Repeatの終点 - 第四章 始まった時森祭
二話 声をひそめる森
 目の前が赤く、ちかちかと点滅している。
 そんな風に見えて、椎名はぶら下がった提灯から目を離し、目頭を指で押さえた。ぎゅっと力をかけると、少し痛みが走って、目の奥にじんわりと浸透した。
 体がだるい。
 漠然とそう認識する。椎名は気を取り直すように、折り曲げていた背筋をぴんと伸ばした。
 視界に入るのは、彼女と同様に屋台の外れにある休憩所で、羽を伸ばしている人たち。白いプラスチック製のテーブルと椅子、それに日除けのパラソルが、何個も群生している。
 椎名もその一つに座り、きろりと油断なく辺りを見回した。
 隙のない視線が群衆を通り抜けて、空を飛ぶ生きものが無数に行き交う上空へと向かう。
 その先には、ゆったりと紫色の風船が降りてきている所だった。風船はぷらりと気ままに紐を揺らしながら、椎名に向かって降りてくる。そして、その伸縮自在の紐を椎名の右腕にぐるぐると回すと、その場に己を縫い止めた。
「ご苦労、フワンテ」
 フワンテと呼ばれた風船は、黒い眼をぱちぱちと瞬かせて、ぷわーと気の抜けた返事をした。
 椎名は、フワンテに括り付けていた小型カメラを外すと、早速映像を確認することにした。上空から撮った祭りの映像を、早送りで見る。それは、ますます椎名の気分を悪くさせていったが、忙しなく目を動かして、情報を頭に取り込んでいく。
「……よし、わかった。もう相手方も動いている。こちらも移動しよう。きみは彼女を追ってくれ、接触はしなくていい。用件が済んだら合流をする」
 椎名の発言に、ふわふわと浮いているフワンテが、絡めていた紐を一つ外して、ぴろりとハート型の黄色い手を挙げた。椎名は指を折り曲げて、それを軽く小突く。すると、満足したように、フワンテが右腕の拘束を解いた。
 また風船が、自由気ままに空へと飛び立つ。
 それを見送って、椎名も席を立つと、人混みに紛れた。
 椎名は淀みなく前に進んだ。周りに立ち並んでいた屋台が、徐々に姿を消し、祭り特有の浮かれた雰囲気が薄れていく。騒がしくはあるが、心を落ち着かせてくれる人々の声も、どんどんと背後に遠ざかっていった。
 それにともない、椎名の手が小刻みに震え始める。
 椎名は何も浮かべていなかった顔に、不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、まるで誰かから隠すように手をボトムスのポケットに突っ込んだ。
 辺りに人気はない。すでに道は、舗装された道路から、湿った地面へと変貌をしていた。
 恐らくウバメの森に入ったのだろう、と椎名は思った。確か時森祭は森の近くで行われていたはずだ。
 茂みの葉を揺らさずに歩いていた椎名は、視界の先にある開けた場所で、闇に紛れるかのように止まっているトラックに気が付くと、木陰に身を潜めた。
 あれが、アンファンの輸送トラックか。
 そう確信した椎名は、暗さに慣れた青い目を細め、トラックの近くに複数の人がいることを認識した。数えてみたところ、三人いるようだった。男か女かは判別がつかない。だが、今は気にしなくてもいいことだった。
 三人は何かを取り囲んでいるようだった。ぼそぼそと、低く小さな声が耳に入ってくるが、内容は聞き取れない。
 椎名は、ひっそりと腰のポーチからモンスターボールを二個取り出す。ちらりと中を覗き込むと、意気込むようにかたかたとボールが震えた。
 すると、三人の方からくぐもった声が聞こえ、椎名はぱっとそちらに視線を戻した。
 なおも、口を塞がれたような、くぐもった声が耳に入ってくる。
 三人のうち一人が、それを諌めるように何事かを強い口調で言った。
 曇り硝子のような声が収まる。どうやら、アンファンの構成員が取り囲んでいるのは、無機物の類ではなく、人のようだ。もぞもぞと、三人の足元で何かが動いているのが、椎名の目に見える。
 言葉を口の中で転がすように話していた構成員の声が止まった。
 辺りが、しんと静まり返る。
 虫ポケモンたちの合唱の声さえ聞こえない。生きものたちが、何かを恐れて息を潜めているように、涼やかな森は沈黙していた。
「不自然ね、静か過ぎる」
 三人のうちの一人である女が、椎名にも聞こえるくらいの声で言った。
 椎名は体の力を抜いて、深い青の瞳を光らせた。ポーチに指を走らせて、銀色をした短い筒状の道具を取り出すと、軽く振った。それはしゅっと、小さな摩擦音を立てて、肘の辺りまで伸びた。
「……誰? 隠れているのは、わかってるのよ」
 その言葉と同時に、椎名は自身の存在を知らせるように木陰から飛び出し、三人に向かって走った。
 全員の視線が、椎名を突き刺す。椎名は腰辺りまである茂みを身軽に飛び越え、必要以上に身を低くして着地すると、持っていた筒型の器械を地面に突き立て、起動させた。
 強い光に備えて体を背け、目を閉じたのとほぼ同時に、きゅいんと甲高い音が鳴り、辺りに白い閃光が弾ける。
 眼裏が激しく点滅する。しばらくして、椎名はゆっくりと瞼を持ち上げた。
 筒から広がる白い光は、その力を徐々に失っていったが、辺りを見渡すには丁度いい光源になっていた。
 椎名が首を後ろに回すと、ごく普通の祭り客のような格好をした女が二人と、男が一人いた。三人とも目を強く手で押さえており、苦しげに唸りながらも、椎名の動向を警戒している。
 その足元には、口と手足をガムテープで塞がれ、身動きが取れないでいる少年がいた。赤毛の下から覗く、本来瞳が見えるはずの位置には、しっかりと布が巻きつかれている。
 それを確認し、椎名は二つのボールを放った。
 赤い光が形を成して、バルーンのような丸いフォルムをしている生きものと、大きな体に太い腕を持つ一つ目の生きものが現れた。どちらも霊体であり、ジョウトでは見かけないポケモンだ。
「警察です、少しお話を伺っても?」
 淡々とした椎名の声に、三人が体を強張らせて、己が持つボールへと手を伸ばした。

「すごいね、お姉さん! ボク感動しちゃったよ!」
「……はぁ、そうですか」
 銀色の瞳を、眩しいほどきらきらと輝かせた少年に詰め寄られ、椎名は若干気のない返事をした。その間にも、地面の上で昏昏と眠っている女の手足をガムテープで拘束し、ヨノワールと短く口にすると、呼ばれた大型のポケモンが、トラックの荷台に女を詰め込んだ。
 椎名は話を伺うとは言いつつも、発光により目が潰れた彼らが戦闘態勢に入る前に、フワライドの催眠術で問答無用に眠らせた。そのために、三人はあっという間に眠り姫へと姿を変えたのだ。
 子どもたちが詰め込まれるはずだったトラックに、逆に大人が運ばれていく。
 てきぱきと流れ作業のように、三人を拘束した椎名は、膝についた土を払い落とし、立ち上がった。ぱちぱちと軽快な拍手の音が聞こえ、ぷかぷかと浮遊しているフワライドの隣を、陣取っている少年を見る。
 眉を寄せている椎名とは対照に、赤毛の少年はにっこりと笑った。
「お見事。手なれてるねぇ、ケーサツの人ってみんなそうなの?」
「さあ、どうだろうな」
 無邪気に訊ねられた椎名は、少年から目を離し、トラックに置いてあったトランシーバーをいじり始めた。
「ちょっと怒ってる?」
「いや。……きみも時森祭に来てたのか?」
 椎名の問いかけに、少年はこくりと素直に頷いた。
「森、歩いてたらさ。急に襲われたんだ、この人たちに。ホントびっくりしたよ」
「祭り会場から抜け出しきたのか? 親御さんは?」
「ボクひとりで遊びにきたんだー、すごいでしょ? あっ、でもゴーちゃんもいるから、ふたりか」
 そう得意げに、少年が語る。
 ゴーちゃん、聞き覚えのある名だ。
 椎名はちょっと首を傾げて記憶を探ると、夜明が経営しているカフェを支えているゴーリキーが、そう呼ばれていることを思い出した。
「……こんな夜中に森に来たのはどうしてだ?」
「友だちと会う約束をしていてね」
 ぱちりと器用に片目だけを瞑って、少年がウインクをする。
 それを、椎名は胡散臭そうに無言で見た。
「あっ、そうそう、ボク言葉! 言葉夜明って言うんだ。遅くなっちゃったけど、さっきは助けてくれてありがとう」
 椎名はそこで切れ長の目を丸くし、改めて少年の顔をまじまじと見つめた。
「……夜明?」
 少年は、肩まで伸びた赤い髪を持ち、ちゃんと適度な長さで切られた前髪の下に、銀色の双眸を嵌めていた。動きやすくするためか、浴衣の袖を帯で絞っている少年に、なるほど、と椎名は一人頷く。確かに、あの胡散臭い笑みを浮かべる青年の面影が、そこにあった。
 物珍しさに、椎名がじろじろと夜明を見つめていると、当の本人は困惑したように、先ほどの明るい雰囲気を崩して、目を泳がした。
「えっ……、なに? ボクの顔になんかついてる?」
「……いや。すまない、気にしないでくれ」
「ええー……、たこ焼きのソースとかついてるんだったら、ふつうに言ってよね。そのまんまなの恥ずかしいし」
 顔をしかめた夜明が雑に腕で口元を拭きながら、
「刑事さん、お名前は?」
 と問うた。
 椎名は少し考えたあと、椎名だ、と端的に答える。
 よもや返答してくれるとは思っていなかったのか、夜明が嬉しそうに口をほころばせた。
「よし、じゃあシーナちゃん」
「……シーナちゃん?」
「この人たち、ここに置いたままでいいの? ボク、誰か呼んでこようか?」
「大丈夫だ」
 椎名はポケットに突っ込んでいた携帯を取り出した。薄いタブレット型のそれに、素早く電話番号を打ち込んで耳に当てる。
 しかし、発信音は聞こえても、一向に人が出る様子がない。
 二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
 不可解に思い、椎名が液晶に目を落とすと、いつも立っている扇形の三つのアンテナが不在をしていた。どうやら電波が繋がっていないようだ。デジャヴを感じる。
 同じく不思議そうにしていた夜明が、ふらりと携帯から視線を外した椎名に、小さな声で呟いた。
「それなに?」
「携帯だが」
「折りたたみじゃないの初めて見た」
「……すまないが、人を呼んできてくれるかな」
 椎名はそう訊ねつつ、携帯をさりげない仕草で、夜明の視界から外した。夜明は、それでもなお携帯を目で追う様子を見せたが、椎名の頼みに、いいよ、と短く返答をした。
「だけどさ、気にかかることがあるんだけど」
 真剣な顔をした夜明は、どこか人を煙に巻くような、先の見えない雰囲気を消した。
「ここにいるの、三人じゃん? でも、ボクが捕まったときは、あと二人、別の声が聞こえたんだよねぇ。これってもしかしてさ、まだ居るんじゃないかな、誘拐犯が」
 ジジジっと、ノイズの音がトランシーバーの口から溢れた。
 二人は一旦口を閉じて、お互いに目を合わせると、静まりかえった中でノイズ混じりの声が喋り始めた。
『こちら、〇四。ボスとともに、ウバメの森を北西に移動中。ターゲット番号二と三を確認、今から任務の遂行にかかる』
 その報告を耳にし、椎名はひくりと口角を引きつらせた。
「……こちら、ユウキ。情報をどうもありがとう。今からそちらに向かう。――ヨノワール」
 椎名が惜しげもなく放り投げた通信機を、ヨノワールは危うげなくキャッチすると、白い手袋をつけたような手で、椎名同様に手中のものを惜しげもなく握り潰した。通信機が悲壮な声を上げて、ばらばらと地面に落ちていく。
 夜明は一連の動作を、きょとんと見つめていたが、ぱあっと顔を明るくして、ヨノワールを褒めた。
「きみ、すごいね! 力があるんだねぇ、ボクも一度くらいはそんな風に簡単にやってみたいよ。ねぇ、握力ってどうやったら伸びるのかな?」
 今度身体測定があってさぁ、と続ける夜明に、ヨノワールは少し恥ずかしそうに目元をほころばせて、頬のあたりを指で掻いた。
「そこ、嬉しそうにするんじゃない」
 咄嗟に、椎名が口を挟む。
 まあまあ、と夜明は椎名をなだめるように声をかけて、あっ、と声をあげると、もはや原型のとどめていない、トランシーバーを指差した。
「そういえばシーナちゃん、いいの? あれ、壊しちゃって」
 仏頂面をしていた椎名は、夜明の言葉に、にやりと口の端を上げて、ポケットに両手を突っ込んだ。
「別に構わない」
「んー……? わかった! 勘ぐってくれたほうが、いろいろと動きやすいんだねぇ。むしろ、こっちに来てくれたほうが楽だとか思ってる?」
「どうだろうな」
「うわー、シーナちゃん、あくどーい」
「……どこで、そんな言葉を覚えてくるんだ」
 妙に口の回る夜明を、椎名はじと目で見つめた。そんな疑わしげな視線を、にっこりと陰のない――なさすぎて逆に怪しいのだが――笑顔で夜明は跳ね返すと、
「じゃあ、気をつけてねー、刑事さん。あなたはみんなに注目を浴びやすいんだから」
 そう忠告をして、浴衣の裾が大きく翻るのも気にしないで、軽やかに走り去って行った。
 椎名は元の無表情に戻り、小さくなっていった背中を見送ると、ポケットの中でぎゅっと手を握りこんだ。小刻みに震える手は、あまり力が入らなかった。

■筆者メッセージ
このお話には関係がありませんが、サンムーンが発売されましたね。
私は、最初のポケモンにモクローを選んだのですが、最終進化で草・ゴーストになっていたのに、数日気がつかずプレイしていて、びっくりしました。妙に、悪タイプの技がきくなぁ、って思ってたんですけど、まさかゴーストタイプになっていたとは驚きです。
(2017/3/3)
おなつお ( 2017/03/03(金) 18:47 )