第四章 始まった時森祭
一話 迷子と捜索者
 寛也は畳の上に、仰向けに寝っ転がっていた。小さな足を目一杯広げて寝っ転がっていた。
 彼のこがね色の髪を、首を回していた扇風機が掻き上げる。部屋を仕切る障子からは、外の日差しが当たって、薄暗い室内をほのかに照らしていた。
「……あつい」
 思わず溢れた言葉に、同じくだれたように羽を広げて、身を伏していたキャモメが弱々しく鳴いた。
 きゅるるる。
 舌を転がして鳴いたような声に、おかしくなって寛也はふふっと笑うと寝返りをうった。すぐ近くに、ぺとりと倒れているキャモメを、両手で頬杖をついて見つめる。
「シー、どっか出かける?」
 シーと呼ばれたキャモメは、閉じていた瞼を薄っすらと上げて、己の小さな主人を見た。
 夏、真っ盛りな八月。日陰で、なおかつ扇風機が回っているからといっても暑苦しいというのに、外に出たらどんな地獄が待っているか。
 シーは、不満げに声をあげた。気は確かか、と。
 その意味が伝わったのか、寛也は少しむっと顔を膨らませた。
「……ぼくだって暑いのはいやだよ。でも、家だってこんなに暑いじゃん」
 ねえねえ、とシーの無防備な横っ腹をつつくと、威嚇するようにくわっと黄色い嘴が開けられた。硬質な嘴に指を挟まれる前に、寛也はいそいそとつついていた手を止める。
「どうせ、どこも一緒だよ……、いや待てよ」
 ぱっと彼の脳裏に浮かんだのは、年中ひんやりとしている森の景色。
 ヒワダタウンのすぐ隣にあるウバメの森は、鬱蒼とした樹が生い茂っており、この焼くような光線さえも遮っているはずだ。
「森に行こう、シー! きっと涼しいよ」
 溶けそうなほど、くたりと全身の力を抜いているシーの体を引っ掴むと、寛也は障子を開け放って縁側に出た。日差しが容赦なく照りつける、長い廊下を走り玄関へと向かう。
 びりびりとマジックテープの靴を履いていると、玄関の扉ががらがらと音を立てて開いた。
 祖父だ。広い庭の手入れでもしていたのか、しわくちゃの顔を赤くして、首にかけていたタオルで汗を拭きながら入ってきた。
「あっ、おじいちゃん」
「ん? どこに行くんだ、寛也」
「もりー」
「そうか、そうか。……寛也、生き物たちの様子をよく見ておくんだよ。今日は守り神さまが帰ってくる特別な日だ。何かおかしいと思ったらすぐに戻るんだよ。いいね?」
「はーい」
 毎年恒例の注意を受けて、寛也はまのびた声を出す。
 その様子を祖父は少し思案気に見つめた後、ごそごそと作業着のポケットを探り始めた。靴を履き終わった寛也が立ち上がると、ずいっと軍手をはめた手が差し出される。
 寛也は、ちらりと祖父の赤い顔を見上げ、その軍手の下に手の平を向けると、ぱっと手が開かれて緑色の石がついた首飾りを落とされた。細い紐のついたその石は、何の原理かほのかに光彩を放っていた。
「つけておきなさい」
「お守り?」
「そんなものだ。……ああ、寛也。祠に京子がいると思うから、ついでに呼んできてくれるかな?」
「わかった、姉ちゃん呼んでくるね」
 自分より三つほど上の姉を思い浮かべ、こくこくと頷いた寛也は、板張りの廊下に引っ付いているシーを引き剥がして外に出た。
 寛也の家とウバメの森までの間は、数メートルも満たない。てくてくと歩いていくと、すぐに彼の頭上を木々が覆いかぶさってきた。徐々に気温も下がり、半袖のシャツ一枚では少し肌寒く感じ始める。
 寛也は腕の中のシーをぎゅっと抱え込んだ。
 きゅるるる。
 暑さが薄れてきたからか、シーはぱちりと目を開けて嬉しそうに鳴いた。
 落ちている小枝を踏まないように注意をして、寛也は歩いていくと、道を塞ぐ細い木が一本立っていた。
 寛也はその木の前に来ると、ちょんちょんとシーの嘴をつついた。そして、びしりと木を指差す。
「シー、いあいぎり!」
 きゅる?
 腕の中のキャモメが、不思議そうに寛也を見上げた。
「なんてね。……シーもいあいぎりが使えれば楽なんだけどなぁ」
 そうぼやいて、寛也は獣道に足を踏みいれた。
 首にかけてあるお守りが、歩くたびにゆらゆらと揺れる。背丈の低い草を踏みして奥へと進んでいると、すぐ近くで大きな羽音が聞こえて、寛也はびくりと肩を震わせた。
 シーと共に頭上を見上げると、空へと数羽のホーホーが飛び立っていた。木々の間から、青い空に向かう丸い体が小さくなっていくのを見送って、一人と一匹は顔を見合わせた。
「どうしたんだろう?」
 そこで、シーはぶわりと体を震わせた。
 ぷわー。
 聞いたことのない声が耳に入り、驚いた寛也は咄嗟に茂みに身を隠した。
 その間にも、かたかたとシーは凍えたように身を震わしている。なだめるように小さな頭を撫でつけて、葉の隙間から見える景色に目を走らせると、黒い影が見えた。
 よくよく目を凝らすと、人のようだ。紫色の宙に浮いた物体を引き連れている。
 立ち止まっていたその人は少しして、寛也の視界から外れていった。
 気が付くと、シーの震えも止まっていた。
「……なんだったんだろう」
 寛也は訝しげに呟き、立ち上がると足を速めた。早足で歩いていた彼は徐々にスピードを上げて、ついには駆け足で道を突っ切る。
 はあはあ、と息も荒く祠までやってきた寛也は、その前に姉の京子がいるのを目に留めて、ほっと息をついた。
「姉ちゃん……」
 祠の掃除をしていた京子は、寛也の声に振り返った。長い黒髪がさらさらと流れるように腰元で揺れた。
「あ、寛也。どうしたの、こんな所まで来て」
「おじいちゃんが呼んでる」
「えっ、本当?」
「うん」
 不思議そうに首を傾げた京子は、掃除用具をてきぱきとまとめると、寛也に問いかけた。
「寛也も戻る?」
「ううん、遊んでく」
「そっか。くれぐれも気をつけるのよ? 今日は――」
「森のかみさまが来るから、でしょ?」
 ちょっと大人ぶって寛也はそう口にした。
 京子は苦笑して、ぐりぐりとその生意気そうな金髪をかき混ぜた。やめてよー、と文句を言いつつも寛也の顔はくすぐったそうに笑った。
「ねえ、姉ちゃん。おじいちゃんからお守り貰ったんだ、ほら」
 首に下げている、ほのかに発光している石を見せると、京子は微笑んで、よかったわねと言った。
「私も貰ったわ。お揃いね」
 そう口にして、ロングスカートの腰に巻きつけたポーチから、同じペンダントを取り出す。確かにそれは寛也のものとよく似ていた。
「これ、お守りなの?」
「ええ、祠を管理する私たちと森の神さまをつなぐものよ」
「ふうん」
 まじまじと、寛也は飾り石を見つめた。淡い緑色の光を閉じ込めるように握ると、手の内が少し温かかった。

「はぁ……」
 意図せず、寛也の口から溜息が漏れる。
 おのずと下がっていく頭を、寛也は無理やり上げて、辺りを見回した。
 アスファルトの上に軒並んでいる屋台店は、見回す限り人だらけ。夜だというのに、足元から熱気がじりじりとからだを火照らせてくる。吊るされた赤い提灯は、彼の気持ちを無視して、辺りを明るく照らしていた。
 とぼとぼと歩く寛也の横を、浴衣を身にまとった赤髪の少年が、おいしそうにりんご飴を噛りつつ通り過ぎて行く。
 それを羨ましそうに横目で見やり、寛也はまた溜息を零した。
 いくら周りに目を走らせても、祭りを満喫している人の中に、見知った姉の後ろ姿はない。
 寛也が姉の京子とはぐれて、かれこれ一時間が経っていた。
 人々の楽しげなざわめきのなか、聞き慣れた風をきる音が耳に入り、寛也は足をとめて夜空を見上げた。
 紺色に染まった空には、さまざまな生きモノが飛びかっていた。寛也が今までに見たことのない、おそらく別の地方のポケモンであろう、色鮮やかな鳥たちや風船のような生きモノが空を泳いでいる。
 その中に、旋回している一羽のキャモメを認め、寛也は自身の肩を軽く叩いた。
「シー、戻っておいで」
 呼ばれたシーは、寛也の元へと降りてくる。
 そのまま肩に降り立つと思われたシーは、無遠慮に寛也の頭に着地し、水色のラインが入っている白い翼をたたんだ。
 重たそうに首をもたげつつ、寛也はむうっと口を尖らせた。
「ちょっとー、頭におりるのやめてって言ってるだろー」
 そう主人が注意するのもどこと吹く風で、シーはすまし顔を見せる。それに、ますますむっとしたが、ふと覇気のない顔に戻り、寛也はぽつりとシーに訊ねた。
「……姉ちゃん、みつけた?」
 頭の上の海猫が体を震わせたのを感じ、寛也は表情を暗くした。
「そっか。どこに行ったんだろ……」
 潤んできた瞳を、着ているシャツの袖口でこすった寛也は途方に暮れる。寛也が乱雑にこすった瞳は、まだ水分を含んでいた。
 きゅるるるぅ。シーも喉の奥で困ったように鳴いた。
 祭り特有の明るい雰囲気が、暗い彼らを囲む。
「……なぁ。きみ、時間寛也くんだろう?」
 急に後ろから声をかけられ、寛也はびっくりして文字通りちょっと飛んだ。ぱっと後ろを見ると、姉よりも随分と背の高い、高校生ぐらいに見える少女が、寛也を見下ろしていた。
 その少女は、これでもかと言うほど黒一色だった。髪の色もシャツもベストも真っ黒で、肌の色が白く浮いて見えた。
 無機質な表情のなか、爛々と輝く深い青の瞳が、寛也を捉えている。
 頭に乗っているシーが、身を強張らせたのを感じ、寛也は少女から一歩離れた。
「……だれですか?」
 寛也は警戒しつつ、尋ねた。
 少女はにこりとも笑わなかったが、きつい目元をわずかに緩めた。
「ああ、すまない。きみのお姉さん、京子さんと言ったか、彼女と一緒にはぐれたきみを探していたんだ」
「姉ちゃんのおともだち?」
「いや、ただの通りすがりだ。今から十分後に、入り口で合流することになっている。行こう」
「うん」
 さっさと踵を返した少女の背中を見て、寛也は素直に後を追った。そのまま数歩ついて行ったところで、寛也はおずおずと少女に声をかけた。
「……ねえ、おねえさん」
「何だ」
「そっち反対だよ」
「…………」
 少女はまた踵を返した。振り返った彼女は、ばつが悪そうに苦い顔をしていた。

「おねえさん、この町のひとじゃないでしょ」
 道の端にひっそりと立つ二人を、気に留める祭り客はいない。その流れをぼんやりと眺めていた少女は、無言で寛也の言葉に肯定を示した。
 相変わらず、寛也の頭の上に居座っているシーが、落ち着きなく身を動かしている。柔らかい足でぺしぺしと足踏みされ、寛也はシーの体を優しく撫でてなだめつつ続けた。
「コガネのひと?」
「ああ」
「時森祭ははじめて?」
「たぶん」
「来たことがあるの?」
「……ああ」
「でも、さっき道をまちがえてた」
 律儀に返答をしてくれていた少女が、途端に言葉を返すのをやめた。
 その口からふうっとため息の音がして、寛也はびくりと肩を震わせる。
 さすがに不躾だっただろうか。寛也が恐る恐る少女を見上げると、彼女はきまり悪そうに視線を逸らした。
「……来たぞ」
 少女の視線の先には、人の波に逆らって小走りで駆け寄ってくる、姉の姿があった。提灯の光によって、白い肌がますます赤く染められている。
「寛也! 一体どこに行っていたの」
 京子に詰め寄られ、驚いた寛也は一歩後ろに下がった。
 普段は落ち着いた雰囲気の京子が、きろりと睨んでくるものだから、自然と顔も青くなる。彼の頭に乗っていたシーさえも気迫に押され、かたかたと小刻みに震え始めた。
「どこって、その、……ごめんなさい」
 寛也はちいさな声で呟いた。
 京子は硬い表情をしていたが、弟の無事を確かめて、ほっとしたように詰めていた息を吐き出した。先ほどよりも幾分かゆっくりとした口調で、大きな声を出してしまったことを寛也に謝ると、静かにそのやりとりを見ていた少女に頭を下げた。
「すみません、ありがとうございました。おかげで助かりました」
 少女は、姉弟を交互に見やって、口の端をほんの僅かに上げた。
「いえ、何もなくてよかったです。今日は人が多いですし、くれぐれもお気をつけて」
 そう言って、再度礼を口にする京子を手で制して、少女は人混みへと紛れていった。
 姉弟は、しばしの間その背中を見送った後、どちらともなく顔を見合わせた。
「……寛也、今日はもう帰ろう」
「……うん、明日もあるもんね」
 ちょっと不満そうに、寛也の頭に乗っているシーが声を上げた。
 京子はそれに苦笑し、小さな海猫の頭を、うぶ毛を梳くように撫でる。嘴を閉じて、シーは気持ちよさそうに、黒い目を細めた。
 そこで、京子はあっ、と小さな声をあげた。
「帰る前に、祠によってもいい? おじいちゃんに頼まれちゃったの」
 寛也は、京子の手にあるおそらく供物であろう、果実の入ったバスケットを見て、こくりと頷いた。


■筆者メッセージ
諸事情により、次の更新は来年になりそうです。(2016/09/01)
おなつお ( 2016/09/01(木) 17:36 )