Repeatの終点 - 第二章 噛み合った歯車
六話 からっぽなマトリョーシカ

 火花が飛び交う。仄暗い視野では、それが鮮明な色を持っていた。
 不協和音が腹ただしげに叫ぶ。きっと地上には聞こえていないのだろう。なにせここは地下二階だからだ。
 鈍い振動のせいで、アーボに噛まれた腕が鈍い痛みを訴えた。
 寛也は手をとめて、目を保護していたゴーグルを上に押し上げる。
 彼の目の前には、ついに繋がった黒い線があった。これからまだ数日ぐらいはかかると思っていたので、終わるにしてはすこし呆気ないような気がした。
 時間をスキップしてしまったような感覚に、寛也は一度目を瞑った。すなおにやった、と喜べない気持ちがしこりのように心に残る。
 目を開けた寛也は手を伸ばして、歯車の側面をそっと押してみた。すんなりと長方形の鉄板が、歯車の中へと落ちていく。
 暗い大きな口が寛也を見返した。手袋を外し、懐中電灯で口の中を照らす。
 切れたコードがぶら下がっていた。それも嫌になるほど何本も。
「あーあ」
 苦い思いが寛也の口から枝垂れる。
 鉄板を切ると同時にコードも切ってしまったらしい。何ということだ。
 数秒それを見ていた寛也だったが、とぼとぼと作業に使った道具を片付けはじめた。開けた穴は隠さないでそのままにしておく。
 今日は用事があった。勇希が消えてしまったあの人と姉妹関係であるかどうか、確かめなければいけない。
 夜明の店は深夜より早く行くと他のお客さんと被ることはなかった。だから、内密に情報を確かめられると寛也は知っていた。
 現在、九時すぎ。早すぎるくらいだ。
 寛也は道具を研究所の隣にある倉庫へ返しに行った。途中、倉庫内で管理人と挨拶を交わす。彼と一緒にいた女性は、見たことのない人だった。
 甘利が言っていた、自分たちを監視する一人なのだろうか。
 寛也はちらりと女性に目をやり、倉庫をあとにした。
 よく見ればちらほらと寛也の知らない人がいる。それが新しく来た人なのか、元からいたけど会ったことがない人なのか。
 どちらでもいいか。寛也はそう思い、歩き続ける。

 収容室に入って電気を点けると、絹がデスクに突っ伏して寝息を立てていた。お疲れのようだ。
 誰もいないと踏んでいた寛也はしばし固まり、なにか掛けられるものはないだろうかと探した。いまは七月の中旬、夏真っ盛りだが研究所内はエアコンが冷気を吐き出しているため、風邪をひく場合があった。
 這うような音とともにアーボが姿を現す。寛也は素早い身のこなしで後ずさった。そんな寛也に、アーボはちらちらと赤い舌を見せるだけで何もしてこなかった。
 肩の力が抜ける。どうやら上司が危険性なしと判断するぐらいには、落ち着いた態度をとっているらしい。
 急にアーボはデスク群の下に行ってしまった。
 布をこするような音に、怯えを隠しつつ寛也は蛇のほうを見にいく。掛けられていたのだろう、布が絹の後ろに落ちていた。アーボはそれをくわえ、寛也に黄色い目を向けた。穏やかな眼差しに、思わず寛也は目を合わせる。
 掛けてやれ、ということだろうか。
「……ありがと」
 絹を起こさないよう小さくお礼を言い、掛け布を受け取って軽くごみを払った寛也は、眠りこけている丸まった背中へ慎重に布を被せた。アーボは満足げに笑みらしきものを浮かべる。不思議なことに、あたたかさが胸をつついた。
 寛也はすこし躊躇いながら頭を撫でてみると、アーボの黄色い双眸が嬉しそうに細まった。
 昔よく一緒に過ごした海猫を思い起こさせて、すこし懐かしくなる。
 あいつ、どうしてるんだろ。
 ふと浮かび上がった疑問を奥のほうに押しやり、寛也はアーボからそっと手を離した。
 いまは何時だ。真っ赤な瞳が時計を探し当てる。
 九時半だった。こわいほどあるファンシーなぬいぐるみから、ケーシィ君三号をつまみ出す。絹の睡眠を妨げないように部屋の電気を消して、アーボにばいばいと手を振り、ケーシィ君に隠されたスイッチを押した。
 こういう行動をする人を見飽きているのか、とくにアーボは反応せず寛也を見送る。それが瞼の裏で印象的に残った。

 活気的なコガネシティ特有の、溢れるような音が聞こえなくなっている。研究所内では滅多に味わわない、発火させてくるような暑さが、先ほどから寛也に押し寄せてきていた。
 俯いていた寛也は顔を上げた。小さな板に書かれたクローズの文字が、扉にぶら下がっている。
 少しの間、寛也は緊張した面持ちで立ち止まっていた。それからやっとドアノブに手をかけて力を加えた。決して暗く見えない焦げ茶色のあたたかな店内が彼を迎え入れた。
 その店の主人が優雅に立ち上がって言う。
「いらっしゃいませ」
「どうも」
 寛也は店内に充満している冷たい空気を閉じ込めた。笑顔のすてきなウエーターにさそわれてカウンター席に着く。
 店の主人である夜明は透明なポットに入った紅茶を注ぎ、ゴーちゃんと呼ばれるゴーリキーが寛也の元にそっとカップを置いた。サービスらしい。
「今までよく待てたね、時間くん」
 からかいの含まれた物言いに寛也はむっとした顔で返す。
「ちゃんと調べてくれたんですよね、夜明さん」
「もちろん」
 自信たっぷりに夜明が答えた。
「えっとねぇ。いい情報と悪い情報、どっちが先に聞きたい?」
 ぽかんとした寛也は、胡散臭い笑みを浮かべる夜明を見た。
「それは、どういうこと?」
 低い問いかけの声には答えず、夜明は自分が飲む分を注いだ。ゴーちゃんは店内に置かれたテーブルに台布巾を持って向かっていく。
「やっぱり悪いほうが先でいい? その方が、話が進みやすいし」
 あっけらかんとした態度に、気の抜けた寛也の声が答える。
「はあ……、どうぞ」
「ありがとう。君、たしかアンファンの研究所に導入された、志木勇希って子の情報が知りたかったんだよね。その知りたいことが家族構成とその関係。あってる?」
「ええ」
「んー、それがねぇ。その情報が見当たらないんだよ」
 ふーん、と流しそうになった寛也は我に返る。
「は? どうして?」
「いやね、その子の家族構成はわかるんだ。彼女には両親がいて、姉ひとりと、妹がふたりいる。だけどその先が一切見つけらないんだよ。どんな家庭で育ったのか、姉妹と仲がよかったのか悪かったのか。それがわからない」
「わからない……。え、なんで」
「何でと言われても困るねぇ。志木勇希という、上辺だけの情報しか見当たらないんだから」
「上辺だけ……」
 寛也は思考を巡らす。夜明は寛也の顔がいささか青くなっているのに気が付いた。
「それで、夜明さんの結論はどこに?」
「なぜ見当たらないかっていうことに対しての?」
「はい。ちゃんと調べてくれたんですから」
「まあね。ていうことで、志木勇希の詳しい情報は見つからなかった。これが悪い情報」
「いい情報は」
「いい情報。椎名岬、それが彼女の本名。志木勇希って偽名だね。そりゃあ、血眼で探しても見つからないわけだ」
 感心したように、うんうん、と頷く夜明。寛也は言葉を無くした。夜明が口にした名前が胸につかえる。肌がほかの人と比べて白いせいか、際立って顔色が悪くなった。まるで幽霊の声を聞いたようである。
「だって彼女、マトリョーシカじゃないんだもん。考えられることはそんぐらいだよ」
 マトリョーシカ? 言っている意味がわからない。
 置き忘れた物の居場所を思い出すみたいに、寛也はこれでもかと頭を悩ました。
「えっと、名前を偽っているってこと?」
「正確に言えば、名前も経歴も偽っているってことだね。んー、もしかしたら容姿も違うんじゃない、本来とは」
 夜明は喉を潤すため冷たい紅茶に口をつける。
 彼の言葉が繰り返し脳内に聞こえ、やっと事実を咀嚼できた寛也もそれに倣った。いつもより味が薄いような気がしたが、ぐいっと飲み干す。
 夜明がクッキーを食べるか訊いてきたので、寛也はありがたく頂くことにした。
 紅茶を飲むように、すうっと物事が頭に入ればいいのに。そんな願望を、クッキーを用意してくれている夜明の背中を見て思う。
 だんだんと気持ちが落ち着いてきた。寛也が思ってもみない方向に転がっていく会話は、これ以上聞かないほうがいいのではないか、と考えてしまう。
「……マトリョーシカとは」
 寛也は疑問を口にする。夜明がクッキーを入れた皿を、問いかけてきた彼の前に置いた。
「時間くんは知ってる? マトリョーシカ」
 寛也は埃が積もった記憶を叩いて取り出してみる。
「……あの木でできた女の子の人形でしょ。その女の子をぱかって開けると、中に一回りちいさい女の子がいる。その女の子をぱかって開けると、またちいさくなった女の子が……ってやつでしょ?」
「うん、それそれ。なんか似てない?」
「似てる?」
「何かのことについての情報って叩けば叩くほど出てくるじゃん。それが開けたら姿を現すマトリョーシカに似ているなって」
「……見つからないときもあるじゃないんですか」
「まあ、例外はどんなものにも言えることだよ。隠されたらいくら探しても出てこないしね。でもそれが途切れることは滅多にない。僕らが気付かないだけで、見えないだけで、それはどこかに埋もれている」
「ふむ……」
「で、志木勇希。彼女はマトリョーシカじゃなかった。開けたって中身がからっぽだよ。誰かさんが内密に隠しちゃったんだろうね。じゃあ簡単な話、探し出せばいい。そして僕等が取り出した中身が、椎名岬」
 大変だったよねー。夜明はゴーちゃんに意味ありげな視線を送り、苦笑したゴーちゃんが小さく肯定の意を示した。ぼんやりと夜明の声を耳にしていた寛也は、ぽつんと置いていかれる。
「え、それは彼女のことがわかったってこと?」
「うん」
 いやにすんなりと夜明は答えた。
 寛也は安堵して、細々とした溜め息を吐く。なんだかこの数分間で、とてつもなく体力を消耗した気がする。
 まだ青い顔をほっとした表情に変えた寛也に、夜明が封筒を差し出した。
「これだよ。だいぶ説明が長くなったけど、どーぞ。椎名ちゃんの情報が選り取り見取り。それと、君が見たあとはうちで処分しようか。それとも自分でする?」
 夜明は情報が入った封筒をぶらぶらと左右に揺らす。
「読んでから帰るので、あとの始末はよろしくお願いします」
「わかった。この時間はもう誰も来ないと思うから、安心して読んでねぇ」
 寛也はこくりと頷く。深く息を吸い込んで吐き、気を引き締めた。
 封筒を開けて事実を見る。
 椎名岬についての内容は、依頼とは関係無いところも簡潔に記されていた。寛也はだいぶ端折って文章に目を通す。ほとんど読んではいない、とある部分を見つけることに集中していた。
 あった。寛也はそこに注視する。

 書類を注視して動きを止めた寛也。不思議そうに灰色の双眸を細める夜明。
 店内にお客が来訪したのを告げる鈴音が静寂のなかで響く。寛也は固まったまま。はっとした夜明はカフェの入り口に視線を移した。ゴーちゃんもテーブルを拭く手を止めて顔を向ける。
 一人だけの来客。少女が立っていた。十代後半ぐらいに見える少女は、深い青に染まった鋭い瞳をわずかに開けて驚きを示していた。彼女の後ろにある扉がやっと閉まる。
 最悪のタイミングだ。夜明はすべてを微笑みに包み込んだ、いつものように。
「やあ」
 彼女は挨拶に返事をしなかったが、ぽつりと小さな言葉を零した。
「時間が……なぜ、ここに」
 固まっていた寛也は来客を認識したのか、のろのろと首を右に向けた。彼女を目にした途端また完全に停止したが、心配そうに夜明が大丈夫〜と目の前でひらひら手を振ると、意識を取り戻した。彼の中で仮定は確証に変わる。もの凄く言いたくなさそうに、彼女の名を口にした。
「志木さん……いや、椎名さんか」
 困り果てたように、椎名と呼ばれた少女は微笑んだ。特に肯定も否定もしない。
「時間さん、こんな所で何をしているんですか? 本来ならあなたは、ここにいないはずなのに」
「空気が悪かったから出てきただけだよ」
 そう寛也は返し、何も言わなくなった。
 椎名は寛也の前に置かれた書類等を目にとめ、自分の置かれた状況を察したのか、研がれた青い瞳で夜明を見た。蛇が蛙をその場に射止めようとするような目だった。夜明の周りだけが氷漬けになる。彼女は柔らかな微笑みを削除していた。
 おー、こわいこわい。夜明は飄々と冷ややかな視線をかわす。
「お前か、夜明」
 人が変わったように、椎名は女にしては低い声を発した。どうやら、夜明が自分の個人情報を寛也に渡した、ということに気付いたようだった。
「あー、ごめんって。頼まれちゃったら断れない性分でねぇ」
 夜明は精一杯茶化してみるが、視線の冷たさは変わらない。
「まあ、積もる話が二人ともあるだろうけど、まず椎名ちゃんは座ろう。ね?」
 夜明は笑顔を振りまいて場を取り持ち、穏やかにゴーちゃんは椅子を引いて椎名が座るのを待った。椎名は立ち止まっていたが、観念したように寛也の隣に腰を下ろして、アイスコーヒーを、とゴーちゃんに頼んだ。



おなつお ( 2015/02/16(月) 19:24 )