Quatre 初めてのバトル
Sideコット
「それじゃあはじめよっか」
「うん。コット、初めてのバトル、絶対に勝つよ!」
『もちろん』
我先にと研究所の建屋から飛び出していったエレン君を追いかけて外に出たぼく達は、適当な間隔を開けて向かい合った。まず初めに、勝負を仕掛けてきたエレン君が、高らかに声を上げる。それに答えるかのようにニド君も一歩前に出て、これから始まるバトルに備えた。
一方、挑まれた側のカナはというと、その彼の宣言に大きく頷いて、パートナーのぼくにも声をかけた。ぼくも彼女の気合いを正面…、正確には背中で受け取った。
――カナ、がんばるから指示お願いね――
「コット、体当たりで攻めるよ」
『うん』
そして、カナの第一声と共に、ぼくにとっての初陣が幕を開けた。
ぼくはカナからの指示を受け取ると前脚、後ろ脚の両方に力を込め、走り慣れたワカバの大地を思いっきり蹴る…。風を切る音を耳で感じながら技のイメージを膨らませ、全身に力を蓄えながら相手に狙いを定めた。
――原作では技を選択したらすぐに発動してるけど、本当はこうしてイメージしないと使えないんだよ。だってそうでしょ? 例えば、初めて何かをする時は絶対って言ってもいいくらいそのイメージをしてからする…。それと同じだよ――
「ギリギリでかわしてどくばり」
『任せて〜。毒針』
『うわっ』
迫り来るぼくに対して、ニド君は急に左に跳んでそれをかわす。目の前から突然いなくなったから分からないけど、多分前脚が地面につくのと同時に向きを変え、正面の敵を狙って小さな棘を撃ちだしてきた。それは不意を突かれたぼくに余すことなく命中した。
――くっ! やっぱり、攻撃されると痛いよ。でも、毒状態にはならなかったみたいだから、きっと大丈夫だね――
「もう一回体当たり」
「つつくでついげき」
『ちょっと痛かったけど、今度はそうはさせないよ! 体当たり』
攻撃をうけたぼくは、若干顔を歪めながらも耐え、次の行動に移った。前に進んでいた進路を左に変え、走る足を止めずに相手の背後にまわり込んだ。そして彼に対して声を荒げながら技を発動させ、勢いを乗せて相手に思いっきり突っ込んだ。
『エレン、いつもの作戦だね〜! つつく』
その間にニド君はその場で立ち止まり、一度ぼくを鋭い目つきで睨みつけた。そしてそのすぐ後に別の技のイメージを膨らませ始める。ぼくが彼と向き合った瞬間に頭を低くし、小さな角を向けながらまた走り始めた。
――ニド君は技でぶつかり合うつもりもたいだね。でも、毎日カナを起こすのに使ってる技だからま…――
『っぐ! 嘘…でしょ』
――けるはけには…、えっ――
「コット」
正面からぶつかり合い、お互いにダメージを与え合った。でも、よりスピードに乗っていた僕の方が力負けし、元来た方向に派手に吹っ飛ばされてしまった。
――ぼくの方が速かったのに、何で――
『っく…』
そしてぼくは受け身を取ることが出来ず、叩きつけられた衝撃を受け流すことが出来なかった。
――スクールで二、三くらい遊びでつつくをくらった事あるけど、こんなに痛かったっけ? それに、前が霞んできた――
「いっきにいくよ! にどげり」
「かわして」
『これで決まりそうだね。二度蹴り』
相手はこのチャンスに攻撃の手を止める事はせず、立ち上がれないぼくとの距離を一気に詰める。一メートルまで迫った瞬間に彼は跳びあがり、着地と同時にぼくを蹴り飛ばした。
『…っ! 』
「コット!」
弱点属性をくらったぼくは、耐えきる事が出来ずに崩れ落ちた。そしてそのまま視界が暗転し、ぼくは意識を手放した。
――カナ、ごめん。…勝てなくて――
――――
「カナちゃん、お待たせ」
「いつもありがとうございます」
『カナ、ごめん。勝てなくて』
ぼくがニド君との初めてのバトルで負け、気を失ってからたぶん数十分後。ウツギさんはぼくを腕に抱えて研究所から出た。初戦を黒星で飾り、申し訳なさから耳が下がっているイーブイを、トレーナーの元へと引き渡した。その彼女はパートナーを受け取ると、抱いたままぺこりと頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。
彼や彼女とは異なり、気分が小雨の前の空模様の様に沈んでいるぼくは、彼女の腕の中で、消え入りそうな声で呟いた。その声は通り過ぎるそよ風にでさえ勝つことが出来ず、誰の耳にも入る事は無かった。
――はじめてのバトル、上手くいかなかったな…。結局一回も攻撃を当てられなかったし、かわすことも出来なかった…。それに、何でかは分からないけど、一回目のつつくよりも二回目の方が痛かった。睨まれた気がしたけど、本当に何でだろう――
カナに抱かれたままのぼくは、光り輝く太陽をぼんやりと見たまま自問自答を繰り返す。敗因を探ろうと記憶を掘り起こしてみたが、思い出す事全てが欠点だらけ…。しまいには負の連鎖にはまり、抜け出せなくなってしまった。
――ニド君はつつくだけじゃなくて、毒針と二度蹴り…、色んなタイプの技を使ってた。それに対してぼくは、ノーマルタイプの体当たりだけ。もしかしたら、使える技の数が負けた原因… ――
「コット? もしかして、負けちゃったこと、気にしてる」
『…うん』
――かもしれない――
完全に沈み込んでいるぼくに、カナは優しく話しかけてきた。その言葉には、疑問と共に、激励の感情が含まれているように感じられた。彼女が差しのべた温もりによって、ぼくの凍りついた正の感情をじんわりと融けはじめる事になった。その甲斐あってぼくは初めてパートナーの言葉を聴き取り、ゆっくりと浅く頷くことができた。
「わたしたち、初めてのバトルだったんだから仕方ないよ」
――初めてでも、同じ日に出発するニド君たちにあんな負け方をするなんて――
彼女の言葉に、ぼくは依然として表情を曇らせながら首を横に振る。それから、ぼくは彼女の腕の中から勢いをつけて跳び降り、正面に向き直る。その真上を見上げてから、ぼくは自身の右前脚で想いを描き始めた。
でも、いっかいもこうげきがあたらなかったから、そうもいってられないよ
――悔しすぎるよ! ――
『だから仕方なくないよ』
文章を書き上げたぼくは、上下左右に動かしていた前脚を地面につける。文字を書くために下していた目線を上に戻し、抗議の眼差しで彼女に反論した。
「ううん。コット、バトルって、最初はそういうものなんじゃないかな」
『えっ? 』
カナは負の感情に囚われたぼくを優しくなだめる。首を横にふりながらこう言い、取り乱している僕に訊ねた。その言葉がぼくの暗闇に光をもたらし、影の侵食を食い止めてくれた。
彼女の温もりで、負の氷がある程度水になったぼくは、頓狂な声と共にハッと見上げた。その瞬間ぼくの反ばくはピタリと止んだ。入れ替わるように平生を取り戻し、もう一度右足で文章を記述した。
どういうこと?
簡単に書き終えるとぼくは首を傾げ、彼女にその言葉の真意を聞いてみた。
ぼくの声だけで意思を読み取ってくれたのか、カナは空中に描かれた言の葉を読むことなく、ゆっくりと語り始めた。
「だって、そうでしょ? 初めてなのにすんなり出来る人なんて、ほとんどいないでしょ? それにコット、よく考えてみて。コットは最初っから文字の書き方も読み方も知らなかったでしょ?」
『うん、確かにそうだけど』
――だって、“文字”は普通、人間がつかうもの、ポケモンはそれを使えないのが普通だもんね――
カナはそういいながらしゃがみ、首を傾げるぼくに優しく語りかけてくれる。ぼくにはそれが、青い空の太陽のように、光り輝いているように感じられた。
「だからコット、バトルも勉強も一緒だと思うの。わたしも初めてだっから、お互い様だよ」
『カナ…』
――バトルと勉強が、一緒…?――
カナはそう言いながら、ぼくの頭を優しく撫でる。いつも変わらない明るさで、敗戦で落ち込むぼくを励ましてくれた。
「コット、一緒にがんばろ! そして、一緒に強くなろ!」
『…うん!』
彼女は、まるで自分に言い聞かせるように、声をあげる。不思議とそれによって、ぼく自身も同じことを言ったように感じられた。カナの言葉によってぼくは何とか立ち直り、下がっていた耳も、ピンと立った。そしてぼくは、励ましてくれたパートナーに想いを伝えるべく、右前脚をあげた。
カナ、げんきがでたよ。ありがとう。
吹き抜ける春風に想いを乗せて、ぼくは一文字一文字、ゆっくりと書き上げた。それは彼女の決意と混ざり合い、ぼくたちが向かう行き先を示してくれたような気がした。
――そのための、旅だもんね。ぼく、深く考えすぎてたよ。カナ、心配かけて、ごめんね――
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