もはやホラー
シンオウ地方の西端の街、ミオシティ。
この街の北東に、50年前から空き家になっている宿がある。
波止場の宿。
本来は、空き家のはずなのだ。本来なら――
「働きなさい、ニート!」
本来ならば――
「働く度に襲い掛かってくる奴に『働け』って言われて働く馬鹿がいるか」
誰かがいる。明らかに、誰かいる。
前者の命令は、澄んだ鈴のような声だった。とはいえ、その美声は怒気を含んでいる。
対して、後者の反論は、陰鬱な声。向けられた敵意にも、それほど動じていない様子。
中を覗いてみよう。
「あなたが働かないと、私の仕事はなくなるし、関連グッズも売れないの! 四の五の言わずに働きなさい!」
うつ伏せになっているクレセリアと、
「それ、ただの私利私欲だろ!」
彼女(クレセリアは♀しか存在しない)に押し倒されているダークライ。
ガキやポケモンハンターが目を輝かせる、伝説のポケモン揃い踏みである。正確に言うと、ダークライは幻のポケモンだが。
そもそもどうしてこうなったのかは、直後に放たれたクレセリアの呪詛を紐解けば、猿でもわかる。
「『ダークライが人を襲うことに日夜精を出すおかげで、私も安定した職を得ているのである(その需要と供給の顕著な例はミオシティなどで見ることが出来る)。
ただし、ダークライは自らの労働を自発的に行うことが出来るのに対し、私はダークライが人を襲わないことには何もすることが出来ない。一見微妙なバランスの上に成り立っていると思われる両者の関係だが、その実、主導権はダークライが握っているのである』。アンサイクロペディアからほぼ引用。要するに、働きなさい!」
つまり、クレセリアは、ダークライがニートになったせいで、
失業したのだ。
傍から聞くと、クレセリアの言うことは、私利私欲ながら正論だろう。
が、伝ポケビジネスというのは、複雑なのだ。只今口論中のクレセリアとダークライのように、二元論的な対をなしている場合は、特に。
「お前は、仕事したら喜ばれる側だからそう言うんだよ」
溜息混じりに、ダークライは言う。
「だいたい、『人を襲うことに日夜精を出す』って記述が間違っているんだっつの。まるで、俺がSみたいじゃないか」
「だから、私が月に代わってお仕置きしてるのよね」
「そういう評判煽って、俺を襲うことを生業としているお前のほうが、相当Sだと思うぞ?」
「ムンフォ……」
「わかったから! サディストは俺でした!」
「わかればいいのよ、わかれば」
今夜は荒れそうだ。
夕方。
「結局、勝手に自己完結していったな……」
1匹になったダークライは、再び溜息をついた。
クレセリアは、
「そういうわけで、三日月の羽ばらまいとくんで。来なかったら、明日ムンフォですよ?」
と、脅迫以外の何者でもない、下手すれば訴えられるようなことを言い残して立ち去った。
「気楽でいいな、あいつは」
これは本心だ。
なんだかんだ言って、周りから褒め称えられる仕事のクレセリアを羨望していなかった、と言えば、嘘になる。とはいえ、追いつけない理想を見つめているうちに、羨望は嫉妬と化した。
「そういえばあいつ、無茶苦茶嬉しそうにお仕置きしに来ていたな……」
笑顔の理由は、使命感からか、それとも……
「たぶん、Sだな」
皮肉なことに、そのSが喜ばれるという、現実。
「どうせ、俺が損するのは変わらないか」
結局、クレセリアの言うことに従うことにしたが、案外まんざらでもなさそうな表情をしていたのは、ここだけの話である。
空が紫に色づいてきた。約束の夜は近い。
「やっちゃたぁ……」
昼とは対照的に、クレセリアは情けない声で呟く。
「本当は、もっと平和的に約束しようと思ってたのに……こんなんで、敵の私利私欲に付き合ってくれるわけがないじゃない」
まったく、その通りであった。
「あーもう、無職の私の馬鹿! かわいく言って、あんぽんたん!」
潔く自責し、諦めよう。
事態を諦観し、月明かりのない快晴の夕闇を仰いだ。
その時、
「嘘でしょ……?」
クレセリアは、桜色の目を思い切り見開いた。
風景は何ら変わりないが、彼女にならわかる。
ミオシティ――いや、もう街1つどころか、シンオウ地方全土を取り巻く、闇。
「協力してくれるなら、最初からハッキリしてくれればよかったのに、な!」
久しぶりの仕事に心を震わせ、クレセリアは飛び立つ。
もちろん、今抱いている感情が「感謝」であることには気づかない。とりあえず、ムーンフォースをブチかませることに興奮していた。
端的に言うと、ある種サディストだったのだ。言わぬが花。
次の朝。
「結局、断っても断らなくてもムンフォされるんだったな……」
波止場の宿にて、ボロボロになって横たわるダークライは、自分の過ちに気付いた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! だから、次の新月も付き合ってください!」
我に返ったクレセリアは、何度も頭を下げる。
「それ、『大人しくムンフォされろ』って意味だろ? ……お前の態度次第だな」
「あなた、やっぱりSね……」
結局、仕事上の主導権を奪い返されたクレセリアは「う〜っ……」と唸りだした。
「……でも、」
「でも!?」
逆接を言いかけたダークライに、クレセリアは身を乗り出す。
「三日月の羽は売れたんだろ?」
「え? まあ、おかげさまで……まあ、ありがと、う!?」
一瞬、クレセリアは感謝しかけて、ダークライが売り上げを訊いてきた理由を悟った。悟ってしまった。
「じゃあ、これから利益の4割俺にくれ」
予想通りである。もしも自分だったら、同じことを要求していたはずだ。ただし、4割は甘い。そこは、8割くらいねだって様子を見た後、少しずつ割合を下げていくのがベストだ。
「あなたの態度次第」
しばし迷って、とりあえず同じ言葉を返しておいた。
「そうか。じゃあ、次の新月は他当たってくれ」
でも、現実は酷薄だ。
「嫌だ! 次こそあなたをボコる!」
(あなたじゃないと絶対付き合ってくれないから、次もあなたに当たりますからね!)
船乗りの息子が眠っていた。
それを知ったとある少年が、クレセリアの住処である満月島に行って三日月の羽を取りに行ったのは有名だ。
が、
それがすべて自作自演であるという事実は、闇に葬られて帰っていない。
これからも、ずっと――