ゆっくり歩く。
2014。
「嫌な夢を見たんだ」

1
 目を覚ますと、雲が気ままに青い空を歩いていた。頬を撫でる草がくすぐったくて、ボクは身を起こした。青々とした草が見渡す限り生えている。それは風に遊ばれ、ゆらゆらと楽しげに揺れていた。
「あら、起きたの。コウ」
 ボクの隣に座っているエネコロロがふわりと微笑んだ。
「うん、おはようユイ。いや、おはようじゃないか。こんにちはユイ」
「こんにちは。ねえコウ、やけにつらそうにしていたけど、どんな夢をみていたの」
 ユイの白い手が、ボクの目尻を拭う。一粒の水滴が彼女の手を濡らした。ボクは驚いて、悲しそうな顔をしたユイを見た。
「え……そうだった?」
「ええ、覚えてないの? ……やっぱり、思い出さなくていいわ。違う話をしましょう。何か楽しいお話を」
「んー」
「だから、思いださなくていいわ」
「そう?」
「ええ」
 ユイは可愛らしい口を閉じて、風とともに遊ぶ草を、そのつぶらな瞳にうつした。きっと今頃、彼女が住んでいるトカイと呼ばれる場所で起こった面白い話を喋ろうと考えているのだろう。
 ユイの話はボクの知らないことばかりで、とても興味がある。だけどたまには、このへんぴな山に住むボクの話をしようと思った。
「楽しい話、楽しい話……」
 ぼそぼそと呟きながら、ボクは記憶をたぐり寄せる。
 そうだ、あの話をしよう。
 ボクがこの山で出会った目の見えない生き物と、その友人である火の鳥のお話。
「今日はボクが出会った子達の話をしよう」
 ユイは小さく頷いて、どんなお話かしらと楽しそうに呟いた。ボクも口元を緩めて、彼らの話は面白いよーと言い返す。
 ボクはあの生き物と火の鳥のことを思い出しながら、ユイに語り始めた。

2
 お日様が恥ずかしくて顔を隠す頃、ユイのトレーナーが彼女を呼んだ。遠くに白髪まじりの頭が見える。ユイは耳をぴんと立て、ボクに笑いかけた。
「もう、こんな時間ね……。そろそろ帰らなくちゃ」
「そうだね。じゃあ、今日はこの辺でお開きにしよう」
「待って」
「ん? なに」
「この頃コウがよく眠れてないみたいだから、ぐっすり眠れるように歌を歌ってあげるわ」
「え……いいよ。ボク、大丈夫だよ」
「まあまあ、そう言わずに」
 止めたのにも関わらず、ユイが旋律を奏で始める。
 ユイの言う通り、この頃ボクはなかなか寝付けない夜を過ごしていた。なんでユイはそのことを知っているのだろう。
 だめだ、考えがまとまらなくなる。やけにまぶたが重くなってきた。
 眠い。ユイはすごいな。もう眠気がボクを襲ってくる。
 ボクは暗闇に引き込まれる前に、ユイを見た。
 彼女が小さな口を動かす。そして微笑んだ。
 おやすみ。

3
 ふわふわと暗闇を漂っていた意識が浮上する。
 目を開けた。山の奥の住処にボクはいた。外から入ってきた月光がボクの家の中を照らす。
「帰ってきちゃった……」
 誰にも拾ってもらえない独り言が落ちた。月が無邪気に首を傾げる。なにも知らないくせに。
 リアルな夢だった。
 頬を撫でる青々とした草も、一日の半分しか顔を見せない恥ずかしがり屋な太陽も、心優しい彼女も。すべてがリアルだった。夢だとボクに気付かせないくらい。
 何回も見る夢。独りぼっちのボクには酷く暖かくて、ただ一つ安心できるところ。でも目を開けてしまえば、冷たい現実がボクを迎える。
 ここには帰りたくない。
 何回も同じ夢を見るうちに、そう思うようになった。
 不幸を呼ぶ、災いを連れてくると言われるボクのことを、なにも知ろうとしないで忌み嫌う世界なんて、もう居たくもなかった。
 だけどあの子達は、噛み付いてくる子に物知りな鳥の子だけは、ボクのことを嫌がらずに一緒に居てくれた。そうだった。鳥の方はボクの種族のことを知っていたようだけど、何も言わずにボクとお話してくれた。
 けれど彼らは、旅に出て行ったんだ。この山にいつ帰ってくるかもわからない。
 あの時、ボクもついて行けばよかったのだろうか。わからない。二人はもう行ってしまった。
 もういい、もういいんだ。過ぎたことは、どうにもならないんだ。
 もう遅い。何もかもが遅いんだ。
 月の光も届かない暗闇がボクを包み込む。ボクは目を閉じた。
 彼女が歌ってくれた、あの心安らぐ歌を思い出しながら。

4
 目を覚ます。草原でボクは昼寝をしていたらしい。草が風でもみくちゃにされている。喧嘩でもしているのかな。あんなに仲が良かったのに。はやく仲直りをするといいんだけど。
 隣でエネコロロが耳をぴんと立て、風の音を聞いて微笑んでいる。
「あら、お目覚めですか? コウ」
 彼女が茶目っ気たっぷりに言った。
「まあね、ユイ」
 ボクも同じように返事をする。変なものを感じて、ボクは目尻を拭いた。一粒の雫が手を少しだけ濡らす。
 そうか、ここは。
 それを見てボクは微笑を浮かべた。
「……ユイ。聞いてよ、嫌な夢を見たんだ」


■筆者メッセージ
登場人物
・コウ(????)
・ユイ(エネコロロ)
・目の見えない生き物(???)
・物知りな火の鳥(?????)
おなつお ( 2014/03/17(月) 19:09 )