第二章 噛み合った歯車
一話 幽霊じゃなくて

 寛也は赤の瞳をありえない現実から逸らした。
 おかしい。咄嗟に思ったのはその一言。
 異質なものが混ざり込んだ、いつもの風景を流す食堂。寛也は一人だけで、食堂の風景を流すテレビを眺めているような気持ちになった。まるで誰かが製作した作り物みたいだ。
 ここは、おかしい。そう心の中で確信した寛也の横を、もう世にはいないはずの少女が通り過ぎ、完全に寛也の眼界から消える。うどんを食べ終えた絹が不思議そうに、俯いてテーブルをじっと注視している寛也を見た。
「どうかしました?」
 声をかけられ顔をあげた寛也は、生気を失いかけたような重い圧を感じた。
「ああ……、いや、大丈夫です」
「そうですか?」
 絹の焦げ茶色をした目には、寛也があまり大丈夫そうには見えなかった。むしろ力尽きそう。瀕死の攻撃を受けるが、気合いのタスキでなんとか持ちこたえているような。
 絹がまだ何か言いたそうな顔をしているが、あえて寛也は見なかったことにした。人の声が聞こえない落ち着いた場所で、かき乱された頭の整理をしたかった。
 寛也がかもし出す拒絶した空気を感じ取り、寂しそうな笑みをした絹は結局声をかけられなかった。二人は食堂で別れ、持ち場に戻ることにする。
 寛也は廊下を独りで歩く。徐々に減っていく人。溜まっていくなんとも言えない、もやもやとしたわだかまりは歩くたびに増殖する。
 人が減っていくのと比例して、寛也は足をさくさくと進めていく。地下に続く階段にたどり着いたときには、寛也だけが白い廊下に立っていた。
 大声で叫びたい衝動を抑え、寛也はすーっと深く息を吸い込んだ。そして足の裏で思いっきり床を蹴った。
 寛也は階段の上を走った。流れ落ちる水のように地下へと駆け下りた。
 順調に下りていく寛也に、ぱっくりと開いた亀裂が待ち受けていた。
 出した右足が踏んでいた段を見失う。重力に促されて落ちる感覚に、寛也は一瞬緊張した。途中で靴裏がかすかに段と触れ、体勢を戻そうとした寛也は、うまくいかずに前のめりに跳躍した。
 ふわりと白衣が寛也の体から離れて楽しそうに踊る。
 走っていた階段を何段か飛ばし、埃が住み着く床に寛也は投げ出された。器用に両足で着地し、床に片手をつくが、下へと向かう負荷が足をしびれさせた。びりびりする足を手で押さえて、寛也はしゃがんだ状態で現在の位置を確認する。
 踊り場を見上げると地下二階と示す文字が書かれていた。
 かがんでいた寛也は、足のしびれが取れていくのを感じて、ゆっくりと立ち上がった。叫びだしたい気持ちも幾分か落ち着いてくる。
 寛也は思う。
 なにが起こっているんだ。どうして消えたあの人が研究所に。
 なぜ、どうして、なんで、なんで?
 疑問詞で埋め尽くされた頭を連れて、寛也は歯車が置かれた部屋に入り、後ろ手で扉を閉め一息をついた。困ったことに、原因を考えようとしたら、不可解な言葉の羅列しか浮かばなかった。
 意味がわからない。というか、考えたくない。
 寛也は軽く頭を振ると、考えるのを放棄して歯車に穴を開ける作業を始めた。こういう時は一旦違うことをして、頭の中をリセットしたほうがいいと思った。
 金属がぶつかり合う、耳障りな音が寛也の耳に入る。黙々と作業を始めるのだが、疑問のせいで一向に進まない。それでも寛也は手を休めなかったが、ついに負けを認めて、着けていたゴーグルを下げ、持っていた道具をぽいっとその辺に投げた。金属音が消失する。
 助け舟を乞うように、悠悠と立っている歯車を、床に座り込んだ寛也は見上げた。
 寛也は頭を悩ました。教えてもらっていない公式を使わないと、解けないような問題を出されている生徒のような気分だった。
 まず、整理しようと思った。何事も整理整頓は大事。このぐちゃぐちゃした感情も、一緒に整理したいところだが、それはちょっとできないので、消えた少女がなぜ現実に現れたのかを考えてみる。
 寛也が真っ先に思い浮かべたのはおかしな言葉だった。
 霊。
 幽霊、なわけないか。寛也は自分が思いついた考えに乾いた笑みをこぼす。
 少女が食堂にいたということは、何かを食べていたはずだし、自分の横を通り過ぎるときに少女はトレーを持っていた。幽霊って実体がないのに物が持てられるのか?
 それに絹も少女が見えていたはずだし、幽霊とかはありえないのでは。
 まてよ。そういえば彼女はあの時と変わっていないように見えた。身につけている物は違っていたが、確かにあれは俺がおよそ八年前に見たあの人と同じ姿。歳をとっているようには見えなかったし、逆に若すぎることもなかった。
 いや、でも当てにはならないか。寛也は自分に対して苦笑いを浮かべる。
 何年か経った今、不確かな記憶に左右されるのは間違っているのではないか。
 消えた人間が生き返るはずはない。そんなことはありえないと思う。
 ならばなぜ、どうして。確かに彼女はそこにいて自分の横を通ったのに。
 少女は俺が見てきたとおり実際に世に存在している。
 行き詰った寛也は別の角度から物事を照らし当てて見た。
 ……姉妹というのは?
 見た目がそっくりな姉妹。
 八年前に見たあの人は先ほどの少女の姉であった。
 取り残された妹。姉と同じ歳になり、そっくりな顔をもった妹。
 そして姉を消した組織で妹は息をしている。
 なぜここにいるのだろう、と寛也はぼんやりと思う。
 此処にいるということは、もうアンファンに片足を突っ込んでいる可能性が高い。俺みたいな攫われた子のなかに、食堂で見た少女はいなかった。そうだとしたら俺は気づいていたはずだ。
 少女は攫われてきた子どもではない。
 自らの意思か。
 もしかしたら姉の消息を探して、アンファンという組織にたどり着いたのかもしれない。
 寛也はしょげた金髪を片手でくしゃくしゃにした。
 これなら納得がいく。だけれど本当かどうか調べなければ、俺が作りだしたお話にすぎない。
 何かが始まったような嫌な予感が寛也を襲う。とりあえず甘利に少女のことを知っているか、訊いてみることにした。甘利は色々と研究所内部について詳しいからだった。

 日が眠たくて瞼を閉じようとする頃。
 若い男は座って薄い書類を読んでいた。
 研究員に紛れ込んで、アンファンに入れられた子どもたちを見張っている男だった。
 室内にいる人は男だけだったが他にも生き物がいた。
 穏やかに生き物は寝息を立てる。それは奏でられた音楽のように男の耳に入ってくる。この時間帯に同僚が来ないことを知っていた男は、余裕をもって書類を読んでいた。
 研究所へ緊急に導入された人達の詳細が記されたものだった。
 入れられた人達は、今日から昼夜の警備を任されることになっている。警備が行われる位置を把握しに、男は昼頃に様子を見に行ったので、だいたいの人相を覚えていた。
 書類を読み返していた男は、夜も様子を見に行かなければいけないな、と思いうんざりした。
 なぜ、いまの時期なのか。男は首をかしげる。
 上沼研究科長は地下で見つけた、謎めいた雰囲気をもつ機械を警戒しているのだろうか。
 正体が不明な機械。誰がいつ頃に作ったものなのか、何の為にあるものなのか、という詳しい情報はこちらにまだ届いていない。
 どうせ上沼研究科長は、うまく対処しているのだろう、と男は嫌そうに思った。
 機械をきっかけに、アンファンにとって大変な問題が起き、組織が壊滅すれば助かるんだけどな。
 わずかに浮かんだ願望に、男は自嘲的な笑みを作る。
 ありえない話ではない、と男は思っているが可能性は米粒のように小さい。
 アンファンは荒波に揉まれつつも、着々と力を蓄え続けているからだった。そう簡単に潰れるほど、柔な組織ではないと、男はその目で見て来ていた。
 男は書類に意識を戻した。ちょうど開けていたページの写真に、黒髪をもった暗い目をした少女が写っていた。
 男は軽い動作で椅子から立ち上がると、何回も読んだ書類を躊躇わずにシュレッダーで細切れにした。
 残っていた証拠は紙くずとなった。



おなつお ( 2014/12/12(金) 19:19 )