後章 成就
「・・・あっ、カナ」
「・・・しっ、シンヤ!?」
歩き始めてから数分後、蒼が残っていた天空のキャンバスは完全に朱く染まり、ちらほらと白い雫が滴下され始めた。建ち並ぶ住宅からも淡い光が漏れ始め、密かに漆黒の刻の到来を告げる・・・。
懐かしい実家まであと数十メートルと迫ったちょうどその時、私達の背後から驚きを含んだ太い声がカナの肩をたたいた。予期せぬ来訪者の奇襲に対応出来なかった彼女は素っ頓狂な声をあげ、慌ててその方に振りかえった。
―・・・急だったから、私もびっくりしたよ・・・―
「本当は明日にでも会いに行くつもりだったけど、まさかこんなに早く会えるなんて思いもしなかったよ。・・・その様子だと、今着いたところだな」
「えっ、ええ・・・」
彼女と共に振りかえると、そこには黒縁の伊達メガネをかけた背の高い青年がズボンのポケットに手を突っ込んで微笑んでいた。矢継ぎ早に話を進める彼・・・、カナの幼なじみのシンヤは彼女が抱える荷物をチラッと見、こう呟いた。彼女も、圧倒されながらもなんとか平生を取り戻し、首を縦に振った。
―三年も経つと人間ってここまで変わるんだね・・・。昔はもう少し控えめだったから気づくのにちょっと時間がかかっちゃったよ―
早鐘を打つカナの鼓動を聞き流しながら、私は独り心の中で呟いた。
「シンヤはいつ着いたの」
「俺は大みそかだから・・・、一昨日だ。・・・それにしても、あの手紙には驚いたな。グレイシアに文字を覚えさせたのか」
―私が書いた手紙の事かな―
彼は思い出したように話題を切り替え、彼女に疑問を乗せた言の葉を届けた。
「いいえ。グレイシアが自分で覚えたのよ。・・・ほら、私って広報として働いているでしょ。役所勤めで字に触れることが多いから、気が付いたら書けるようになっていたのよ」
―毎日忙しいカナを手伝っていたらいつの間にか読めるようになっていたから、あってるよ。・・・実はこっそり勉強していたのはここだけの話しだけど・・・―
カナは彼の言葉に首を横に振り、私の代わりに事の真相を伝えてくれた。
「流石、カナのグレイシアだな。賢いところも似てるな」
「いえ、シンヤには勝てないわ」
『カナっていつも僅差で負けていたもんね』
―どの教科でも一点とか二点の差だったから、本当に悔しそうだったよ―
何年かぶりの謙遜合戦が宵の町に反響した。
そんな二人の様子を見た私は、あえてその結果を口にした。その声は二人に鳴き声として届き、気に留められる事無く空気を振動させた。
「すみません、バトルをお願いしてもいいですか」
と、そこに、私達の誰のものでもない無邪気な声が話しかけてきた。
―もう日も沈みかけているのに、誰だろう―
「ちょっと・・、ポケモン連れているからって・・・」
声がした方に目を向けると、活発そうな女の子と、その彼女に若干戸惑う男の子・・・。積極的にバトルを挑もうとする少女を辛うじて少年が止めようとしている・・・、まさにその瞬間だった。
―どこかで見たことがあるのは・・・気のせい?―
少女達のやりとりを見た私はデジャヴを感じながらパートナー達の返事を待った。
「バトル・・・、懐かしいわね」
「学生時代によくやったな」
『うん。ヤジロンと私ってほぼ互角だったっけ』
―もう五年以上やってないけど・・・―
「そうね・・・。・・・わかったわ。その挑戦、受けて立つわ」
「折角だからダブルバトルにしようか」
「本当ですか」
バトルという言葉を復唱する二人は笑顔で頷く。
その言葉を聞いた彼女はとびっきりの笑顔で喜んでくれた。
―私が言った訳ではないけど、何故か嬉しいよ・・・―
「ええ。グレイシア、いってくれるわよね」
『うん、もちろんだよ』
私は数年ぶりに感じる戦闘前の高揚感に満たされながら大きく頷いた。
「ヤジロン、頼んだぞ」
社会科講師のシンヤも自身のモンスターボールを手に取り、大きく振りかぶった。放物線を描いたそれは少し飛ぶと開き、中から白い光が発せられた。やがてそれはポケモンの形となり、雲散すると同時に姿を現した。
『任せて。・・イーブイ・・・じゃなくてグレイシア、久しぶりだね』
ボールから飛び出したそのポケモン・・・、ヤジロンは相方の方をチラッと見てから私に話しかけた。私も彼・・・って言ったらいいのか分からないけど、ヤジロンに視線を落とした。
―最後に会った時、私はまだイーブイだったね―
「ポッチャマ、もう一戦いくよ」
「ヒコザルも」
『もちろん』
『一日中特訓した俺達なら楽勝だな』
対戦相手の二人もボールに手をかけ、それぞれのパートナーを出場させた。
―久しぶりのバトル・・・、思いっきり楽しまないとね―
「まずは自己暗示」
「つつくで先制攻撃」
「粉雪でヤジロンを守って」
「グレイシアに火の粉」
シンヤの指示と共に、宵の戦闘が幕を開けた。
『任せて。粉雪』
『全力でいかせてもらうよ』
『火の粉』
まず私は牽制を兼ねて、氷タイプで唯一使える技を発動させた。イメージを凍てつく氷で満たし、それを身体全体へと伝える・・・。そのまま天に祈りを捧げ、溢れるエネルギーを解き放った。
ヤジロンは目を閉じ・・・たのか分からないけど、精神統一をして能力を高める・・・。
相手のヒコザルは炎のエネルギーを溜め、細かい火種として放出した。
その影に身を隠すように走るポッチャマはヤジロンに狙いを定めた。
「ヤジロンを守って」
『うん。・・くっ・・』
―ヤジロンはまだ戦う準備が出来てない・・・。だから私が守らないと―
相手の炎によって私の雪は融け、その後ろから嘴を光らせるポッチャマが続く・・・。
それを見た私は、カナの指示通りに彼の前に立ちはだかり、攻撃に備えた。
「カナ、助かった。そのまま体当たり」
「水鉄砲」
「ひっかく」
「かみつく」
―・・なら、どかないといけないね―
私はすぐに左前脚に力を込め、その場所から立ち退く。勢いをそのままに走ってきたヒコザルに狙いを定め、思いっきり噛みついた。
他の三匹もそれぞれに行動し、互いにダメージを与えた。
―・・・やっぱり、痛いよ・・・。・・でも何故か嫌な気はしない・・・。それがバトルなのかもしれないね・・・―
「高速スピン」
「もう一度粉雪」
『これで、きめさせてもらうよ。高速スピン』
『全力の・・・粉雪』
―私もヤジロンも結構ダメージ・・食らっちゃったから・・、そろそろ決着をつけないとね・・―
私が技の準備をしている間に、ヤジロンは足にあたる部分を軸にして回り始め、一番近くにいたヒコザルに思いっきり突っ込んだ。
『くっ・・・』
ヤジロンの攻撃をうけたヒコザルは飛ばされ、戦闘不能となった。
その間にも私の技が発動し、再び白い結晶がちらつき始めた。
『・・ヤジロン、まだいける?』
『僕は平気だよ。グレイシアは?』
『私は・・・ちょっと厳しいかも・・・』
―さすがに三年以上もブランクがあると・・・鈍っているね・・・―
私はうけたダメージの影響で息を切らせながら、幼なじみの様子を横目で伺った。
私とは対照的に平然としている彼は、戦闘前と変わらぬ様子で頷いた。
―シンヤって教師だから、生徒さんのためにも戦う事が多いのかもしれないね・・・―
「カナ、サポートを頼んだぞ」
「そうさせてもらうわ。砂かけで目を晦まして」
「その後から体当たり」
「水鉄砲」
―なら、そうさせてもらうよ・・・―
私はすぐに走りだし、虎視眈々と相手を狙う・・・。ヤジロンは私を追うように動き始めた。
それに対して、相手も嘴に水を蓄え、私に向けて一気に発射した。
―・・水タイプの技は氷タイプの私にはあまり効かないから・・・、たぶん大丈夫。・・それに、これは二人が学生時代によくしていた組み合わせ・・・。・・だから、負けないよ―
『きゃっ・・。砂かけ』
『うわっ』
―くっ・・。・・・よし、この距離なら・・・―
私は大ダメージ覚悟でポッチャマとの距離を詰めた。そのせいでずぶ濡れになったけど、それに構わずに足元の砂を相手の顔にかけた。
予想外の行動でかわすことが出来なかった相手は咄嗟に目を閉じた。
『ヤジロン・・・、あとは頼んだよ』
・・・このままだと私が攻撃を受けることになるから、すぐに左に跳んだ。
『体当たり』
『くっ・・』
私が跳び終えたのとほぼ同時に、彼は視界が遮られている相手に突っ込んだ。
もちろん技は命中し、相手は痛みに耐える声と共に倒れた。
『・・よし、勝てたね。・・グレイシア、大丈夫?』
『うん・・。ヤジロンのおかげで・・・何とか・・』
バトルの決着がつき、一息ついた彼は私の様子を伺った。
―昔はもっと素早く動けたはずなんだけどね・・―
私は彼の言葉に力ない笑顔で答えた。
『でもあまり・・・』
「グレイシア、ちょっとしみるけど、我慢していて」
『えっ、・・うん』
ふらつく私にヤジロンが声をかけようとしたちょうどその時、カナは徐に話しかけてきた。咄嗟には反応できなかった私は、後半部分を聴き取れないまま、流れに身を任せて頷いた。
―くっ・・・、ちょっと痛いかも・・・―
私の反応を見た彼女は大掛かりな荷物から何かを取り出し、それを私に使った。すると私の傷はある程度癒え、重かった体も何となく軽くなったような気がした。
―・・この感じはきっと・・・、良い傷薬かな―
{カナ、ありがとう}
「どういたしまして」
すっかり空も暗くなり、街灯に照らされている私は右前足でパートナーに感謝の言葉を伝えた。相手をしていた少女達と話し終えたカナは私の言葉を読み取ってくれて、にっこりと笑顔で答えてくれた。
『あの手紙、本当だったんだね』
『手紙・・・、あっ、うん』
『って事はあの時の願い事が叶ったんだね』
『うん。ヤジロンは?叶った?』
―私の努力の賜物・・・とも言えるけど、叶った事には変わりないよね―
空書きをする私を見た彼は、以前私がカナに託した手紙を思い出した。楽になった私に事の真相を聞いた。
私はもちろん大きく頷き、私も彼に同じ質問をした。
―ヤジロンは、どうなんだろう・・―
『実は、僕も叶ったんだよ』
『えっ、本当に』
―ヤジロンも叶ったんだね―
彼は二・三秒ほど間をあけ、明るく言い放った。
私も彼の言葉に声のトーンが上がり、さっきのバトルの疲れがどこかへと旅立ってしまった。
『うん。何だと思う?』
『ううんと・・・』
―ヤジロンの事だから、{進化する事}・・かな・・。・・でも、それなら叶った事にならないよね―
私は彼のクイズに、黒い空を仰ぎ見ながら考え込んだ。しかし、何も浮かばず、ただ北風が吹き抜けるだけだった。
『・・分からないよ・・。何なの?』
ついに私はギブアップし、首を傾げながら真相を訊ねた。
―・・・本当に、何なんだろう・・・―
『それは・・・』
『それは?』
『・・{離ればなれになっても}、・・グレイシア、{きみとまた再会する事}だよ』
『・・私と?』
『うん。覚えてないかもしれないけど、千年彗星のお祭りに行った時、「引っ越すかもしれない」ってカナが言ってたでしょ』
―・・そんな事、言ってたっけ―
『・・ごめん、覚えてないよ』
私は首を横に振った。
『もう何十年も経っているから、仕方ないよね。ええっと、あの時、「カナのお父さんの仕事で転勤するかもしれない」って言っていたんだよ。・・でも結局転勤は無かったことになったんだよ』
『なら、叶わなくなっちゃったんだね』
『うん。・・でも、シンヤ達は大学で初めて離ればなれになった・・』
『カナはコトブキ大学、シンヤはクロガネ大学だったもんね』
『そう。大学時代は二人とも実家から通っていたけど、就職してからは完全に会えなくなった・・』
―言われてみれば、そうだね。カナはおばあさん達が住むキッサキシティ、シンヤは転勤でナギサシティへ・・・。十年近く経った後だけど、本当に離れちゃったんだよね・・・―
淡々と話を進めるヤジロンの声は、話を進めるごとに広がる夜空のように暗くなっていった。
『・・って事は、今日会えたから・・』
『・・そうだよ』
―願いが、叶ったって事だよね―
彼の中の夜空には、私の言の葉をきっかけに白く輝く星が一斉に光り始めた。
そんな彼の心と共鳴するかのように、私達の頭上に広がる漆黒のキャンバスにも大きな光の絵画が描かれていた。見慣れているはずの星空が、私にはいつも以上に神秘的な空気を纏って見えた。
―――ヤジロン、願い事が叶ってよかったね―――
Finit・・・