第三章 そして七月は終わる
一話 では行動開始

「おはよう。みなさん」
 朝から壇上で、機嫌よく女は喋る。きれいに整列した彼女の団員に向かって。
 団員の後ろ、女の顔がぼやけて見えるぐらい離れた場所で、研究員たちも並ばされていた。寛也もその一人。ぼさぼさの金髪はくすんだ色をしており、燃えるように赤い瞳を眠たげに半ば瞼が隠している。
 そんな彼の周りも、顔に色濃く疲労が表れていた。
 今日までにある程度の研究の結果を出すため、徹夜が続いていたからだ。それに関わっていた研究員は、度々膝から崩れ落ち医務室に運ばれている。興味のない話を聞くぐらいなら寝たいところだと、寛也はさっきから倒れる音を聞くたびに、医務室で安眠を貪る研究員たちを羨ましく思った。
 女の話は終盤に差し掛かる。
 アンファンの創設者である、水無月という名の女は、大勢の目に晒されてもなお堂々としている。話しの内容は大衆を諭すものでも、コントロールするものでもない。ごく普通のとりとめもない事を喋っている。何せここに集う者たちの目的は、多額の金銭を得るためだからだ。
 水無月の声が聞こえなくなる。
 寛也は無意識にしわを寄せていた眉間をほぐした。あの声はどうも耳に障った。
 女が集会場から退出し、団員が持ち場に戻っていく。先ほどまでの静けさが嘘みたいに、声が溢れ返っていた。
 寛也も持ち場に戻ろうと歩を進める。出入り口付近で甘利が研究員の男と話しているのが見えた。甘利は視線に気付いたのか、片手をあげて寛也を呼ぶ。そのまま通り過ぎようとした足の向きを気まぐれに変えた。
 近付いてみると、話し相手の男は実験体収容室で見かけたことのある顔だった。気怠げな横顔を見せ、壁に寄りかかって立っているさまは、いかにも不本意でこの場に止まっていると語っている。
 寛也は二人に声をかけた。
「なにしてんの、そんな隅っこで」
 甘利が頼りなくへにゃりと笑い、答える。
「今から上沼研究科長のとこに呼ばれたから行くんだよ。俺と梶木、あともう一人で」
「へえ」
 短く相槌を打った寛也を、梶木と呼ばれた男は目に留めた。
「そういえば、ヒロさ」
「ん?」
「たしか初対面だったよな。こいつと」
「ちげえよ」
 ぶっきらぼうな言いようで梶木は否定し、会話に入ってくる。
「たしか二度目ましてだよな?」
「そうですね。収容室で一度。あの時はどうも」
「お、いつの間に。なんか遭ったのか?」
「いや、特にはなかった。ただ実験体が逃げて、時間に噛み付いたぐらいか」
 甘利の黒い瞳が驚きで真ん丸になった。
「は? え。それ、特になかったじゃねえだろ」
「まあ、そうだな」
「そうだな、っておい」
 飄々と答える梶木に片頭痛でもしてきたのか、甘利は眼鏡を外し眉間をほぐした。梶木は話す相手を替え、寛也に問いかけた。
「もう傷のほうは大丈夫か」
「おかげさまで」
「そうか。わりと浅かったもんな。もう治ったか」
「ええ」
「それはよかった」
 甘利が眼鏡をかけ直し、ふと寛也の肩越しから会場の出入り口へ視線を向けた。慣れた様子で寛也を呼び寄せたように片腕を上げる。
「おーい、川原!」
 寛也は振り返って後ろを確かめる。これまた見知った女が、人で出来た波に乗って会場を出ようとしていたが、足を止めてこちらに向かってきた。
 隅でこそこそと話している三人に、川原は言う。
「なにしてるんです?」
 冷たい響きをもつ声は、若干元気がない。
 邪気のない笑みを浮かべ、甘利が彼女の問いに答えた。
「談笑してた」
「そうですか。なら私には関係がないみたいなので帰らせていただきますね、それでは」
「ちょ、ちょっと待って。用があったから呼んだんだけどっ」
 そのまま踵をかえして出入り口に足を運ぶ川原を、甘利が必死の形相で止めにかかる。
 くるりと進行方向を変え、川原が戻ってきた。
「それ、はやく言ってください甘利さん」
「あっ、はい。すみません。……って、なんか釈然としないな」
「それで用件とは?」
「ああ、上沼研究科長が部屋に来いって」
「そうですか」
 平然と答えつつ、川原は嫌そうに顔を歪めた。声音に嫌悪の類は一切混ざっていない。器用なひとだ、と寛也はひそかに思った。
 おい。梶木が寄りかかっていた壁から背を離し、口を開いた。
「川原が来たし、そろそろ行くぞ」
「私待ちでしたか」
「ん。まあ、そんなところ」
 甘利がへらりと笑って言う。
 寛也は黙って、その様子を見ていたが、すこし気になって口を挟んだ。
「珍しい面子、ですね」
 三人の目が寛也を見る。寛也は居心地の悪さに、かすかに身をすくめた。
 寛也の言葉に、そうだろうかと考えるそぶりを見せ、甘利は口を開く。
「これでも同時期に、ここへ来たしなぁ。まあ、そうでもないと思うけど」

 電灯に照らされた廊下を、椎名は革靴の音をたてて歩いていた。肩に届くまでの黒髪が、窓の外に広がる色と同化しており、身につけている物も黒一色。まるで、自ら率先して夜に溶け込もうとしているかのようだった。
 時差、時刻が気になるのか、腕時計に椎名は目を落とす。小柄な針は、ちょうど九を指していた。
 後ろから足音が、椎名に近づいてくる。
 足音の主はハイヒールを履いているのか、高い音が廊下に響いた。椎名は立ち止まり、音が聞こえる方へ振り返った。
 女が一人いた。
 四十代あたりだろうか。艶やかな茶髪を後ろに流し、唇にぱっと目を引くほどの紅をひいていた。
 彼女は椎名に目をとめ、にっこりと微笑みかけて言った。
「あら、こんばんは」
「こんばんは」
 椎名も笑みを返した。
「貴女、見回りかしら?」
「はい」
「私、道に迷っちゃったのよ。上沼の部屋に行きたいんだけど、場所わかる?」
 椎名は、研究所の見取り図を頭の中で広げた。
 上沼、ということは、研究科長がいる部屋に連れて行けばいいのだろう。ここからは、わりと近い。この上の階にあるみたいだ。
 椎名は女に軽く頷いてみせた。
「ええ。此方です」
 歩き出した椎名のあとを、女がついてくる。二つの影が廊下に伸びた。
 革靴がたてる低い音と、ハイヒールが響かせる高い音が静寂を無くさせる。椎名は後ろから視線を受けながら、角を曲がって階段を上り、女を研究科長の部屋まで案内した。
 部屋の近くまで来て、椎名は足をとめて女の方を見る。
 女は鮮やかな唇に微笑みをのせていた。
「助かったわ。もう持ち場に戻っていいわよ」
 椎名は恭しく会釈をして、女の横を通り過ぎる。香水のフローラルな甘い匂いが鼻をとおった。柑橘系のような爽やかな匂いではなく、ただ甘い。桃だろうか、と椎名は推測する。
 背後からの視線は途切れ、扉の閉まる乾いた音が聞こえた。
 階段を下り、すんと椎名は鼻をすする。
 あれが、アンファンの頭首である水無月か。
 先ほどの女を思い浮かべ、もう一度椎名は鼻をすすった。滞りなく見回りを終えるため、持ち場へと足を速める。

 腕時計の針が十一時を指す頃。歯車が置かれた地下の部屋で、寛也と椎名は顔を合わせた。
 数分前に来ていた寛也は、あとから来た椎名に目を向けた。
「こんばんは、椎名さん」
「やあ。遅かったか?」
「いや。丁度いいぐらい」
「そうか」
 挨拶もそこそこに、椎名は物珍しそうに青い瞳を動かし、部屋を見渡す。
 室内は、段ボール箱が天井に届くぐらい高く積み上げられており、何本ものタワーができていた。身を隠しやすそうで、かくれんぼでもしたら、見つけるのに一苦労しそうだ。だが、不思議と乱雑さは目に付かない。まるで、引っ越し前の整頓された部屋を思わせる。
 椎名は奥に目を通した。そこには、歯車と呼ばれる機械がひっそりと佇んでいた。
 歯車は名前のとおり、大小さまざまな歯車が取り付けられていた。小さなランプが、ちかちかと点滅している。右の側面からは黒いコードがはみ出していた。まるでモンジャラの蔦みたいに絡まっていた。
 椎名は寛也に目を戻す。律儀に待っていた寛也は、椎名に訊ねた。
「準備は大丈夫?」
「ああ。これでもベストの下に防弾製のものを着ているんだ」
 にやりと口角を上げ、椎名は答える。
 それはどういう準備なのだろうか、まさか撃たれることを前提に着てきたのだろうか。
 寛也は不安を隠さずに微妙な顔をして、気をつけてね、と黒ずくめな彼女に言った。そして手元から、ルービックキューブと同じぐらいの大きさをした、小型の機械を取り出す。
 四角形の機械を手渡された椎名は、不思議そうな顔をして訊ねた。
「これは?」
「戻ったら、そこにいるままって訳にはいかないでしょ。行ったら帰ってこないと。それは歯車を小型化したものなんだ。それで、ここが起動スイッチ。対象はこれを手にしている人物だけ。それと、壊れやすいからあまり衝撃を与えないようにして」
「なるほど。……わかった。気をつけるよ」
 教えられたことを一度反復して、椎名は丁重に小さな歯車をウエストバッグに入れた。
「危ないと思ったら、すぐにそれを使って帰ってきて。いい?」
「ああ」
「絶対だよ?」
「わかってる」
 あっさりとした答えを返す椎名に、寛也は疑わしげに覗き込んだ。
「ほんと、分かってる?」
「わかってるよ」
「……そう」
 寛也は白衣のポケットに両手を突っ込むと、曲げていた背筋を正した。腕時計で時刻を確認した椎名が、すんと鼻を鳴らす。
「零時に動き出すんだよな」
「うん」
「あと、およそ一時間後か……。それまで暇だな」
 椎名は、腰を下ろすのに適した段ボール箱を見つけると、遠慮なく座った。足を組み、とくに緊張した面持ちを見せない椎名を、寛也は落ち着かない気持ちで見下ろした。心なしか、じと目ぎみだ。
「なに勝手に座ってんの」
「立ちっぱなしは疲れた」
「それはそれは。見回り、大変でしたねー」
「言葉が棒読みだぞ、時間さん」
「わざとだから」
「わざと」
「ていうかさぁ、少しは緊張したりしないの」
 椎名は青い瞳を遠くに投げ、考えるそぶりを見せた。
「んー……。ないな」
「いや、そこは嘘でも肯定するとこだろ」
 寛也は即座に返した。
 ご期待に添えず、悪いことをした。と椎名は思ってもいないことを苦笑いとともに言い、逆に問いかけた。
「なら、きみはどうなんだ? やっぱり緊張するのか?」
「っ、まあ、それはそれなりに。……だって、送り出すんだよ? 上手くいくかなんてわからないし。正直、ちょっと怖いのかもしれない」
「ふむ。けど、そうだなあ……。大丈夫だ。心配するな。無理だったら、次よろしく頼む」
「なにそれ、不吉すぎる。勘弁してよ」
 顔を強張らせて寛也は、椎名の申し出に断りを入れる。
 椎名は苦笑いを返すだけで、返答はしなかった。
 ちらりと真っ赤な瞳が、周囲を見た。自分の体重に耐えられるほど、中身が詰まった段ボール箱を引っ張りだすと、寛也はそこに腰を落ち着ける。そろそろ立ち話は疲れた。
 手を突っ込んでいたポケットから、片手を出す。その手には深い青緑をした石のペンダントが握られていた。石はつるんと丸い形をしている。
 寛也はそれを無造作に、椎名へと投げた。急なことに関わらず、椎名はペンダントを難なく片手で受け止める。
 寛也はお見事、と口にして言った。
「あげる」
「……あげる?」
「それ、お守りだから。気休め程度だけど。随分まえに、じいちゃんがくれたんだ」
「え、大事なものじゃないのか」
「いい。あげる。だからさ、帰ってきたら俺に終わったって報告してくれない? たぶん、聞いても意味がわからないって顔をするだろうけど」
「別にそれは構わないが……。いいのか?」
 渋る椎名に苦笑しつつ、寛也は小指を差し出す。
「いいよ。じゃあ、約束」
 椎名はちらりとそれを見とめ、こんな歳にもなって指切りをするのか、と少し複雑な気分で呟き、結局のところ小指を絡めた。二人の声が重なる。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますっ、指切った」

 ひっそりとした暗闇が、地下に設けられた部屋を埋め尽くしている。
 そこは深く深くに作られた、広い空間だった。規則正しく並べられた檻。中には、さまざまな種類の生き物が入れられていた。収容室のケージには入りきらなかった、大型の生き物たちだ。
 その一つで、彼は横たわっていた。
 床は冷たく、力なく倒れている彼の体から、容赦なく体温を奪っていく。彼の横では、対のような姿をした彼女が、同じように倒れていた。
 彼は虚ろに目を動かし、前方を見つめる。白い光が一筋差した。彼らの淡い紫色をした体に、鉄格子の黒い影がのぼった。
 近づく足音。鉄格子に挟まれて、立ち止まった人の足が彼の目に映る。彼はのろのろと視線を上にあげた。
 男がいた。見知った男だった。
 彼は怠そうに前足を動かし、隣の彼女を小突いて起こした。
 珍しく鉄格子の扉を閉めないで、男がこちらに向かってくる。立ち上がるのは億劫だったので、彼も彼女も倒れたままでいた。近づいてきた懐中電灯の明かりが眩しくて、彼は目を細めた。
 男の焦げ茶色をした瞳が、彼らの目にはっきりと映る。
 角が生えた頭を、優しい手つきで撫でられ、彼はゆっくりと瞳を閉じた。
「……遅くなってしまいすみません」
 小さな謝罪が、彼らの耳に入る。
 彼は目を開けた。
「私に……。私に力を貸して頂けますか?」
 剣呑な瞳がすぐ近くにあり、彼は一度彼女の意思を確かめると、不敵に牙をみせて男に笑いかけた。鋭い目をした男も弱々しく微笑み返す。なんだか瞳と口元の感情がちぐはぐである。
 彼はなんとか上体を起こした。
 男が白衣のポケットから、ごつごつとした石を取り出す。深い青緑色の綺麗な石だった。一目でそれがどういったものか、彼は本能的に察した。前足を伸ばして、躊躇なく石に触れる。
 男の持つ懐中電灯が発する光より、眩い光線が鉄格子の外へと溢れた。


おなつお ( 2015/06/19(金) 20:49 )