第1章
第6話 一番弱いドラゴンポケモン
 海魔を捕獲した、次の朝。
「ねぇ、リョウゴ」
 セキナは、朝早くからリョウゴを訪ねた。
 正直、悔しいけど、今のままではいけない。彼を見て、そう思った。
「ちょっとお願いがあるんだけど……」
 ――今からでも、這い上がりたい!

「私に捕獲を教えて!!」


 リョウゴの答えは――
「いや……今、大雨警報出ているんだが?」
 いつも「次の朝」が晴れているとは限らない。特に、今日は土砂降りで、ポケモンセンターの中からでもザァーッという音が聞こえてくる。
 だから、決してリョウゴが冷たいわけではない。こんな日に頼みにくるセキナが悪いのだ。
 しかし、セキナはそれで諦めるほど殊勝ではない。
「でも、ほら。ホウエン地方には、陸が沈没するレベルの大雨を降らせるポケモンがいるんでしょ? そういうのを相手にする時に備えて、ね?」
 現実性皆無。ここは「ホウエン」ではなく「ホウライ」である。
「そういう伝説のポケモンって、捕まえるのに許可いるんだよ。面倒だし、その手の依頼は大抵違法ばっかだから……って、お前のディアンシーは大丈夫なのか?」
「そこー、話を逸らさないー」
「いや、重要なことだろ! ディアンシー保護しているんだし」
 リョウゴは、話をこちらのペースに持っていく端緒を見つけ、すぐにひっくり返す。身近な話題なので、思惑を悟られることはないはずだ。
「たぶん、博士特権でどうにかなると思う」
 セキナはけろりと答えた。あくまで「たぶん」。1人の少女の運命を、あの冴えないアラフォーに委ねるのもどうかと思われるが……頑張れ、博士。
「そうか。じゃあ、大丈夫か」
 それでいいのか子供たち? あくまで「たぶん」なのだが。
「まあ、そういうことで。俺、部屋に戻るから」
 本題など最初からなかったかのように立ち去るリョウゴ。
 セキナが嵌められたことに気づくのに要した時間、7秒。
 ……
「ッ!? 待てコルァ! ルチャブル少女ナメんな!!」
 明らかに人体から鳴ってはいけない音や断末魔が聞こえたが、結論だけ言おう。
 男の拳よりも女の涙のほうが頼み事をしやすいようで、
 すなわち、両方もっている者の頼み事など、断る余地もないのであった。


 これだけの豪雨になると、人もいない。普段はトレーナーズスクールに在学中の生徒が昼休みなどに鎬を削り合っているのだが、今は雨音しか聞こえない。
 しかし、これが案外、セキナにもリョウゴにも恩恵を授けてくれたようだ。
 セキナは、雨の日ならではのポケモンとたくさん出会い、図鑑のデータ集めをすいすいと進めている。
 リョウゴはというと……
「短パン小僧がいないって幸せ……!」
 かなり満足そう。
「どうしたの? 短パン小僧に何か恨みでも?」
 セキナが尋ねると、リョウゴは
「俺のポケモン、攻撃技をほとんどもっていないのは知っているだろ? だから、トレーナーとのバトルは極力避けているんだがよ……」
 語り出して、突然スイッチが入った。

「どうして前通っただけで『目が合った』ってポケモン勝負しかけてくるんだあのクソガキは! やってること『ガン売りやがったなァ!?』と言いがかりをつけてのカツアゲだよな、アレ!! そんなにバトルで金稼ぎたいまら、オフクロと論戦(バトル)して小遣い増やしてもらえばいいだろうが!!! 毒親? 勘当? 知らねぇよ、俺だって勘当された身だっつの。
 要するに、金返せェェェェェェェェェェっ!!!!!

 おわかりいただけただろうか?
 トレーナーズスクールの教師たちがセキナとリョウゴのような劣等生を徹底的に「落第」扱いするのは、こういったお財布事情を考慮しているからだ。つまり、生徒のためを思ってのことなのである。
 しかし、10歳の少年少女は夢いっぱい。そこで、先生と生徒の考え方にズレが生じてしまうのは、植えつけられた劣等感について「毒されている」と評したり、セキナが教師たちを影で「ジジババ」呼ばわりしたりすることから明らかだ。
『目が合ったら勝負』カツアゲめいたトレーナーたちの常識は未だ払拭される気配はない。
「だから、俺は夜のうちに町までダッシュ
 挙句の果て、このような真似をする10歳が出てくる始末である。良い子は真似しないこと。

 なぜ補導されないのか? 答えは簡単。ポケモンがいる限り、警察は迂闊に手を出せない――正直、機能していないというのが現状だからだ。

「よし。いっそのこと、雨で人がいないうちに次の町行くか」
 見よ。これがトレーナーという生き方だ。


 ともかく、捕獲である。
 セキナは雨中を駆け回っていると、ふと、その健脚を止めた。暴風に晒されている木下にしゃがみ込み、湿った芝生をじっと見つめる。
「ん? 捕まえたいのがいたか?」
 リョウゴが彼女の元に向かうと、そこいは1匹のポケモンがいた。
 スライムのような体が、ぬめぬめとした粘膜に覆われている。50cmにも満たない身長。そして……なんと、目が点
 セキナの目も口も、こう語っている。
「かわいいっ!」
 リョウゴは、「負の数×負の数=正の数」ということを初めて教わる時と似た強烈に不可解な感覚に襲われた。
(女の美的感覚って、本ッ当わかんねぇ!)
 いわゆる「脱力系」という類いに当てはまるのだろうか? しかし、この地を這うイモムシのような姿形は、あまり女子にはいただけないのでは?
(とりあえず、まあ……セキナはアブノーマルだからな、うん)
 と、リョウゴは結論づけたのであった。
 世の男たちよ、安心したまえ。結局、若い女が真っ先に述べる感想の6・7割方は「かわいい」「ウケる」なのだから。
「図鑑見たか?」
「これから見るところっ♪」
 この湿った空気の中でも、ポケモン1匹でセキナはルンルン気分だ。その調子で「脱力系」なポケモンに図鑑をかざす。

『No.704 軟体ポケモン ヌメラ
 一番弱いドラゴンポケモン。ヌメヌメの体が乾かないよう、ジメジメした日陰で暮らす』

 一同、耳を疑った。
「「ドラゴンポケモン〜〜〜〜〜!?」」
 なんと、この脱力系ポケモン・ヌメラはドラゴンタイプだったのだ。 身長50cmにも満たなくてもドラゴンタイプだ。目が点でも、ドラゴンタイプったらドラゴンタイプなのだ。
「ここいらじゃ珍しいよね、ドラゴンタイプって!」
「お前……そっちに驚いたのか?」
 そんなポケモンを前にしても、セキナはセキナだった。リョウゴは時々に「よくコイツとやっていけたよな」と痛感する。
「決めた! この子捕まえるから、やり方教えて!!」
 こうして、長い長いポケモンゲット講座が始まった。


 あまりにも長かったので、会話の一部を抜粋。
「まず、倒さない程度に弱らせる。これ、基本な?」
「うん。祟られたくないもん」
「……まだその認識だったのか?」
「違うの!?」
「いちいち倒す度に祟られたら、ポケモントレーナーは全員死んでるから! それか、全員エクソシストと兼業だから!!」
「言われてみれば……。じゃあ、どうして倒しちゃいけないの? 弱らせないと捕まえられないのに」
「……そっ、それは……アレだ、その……臓器移植みたいなモンだ、たぶん!」
「あー、そりゃ、倒しちゃいけないよね」
(今ので納得するか普通!?)
 いちいちツッコんだり、不謹慎な例示をしたり……リョウゴはこの時、トレーナーズスクールの教師たちの苦労が理解できた気がした。


 暴風と突風が取り巻く2番道路にて、セキナの初めてのポケモン捕獲がなされようとしていた。
 向き合っている野生のポケモンの目は点だが、何事も初めてというものは心が躍るものである。
「いくよっ、メリープ!」
 セキナもメリープも、気合バッチリ。普段なら、ディアンシーが勝手にボールから出てきて観戦しにきてもおかしくないのだが、彼女も岩タイプ。大雨を避けているのだろう。
「"電気ショック"!」
 まずは、試しに電撃を浴びせてみる。しかし、ヌメラにあまりダメージを与えられてはいないようで、目も点のままだ。
 しかし、刺激はちゃんと伝わっていたようで、ヌメラは口から無数の泡を噴射した。泡はメリープに命中し……なんと、彼の体を少しだけ吹っ飛ばした。
「今の、"泡"……? こんなに強かったっけ?」
 この技――"泡"は、それほど威力は高くないし、メリープにタイプ相性が良いわけでもない。
 しかし、今日の2番道路、天気は雨。
(そういうことか!)
 その意味を先に悟ったのは、リョウゴ。
「さっきの"泡"、雨のせいで強くなってるぞ!」
 彼に言われ、セキナもようやく理解した。
(じゃあ、あんまり攻撃させちゃいけないってこと?)
 雨の日に出たことを後悔する素振りはない。が、危機感は湧いてきた。
「メリープ、今度は"電磁波"!」
 だから、次は、海魔ことブルンゲル戦でも活躍した"電磁波"。ヌメラの動きを鈍くして、攻撃のチャンスを減らしにかかる。何より、
(こうした方が、捕まえやすいんだよね?)
 リョウゴから、そうレクチャーしてもらった。……暴風雨の中、20分程度もかけて。
 彼も、
(よかった……あんなに時間をかけて、しかもビショ濡れになって、それで理解してもらえなかったら悲しすぎるし)
 そういう意味で、安堵の溜息をつく。
 麻痺したヌメラは"体当たり"しようとして、体が痺れた。好機到来。攻め時である。
「"体当たり"!」
 逆に、メリープの方から"体当たり"。相性的には、先程の"電気ショック"よりも大きいダメージを与えられる……はずだった。
 ヌルリ。
 メリープがヌメラと接触したとたん、メリープがのけ反った。それだけではなく、ヌメラの周囲に粘液が広がっていて、足につきまとってくる。
 敵の攻撃をヌルリと滑らせて防御するのは、ヌメラの得意技だ。しかし、粘液を地面にこぼして相手の動きを鈍くするというテクニックをもっているなど、考えもしなかった。
 つまり、ダメージはそう変わらない。
 そこへ、ヌメラは口を大きく開いて、
 "吸いとる"の悪夢、再び。
(この子も"吸いとる"覚えているの!?)
 ブルンゲルの時のようにように拘束されていないだけ、まだマシだった。
「メリープ、ヌメラの後ろに回って!」
 それでも、粘液が足についたせいで、回避のスピードは当然鈍い。
 さらに、背後であろうが、
 ヌルリ。
 ヌメラの回りは、どこであろうとぬっめぬめ。メリープは、ついにすてんと転んでしまった。
「大丈夫、メリープ!?」
 セキナは、メリープに駆け寄った。ちなみに、彼女は粘液をものともしていない。
 メリープは、今度はリョウゴに目で問いかける。「僕、必要なの?」
 リョウゴも、なんとなくそういう視線は感じたが、答えに困ったため、
「セキナ……お前こそ、大丈夫か?」
 感じなかったフリ。
「んー、ただのぬかるみとそう変わらないけど?」
「!?」
 今、この瞬間、人類がポケモンに打ち勝っていた。
「それより、こういう時どうすればいいの?」
 その人類にとっては「それより」程度のことらしい。リョウゴは、そんな規格外と青春を共にした自らの正気を疑った。
「とりあえず、もう1度図鑑見りゃあいいんじゃねぇか?」
「ラジャっ!」
 セキナは、もう1度図鑑を見た。

『No.179 綿毛ポケモン メリープ
 体毛がこすれて静電気がたまる。電力がたくさん溜まるほど、尻尾の先についた電球が明るく光る』

 メリープの項目だが。
「そっち!?」
「いやぁ、そういえば、メリープの図鑑見たことなかったから」
 窮地に陥っても、やはりセキナはセキナだった。
 それでも、その直後、全く唐突に「ひらめいた!」らしい。
「メリープ。今から、いっっっっっぱい静電気溜められる?」
 セキナの表情は、悪戯を画策する幼児のようだ。メリープも、つられて笑顔。
 メリープがふるふると体を震わせると、図鑑の説明通り、尻尾の先についた電球が明るく光った。彼の心意気を表すように、ピカピカと。
「やっぱりかわいいなー、メリープは」
 一瞬だけ、光が陰っていたのかもしれない。
 それでも、明るさはだんだんと増していき、ついには暗雲垂れ込む空の下、地上を照らす太陽となる。
「それー! ヌメラに突撃ー!!」
 そして、セキナの快活な号令で、メリープは神々しい光を放ちながら、ヌメラに"体当たり"。再び粘液に弾かれるが、もうタダではやられない。
 バチバチバチィッ!
 溜まりに溜まった静電気が、摩擦によって大放電。それと同時に、暗転。
『ヌメヌメの体が乾かないよう、ジメジメした日陰で暮らす』
 こういった生態のヌメラは、強い光に慣れていないはず。その上、急に明転し、またすぐに暗転。虹彩――目に入れる光の量を調節する器官――も、さすがに対応しきれていないだろう。
(アイツ、まさか、そこまで考えて!?)
 これには、リョウゴも目を見張った。馬鹿な分、型破りだ。
 ヌメラの目は、点から「〜」になっていた。先の大放電でダメージを与えられているはずだ。しかも、麻痺状態。
 ――今ならいける!
 セキナは確信した。
 モンスターボール……ではなく、なんとなく、たった1個のプレミアボール――通常のモンスターボールは上半分が赤で下半分が白だが、プレミアボールは中心の赤いラインを除いて白いのが特徴――を手に取って、
「お願いっ!」
 軽快に投げた。
 ボールは、安定した軌道でヌメラの額に命中。ヌメラはボールに吸い寄せられ、
 ユラリ、ユラリ、ユラリ……と、ボールが3回揺れて、

 カチッ!

 捕獲完了の音を鳴らした。
 ヌメラの入ったプレミアボールを拾ったセキナは、それを片手で天に掲げ、
「とったどぉーっ!!」
 少し場にそぐわない快哉を叫びましたとさ。

 ……が、今になって、もっと大事なことに気がついた。
「……透けてる
 大雨警報が出ている日にポケモンゲットを試みたので、自業自得ではあるのだが……
 でも、そこに男子がいた。確かにいた。
「むーっ……!」
 セキナは頬を膨らまして、その男子ことリョウゴをねめつける。
「俺が悪いの!? そもそも、その服装で恥じらうのかよ!? いや、だって、俺はもともと好きでついていったわけでもないし、いわゆる『らっきーすけべ』というか――」
「エッチ! 変態!! とりあえず『ラッキー』って認めるなぁーっ!!!」
 2人は仲良く、壮絶に喧嘩しましたとさ。


 その後、セキナがリョウゴの額を誤って"乱れ引っ掻き"して流血という事態になった。しかし、そのおかげで、セキナが珍しく真剣に謝罪し、事件解決。とりあえず、次の町・ミヤコシティのポケモンセンターでパジャマに着替えよう、という話になり、
「リョウゴっ、ほら、早く〜!」
 セキナが、キャッキャウフフといった感じで走る。
 これが砂浜だったり花畑だったりした場合、いい感じの絵面になっていた。
 しかし、現実は、
(豪雨の中、テッカニンもびっくりなスピードで駆け回る女の子って……)
 そんなものである。ここは「ざまあみろ」という表現をしておこう。
 と、
(ていうか、何意識してんだよ馬鹿!)
 リョウゴは、思わず春の訪れを妄想してしまっていた。残念ながら、2人の仲は依然冬眠中だ。
 彼の足が棒になりかけた時、やっと目的のミヤコシティに到着した。
 2人とも、この町はよく知っている。何せ、彼らの母校・トレーナーズスクールのある町なのだから。
 ツバクロタウンやソビタウンとは違って道は舗装されていて、建物に高さがある。雨雲がかかって、コンクリートの灰色が黒みを増していた。
 何はともあれ、ポケモンセンター。
 大急ぎで駆け込んだセキナとリョウゴを出迎えたのは、
「こらーっ! いくらトレーナーでも、こんな大雨の日に出ちゃ駄目……ん?」
 張りのある女声。セキナもリョウゴも、この声に覚えがある。
 確か――

『2人とも、なーにしょげてるの?』
『だーかーら、あんなジジババの言うことなんて、気にしなくてもいいの! 結局、意思とポケモンを信じる心さえあれば、誰だってトレーナーになれるんだし』
『……ね? だから、さあ、元気出すっ! 成績なんて、気にしない気にしない!!』

 トレーナーズスクールに通っていた2年間、劣等生のセキナとリョウゴを見守ってくれた恩師。ついでに言うと、「ジジババ」呼びの原点。
「戦友」同士の2人は、彼らの優しい「大元帥」との再会に声をあげた。

「「ミナヅキ先生!?」」

■筆者メッセージ
 戦闘描写って、こんなに長くなるのですね。私史上最も長い1話ができました。
つるみ ( 2016/01/03(日) 12:55 )