10.涼やかな夢心地
────......
何かが聞こえたような、気がした。
足元で草原が揺れている。薄い青の晴れた空が見える。辺りを見回すも、立ち込めた霧で遠くまでは見えない。
どこだろう。ここは。
涼しい空気が流れていくのを感じるが、匂いのしない空間だった。そして全体的に、色の薄い世界だ。身体の感覚も、あんまりはっきりとしない。
ここはどこなのか、なぜこんな所に居るのか、それはあまり疑問には思えなかった。この場にいるのが自然で、当たり前のように。なぜだか、そう感じた。
風がふきぬける。足元で転がるように咲いている花々を時折視界に入れながら、私は足を動かした。
ふわふわしている。地面を踏み締めている感覚もない。草花が足を掠める感覚は、なんとなくあるけれど。
しばらく歩いても風景は何も変わらなかった。目印になるものがないのでなんとも言えないが、同じところをグルグル回っているようにも思える。
そしてまた、耳を掠める音。
音、ではなく、声かな。なんとなくそう思う。鈴の音のように美しい声だ。
誰の声かな。歌っているのかな。
興味が湧いて、またその声が聞こえてこないか耳を済ましながらまた歩き始めた。微かに聞こえる程度だから、その声の持ち主は大分離れたところにいるのだろう。
「う、わ」
かくん、とバランスを崩し、足元に何かあることに気づいた。地面がそこで途切れていて、一段下に大きな窪みがあった。元々池かなにかがあったのだろう。今は枯れていて水の一滴もない。
「......ん?」
そこで少しの違和感が頭を掠めた。視界に入った自分の足が、自分のものじゃないように思えた。薄い小麦色の、体毛の生えていない、長くて細い足。これが自分の足なのはわかっているのに、なんか違う。その違和感に私自身も混乱した。
─────......
また、あの声。
「まって」
消えないで。
口から声が溢れ出る。なんでかわからないけど、とてつもなく泣きそうだ。胸が痛くて、喉が引きつって仕方ない。
行かないで。
お願いだから側にいて。
吐きそうになるくらいの胸の痛さを朦朧と感じながら、私の意識は沈んでいく。
***
「っは、......!」
目が覚めて一つ吸い込んだ息は、勢いが良すぎて少しむせた。藁のベッドが乾いた音を立てる。今まで全力疾走してきたほどに息が切れていたが、どうしてかは全く思い出せない。
身体が少しばかりだるいのは、昨日遂行した依頼の疲れが残っているのか、まだこの体にきちんと順応できていないのか、はたまた別の理由か。
胸に残る僅かな違和感もだんだんと抜けていき、深呼吸して心を落ち着かせる。
なにか、大切な夢を見てた気がする。忘れちゃいけない気がする。でも夢の内容は全くと言っていいほど思い出せなかった。
大切なことを忘れていく、その感覚は気持ち悪かったが、ずっと悩んでいても仕方がない。とりあえず水でも飲んで落ち着こう。
私はベッドから起き上がって、家の中にある水桶で水を汲んだ。草をベースに作られた家はやっぱり居心地が良い。
そういえば、依頼は来ているかな。
個人的な依頼はポストに来ると昨日ユウが言っていた。見に行ってみようと身体を起こす。昨日コイルたちを自分たちの手で救うことができて、救助隊として誰かを助けることはとても心が満たされるものだと思った。誰かの笑顔を見ると自分も嬉しい。綺麗事だと笑われてしまうかもしれないが、でも、心からそう思うのだ。
「あ、おはよー」
「おはよう!」
ポストの前には既にユウがいた。今来たばかりなのか、まさにポストを開けるところだったようだ。
「依頼来てる?」
「んー......今日は空振りかなー......」
蓋を開けても何も入っていない。まだ新米だから仕方ないかな、と思うけど、ユウはがっかりしてるのが見るからにわかる。
「ポストに依頼が来てなかったら、ぺリッパー連絡所に行って掲示板に貼られてる依頼を受けるんだ」
「あ、昨日行ったとこ!」
「そう。んー、昨日は急いでて満足に街を見て回れなかったから、今日はゆっくり街を紹介してから依頼受けに行こうか」
「やった!」
街を見て回りたいと思ってたから、それはとても嬉しい。ポケモンの世界は目新しいものばかりで知りたいことが沢山あるのだ。昨日ぺリッパー連絡所へ行くために街を通った時、見た限りでも数々のお店があった。のどかな村だが商売は繁盛しているようだ。
「ユウは、この村で育ったの?」
「ううん、僕は五、六年くらい前にこの村に来たんだ。よそ者の僕でもちゃんと受け入れてくれて、みんな優しいポケモンでよかった」
道中、村の住人たちがそれぞれ挨拶を投げかけてくる(時々冷やかしのようなものもあった)のに会釈して返しながら、ユウの話を聞く。少し悲しそうな顔をして語っているように見えて、なんでだろう、と思ったが深くは聞かないことにした。
出会って二日、お互い知らないことが多すぎる。私は自分のこともわからないから、話すことも無いのだけど。
「あ、ねえねえあそこってなんの店?」
「ん?ああ、あそこはカクレオンの店だよ。名前の通りカクレオンが経営してて、救助のためにダンジョンに潜る時に使える道具を売ってる」
丁度いい、買い足したいものがあったんだ。ユウについて私もカクレオンの店に足をむける。後ろ側の棚には、見たことも無い色の木の実や青い水晶玉のようなもの、種のようなものが沢山入ったカゴなどが並んでいて、私はユウの隣でそれらをずっと眺めていた。
「オレンの実を五つとチーゴの実を三つ、あと縛り玉を一つお願いします」
「はいよ。......そこのお嬢ちゃんはどうしたんだい?ついにユウにも春が来たのかい?」
「ちょっ......そんなんじゃないですよ。一昨日出会って、一緒に救助隊組んでもらったんです」
ユウと店主のカクレオンは随分仲が良いようだ。冷やかしのような言葉にユウの赤い体毛がさらに赤くなったように見えた。何照れてんの?と、昨日取得したばかりの蔓のムチを出してユウの背中を軽く叩く。
「仲がいいようで何よりだ。はい、ご注文の品」
「ありがとうございます......」
「ありがとうございます!」
チコリータの低い目線から声をあげると、カクレオンはにっこり笑って「こちらこそ」と言った。
広場を中心としてカクレオンの店や訓練のできる道場、お金を預けられる銀行などなど、施設は思ったより種類があった。どこのお店の店主も優しくて、時折いじられてユウが赤くなり、私はそんなユウを見るのがなんだか楽しくて周り終わる時には上機嫌の中の上機嫌だった。
「そろそろ向かうかあ、ぺリッパー連絡所」
「そーだね!」
新しい買い物でそこそこにふくれた道具箱を持ちつつ、私たちはぺリッパー連絡所へ向かった。
朝起きたばかりのもやもやは、もうすっかり無くなっている。