プロローグ
鬱蒼と生い茂げり、無尽蔵に続く草むらの中を、僅かな月明かりを頼りに突き進む。
細く鋭いカッターの様な葉や、茎から伸びる太く円錐形の尖ったトゲが、既に傷だらけの体を更にボロボロに染め上げていく。
追ってをまくことは出来たのだろうか・・・・・・。
もしかしたら今も自分のすぐ後ろで、追ってきているのではないか。
自らが発する荒々しくも深く短い呼吸や、草木を掻き分ける音のせいで、他の足音を音を聞き取ろうにも上手くいかない。
恐怖に匹敵するほどの不安に蝕ばまれ、歩みは徐々に遅くなっていく。
胸を握られているような不安についに耐えられなくなり、電池が切れたように停止してしまった。
だが三角に平たく尖った耳だけは、機敏に動き周囲の音を忙しなく探る。
何者かが翼を広げて飛び交う音。
何かが着実に近づいてくる様な、迫りくる足音。
もはやどれが本物の音なのか、それとも不安や恐怖が作り上げる幻聴なのか分からない。
唯一分かるのは、やつらに捕まれば確実に殺され、せっかく手に入れたこれも奪われると言うこと。
傷だらけの右手の中に収まる、虹色に輝く小さな結晶を見つめ再び力強く握りしめた。
これだけは・・・・・・、絶対に渡さない。
一瞬、細い枝でも踏んだのかパキッといった音が耳に届いた。
体に羽でも生え、不安と言う名の重力から飛び立てた様に軽かった。
もう止まることは出来ない。
次に止まった時が本当に全ての力が無くなった時だと、無意識のうちに感じていた。
体中を傷つけ続ける草達を無視し、一心に真っ直ぐ突き進む。
やつらから少しでも遠く、一歩でも遠く。
それしか考えられなかった。
どれ程の時間を走ったのかは分からない。
だが残された気力を糧に、無我夢中で草木を掻き分け進み続づけていると、突然目の前が開けた。
そして視線の先にあるものに気づくと同時に、全力で地面に足を滑らせブレーキをかける。
大きな満月から放たれる月明かりを反射し、微かに見える地面は、数十センチ先には無い。
地面の代わりに、どこまでも続く闇夜の世界が口を開けていた。
恐らく落ちれば二度と、目を開けることが出来なくなる深い崖。
だが、勢いづいてしまっているスピードでは、中々止まりそうにない。
これでもかと、歯を食い縛りながら今度は足を前に出して体は後方に倒す。
砂ぼこりを宙に巻きあげ、徐々に勢いを殺しつつも、どんどん崖は近づいてくる。
頼む、止まってくれ・・・・・・!
足に力を入れ踏ん張る他に、もはや祈ることしか出来なかった。
残り30センチ、20、10・・・・・・。
運命のカウントダウンが脳裏に浮かび、消そうにも頭から切り離すことが出来ない。
額から零れた一筋の冷や汗が頬を伝って顎先へと流れ、崖の底へと姿を消す。
足が半分ほど崖から出たところで、ようやく勢いを全て分散する事が出来た。
あと十数センチ程飛び出していれば、奈落の底へと死の扉を開いていたかもしれない。
正直生きた心地はしないが、ギリギリでも生きていた事が嬉しく、地面に仰向けに寝転び空一杯に輝く星を眺める。
自分よりも幾分長い草むらは、やつらから逃げるにはちょうど良いだろうと入ったのが不味かった。
これから何処に逃げれば良いのだろうか。
目の前にはとても降りられないような、断崖絶壁が立ち塞ぐため回り道をしなくてはならい。
だが立ち上がろうにも、勢いが止まった体は疲れとダメージで、思うように動いてはくれない。
一刻も早く遠くへと行きたい気持ちを抑え、少し休息を取ろうと目を瞑りかけた。
「おい、見つけたぞ。こっちだ早くこい」
その時、草むらの方から小声で仲間を呼ぶ声が聞こえた気がした。
不安や恐怖による幻聴とは異なる、リアルで生々しい声だ。
くそっ、もう追い付いてきたのか・・・・・・。
もう体はボロボロで、戦うどころか逃げることすら難しいだろう。
それでも鉛のように重い体に鞭をうち、フラフラしながらもゆっくりと立ち上がる。
ずっと右手の中に収まっている虹色に輝く結晶を、ただで渡すつもりはなかった。
「ったく散々逃げ回ってくれたもんだ、手間かけさせやがって。"
鬼神の魔玉"は返してもらうぜ。」
「ふん、取れるもんならとってみろよ。・・・・・・と言いたいが、この状況で逃げられないのは確かだ。だが、最後まで抵抗してやるよ!」
そう言い"
鬼神の魔玉"と呼ばれた、右手の中の虹色の結晶を口元へと運ぶ。
ニヤッと嘲笑うように目の前の相手を見つめ、そして口元に近づけた
鬼神の魔玉を口の中に放り込む。
結晶が喉よりも大きかったのか、飲み込むと同時に喉に魚の小骨が刺さったような痛みを感じるが、無理やり飲み下していく。
「この崖の下に流れの激しい川でもあると良いんだかな・・・・・・。まぁ、せいぜい時間をかけて探すんだな。」
勝ち誇ったような顔で最後の力を振り絞り、背後の崖の下に向かってジャンプする。
あぁ・・・・・・、短い命だった。
けどあいつらの目的を防げるかもしれないなら、良かったのかもな・・・・・・。
そう思いながら静かに目を閉じ、思考を巡らせるのを止めた。