三話 かくれんぼ
寛也はコンクリート製の床に、持ってきた脚立を置いた。
部屋の扉を全開にしても、わずかな光しか差し込まない部屋。視界の悪さを解消するため、脚立に立って、新しい電球に替える。
そろそろ本格的な夏が来そうな七月の上旬。
久々に重いものを持って、動いたために汗が流れた。嫌そうにそれを拭い、寛也は明かりを点ける。ほてった体を冷まそうと、白衣を脱いで、シャツ姿になっていた。
元気な電球に照らされて、謎の機械が浮かびあがる。
寛也はお茶入りのペットボトルを空にした。苦い後味を感じつつ、口元をぬぐう。
丸めた白衣を抱えて、脚立に座り、短い休憩をとる。どっと疲れを感じたが、とぼとぼと機械を調べることにした。
調査対象の機械は、目立ったスイッチなどが見当たらず、数字のメーターと、噛み合わさったギアがあるぐらいだった。まるで矯正された歯のように、きれいな並び方をしている。
機械が生きているようには思えない。起動ができない理由があるのだろうか。なにかが足りていないとか。
機械の後ろは、壁にもたれていて、調べようがなかった。寛也は百八十度、機械をじろじろ眺めた。側面の下方に、螺子で留められた長方形の鉄板がある。どうやらここから、中が覗けるみたいだ。
口元をゆるめる寛也。
螺子をゆるめて外すと、頭と肩が入りそうなぐらいの、穴がぽっかりとあいた。ペンライトの明かりを頼りに、寛也は中を見てみる。
ジャングルでぶら下がっている蔦のように、コードが垂れ下がっていた。弱気な明かりを頼りに、切れているコードがないか探してみる。とくに問題はなさそうにみえた。動かない原因は、他にあるみたいだ。
視線を奥のほうに向けると、暗闇が蔓延していてよく見えない。
寛也は困った。これでは、何の機械なのか把握できない。
ペンライトの光を散らす。
手前の上の方に当てた光が、反射するのを見て、寛也は疑問を抱いた。鏡でもあるのだろうか。ちょうど頭が入りそうな空間、出入り口があり、寛也は確認しようかしまいか考える。
見て、みるか。
不安を抱えつつ、固い床に仰向けに寝転んで、頭を入れてみる。
「よう、ヒロ、なにしてんだ?」
突然降ってきた声。驚いて上半身を起こそうとした寛也は、鏡があるらしき所に顔をぶつけた。小さな痛みに、うめき声をあげる。声をかけた甘利が、慌てて訊ねた。
「ちょ、だ、大丈夫か」
「だいじょうぶじゃないよ。このやろう」
同僚に文句を言い、寛也は閉じていた目を開けた。液晶パネルがはまっている。光はこれに反射したらしい。そのパネルの下に、零から九のボタンがあった。
さきほどの不本意な頭突きにより、液晶パネルは息を吹き返したらしく、光を発していた。
四桁の数字を入れたらいいのだろうか。ぼんやりとそれを見た寛也が呟く。
「お前、最高だわ」
「は?」
意味がわからず甘利は聞き返した。のそのそと顔を見せた寛也を、腰をかがめて心配そうに見ていた甘利が再度訊ねる。
「お前、ほんとうに大丈夫か?」
「大丈夫だよ。頭打っただけ」
起き上がり、あぐらをかいた寛也は、甘利を見上げる。
「つーか、なんでここにいるの」
「ああ、休憩だから見にきた。一人でやってんだろ。大変だな」
「まあね。今のところ、とくに進展はないし。正直言って、そっちのほうをやりたいよ」
「そう言うなって。上沼研究科長だって、お前の技量を知っていて、回した件なんだからさ。とりあえず、やれる所までやってみろよ」
寛也はあからさまに、嫌な顔をして言った。
「はいはい、やればいいんだろ」
「投げやりだなあ」
甘利は苦笑して、白衣のポケットから、七色のあめ玉が詰まった丸い瓶を出すと、蓋をあけた。いつも持ち歩いている小さな瓶を、寛也に差し出す。
「まあ、これでも食べて頑張れよ。差し入れだ」
「じゃあ、お言葉にあまえて一つ」
寛也は翠のあめ玉をつまみ、口に入れた。あめ玉の甘みが、口に染み込む。ころころと転がし遊んでいると、ラベルを見た甘利が言った。
「それは、メロンだな」
「ふうん。ありがと、甘利」
「どういたしまして。じゃ、そろそろ戻るわ」
「んー」
扉を抜けて、外に出ていった甘利。寛也は軽く手を振り、挙げていた手をおろした。
四桁の数字。これが鍵穴、あとは鍵を探さないといけないらしい。
寛也は首をひねる。なんだか、この機械を作った人に、踊らされているような、そんな気持ちになったのだ。寛也は一度、現状を整理してみることにした。
ほかに機械の内部を、見られるような所は見当たらなかった。
新品同然な姿をしているのに、動こうとする気配を見せようとしない。起動のスイッチさえ、設置されていない。
パスワードを見つけない限り、いっこうに閉められた部屋から抜け出せないようだ。
寛也は立ち上がり、挑戦的な目で機械を見た。まずは鍵穴に、ぴったり収まる鍵を見つけないと。
ためしに段ボール箱を開けていく。色とりどりのコードに螺子や鉄板などが入っており、とくに数字を連想しそうなものはなかった。ひとまわり小さくなったあめ玉を転がし、棚の書類に手をだす。
寛也が書類をめくる音だけが、部屋の中を支配する。活字ばかり追ったせいか、目を離すと、周りがさっきと異なるもののように感じた。頭がうまく働かない。
読み終えたものを戻し、原点に帰ってみる。
四角い窓を覗くと、細かい光の粒が降っていた。外した板を、無意識に手にとる寛也。くるくると板を回転させながら、考えをまとめようとする。この部屋に番号が隠されているはず。どこか探し忘れている場所はないのだろうか。
寛也は手を止めた。板の回転が止まった。
持っていた板を、裏返しにしてみる。
寛也は、それをじっと見た。右下に小さく刻まれた、かくれんぼしていたナンバーを見た。