Repeatの終点 - 第三章 そして七月は終わる
四話 明日にさようなら
 甘利が、絹の放ったモンスターボールに近付き、それを拾い上げた。
 絹は黙って甘利を目視するが、動こうとはしない。
「これは返して貰うぜ」
 絹は返答をしなかった。薄々わかっていたのか、甘利は気にした風もなく、倒れたままのニドキングの元に行き、しゃがみ込む。
 甘利の首に、マフラーのように巻きついていたアーボが、絹の方を振り返った。
 唐突に絹が、甘利の背中に向かって何かを放った。アーボが目でそれを追う。ゆるい感じに投げられた紅白のカプセルボールを、甘利は振り返りもせずに片手で受け止めた。手の中のものを確認した甘利は、ぎょっとして目を見開き絹を見上げた。
 甘利の視線を受けた絹は、気まずそうに苦笑いを浮かべてみせた。
「入れてあげてください」
 ふんわりとした声に促され、無言で甘利はこくりと頷いた。
 モンスターボールの赤い光線がニドキングを包み、中に仕舞い込む。
 手にした二つのモンスターボールを、手の内で転がしつつ、甘利は絹に尋ねた。
「なんで急に?」
「これ以上は時間が稼げそうにありませんから」
 絹は未だに微笑みを浮かべてそう言うが、その焦げ茶色の瞳はやり切れなさを滲ませていた。甘利はそれを認め、なお会話を続ける。
「なるほどね。撹乱というわけか。まっ、全員無事に逃げられたんじゃないの」
「全員?」
「なんだよ。違うのか?」
「ええ、甘利さんのその手元にまだ」
 絹が煮え切らない気持ちを口にした。
 ああ、と納得したように小さく呟いた甘利が、手の内のモンスターボールを覗き込んだ。
「そういや、そうだったな」
「あの、甘利さん。一つお願いをしたいのですが」
「聞けるかわかんないけど」
 おおよそ予想がついているのか、そっけなく甘利が答えた。そんなつれない態度の甘利を、絹はじっと見据えた。
「それでもいいです。もしよかったら、私に力を貸してくれたあのこたちを、森に帰してやってはくれませんか」
 甘利はそっと絹から視線を外し、梶木と目を合わせた。ニューラをボールに戻し終えた梶木は、渋い顔をして甘利を見返した。
 それを見て、眼鏡越しで一度目を細めた甘利が、絹に向き直った。
「それは、俺がすることじゃないな。絹自身がしないと意味がないんじゃないか?」
 絹が驚いた顔をして、甘利をまじまじと見た。
 梶木がますます嫌な予感がすると言いたげに顔を歪めて、口を開いた。
「おい。なに言ってんだ。寝言は寝て言えよ」
「俺が寝ているように見えるか?」
 絹に二つのモンスターボールを手渡した甘利が言い返す。
 夢心地な雰囲気で、絹は手元に舞い戻った二対の毒獣を見た。縮まっているニドキングとニドリーナが、奇妙なものを見るように甘利を見上げ、現れた絹にぱっと表情を明るくした。
 梶木はなおも言葉を吐いた。
「んなこと訊いてるんじゃねえ。このくそ忙しいときに感化されている場合か」
「いいや。今日やらずにいつするんだ」
 甘利がユンゲラーと小さく呼びかけ、流れるような仕草で一拍した。
 映像が切り替わったように、ぱっと絹が見ていた景色が変わった。そこは鬱蒼とした森の中だった。蒸し暑い空気が、呆然と突っ立っている彼に襲いかかった。どうやらコガネ郊外にある森林地帯に転移させられたらしい。
 夢ではなかろうか。絹はぱちくりと目を瞬かせ、気が抜けたように笑った。甘利の行動力のよさに、ぽつりと感謝の言葉を零す。
 そして、持っていたモンスターボールを空高く投げた。

 絹が消えた管理室は、疑惑と信頼が混ざり合ったような、妙な雰囲気が漂っていた。
「お前、何を考えてんだ」
 甘利は、同僚の梶木に咎られて首をすくめる。
「いや、だって、まあ」
 ばつが悪そうに、言い訳をもごもごと口で転がす甘利に、梶木がしびれを切らした。
「だってじゃねーよ馬鹿。どうせまた集めんのに、意味のねえことを肯定してる場合じゃねえよ。馬鹿だって絹にも言ったが、お前も相当馬鹿。つーか、どうやってあいつを回収する気だ。まさか、そのまんま外に居させる気じゃねえよな」
「それは大丈夫」
 耳が痛いと顔をしかめていた甘利が、へらっと崩れた笑みを見せた。
「俺のユンゲラーが座標をばっちり覚えてくれてるから」
 なっ、そうだろう? と甘利がひとり呟く。
 瞬きをした瞬間、いつの間に現れたのか、彼の隣に一匹の生き物が立っていた。くるくると手のひらで、三本の銀スプーンを目に見えない力で回している。
 口元から伸びた黄色いひげを揺らし、頷いてみせたユンゲラーを、寛也は注意深く見る。
 やはり居た。
 事の収束を、その外側から見つめ、ひそかに寛也は思う。
 梶木は突如姿を見せたユンゲラーを一瞥し、訝しげに甘利に問いかけた。
「俺が言いたいのはそういうことじゃねえんだけど」
「まあまあ、些細なことは気にするなよ」
「はあ?」
 相も変わらず甘利はへらへらと笑っている。梶木は、甘利の心中を探すように、じろじろとその顔を見た。
「ほんと何考えてんだ? もう、あの機械を動かせないからって、気い抜いてる場合じゃねえんだぞ?」
 急にスポットライトが寛也までを照らしてくる。聞き捨てならない単語を耳にし、寛也はぱしぱしと目を瞬かせて、梶木に焦点を当てた。
「ちょっと待って、それってどういう__」
「あーもうっ、阿呆!」
「はあ!?」
 いきなり甘利に罵られた梶木は、一瞬のうちに寛也の視界から消えた。
 ユンゲラーの手のひらでくるくる回っていたスプーンが一本なくなっている。
 寛也の頭はすぐさま事態を把握し、自分らの立ち位置が悪いことに気がついた。慌てて椎名の元に駆け出そうとした寛也を、甘利がすとーっぷ、すとっぷと気の抜けた声で止める。
 ゆるく言うわりに、ちゃっかりと出口の前に立つ甘利に、寛也は苛立ちを露わにして、舌打ちをした。
「どいて、邪魔」
「まーまー、落ち着けって。時間ねえんだから」
 それはこっちの台詞だと、寛也は思った。時刻はすでに五分を切っている。ここで絶好のチャンスを不意にすることはしたくない。したくないのだ。それなのに。
 甘利の元にいるアーボとユンゲラーに動向を監視され、動こうにも動けない事態にもう一度舌打ちをする。
「何」
 聞く体制に入った寛也に、甘利はほっと息をついた。
「もう気が付いていると思うが、お前があの機械を使ってしようとしていることは、上沼研究科長の耳に入ってる。時を戻せるんだってな、そんな嘘のような、本当のような話をあの人は信じてる」
「だから何」
「普通だったら、そんなこと信じないだろ。常時のあの人だったら鼻で笑って見向きもしない案件だ。でも、お前も見ただろ?」
 寛也は硬い表情を少し崩し、疑問を口にした。
「何を?」
「書類だよ。壁だったか戸棚だったか忘れちゃったけど、そこに隠してあった書類。あれには、お前の筆跡で名前まで書かれてた。そんなものを書く暇も、あんな機械を作る暇もなかったはずなのにさ」
 ほんと、最初見たときは驚いたよ。甘利は苦笑まじりの顔で言う。
「それが決め手だって言いたいのか」
「さあ、他にもあったんだろうけど、あの人の考えていることなんて、俺にはわからねえよ」
 わかりたくもないし、と甘利は嫌そうな顔をする。
 寛也はそのぼやきには答えず、甘利に尋ねた。
「梶木さんが、機械を作動させないようにしたって言ってたけど、椎名さんは無事なの?」
「心配すんなよ、俺はただ機械を動かせないようにしろって指示されただけだ。電力が通らないように止めているだけ。なにも中に入って機械を壊しに行ったわけじゃあない」
 神妙な顔で甘利は、ああだけど、と続けた。
「梶木をここから追い出しちゃったし、察しのいいやつだから、もうバレたかもしれない。椎名さんが無事かどうかは、これからのお前の行動によるな」
 脅しめいているのかよくわからない言葉に、引っかかりを覚えて寛也は眉をひそめた。
「大人しく捕まれてってこと?」
 甘利は、いたずらを仕掛けようとする子どものように、にっと笑った。
「いいや。これでも俺さ、ヒロのこと信じてるんだ」
 あまりの毒気のない言葉に、寛也は硬い表情を崩して、不思議そうに普段の顔を覗かせた。
「なにそれ」

 暗闇のなか、大勢の足音が天井の方から聞こえ、椎名は目を開けた。
 歯車が置かれた部屋は、すっかり暗くなっており、機械が息をしていないことが一目でわかった。
 椎名の頭に嫌な予感がよぎる。
 時間さんに、何かあったのかもしれない。ポケットから携帯を出し、発光する液晶から時刻を読み取った椎名は、眉間にしわを寄せた。
 残り、二分。
 音もなく立ち上がった椎名は、液晶の光を頼りに、錆びた扉へと近付く。積み上がった段ボール箱に、ぶつかることなく歩み寄った椎名は、扉の外から人の気配を感じた。
 先ほどまで感じなかった気配に、動きを止める。
 携帯の明かりを消そうか迷ったが、椎名と扉の距離は十数センチしか離れておらず、外に漏れているだろうと思い、点けたままにした。
 外にいる相手も椎名が近くにいると気付いたのか、とんとんと軽くノックをしてきた。
 なぜ開けて入ってこないのか、そう思いつつ椎名は静かに様子を見た。
「椎名さん、いるよね?」
 聞こえてきた声に、椎名は一度口をつぐんだ。
 予想外の声だった。だが、ある意味予想していた声だった。ふと、寛也以外の人物が自分を探っているという情報を耳にしたことを思い出す。
 寛也の身に何かがあったのを確信した椎名は、警戒を強めて答えた。
「ええ、居ますよ。甘利さん」
「おっ、よかった。無視されるかもと思いましたよ」
 仄暗い場に合わない、安心したような、ゆるい声が返ってくる。
 椎名は足音を立てずに、数歩扉から離れた。背後の歯車から、じじじっと息を吹く返す音が聞こえた。パチンと蛍光灯が音を立てて、椎名を照らす。
「何か御用ですか?」
 すん、と鼻を鳴らして椎名は問う。
 外の階段の方から、駆け下りてくる足音が複数、はっきりと聞こえてきた。
「いや、大した用はないんだけど。君がいる部屋に、あいつらが近付かないようにしなくちゃいけなくなってね」
 その声からは、甘利が何を考えているのか読めない。味方なのか、はたまた敵なのか。黙りこんだ椎名に、ああ、と甘利は声をあげた。
「それと、ヒロから伝言を預かったんだ。ユンゲラー」
 椎名が咄嗟に身構えると、その足元でかしゃんと音が立つ。視線を下げると、銀のスプーンに括り付けられたメモ用紙が落ちていた。
 椎名は黒手袋を嵌めると、恐る恐るスプーンを拾った。見た感じ、なんの変哲もないスプーンだ。持ち手からメモ用紙を外して、中身を開ける。
 メモに書かれた文字を追い、椎名は知らず知らずに眉を寄せた。
「……これは」
「ん? ごめん、聞きづらかったか? ヒロからの……」
「いや、聞こえていました。ですが」
__甘利ィふざけんなぁぁあ!
 聞き覚えのない男の怒号が、椎名の耳に入る。
 ひいっ、と甘利の妙に焦った声が扉越しから聞こえて、問いかけようとした口は開かれたものの言葉を飲み込んだ。すでに甘利への警戒心はなくなっていた。
「読んだ?」
「ええ」
「じゃあ、後はよろしく頼むよ。気をつけて」
 椎名は黙って、腰のポーチに手を伸ばした。緊張でかすかに震える手を、一度ぎゅっと握りしめる。
「わかっています。……大丈夫、恙無く成功させますよ」
 椎名は、くるりと扉に背を向けると、起動し始めた歯車に歩み寄った。
 歯車はランプを点滅させながら、取り付けられた大きさのまちまちなギアを回転させている。目が暗闇に慣れていたせいか、光の加減で目の前の歯車が、滲んでいるように見えた。
 午前零時まで、あと一分。

 午前零時。七月が終わりを迎え、八月が始まった。
 寛也は、壁に打ち付けられた痛みで、軋む体を無理やり起こした。
 管理棟にある、研究所の機能を一身に受けおっている部屋は、今は無残に様相を豹変させていた。モニターは風圧によって画面を破裂させ、部屋に敷き詰められていた大事な電子機器は、内部の部品を撒き散らし、変形して、力なく横たわっていた。
 被害は出入り口付近が特に酷く、そこから複数の足音が侵入してくるのを寛也は聞いて、はっと短く息を吐いた。
 腕の中に匿っていたアーボを放してやると、黄色い目と合った。一瞬、意思疎通が取れたような奇妙な感覚を味わう。一人と一匹、先に目を逸らしたのはアーボの方で、そのまま暗闇へと紛れて行った。
 研究所に、また暗い静寂が戻っていた。
 室内に、無数の光線が交差する。
 床を重く踏みしめる足音が近づいて、機械の壁に背を凭れている寛也に光が当てられた。不躾に顔を照らされて、眩しさに眉を寄せる。真っ赤に染まった瞳が怪しく揺らめいた。
「ここまでするとは思わなかったか」
 研究所の最高責任者である、上沼の声が頭上から落ちてくる。
 寛也は問いかけに答えず、猫のように目を細めた。
 ちっ、と上沼が大きく舌打ちをして、連れてきた部下に、地下の増援をしろと命令する。複数の足音が、その場を離れていき途絶えた。
「残念だったな」
 寛也がきろりと目を開き、上沼を見上げる。
「これでお前の目的は達成できなくなった。詳しい事は別室で聞く。覚悟しとけ」
「……そんな余裕ありますかね」
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ」
 上沼は黙った。
 時計に目を走らせると、時刻はすでに零時から二分ほど経っている。研究所の機能も停止していることから、電力が配給されず、寛也が造った歯車も使えない状況だ。
 それなのに取り乱した様子を見せず、ひどく落ち着いている寛也に、上沼は思考し、はっと目を見開いた。
 すぐさま、通信機に吠える。
「おい、聞こえるか! すぐに、部屋の女を……、ッ!?」
 不意打ちだった。
 跳躍した黒い影に、手の中の通信機を弾き飛ばされる。懐中電灯で襲撃者を照らすと、しゅるりと紫色の尾が、暗闇に紛れるところだった。
「くそッ、甘利のやつ裏切りやがって」
 上沼が苦々しい声を、口から吐き出す。
 ぐしゃりと通信機が噛み砕かれたような音が聞こえ、寛也は薄く笑った。
「歯車は一つだけじゃない。地下室にある歯車が使えなくても、彼女の行き帰りのために渡した小型版がある。不測の事態が起こった時、それを使って戻るように、甘利に伝言を頼みました」
 ぎろりと、上沼が怒りの籠った目で、寛也を見下ろす。
 また強烈な光を当てられながらも、生意気な少年のように口の端を上げ、目をぎらぎらと赤く反射させている寛也が言った。
「今回は俺達の勝ちだ」
 寛也の見ている世界が、急に不規則に歪んだ。

■筆者メッセージ
(2016/07/21)
かなり時間が空いてしまいましたが、無事に(と言い張りたい)三章を終わらせることができました。
次回は、四章に突入します。
おなつお ( 2016/07/21(木) 21:35 )