第一章 開かずの部屋
六話 今更な会話

 爽やかな朝。時たまに他の研究員とすれ違いながら、窓から見える清々しいほど青い空に、寛也は目を向けて歩いていた。雲が一つも見えない快晴だった。前方不注意な危ない行動だったが、目的の場所に寛也は無事にたどり着く。
 実験体収容室。清潔感が漂う白い部屋は、前方にデスクの群があり、可愛らしいぬいぐるみが埋め尽くしていた。後方の壁側に、半透明なケージが並べられている。
 数日ぶりに白い部屋にただよう、疲れたような雰囲気を寛也は感じた。寛也が入ってきたのに気がついた、寛也と同い年くらいの男が声をかけてくる。
「あ、時間さん。おはようございます」
「おはよう。絹さん」
 絹と呼びかけられた男は、長くなった焦げ茶色の髪を、後ろでしばっていた。丸くなった猫背は、この部屋の空気を、すべて背負っているかのように見える。毒気のない笑みを、絹が浮かべた。
「最近、結花ちゃんが、時間さんが来ないよー、って寂しがっていましたよ」
 この部屋の空気とは違い、元気のよい結花。デスクを陣取るぬいぐるみも結花の趣味だろう。そういえば、今日はいないな、と思いつつ寛也は答える。
「そうでしたか。今日は?」
「さあ」
 わからないと言いたげに、困ったような笑顔で絹が続ける。
「食堂のほうでゆっくりと朝食を摂っているのでは、と思います」
「ふうん」
「それにしても、久しいですね。番号二の研究が忙しかったのですか?」
「まあ、忙しかったといえば、忙しかったんですよ」
 寛也はさらりと言った。
「番号二の研究、俺、外されちゃいました」
 驚いた絹が、わざとらしいくらい大きな声を出す。
「え。そうだったのですか?」
 それに気付いた絹は辺りを見たあと、声のボリュームを下げた。
「また、何かやらかしちゃったのですか?」
 あえて上沼の名前を言わずに、寛也のことを気にかけた絹。寛也は苦笑して、それを否定した。
「いやいや、何もしてないです。近頃は、静かにしてたんですよ。なのに、なぜか移動させられちゃって」
 絹は胸を撫で下ろした。
「はあ、そうでしたか。いまは、どちらに?」
「地下二階に」
「ああ、開かずの部屋ですか」
「当たり。どうして、そう思ったんですか?」
「一時期、噂がすごかったじゃないですか。どうもその時に、地下二階イコール開かずの部屋、と思うようになってしまいまして」
「ああ、なるほど」
 納得した寛也が、絹に訪ねる。
「絹さんは、なにか変わったことありましたか?」
 短い間、黙って考えた絹は答える。
「……そうですね。新しく実験体が運ばれてきました」
 半透明なケージに、寛也は視線を移す。確かに、まえに来たときより、ケージの数が増えているような気がした。寛也の横で、絹も悲しそうにケージに目をやる。中には小型のポケモンが暴れないよう、強制的に眠らされていた。
「また、ですか」
「またですね。番号二の研究で、ある班が実験に使うそうです。このポケモン達を、操れるかどうか」
 黙って耳を傾ける寛也に、絹が続けた。
「ポケモンの実験がうまくいったら、次はヒトで試す、と。そのヒトの意思で、操作できるかを試してみたいそうです。……本当に伝説と呼ばれているポケモンを、ヒトが操るなんてできるのでしょうか? 私には無謀に思えるのですが」
 ケージの中で眠っているポケモン達を見ながら、寛也が答えた。
「さあ、本部がそれを言ってきたんだから、俺らは黙ってするしかないんですよ。みんな、痛いところを突かれて、身動きがとれない状況なんだから」
 歯がゆい物言い。今更のことだった。
「……そうですね」
 一段と低い声で答えた絹を、寛也はうかがった。
 いつものように、微笑みを浮かべているが、たくさんの感情がごちゃ混ぜになっていて、何を考えているのかわからない。
 この部屋は苦手だ、と寛也は思った。
 ケージに入れられたポケモン達は、また住んでいた森や、山に帰れることはない。そして入っているケージにも、戻ってこられることは少ない。戻ってきたって、眠らされてしまい、気づいた時には実験台にいる。恐怖の繰り返しだ。
 絹は、そんな思いをしているポケモンたちを、どうにか繋ぎとめようとしている。彼の笑顔は、治療しているポケモンに恐怖を出来うる限り与えないようにと思い身についたものだった。
 だから、ここは嫌いなんだ、と寛也は思う。
 一つの灯火が消えるのか否かわからないこの不安定な部屋が。必死に風から灯火を守り続けている絹が。それを見ているだけの自分が、嫌いなんだと寛也は思う。
「なにか良い方法はありませんかね……」
 絹の小さな抵抗の意思が見えた。
「…………」
 結局のところ、アンファンという世界に隔離された子どもたちに覆す方法なんて……。そこまで考えた寛也は、思い当たることが一つあるのに気づいた。
 時を戻す歯車。
 極論だが。戻ってしまえば、なんとかなるのでは?
「絹さん、もし……、もしですよ。数年くらい時が戻ったら、なんのしがらみもなくなると思いますか?」
 思いもよらない案に、絹が驚いた顔で寛也を見た。
「そうですね……。それは戻る年によって変わるのでは……? 出来た前に戻ったら意味がないですし」
 そこまで言って、諦めたように絹が呟いた。
「……いや、そもそも全てが巻き戻っても、同じ経路を辿ったら意味がないか」
「…………」
 その通りだった。話がスタートラインまで戻る。静寂をかすかな寝息が引き立てた。
「……ああ、そういえば、時間さん」
「なに?」
「甘利さんが、今日行こうぜ、って言っていました」
「ああ、了解」
 隠れた言葉に気づく。寛也は腕時計で時間を確認した。
「俺そろそろ戻りますね」
「はい。八時にまた、お会いしましょう」



おなつお ( 2014/11/08(土) 17:21 )