四話 子どもたち
寛也は数字を入力する。なにかを引きずる音とともに、床が小刻みに揺れた。寛也は立ち上がり、辺りを警戒した。揺れはすぐにおさまった。
棚の間に、人が一人だけ通ることのできる隙間があった。陰が滲みでてくる。手を突っ込んでみると、ひんやりとした壁に当たった。
ペンライトの光を差し込ませてみる。心細い光が、壁の色とは違う色を照らす。手を伸ばして、それを取った。ホッチキスの針で束ねられたレポートだった。凡庸な字が目に付く。どこかで、見たことがあるような気がして、寛也は注視する。
コンクリートの床が、また振動をしはじめ、寛也の注意が棚に移った。隙間はどんどんと細くなり、ついになくなった。時間が経つと、自動的に閉まる仕組みになっているらしい。寛也は腕時計に目をやる。
夜が歩み寄っていた。
寛也はこの辺で、調査を切り上げることにした。白衣をはおり、持ってきた道具を片付けて、部屋を出る。
日が昇り数時間。まだ眠そうな赤の目の寛也は、上司の上沼に呼び出されていた。昨日は目が冴えてしまい、寝台に横たわっても眠れなかったのだ。パソコンと向き合っている上沼は、文字を打つ手をとめて、時間を確認した。指定より数分早い。
上沼が、意識が覚醒していないように見える寛也に訊ねる。
「どうだ、調子は」
「まだあれが、どういった物なのか把握できていません」
上沼は、じろりと寛也を見上げる。
「進展は」
「報告書にまとめました」
抑揚のない声で、寛也が答えた。
「あとで確認してください」
デスクの上に、報告書を置く。ぴりぴりとした空気はなく、川の流れのように、あるべきところを通っていく。
上沼はちらりと報告書を見た。すぐにこの件が片付くと、上沼は思っていなかった。解明する時間は、有り余るほどあるが、盛んに行われている研究番号二の人手が、減ることはあまりよろしくない。
だが把握できていない存在がある、というのは色々と厄介だった。どうやって我々の目を盗んで作ったのか? もしかしたら、順調に勢力を蓄えてきた組織が、解体されるかもしれない。編み込んできた糸がほつれて、ばらばらになってしまうのは避けたいところだった。
最悪の事態も、考慮して動かなければ。厄介な物を見つけてしまったものだ、と上沼は思った。
「わかった。もういい」
出ていけ、というのが伝わったのか、寛也は何も言わないで、ドアに向かう。あいかわらず、苛つかせる態度だと、上沼は思い見送った。
寛也が去って数分後、若い男が入ってきた。男は人の良さそうな顔をしていた。そのおかげもあって、情報収集に長けていた。
「お呼びでしょうか」
寛也とは違い、丁寧な口調で男は訊ねる。上沼は肯定して言った。
「今週のあいつ等の動向を報告してくれ」
「承知しました」
研究所にいる子ども達の動きが、上沼の耳に伝わっていく。上沼は情報を、パソコンに打ち込んでいった。最後の子どもの動向を口にした男は、黙って上沼の作業が終わるのを待った。
「ごくろう。次もよろしく頼む」
パソコンから目を離して、上沼が男に言葉をかける。
「はい」
不自然に笑い、男は答えた。上沼が椅子に体重をかけると、重みで嫌な音がした。怖々と男が訊いた。
「一つ伺っても、よろしいでしょうか」
「なんだ」
寛大に上沼が受け止めた。男はかねがね気になっていたことを訊ねる。
「なぜ子どもをアンファンに入れたのですか?」
「ああ、お前はまだ説明をうけてなかったか」
「はい」
「そうだな……。お前はアンファンを創設したお方を知っているか?」
上沼の問いに、男がアンファンのトップに立つ女性の名を言う。
「水無月さまです」
「そうだ。あのお方が、アンファンを発展させるために、目をつけたのが子どもだった。子どもは飲み込みが速い。そして眠っている能力を我々が開花させれば、アンファンの役に立つ。使わない手はなかったそうだ」
男は目を細める。
「ですが、それでは統率がとれないのでは……」
「そこで、お前もよく知っているものが登場するわけだ」
上沼はにやりと口だけ笑って、男を見上げた。黙って考えていた男は、答えを口にした。
「黒いギフト、ですか」
「そう、あらかじめ心的外傷を植え付け、または探し出し、それを揺さぶりに使ったのだ。まあ、我々がここまで順調に利益をあげられたのも、あいつ等のおかげだと言えるのかもしれないな」