テン歳」「ハク歳」「花も恥じらう20歳」。トレーナーズスクールの教員免許は15歳からしか取得できないので、結局どの回答もアテにならない。
「先生。ところで、今何歳でしたっけ?」
「んー……23歳?」
ほら、この通り。
これが嘘であることくらい、さすがのセキナにも見え見えである。おかげで、ミナヅキは生徒たちの間で「実は不老」「ああ見えて、もうすぐ定年」などと囁かれ、今では「学校の七不思議」扱い。
実際、彼女の容姿はハイティーンのそれに劣らず美人。少しの小ジワを見逃せば、女子ギャルグループに混ざっていても違和感がないだろう。七不思議になるわけだ。
「そんなことより、2人とも、どうしてこんな大雨の中を……あーっ! さては、駆け落ちかぁ〜!?」
「先生、俺たちまだ10歳ですから」
「でも、リョウちゃん流血してる。セキナちゃんと痴話喧嘩しちゃったの!?」
「痴話喧嘩程度なら、普通流血しません。てか、違います」
「いやぁ? 女を甘く見てると痛い目見るよ〜?」
「さっき見たばかりですけど……」
ミナヅキ先生、精神年齢はさらにお若い。リョウゴが密かに評すところによると「ボキャブラリーが増えただけのセキナ」。おかげで、彼は丁寧語を保つのに苦労している様子だ。
「あ、でも、リョウちゃんがセキナに選ばれるわけないか」
「うっせぇこのアマ! そういうのは心の中で言え!!」 リョウゴだって、多感なお年頃。こんなことを言われては、さすがに箍が外れてしまうものであった。
その後、ミナヅキはなぜかセキナたちを学生寮に連れていった。
「嫌だ……
実習中、間違えて先生に"オーバーヒート"を当てて停学になりかけたあの日の思い出が……」
「ああ……たしか、俺もあの時、
老害校長に"ヘドロ爆弾"を半ば意図的にブッ放して、危うく逮捕されそうになったっけなぁ……」
「戦友」2人は、仲良くフラッシュバック。しかし、フラッシュバックするような記憶を刻み付けられたのは、被害者の方々だろう。特に後者。
「リョウちゃん……あれ、『半ば意図的』だったの?」
ミナヅキ先生は、その爆弾発言を聞き逃さなかった。リョウゴ、自爆。
「だって……だって、アイツ、俺のミネズミが弱いからって……格闘ポケモンに……」
でも、情状酌量の余地あり。
少年の見栄っ張りで隠しているが、その「半ば意図的〜」の大元となった出来事のでいで、リョウゴは格闘ポケモン恐怖症を患っている。実は、格闘ポケモンを見ると、脳が破裂するのではないかというくらいの頭痛に襲われるのだ。
先生という仕事柄、ミナヅキはそのことを知っている。
「そうだったわね……ゴメン」
包み込むような優しい声で言った。
セキナが使った「毒されている」という表現は、案外正しかったのかもしれない。
少し時間を置いて、ミナヅキはふと、
「そういえば、私がピッチピチの新任だった頃に受け持ったクラスに、本当に退学になった子がいるの。なんと、1度に3人も」
真剣に語り出した。数十分前には10歳児に「駆け落ち」だの「痴話喧嘩」だの問うた女と同一人物とは思えないほどである。
「今から10年以上も前のことなんだけど、彼ら、卒業直前に『2匹持ち』やらかしちゃったの」
セキナは、ゴクリと唾を飲んだ。
『2匹持ち』とは、トレーナーズスクール在学中にポケモンを2体以上所持するという違反行為の通称である。ポケモンは、使い方次第では犯罪を犯すことすらできるので、厳しく制限されているのだ。「力を持つと慢心する」ということである。
ミナヅキは、その3人の問題児の青春時代を追憶する。
「1人目は、引っ込み思案だけど、根はおてんばな女の子」
「中庭の池にいたポケモンを捕まえちゃったみたい。でも……あのポケモン、よく悪童にいじめられていたから、それでよかったのかも」
「2人目は、『鬼才』と言われた秀才。……どうして『鬼』なのかはツッコまないでね?」
「駆除されかけたポケモンを助けるために、ボールに入れたらしいわ。正直、意外だった。だって、あの子、滅多に人と関わらないんだもの」
「最後の1人は……もう、本当に面白い子だった」
「とんでもない悪戯っ子でね、出会った『2匹目』と連携して職員室のパソをハッキング。おかげで、私の年齢バレたし」
どこか楽しげに。
「あの……先生、ハッキングこそ逮捕レベルですよね?」
フラッシュバックは治まったリョウゴがツッコむと、
「いやぁ……その時、肝試し大会やってて、『学校の七不思議を解き明かせ!!』というコンセプトで、最後のミッションが『女教師ミナヅキの年齢を暴け!』だったのよ〜」
なんということだろう。ミナヅキの美魔女伝説は10年以上前には定着していたのだ。
「でも、こうでもしないと、先生の実年齢なんて……」
「だよな……だって、何がなんでも『20歳』だったもんなぁ」
「我ながら、言われてみれば……あははははー」
そうこうしているうちに、新たな来客。
「キターーーーー!」
いや、珍客と言うべきか。何かの雄叫びをあげている。
「博士……いくらドラゴンポケモンが珍しいからって、そこまで叫ばなくたって」
その珍客とは、なんとびっくり、リンドウである。彼は、研究者としてはアマチュアだった頃、ここで教えていたそうな。
「だって、このヌメラ、『隠れ特性』の個体だよ!? しかも、ヌメラとその進化系のみがもつ特性、その名も『ぬめぬめ』!」
冴えないアラフォーがエキサイトしている。いつもの彼とは思えないやかましさで。セキナも引き気味だ。
「えーと……ヌメラはみんなぬめぬめしているものですよね?」
「うん。でも、このヌメラは違う。この特性のヌメラは通常よりも段違いにぬっめぬめ。なんと、粘液が地面にこぼれちゃうのであーる! ……というわけで、セキナちゃん、このヌメラもっとkwsk」
「は、はあ……?」
リンドウ、ついに日常会話にネットスラングを使用。何度でも言うが、リンドウとはこういう人間なのだ。
「リョウちゃん……前から思っていたんだけど」ミナヅキは、そんなリンドウの脇で、リョウゴに耳打ちする。「博士って、やっぱりオタクなのかしら?」
「そういう匂いはしてくるけれど……でも、、
ポケモン博士だしまさかそんなことは……」
恐るべしポケモン博士の称号。こんなにオタク丸出しでも、疑惑をかけられる程度で済んでしまった。
「そうだ。リンドウ博士もアマチュアの時、彼らにしてやられていたよね?」
「ん? ……あー、アレか!」
ミナヅキに切り出されて、今度はリンドウが思い出を振り返る。
「
パソコンの履歴にエロサイト混ぜられたり、
論文の中に聖書の文ちりばめられたり……」
……というより、フラッシュバック。よくこんな環境で研究できたものだ。
「先生、他には!?」
セキナが、わくわくしながら続きを促す。
「『義理チョコでもいいから』ってバレンタインのチョコほしいなアピールしていたら、
樽1杯分の溶かしたチョコを贈りつけられた」
「あ、そういえば、私、
化粧水にヘドロを入れられたわ」
リンドウもミナヅキも、相当扱いに苦労したようである。
「当時の生活指導が言っても、
異性だからって『ぎゃー! パワハラだ! セクハラだー!!』とか騒ぎ立てるから、どうにも止まらない」
そして、無駄に世事に通じていたらしい。
とはいえ、今となっては笑い話。男女4人で和気あいあいとしている。
「そんなことより、本題! 突然だけど、セキナちゃん――」
そこで、ミナヅキは自分で言ったとおり「突然」に、セキナを名指しした。
あまりにも唐突すぎて、思わず身構えてしまったセキナに向けられた言葉は――
「先生、やってみる?」
かくして、ミナヅキの陰謀は完遂された。
陰謀その1、宿直をセキナに押し付ける。
リョウゴは男子なので関係ない、ということでポケモンセンターに無事生還……
「そうだ! いっそのこと、戦友同士仲良く1つ屋根の下ってのは?」
「立ち去れ立ち去れ! 悪霊退散!!」
と、思いきや、ミナヅキの冗談をきっかけにセキナの"マッハパンチ"を食らい、
「言われなくても立ち去るわボケッ!」
出ていく時のなりは、捨て台詞を吐いて去る噛ませ犬のようだった。
陰謀その2、宿直室に悪戯する悪ガキを懲らしめる。
「宿直室の鍵を奪った悪い子はいねがーっ!?」
セキナは、なぜかなまはげモード。
「きゃーっ! 先輩、お慈悲をくださーい!!」
「じゃあ、鍵返せーっ! ……いや、マジで。眠れないんだって」
懲らしめる前に仲良くなっているようにも見えるが。
「ゴメンナサーイ! でも……ウチのクレッフィ、なかなか離さなくて」
クレッフィの持ち主らしい1年の女子が言う。
ちなみに、トレーナーズスクールは、8歳から10歳まで入学できるので、8歳から12歳と幅広い年代の生徒が揃っていて、セキナのように8歳で入学、10歳でトレーナーデビューというのは、どちらかというと少ない例だ。
この1年女子は、見たところ9歳くらいだ。
「うーん……どうしろと……?」
セキナが頭を悩ませていると、
「1年! なんかうるさいけど、どうしたの!?」
ガラッ、と隣室の2年が引き戸を開け、覗きにきた。
「りょ、寮長!」
「アサ……またクレッフィね。もう少し自制させられないの?」
「スミマセン……」
アサと呼ばれた1年は、寮長に糾弾されがっくりと俯く。
「えーと、寮長さんだよね? 名前は何ていうの?」
セキナが尋ねると、寮長はなぜかギクリとして黙り込んでしまった。
何か事情でもあったのだろうか? と、セキナが辟易としていると、
「あー、寮長の名前、結構珍しいというかオンリーワンというか……マk」
「アサ、言わないで……自分の口で言うから……」
体育会系委員長の風格を漂わせていた寮長は、別人のように女々しく、物乞いをするような声でアサを黙らせた。
「……
マカテです」
そして、宣言どおり、自分の口から名乗った。だが、その声は弱ったコオロギのようだ。
「え? ……ゴメン、もう1回」
セキナが訊き返すと、
「
マカテですっ!……もう嫌だ。『テ』で終わる名前、全校名簿見ても私しかいないし……」
名乗れば名乗るほどストレスが募るらしく、泣き出してしまった。
「べ、別に、先輩が、うっ、悪いわけじゃ、ない、ん、ですよ? ひっく。私が、自分、の、ひっく、名前を好きに、うっ、なれないのが悪い、んです……」
子供たちは、物珍しいものに容赦ない。少しばかり平均からズレると、そこにつけ込んでくる。「デブ」「ブス」「ノッポ」「真面目」……そのバリエーションは、枚挙にいとまがないほどだ。
ある時は、成績が悪いことを理由に。
セキナは、マカテの気持ちがなんとなくわかる気がした。
「マカテちゃん、」
「すみません。うっ……できたら『マッちゃん』と、えぐ、呼んでほしいです」
泣いていても、きちんとニックネームは教えてくれた。しかも、高速で。
「わかった。それで、マッちゃんは、いつもこういう時どうしてるの?」
「宿直の先生に頼んでいるんですが……あれ? どうして今日は、先生じゃなくて先輩が?」
「どうしてだろーねっ!?」
言えない。「ミナヅキ先生に嵌められて」だなんて、口が裂けても言えない。
(でも、本当にどうしよう……?)
セキナのポケモンは、粘液でぬっめぬめなヌメラと、モフモフのメリープ。前者はもちろんのこと、後者も毛玉を散らかしかねない。
あと1匹は――
(!?)
その1匹が、ボールから出ようとしている。
セキナは、その気配を感じてモンスターボールのふたを押さえ、
(ディアンシー、今出ちゃ駄目だって!!)
駄目元で念を送る。
すると、
(だって、あんた困っているんでしょ?)
さすがテレパシー。念に念が返って来た。
(でも、相手鋼タイプだよ! 博士からちょっと聞いたけど、苦手なんでしょ!?)
(苦手から逃げていたら、いつまで経っても苦手なままになっちゃう。今のうちに克服しないと……!)
セキナとディアンシーが念で言い争っていると、その険悪な雰囲気を感じたのか、
「えっと……先輩。私のポケモン貸しましょうか?」
マカテが気遣ってくれた。
「お願い!」
「え、あ、はい!」
すぐに返事が返ってきて、マカテはセキナに自分のポケモンを託す。
「絶対に、取り返してくださいね。お願いしますよ」
マカテは、モンスターボールをセキナに手渡す。
「……うん。わかってる」
台詞だけだと、大冒険の予感がするが、そんなことはない。鍵を取り返すだけ。しかも、宝の鍵などではなく宿直室の。
だが、セキナはこの時、クレッフィを甘く見ていた。
さあ、安眠を巡る鬼ごっこの始まりだ――