五話 だから、なんだ
金髪に寝ぐせをつけたままの寛也は、機械のある部屋に訪れた。
うまく働かない頭を叩いて、気持ちを切り替える。
機械の入り口から、寛也は中を覗いてみた。光の粉が降り落ちるのをやめている。試しに腕を伸ばして、パネルを叩いてみるが、反応はない。一回限りだったらしい。
懐中電灯で中を照らし、レポートに記されたとおりなのか、調べてみる。ペンライトより広く、明るいので中が見やすかった。コードの配列は間違っていないように見える。だが、奥にあるコードが数本、焼き切れているのを発見した。
コードを替えないと。立ち上がろうとした寛也は、すとんと床に腰をおろした。替えのコードがあったとしても、この入り口からでは、修理ができないからだった。
穴を大きくするか。それとも、反対側に入り口を作るか。どちらにしろ、それなりに厚みのある鉄板との長期戦になりそうだった。
寛也は乱雑に、片手で頭をかき、昨夜のことを思い出した。
家具の少ない、色のない部屋。夕食を食べてきた寛也は、扉の鍵を閉める。いつもと同じように、机の椅子に座り、見つけたレポートに目を落とした。
歯車について。
凡庸な字は、あの機械を“歯車”と呼び、その概要を寛也に告げてくる。我が目を疑う内容に、寛也は何度か読み返し、咀嚼していった。
歯車は時を戻す。
目的に一歩、いやそれ以上進むことができる。
偶然、という言葉で、片付けていいのだろうかわからない内容に、寛也は頭を空っぽにしたくなった。いままでずっと考えていた答えがある。回答はもう具現化している。
ありえない。こんなことが、あるのだろうか。
まるで、図られたような。
いや、それこそ、ありえない。細心の注意をはらって、やってきたんだ。俺が時間の研究をしていることは、誰にも知られていないはず。では、なぜ。本当に偶然なのか?
誰が、どういった理由で作ったのだろう。同じことを調べているという親近感のもと、寛也はレポートを速いスピードで読み進めていく。
最後のページにたどり着く。右下にレポートを作成した人の名前が、見られたくないように小さく書いてあった。
時間寛也。
寛也を置いて、すべてが、いつものように回っていくような感覚。
どうして、俺の名前が。白紙になった脳みそが、のろのろと解析をはじめる。そこで寛也は、どこかで見たことのある凡庸な字が、自分の字とそっくりだと気付いた。
レポートを机に落とし、仰いだ寛也は自分の視界を腕でふさいだ。小さな笑い声が、口から吐き出される。
歯車は時を戻すことができた。もうそれは実行され、今があるとしたら。このレポートは、戻す前の俺が書いたものだったとしたら。
馬鹿な。そんなことが、ある訳がない。その仮説を無理だと決めつけて、突っぱねることはできるが、否定する材料はなかった。
散らばっている答えを拾い集めてみる。
たとえば、錆びた扉。地下にあるので、湿気が原因で錆びついたのかと思っていたのだが、他の部屋の扉と比べると明らかに異様だった。
時をあの部屋という空間ごと戻し、その入り口も同じように戻っていたとしたら、歯車を使った回数、滞在した月日により、ほかの扉よりも速く老いていったと考えてもいいだろう。
時間と空間。かき集めた書類の内容を思い出す。あれも、いつかの俺が書いたものなのだろうか、と寛也はぼんやりした意識で思う。
もう数回は繰り返していた。背筋が冷える考えに、腕をのけた寛也は目を開けた。
グレーの天井が、ぐるぐると渦巻いているように見える。
繰り返した回数分、あの人を救うことに失敗している。俺は意味のないことをしているのだろうか。戻しても、戻しても、変わらない現在。歯車は、それを象徴しているかのよう。
黒い影が、ゆらゆらと不気味に揺れる。
もしそうだったとしても、ここで止めるわけにはいかない。
これはチャンスだ。歯車が使えるようになれば、あの人を救える。確実な裏づけはないけど、あの人が生きているのは、過去しかないんだ。
見たものを切り刻みそうなほど、鋭い眼差しで寛也はレポートを見た。点いた炎が、らんらんと彼の目の内で輝く。
体を石にされたように、座った体勢で固まっていた寛也が、現実に帰ってくる。思った以上に、寝ていないことは体に深刻なダメージを与えていたようだ。たかが一夜、されど一夜、ということらしい。
「……意味のないこと」
ささめき声。赤い目が見開いた。
すばやく立ち上がった寛也は、辺りの気配をうかがった。ぽつりと囁かれた気がして、運動をしていないのに汗が流れる。自分の息遣いが耳を通った。
立ち去る足音、人の息づかいは聞こえない。警戒を解いた。どうやら空耳のようだ。
寝よう、と寛也は思った。今日はもう切り上げて、さっさと寝てしまおう。番号二の研究をしていたときは、勤務時間が決められていたが、今は見ている人がいないため、誰も文句は言えやしない。
寛也は深く長い息を、外にだした。