四 「ああ、お姉さま、あたしに悪行をご指導ください」
以前も申し上げましたように、あたしは怪獣取扱免許を取得しておりませんから、モンスターのタッちゃんをそれまで怪獣勝負のためにきちんと訓練したことがありませんでした。
怪獣勝負といえば、互いの飼っているモンスターを喧嘩させてその勝敗を競う競技のことですから、そのようなことのためにタッちゃんに痛い思いをさせることなんてあたしには考えも及ばなかったのです。
ですが今やR団となったあたしがタッちゃんを召抱えのモンスターとして連れてきましたからには、将来のR団の活動に役立つようきちんと訓練を施しておくというのがスジでありました。
そういうわけであたしは、メノクラゲ姉さまのご指導を受けながら、タッちゃんを立派なR団のモンスターに育て上げるべく馴致調教というものを始めたのです。
タッちゃんを連れて調教室にやってきたあたしは、お姉さまから一本のムチを頂きました。
革紐を編みこんで作られた、あたしの身長の倍もありそうな長さのムチです。
「馴致調教に際してはデリカシーというものが大切です。そうして厳しくムチで責めるのよ」
「エッ……これでタッちゃんを叩くのですか」
タッちゃんをムチで打たなければならないということに、あたしはたいへんな戸惑いを覚えました。
お姉さまに仰る通りに、ムチを振りまわしてタッちゃんの身体にビシャリと叩きつけます。
するとタッちゃんは、金切り声を上げて転げまわるのです。
胸が締め付けられます……きっととても……とても痛いでしょう……あたしが代わりにムチを打たれたとしたら果たして我慢できるでしょうか……
以前ではあたしのもとで自由を許されていたタッちゃんが、あたしが打ちつけるムチに怯えた様子をみせるのです。
それが可愛そうでたまらないのです。
「お姉さま、伺ってもよろしいでしょうか……調教のためとはいえ、あたしがムチを振るうことで、タッちゃんはあたしを嫌いになったりしないでしょうか」
「いいこと。モンスターをムチ打つことと、モンスターを自分勝手にいじめることとは、ぜんぜん違うことなのよ。何度も何度も繰り返しムチで打ちつけられて、あなたの方が強くて偉いんだということを教えてあげなくちゃいけないわ。そうしたらモンスターはあなたに服従して、あなたのいうことをなんでも聞くようになるわ。それが畜獣の
悦びというものなのよ」
ムチで打たれて、痛い思いをさせられて、どうして従順になれるものでしょうか。あたしには分かりません……
いいえ、でもお姉さまがそうおっしゃるのですから、きっとその通りなのでしょう。
恐る恐るタッちゃんをムチで責めていくうち、不思議なことにあたしは、お姉さまのおっしゃることの意味がだんだんと分かるようになってきました。
ムチで打てば打つほどにタッちゃんはあたしを怖がって、あたしの顔色を伺い、立ち居振る舞いを気にするようになったのです。あたしの気に障るまい、気に入られようとして、どうして欲しいかを必死にくみ取ろうとするのです。
決まった場所でトイレをさせたり、あたしの後をきちんとついて歩くよう教えるということができるようになったのです。
そうしてムチで打たれまいと頑張っているタッちゃんの姿を見ていますと、これこそが人間に従うべく生まれたモンスター本来の姿だったのだと気づかされるのです。
あたしはそれまで、ときおりタッちゃんがいうことを聞いてくれないといったことに、何やらモンスターの自主性のようなものを感じていて、ややもするとそれが可愛らしいというくらいに思っておりました。なぜならあたしにとってタッちゃんは唯一の逃げ場でしたから、そう思わずにはいられなかったのです。でもそんなものはお姉さまやニドキング様のおっしゃるように単なるあたしのエゴであって、見たいものを見ていたに過ぎなかったのです。
だって、お姉さまがそうおっしゃるのですから、そうに違いないのです。
果たして不可能に思えた様々な芸が、ムチを使って一つ一つ覚えこませていったならばタッちゃんにも出来てしまうということが分かってきますと、モンスターをムチ打つということが次第に耐えがたい快感として感ぜられるようになってくるのでした。
「人間に服従するということの
悦びを教えてあげるのですね」
このご指導の中で、ムチ、すなわち体罰というものが、モンスターの調教に大変有用なものであることを学びました。
それはあのふれあい公園にいたトレーナーたちが行っていたように、乱暴に振り回してモンスターを傷つけるためのものではありません。
あたしはまだそれほど上手には扱えませんけども、お姉さまがお手本に振るってくださるムチというのはそれは美しく優雅なものなのです。
そしてこのR団式の怪獣調教方法というのは、とある認定ジムの流派にゆかりを持つたいへん由緒正しいものなのだそうです。
「モンスターの調教にムチを使わないジムもあるけれど、そういう流派はたいがい、モンスターをあまえさせたい人間のエゴを満足させるだけで、モンスターの本当の幸福を願ったものではないの。R団ではこのほかに薬も用いるけど、それはあなたがもう少しステップアップしてからにしましょうね」
そしてこのタッちゃんに調教を施すという行為それ自体が、あたしが一人前のR団員になるための、R団式にモンスターを調教する方法を学ぶ訓練でもあるのでした。お姉さまがおっしゃるには、
「あなたはこれを機会に調教というものがどういったものか学ばなくちゃいけないわ。
それというのも私たちの
資金繰りの一つにモンスターを売りさばくというものがあるからなのよ。
珍しいモンスターなら仕入れた
現状でいくらでも売りつけることが出来るわ。捕獲や繁殖が難しいモンスターというのは、それだけでいくらでも買い手がつくものですからね。
でもそうでないモンスターには、あらかじめ馴致調教を済ませて出荷するということがあるの。
調教というのは手間と技術が必要だから、そういう付加価値をつけて商品にするということね。
調教師という堅気の商売も調教業を売り物にするけれど、これは顧客のモンスターを預かるために行政の認可を受けているわ。
あたしたちの場合は自前で仕入れたモンスターを調教してから売り渡すので認可を受ける必要はないの。
そしてあなたはいずれこの商売で調教係を担えるように努力していかなくちゃいけないわ。
例えばここに、これからモンスターを飼いたいと考えておられるお客様がいらっしゃったとしましょう。
お客様は、自分にすぐになついてくれるモンスターと、なかなかなつかないモンスターと、どちらを欲しいと思うかしら」
「それは……すぐに目いっぱい可愛がりたいと思うのではないでしょうか」
「そうね。普通の人はモンスターになつかれることで
自己陶酔たいと考えるものね。
ところが困ったことに、一度人に育てられたモンスターというのは、それ以外の人にはなかなかなつかないものなの。
モンスターは世話をしてくれる相手に愛着を示し、より親密な関係を要求するわ。
そしてその相手が突然いなくなることにはストレスを感じてしまう。
これを《愛着理論》と呼ぶのよ。
モンスターを調教した上で売るためには、調教の中でこの愛着形成を起こさないようにしてやる必要があるわ。
そうでないと、モンスターは売られた先で愛着対象の喪失を経験することになるから、愛着障害だとか、発達の遅滞を招く可能性があるの。
だからお客様がモンスターにとって最初の愛着対象であるのが理想とされてるわ。
モンスターを不用意にあまやかしてはいけないのにはこういう理由もあるのよ。
モンスターの調教というのはどんなジムであれ絶対服従が基本よ。
私たちの用いるR団式調教術では、この愛着理論ではなく、身体的な刺激に基づく適応すなわちムチと薬を使用した条件付けモデルによってモンスターの調教を行うの。
モンスターは人間への愛着を形成しなくても、条件付けモデルによって使役関係へ適応することができる。
愛されないということの抑圧と共感能力の欠落が攻撃衝動を増幅させるから、モンスターを戦わせるために調教する場合ならこの方が一層効率がいいのよ。
注意しなければならないのは、使役者がモンスターより上位であることをムチと薬物によって常にモンスターに対して知らしめなければ、
反噬する場合があることね。
厳しすぎてはいけないし、それと同じくらい優しくてもいけない。とてもデリケートな、気難しいものなのよ」
お姉さまのお話を聞いているうちに、R団のためにモンスターを調教するということがどういうことなのか、自分が何をしたらいいのかだんだんと分かってきたような気がします。しかしそこであたしの胸に小さな不安が芽生えるのでした。
「ということは、売り物にするモンスターはあたしたちが厳しく調教しても、あとでちゃんと愛着というのを持てる飼い主ができるんですね」
「そうよ。売り物のモンスターの場合はね」とお姉さまが答えます。
それなら売り物にしないタッちゃんの場合はどうなるのでしょう。タッちゃんはそれまで確かにあたしになついていました。そのタッちゃんのあたしへの愛着というものは、R団式の調教を経てどういう風に処理されるのでしょう。
お姉さまはそんなあたしの考えを見透かしてか、「私の飼っているモンスターをご覧なさい。これは
内臓に毒ガスを孕んでいるけれど、きちんと躾けているから決して私たちに刃向かって猛毒を吐こうというような恐れはないのよ。あなたの調教を見ているとそれがたいへんスジがいいので、もっと訓練すればそのうちあなたもこのようにモンスターを自由自在に躾けることが出来るようになるわ。R団式調教術をあなたはまるでスポンジのように吸収していくんですもの。教えている私の方が嬉しくなっちゃうくらいだわ」
「そのお言葉が本当でしたら、それはきっとお姉さまがとても調教がお上手で、それからあたしへのご指導がとても丁寧なために違いありませんわ」
訓練の中でお姉さまがことあるごとにあたしを褒めてくださるのがとても嬉しいものですから、あたしはつまらない不安などすっかり忘れてしまって、タッちゃんへの調教をますます熱心に励むのでした。
だって何をしても叱られていた以前とは違います。
お姉さまが褒めてくださるたびに、あたしの心は大きくふくらんで、わくわくとした気持ちになってくるのです。
モンスターと触れ合うお姉さまの姿がそれは美しい……そのお姉さまとご一緒できる心ときめく時間……継母にいじめぬかれて過ごしたあの家での日々からは考えられない充実した毎日でした。
お姉さまはモンスターの調教以外にも、R団の秘密アジトで過ごす日々の生活の中で、黒尽くめの制服をより可愛らしく着こなす方法とか、お菓子をこっそりと隠しておくための場所だとか、それから男を
虜にしてこき使う
手練手管だとか……そういうとてもステキな秘密ごとをたくさん教えてくださるのでした。
「あなたは」とお姉さまはおっしゃいました。「こういったことを絶対に内緒にしなくちゃならないのよ。それというのも、こういったことが本来ならばR団の規則に違反することがらなんですからね。定められた規則に反抗することが日々の暮らしをどれだけ刺激的なものに変えうるかということをあなたはご存じかしら」
それを聞いてあたしは胸にときめきを感じながら、「あたしはきっと秘密を守ることをお約束しますわ。なぜならこの罪悪の共有と秘密の遵守があたしとお姉さまの絆をますます強固にすると信じられますから」
こういった親交の中で、あたしはお姉さまをますます敬愛するようになっていきました。
R団に入る以前のあたしにとって唯一の友達であったタッちゃんとのそれよりも、もっともっと親しく深い絆であたしとお姉さまは結ばれているのです。
それはあたしが忘れていた、ややもすると生まれてから一度も知りえなかった、人から愛されるということの喜び、そして人を愛するということの貴さを、あたしに知らしめてくれるものだったのです。
こうしてあたしのR団員としての生活はやがてお姉さまとできるだけたくさん、できるだけ長くご一緒できるようにというのが
至上命題となっていきました。
お姉さまはいつもご自分の仕事の合間を縫ってあたしに指導してくださいます。
あたしはというとお姉さまのお仕事が終わるのを待ったりしました。
そんなあたしにお姉さまがこんなことをおっしゃったことがありました。
「あなたは以前とは違って随分表情が豊かになったようだし、R団の男の方ともいくらかはお話ができるようになったようね。だからこれからはできれば一人でモンスターを調教してみてごらんなさい。いいこと。あなたが一人前のR団になるためには、一人ででもモンスターを調教できるようにならなきゃいけないのよ。私には私の仕事、あなたにはあなたの仕事があるんですからね」
「お姉さま」あたしは答えました。「あたしまだまだ一人でタッちゃんの調教なんてできません。だってこないだ教わったムチの振るい方をもう少し詳しく教えていただけませんと。それからタッちゃんにはどんなエサが合うでしょう。ねえお姉さま、あたしいつお薬を使った調教を許していただけるでしょうか。お姉さま、ああ、お姉さま、きっとこれからもあたしにご指導くださいませね。一人でやれだなんて、そんなこときっとおっしゃらないでくださいませね。それにあたし、お姉さまと一緒にいられるなら一人前になんてなれなくても別にかまやしないんですわ。さあお姉さま、今日も調教室までご一緒しましょう。あたしずーっと待っていたんですから」と、あたしはそれほどまでにお姉さまのことが大好きだったのです。
ところが、R団員として過ごすこういった楽しい毎日の中にも、あたしの気に入らぬことはありました。
たとえばある日、アジトの中の調教室へやってきたときのことです。
この日もあたしはあわよくばメノクラゲお姉さまと過ごしたいと考えまして、お姉さまのお住まいを訪ねてみたり、それからほかの団員たちのたむろする部屋を探しまわったりしたのですがお姉さまはなかなか見つからず、もしや先に調教室へ行ってしまわれたかも知れないと思い、一人で調教室へやってきたのでした。
ところがそこにもお姉さまはおらず、代わりに一人の
男の先輩がモンスターの世話をしているのでした。
しかたなくここで少し待っていてみようかとその男の様子を見ていましたところ、モンスターをブラシで優しくなで上げたり何やら言葉を話しかけたり、モンスターの方も男を慕っているらしくすり寄ったりしていて、どうにも甘やかしているといった感じなのです。
あたしは今ではそんな様子を見ていますと虫唾が走る思いなのでしたが、お姉さまがやってくるかも知れませんからしばらく我慢して待っていました。
そうしますと男はようやくあたしに気が付いたらしく、手を休めて話しかけてくるのでした。
「お前はこのところメノクラゲに懐いている新人だな。メノクラゲはここには来ないぜ」
「どうしてあなたがご存知なのでしょうか」
「お前の知ったことではないな。そうさね、舎弟に付きまとわれるのが面倒になったので隠れているのではないかな」
こういった言いようにあたしは頭にきまして、
「さきほどからお
先輩さんの様子をうかがっておりますと、
幹部さまのおっしゃる間違ったモンスターの扱い方に見受けられますが」
「ニドキング
幹部か。あれはエゴイストというものだぜ。どれか一つのやり方が正しいということはないのだ。ムチ打つばかりがモンスターじゃなし。俺には俺のやり方があるのだ。お前なんぞに指図される覚えはないな」
驚きました。
私とお姉さまが深い絆で結ばれてはいても決してその立場の上下というものを侵しませんように、R団というのは基本的に厳格な縦社会を形作っています。
その中でこのように目上の者への批判を軽々しく口にできるものがいようとは。それもこのような陰口じみたかたちによって……
「お言葉ですけども、あたしはメノクラゲお姉さまのご指導のおかげでずい分とモンスターの取り扱いが上達いたしましたものでして、今では
幹部さまの仰ったことがよくよく分かるのです」
「ふん。教えておいてやろう」とその
先輩は申しました。「メノクラゲというのはな、モンスターの扱いが下手で下手でしょうがないのだ。お前は
三下だから知らぬだろうが、あいつはそのために全然金回りが悪くて、いまだにパチモンの調教なんてチャチな
商売をしているのだぞ」
敬愛するお姉さまの悪口を言われたものですからあたしはますます腹が立ちまして、
「あなたは先ほどから
他人の文句ばかり仰っているようです。そのようにさっぱりとされていればR団のほかでも充分にやっていく方法がございましょうに、それでどうしてここへいる必要があるのでしょうね」
「そんなもの、金のために決まっているだろう」と男はケタケタと笑いながら、「モンスターを使っているだけで金がもらえるんだからこれほど楽なものはない。そういう意味じゃここはいいとこだぜ。金が貯まったらすぐにでもやめてやるがな。なに、足のつくようなことはしちゃいないぜ。お前だってほんとは年をごまかしているのだろう。みんな気づいているぞ。面白いもんだから誰も言い出さないだけさ」
「あなたの仰っていることは仁義にもとるように思うのですけど」
「
端から悪行を働こうって組織だぜ」
「あたしはあたしを立派な悪人に育てようとしてくださるお姉さまや
幹部さまを尊敬します。悪人であろうとも、いえ、もしかすると悪人だからこそ、仁義も必要なのではありませんか」
「きっとお前は
幹部の言葉はあんまりにも真面目に受け取っているんだなあ。あんなものは
大親父の言葉を受け売りしているだけに過ぎないのだ。R団の存在を正当化するための方便をそのままうのみにしている浅はか小物だよ。親切で言ってやる。あんなやつに感化されるのは詰まらんからやめた方がいいぞ。
幹部がエゴイストなら、よし俺もまた
個人主義者だ。動物を可愛がりたいと思う気持ちだってまた個人の欲望に違いない。細かい主義の違いについては実際のところ、金さえもらえるなら文句はねえが、俺はお前みたいな奴がどうにも気に入らねえな。
手前の心情を他人に預けてやがる。気に入らねえ」
あたしはとにかくお腹がムカムカとしてたまらなかったのですが、それ以上言い返す言葉も見つからず、諦めてただ立ち去るしかなかったのです。
この
先輩こそ、将来のあたしの
仇となりますゴーストとかいう男なのでした。