Deux 顔なじみの博士
Side コット
「すみません! ウツギ博士っていますか?」
ちょっと時間がかかったけど、ぼくたちは最初の目的地である、ポケモン研究所の自動扉をくぐった。中に入ると、棚いっぱいに納められた本棚が規則的に並べられ、簡易的な壁を造っている。背が小さいぼくから見ると、それはどこまでもそびえ立つ重壁に感じられた。慣れているにもかかわらず、ただばらない圧迫感を与えられる。でも、そこからは使い込まれた紙の香りが漂い、何故かはわからないけど、安心感を与えていた。意識を嗅覚から聴覚に変えると、部屋の奥の方からは、微かに何かを書く音が響いている。また、それと競うように機械音が混ざり、そこが研究施設である事を改めて実感させてくれるのであった。
そんな入り慣れた空間に立ち入ったカナは、扉が閉まるとすぐに大声を上げ、目的の人物がいるであろう部屋の奥を覗き込んだ。
――実はぼくたち、ここに来るのは初めてじゃないんだよ。何故かって? 何故かと言うと、ここはカナの家の近所。家から五分も歩けばすぐ着くんだよ。元々ワカバタウンは田舎町で建物が少ないっていうのもあるけど、キキョウシティにあるスクールの帰りに毎日寄ってたんだよ。だから、ここの研究員とも顔なじみってワケ――
大声を上げるカナの左側を歩くぼくは、人間達には楽しめない香りのベールに癒されながら、その人の到来を待った。すると、奥の方から機械の音に混じって、コツコツと軽い音が響き始めた。
「やあカナちゃん、待ってたよ」
次第に軽い音が大きくなり、ある程度すると、ぼくたちがいる通路の三列先から、一人の男の人が姿を現した。ぼくから見ると、その人はカナよりも背が高く、痩せ型と言った感じ。着ている白衣のボタンは全て外され、中には黄色っぽいシャツを着こんでいる。視線を上に向けると、顔はやや細めで丸いメガネをかけている。
――まさに、研究者って感じだね――
その人は空いている右手を軽く上げ、会釈しながら近づいてきた。
「寝坊しちゃったんだけど、時間、大丈夫ですか」
「それなら心配しないで。今日旅立つのはカナちゃんとコットだけだから」
『カナってスクールの卒業式を寝坊したことで有名だもんね』
――それに、街から遠すぎてあまり住んでる人いないもんね――
笑顔で迎え入れてくれた彼に、カナは遠慮気味に伺った。その彼は「気にしないで」とでも言いたそうに、右手を顔の前で左右に振った。博士の様子に安心したぼくからも自然と笑みがこぼれた。
――カナが卒業式の日に寝坊したのはいい思い出だよ。確かその時は、バスでは間に合わないから、カナのお母さんのオニドリルに乗せてもらったっけ――
「だってワカバには同い年の友達はいませんから…。ショウ君は一つ下で、レイカちゃんもそうだから…」
そう呟きながら、彼女は指を一本ずつ折っていき、ワカバに住む友達の数を数えはじめた。
――子供の数が少ないのは、ここが田舎だから仕方ないんだけどね――
この町に住む、同世代の名前を読み上げるカナの隣で、ぼくはその人たちの顔を思い浮かべていった。
「だから初心者用のポケモンも用意してなかったんだけど…」
「だっていても選ばなかったポケモンはリーグ協会に戻さないといけないもんね」
――地方によって違うみたいなんだけど、確かジョウト地方は、チコリータとワニノコ…、それからヒノアラシの三匹だったっけ? それも一度に二人以上旅立つ時にしか来ない事になってるもんね。ちなみに、さっき出たリーグ協会っていうのは、原作でいうとジムリーダーとか四天王、チャンピオンを任命したり、バッジとかを管理したりする機関。一言で言うと、トレーナー関係の部署って感じかな? トレーナーの登録もこの機関がしてるし――
数を数え終えたカナは、申し訳なさそうに言うウツギさんの言葉を途中で遮った。そして、そのまま「そんなの、最初から知ってるよ」とでも言いたそうに言葉を連ねた。
『そんな事よりも早く登録を終わらせちゃおうよ』
――カナ? そんな事よりも早く出発したいんじゃないの――
他愛のない雑談で盛り上がり始めている二人に、ぼくは強めに声をかけた。二人には鳴き声にしか聞こえないそれに、「待ちきれない」というメッセージを乗せる事となった。ぼくの声は、そびえ立つ本棚に幾多にも跳ね返り、遠くの方まで響いていった。
――ポケモンの言葉は人には伝わらないって言ったけど、たまーに分かってもらえる事があるんだよ――
「ん? コット、どうしたの」
『だから、早く登録を終わらせちゃおうよ』
そう声を荒げながら、ぼくは彼女達の前に飛び出した。その勢いで五、六歩ぐらい走り、一度振り返る…。それからすぐにまた正面に向き直り、研究所の奥へと走り始めた。
「コット、待って」
「おおっと、そうだったね」
――ほら、こうして身振りで伝えれば、何となくは分かってもらえるでしょ? ――
ぼくの行動から意味を察してくれたのか、ウツギさんはその事を思い出してくれた。それに対して、カナは違っていた。突然走りだしたぼくを追いかけるだけに留まった。
ぼくに促された二つの足音はコツコツと軽い音を響かせ、本棚の林を駆け抜けていく。その二つの音を先導するぼくは、時々後ろを確認しながらスタスタと駆ける。その足音は一度も止まる事は無く、部屋の奥まで続いていった。
「あっ、そうだった! コット、やっと思い出したよ!」
『はぁー…。やっと思い出したの』
――カナ、いくら何でも気付くの遅すぎるでしょ――
言うほど距離は無いけど、研究所の一番奥の壁が見えたところで、ようやくカナはここに来た目的を思い出した。そんな彼女にぼくは呆れ、ため息しか出なかった。
「わたし達ってトレーナー登録しに来たんだよね」
『はぁー…。あれだけ「トレーナーになる」って言ってたのに忘れるなんて』
――このままだと先が思いやられるよ――
「そうだよ。…さぁカナちゃん、この紙に住所とか書いちゃって」
「博士、そんなの、わたしが書かなくても分かってますよね? 」
「いや、これも決まりだから…」
一番奥の部屋に辿りつくと、ウツギさんは近くの棚の前で立ち止まった。そこから一枚の紙を取り出し、白衣のポケットに差し込んでいたペンと一緒に、部屋のど真ん中にある大机に置いた。
この部屋…、いや、空間に来るまでの道のりとは違い、この場所は天井の照明で明るく照らされていた。散々見てきた本棚はここだけ一辺しかなく、敷き詰められているはずの本の姿が全く見られない。その代わりに、さっき出した書類と同じような紙が一枚ずつクリアファイルに綴じられ、年代順に並べられている。それ自体もイニシャルごとに色分けされ、かなり見やすくなっている。
――これはちょっと小耳にはさんだ話なんだけど、この中に何年か前にロケット団っていう組織を壊滅させた人のデータがあるみたいなんだよ――
話を元に戻すと、本棚の反対側には、色々な機械やパソコンが置かれている。また、残りの辺には窓が設けられ、この部屋の幅が建物の幅であると教えてくれていた。
そんな開けた空間中ので、二人はコントじみた会話で、また盛り上がり始めた。それでも紙に文字を書く音は止まる事は無かった。
その間のぼくはと言うと、勢いをつけて机に飛び乗り、彼女が書く筆跡を目で追った。ぼくが机に乗ってる理由を知ってる彼らは、そのイーブイに対して、何も言う事は無かった。
――平仮名は何とか覚えれたけど、漢字は読めるだけで書くのは無理。だからまだ練習中なんだよ。そもそも、ぼくに文字を覚える事を勧めてくれたのもウツギさん。だから乗ってもいいってワケ――
「博士、書けました」
スラスラとペンを走らせていたカナは、「ふぅー」と一息つきながらそれを机に置いた。紙に書かれた文字は細かく、下側が綺麗に揃っていた。彼女の様子を見守っていたウツギさんは、「うん、間違いはなさそうだね」と言いながらそれを受け取り、壁際にあるパソコンの方へと歩いてい…
「すみません! オイラもとうろくおねがいします」
「うわっ! ビックリした」
カナから受け取った資料を打ち込むために、パソコンを起動させようとしていたウツギさんは、突然響いた大声に驚いて紙を落としてしまった。ぼくとカナもその声にとびあがり、思わずその方に振りかえった。
――はい?!――
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