Repeatの終点 - 第二章 噛み合った歯車
四話 不眠症な毒蛇

「時間さーん!」
 廊下を震わせる少女の声は背後から寛也を襲い、その場に縫いつけて止まらせた。寛也は首だけで後ろを振り返ると、実験体収容室に配属されている結花がこちらに駆け寄ってきていた。
 走ってきた結花は嬉しそうに笑みを咲かせた。
「久しぶりだね時間さん! どこかに消えちゃったのかと思ったよ。今まで何してたのー? もしかしてまた上沼研究科長にねちねちと言われて……いや、待てよ。あ! それとも今度は……」
「ちょ、ちょっと待て」
 焦ったように、矢継ぎ早に質問を重ねようとしていた結花が、開けていた口を閉じる。こちらの話を耳に入れてくれる余裕はあるらしい。
 熱のある結花とは対照に、寛也は落ち着いて挨拶を述べた。
「まずお久しぶり、結花ちゃん」
「うん、お久しぶり」
 早口だったので聞き取れていなかった寛也は、おやっと首を傾げる。
「それでなんだっけ」
 今まで何していたの、だよ。さきほどの質問を結花は反復した。とぼけた寛也に若干小言を言いたげだ。
 ああ。そうだったね、と寛也は呟き返答をする。
「調査だよ、調査。地下の部屋にある機械を調べろって、番号二の研究から移動させられちゃってさ」
「やっぱりそうなんだ」
「やっぱり?」
 解いた問題が当たったのか、結花は一人で満足げだった。
「ねえ、時間さん。いまお暇?」
 こういう場合、暇であっても暇じゃないと言った方がいい。寛也は面倒ごとがありそう、と告げてくる自分に同意し咄嗟にでまかせを言った。
「暇じゃないけど」
「そっかあ。じゃあ、ちょっと付き合ってもらおうっと」
 何もかもを見通した瞳は、つんとすまし顔をした寛也を緑色の中に閉じ込めた。
 来てくれるよね? 結花の輝く目はイエス以外の答えはありえないと、期待したような目差しでどこか脅迫じみている。寛也は目を合わせないようそっぽを向いていたが、注がれる視線に耐えきれなくなって、ちらりと結花に目を向けた。
 念のために確認をとってみる。
「ばれた……?」
「ばれた。わかりやすいよ、時間さん。即答だったし」
「速すぎたか……」
 結花は悔しがる寛也をほっといて、その背中を両手で押し、目的地へ歩き始めた。

 二人は収容室に繋がる扉の前で止まる。
 寛也は部屋を覆っている疲労感が嫌いで、いつも入り口で数秒立ち止まるのだが、結花は躊躇う素振りを見せず部屋に入っていった。寛也がその後ろを仕方なさそうについていく。
「ただいまあ。やっと時間さんに会えたよー……、あれ?」
 空中で舞い上がる書類。散らばったぬいぐるみやら何やらが、床の上でごちゃ混ぜにかき乱されている。まるでカオス。きれいに整っていた収容室が荒んでいた。
 部屋で慌てたように無くし物を探している全員が、入室してきた二人に視線を向けた。
 寛也は混沌とした事態に唖然として動きをとめた。
 無音になった室内で、扉の閉まる音が妙に響いた。
「それはよかったですね」
 書類でできた海を、腰を曲げて手で掻き分けている絹が顔をあげた。疲労を滲ませた笑顏が入室した二人の視野に入る。
 なぜこんな風になったのか。事態がわかっておらず、言葉を失っている二人に、近くにいた女が緊迫した様子で注意を飛ばした。
「危険なので早く部屋を出てください」
「え、でも川原さん」
 事情を聞こうとした結花を、川原と呼ばれた女は言葉を挟ませず寛也に目を向けた。
 ほうけていた寛也はやっと彼女に目を移す。
「一匹収容体が逃げ出しました。怪我をしたらいけません。結花ちゃんを連れて早く退出してください」
 逃げた?
「わ、わかった」
 収容室を包む焦ったような空気に背を押され、寛也は背後にある扉を開けて結花を部屋から出す。川原は最後まで二人の行動を見送らなかった。逃げた生き物がいないか周囲の仲間とともに確認に戻っている。
 寛也は収容室と廊下をつなぐ扉を閉めようとして、しゅるしゅると蛇が這いずる音に体をこわばらせた。まさかとは思うが。
「…………」
 足元に目を向けると、いかにも毒をもっていそうな紫色をした蛇ポケモンが一匹。黄色の無垢な目と寛也は視線が合ってしまい、メデューサの怒りに触れたみたいに固まった。
「時間さん、もしかしてその子……」
「わかってる」
 何をわかっているのか、自分でもわからなかったが、寛也はそう強気に口にした。
 こいつを逃がしてはいけない。どうにかして捕まえないと。こんがらがってしまった脳が無謀な事項をとっさに決断した。
 寛也は果敢に蛇へと手を伸ばした。ぎこちない笑みを浮かべ、収容室を出ようとしている蛇に優しく語りかける。
「大丈夫だよ。こっちにおいで」
 未知との接触。恐る恐る手を伸ばし、見たこともない蛇を捕らえようとする。
 結果、大きく口を開けた蛇に噛まれ、腕から離れないのを良いことに、無事に収容室へ戻すことができた。収容室で毒蛇を探していた研究員たちはひそかに歓声を上げる。
 寛也はむくれた顔で、フーズを食べて落ち着いてきた蛇を睨んだ。犠牲になった腕は四つの小さな穴があいていて全然無事ではなかった。寛也の傷を診ていた絹がほっとして言う。
「よかった。どうやら、毒は入れられてないみたいです」
「うわー、嬉しー」
 棒読みで答えた寛也は、まだ恨みがましく蛇を睨み続ける。自分の腕がどくどくと脈を打っているような感じがして気分が悪かった。
 ちょうど救急キットを持ってきた男が、一旦落ち着けばいいのにと思いながら言った。
「そんなに睨んだって、時は戻らないんだからさ。諦めろよ」
「もう十分諦めてますよ」
 とか言いながら、まだ蛇を見続けている寛也に収容室メンバーは顔を見合わせ、これはなにを言っても聞く耳をもたないね、と視線だけで会話をする。
「なに」
 目ざとく気付いた寛也の視線に、それとなく数人は部屋を掃除し始め、また残りの数人は蛇に目を向けて状態を確かめ出した。
 絹は手慣れた様子で、寛也の腕にできた傷にガーゼを当てて止血をした。
「ていうか、どうして実験体が逃げたの?」
 怪獣が暴れまわったおかげで崩れた所を片付けている仲間に、普段の調子を取り戻してきた結花は素朴な疑問をぶつける。場の空気が後ろめたさで埋まった。
 寛也の細い腕に包帯を巻いている絹が申し訳なさそうに答えを口にした。
「不眠だったんです」
 寛也はかすかに驚きを示した。いまの自分の状況を医者から言われ、同じような境遇の人と巡り会った、そんな錯覚に陥ったからだった。
「不眠? 絹さんが?」
 結花がとんちんかんなことを訊く。
「いえ、私ではなくて……」
「その子のことですよ」
 さきほど注意を呼びかけてくれた川原が指で蛇を差した。フーズを食べ終えた蛇はさきほどの攻撃性を垣間見せず、とぐろを巻いてのんびりと自分を捕らえている人間たちを観察した。
 噛んできたのはなんだったんだ、気まぐれか。寛也は恨みをこめて睨んでみるが、蛇は一向に意に介さない。
「なるほど。この子、特性が不眠なんだね」
 ふむふむ。何度か頷いて、興味を見せた結花は改めて蛇を見た。
 つまりこれまで何度も実験体を睡眠に誘った檻が、苦々しい紫色をした蛇を強制的に眠らすことができなかったため、蛇が脱走しようとしたという訳だった。そこで運悪く現れた寛也と結花、暴れて逃げようとした蛇が鉢合わせをして現在にいたる。
 運がないな。寛也はひそかに思った。
「その蛇、名前は」
 収容室メンバーの一人であろう男がぞんざいに問う。
「その蛇じゃないよ。この子、アーボっていう名前があるの。あたし、書類で見たことある」
 結花の発言に絹が訂正を入れた。
「まあそれも名前ではなく、厳密には種族を表す名称ですが」
「ほう」
 訊いたわりには興味がなさそうに男は返す。
「とりあえず上沼研究科長に報告をしましょうか」
 書類整理をしていた川原が手を止めて、何事もなかったように言った。誰も言わなかった点に触れ、部屋にいる全員に問いかけるような視線を彼女は送った。
 蛇の行くすえを先送りにしてはいけない。あえて考えようとしなかった全員を責めるような目だった。
「よかったら、私が行きますよ」
 そんな自分の行く末を検討している人間たちをアーボはじっと見ていた。子どもがまっすぐに目を合わせてくるみたいに、濁りのない目で見ていた。
 蛇はその後危険性がないと判断され、当分収容室にいることになった。

 上司の部屋で感じる圧とは違う、ほかの部屋にはない独特な空気がある収容室は、いるだけで息がつまる。そう寛也は感じていた。
 寛也と絹は自動販売機の横で、それぞれが買った飲料水を飲んでいた。壁に背をもたれ、寛也はお茶で喉を潤す。影の差す場所にいるので、窓から入ってきた夕暮れが作りだす淡い光が際立って見えた。
「収容室って、結構の人数がいるんだな」
「ええ、現在二十名ほど。二つのグループに分かれていて、交互に実験体の容態が悪化しないように見ています。ですが、番号二に配属させられた人達よりあきらかに少人数ではありますね」
「俺さ」
「はい」
「絹さん一人だけがやってるのかと思った」
 寛也の隣にいる絹が苦笑をこぼす。
「さすがに無理ですよ、それは。頭がおかしくなってしまいそうです。まあ、時間さんは休憩時間の合間に来ていましたから、たまたま他のメンバーと会わなかったのでしょうね」
「この数年間、ずっと気付かなかったってこと?」
「ちょっとした奇跡ですね」
 寛也はすぐに納得をすることはできなかったが、無理やり頭に入れておく。
「……ふうん。ありえないけど、そういうものなのかな、現にそうだったし。なんか、思い込みって怖いな」
「そういうのは、たまにありますよ。私だって、これはこうだと思っていたものを覆されたことがありましたしね」
 知らなかったということに、置いてきぼりにされたような虚しさを抱いた寛也をなぐさめ、絹は持っていたりんごジュースを飲んだ。
「どんなこと」
 寛也が訊ねてきたので、絹は記憶を探るように遠い目をして話す。
「そうですね……、ニドリーノというポケモンを知っていますか?」
「聞いたことがある。たしか……、棘をもつ、毒タイプのポケモンだっけ」
「それです。私はここに来る前、シンオウに住んでいまして。あまりこの辺りに生息しているポケモンを詳しくは知らないんです。それで何年か前まで、ポケモンはレベルを上げたら進化すると思っていたのですが、特定の石を渡すと進化するポケモンがいると聞いて。それの例に挙げられていたのがニドリーノなんですよ」
 寛也は十代の頃に学んだ社会をぼんやりと思い出した。
「シンオウか、ここから北にあるずいぶんと寒い所なんだってね」
「まさか自分がジョウト地方に来るとは思いませんでしたよ。親戚はシンオウにしかいませんでしたから。あそこでのんびりと過ごして行くものだと」
「……そっか。ほんと、何が起こるかわからないな」
「そうですね、全くもってその通りですよ」
 若干絹は苛立ちを見せるが、気持ちを抑えたのかすぐに元に戻った。
「それにしても、時間さんお元気そうでよかったです」
「ん?」
「いえ、以前食堂で別れた際、思い詰めたような顔をしていたので」
 ああ。据わった目つきで寛也は低く答えた。
「まあね。明後日には解決しそうだから大丈夫」
 寛也はぐいっと残りのお茶を飲み干し、影から出て空き缶をゴミ箱に突っ込んだ。絹も急いでわずかなジュースを胃に収納すると、ゴミ箱にペットボトルを捨て、差し込むビビッドな明るさに焦げ茶色の目を細めた。



おなつお ( 2015/01/18(日) 18:03 )