三 「あなたが悪事で心地よくなれるよう助けてあげるわ」
その夜、あたしたち新入団員は娑婆気を抜くための交遊会という催し物に招かれました。
アジトの広い一室にはすでにたくさんの食事といろいろなお酒が供されていて、そしてあたしたちにとって
先輩にあたる方々が待っておりました。
交遊会というのは、あたしたち新入団員が先輩方とたくさんお話をすることですぐに親しくなれるようにということで設けられた一種の歓迎会のようなもので、女子の入団が許されるようになる以前から行われていたR団の伝統行事の一つなのだそうです。
あたしの同期たちはすでにこういった宴を楽しむ術を知っていたらしく、さっそく先輩方と打ち解けて、賑やかにお話をし合っている様子でした。
そんな中であたしはと申しますと、せいぜい初めて口にするお酒の味を一口だけ確かめてみるのが精一杯といった具合でして、こういった晴れやかな場にまったく不慣れだったことと、それから先ほどの
幹部の恐ろしい訓示が未だに心に重く圧し掛かっているために、出来るだけ隅の方の席に座ってしまって、終わりまで一人でおとなしく過ごそうと考えておりました。
そうして男の方たちがそれは楽しそうにお話しているのを眺めておりますと、あたしなんかがここにこうしているのはひょっとすると何かの間違いなのではないかというような気さえしてきて、なんだか心もとない気分になってしまいます。
ところが若い女子団員というのは物珍しいらしく、先輩方や同期の男の方たちはあたしに話しかけようとしきりにやってくるのです。
あたしはこれまであまり男の方と親しくなった経験がありませんし、その上
先輩方やそれから同期の方たちときたら、見てみるとあたしよりよっぽと年上の方たちばかりなのですから、あたしはご挨拶の言葉さえ舌がもつれるありさまで、ますますちぢこまってしまうのでした。
そんなあたしを見かねたのか、
先輩らしい一人の女性団員があたしのそばへ分け入ってきて、
「お若いのね」
と声をかけてくださいました。
「こういった席は私も得意じゃないの」
男の方の多い交遊会の中で、こうして声をかけてくださったのが自分と同性の
先輩でしたから、ずっと緊張していたあたしでも少しお話してみようかという気になりました。
「あまりに初めてなことばかりなのでとても驚いているんです」
あたしがそう申しましたら、この女性はそれまであたしを取り巻いていた男の方たちに向かって、
「この子はこれから私とお話するのですから、どうぞ皆さんはほかの方とお話しくださいませ」
と訴えました。
そうすると男の方たちは、「そういう趣向なら仕方ない」などと言い残して、ようやくあたしたちを二人きりにしてくれるのでした。
こうしてあたしを助けてくれたこの女性は渡世名をメノクラゲといって、今年で十三になり、あたしより一年ほど早く入団したのだそうです。
お酒を口にしているらしく頬にほんのりと紅をさしている様子がとても美しく感ぜられました。
やがてあたしはこの方の親切さに安心して、
「お姉さまは優しそうだから」
と、心の内を打ち明けることにしました。
「白状しますけど、きっと内緒にしてくださいますね。先ほどあのニドキング様という
幹部の方の恐ろしい演説を聞いてからというもの、あたしは今にも不安に押しつぶされそうでたまらないのです。悪いことというのが、一体あたしにもできるかどうか、自信が持てません」
「だいじょうぶよ」
とメノクラゲ姉さまはとても優しく、
「私も初めのうちはとても出来そうにないと感じられたものだわ。今でも一月に一度くらい、自分の犯した罪が恐ろしくて死にたくなる日があるわ」
このように明け透けに胸の内を晒してくださることに、あたしはメノクラゲ姉さまへの信用を深めるのでした。
「でもね、
先輩たちに教えられて悪いことを一つ一つ出来るようになってくると、いつのまにか悪事を働くことに慣れてしまって、なんとも思わなくなってくるの。
そればかりか、
反ってそうすることが心地よくてたまらなく思えてくるのよ。
悪事を働くことに病み付きになってしまって、もっと悪いことをしてみたらどれほど気分がよいだろうかと期待してしまうのよ。
不安に思うというのは単にそれまでは禁止されていた行為だったからというだけのことで、悪事を働くことは全然平気なことなんだと一度分かってしまえば、あとはもうそれがとても気持ちのいいことだと感じられるものなの。
きっとそれまでは悪事を働いてはならないというような考えが自分をがんじがらめにしてしまっていて、本当は好きなことをやりたいのに、全然ツマラないことしか出来なくさせていたからだわ。
そんなものは初めから必要がなかったんだって気付けさえすれば、きっとあなたは何からも自由になって、とても晴ればれとした気分になれるはずよ。
例えば世間では未婚の女が男の方と懇意になることはとても恥ずかしいことだと教えられるけれど、それというのは女の権利を不当に制限するものにほかならないわ。
本当は男の方に対する愛情なんて面倒なものは始めから不要で、まして女が男を誉めそやしたり尽くしたりする必要なんかまったくなくって、むしろ自分の楽しみのためだけに厳しく苛め抜いてやるのが正しい姿勢と言えるのよ。
なぜなら女が本当に心を分かち合えるのは粗暴な男なんかじゃなく、私たちが求めるものをよく知りえている同姓でなくちゃならないからね。
だから、男女がお話しするというのは実はロマンチックなものでもなんでもなくて、男という道具を消費してそのスリルを楽しむという女の嗜みのことなのよ。
でもあなたはさっきから男の人を恐ろしがっていて、私といえばそんなあなたを守っていてあげたいと思うから、あなたがよければ今日はずっと二人きりでお話していてもいいわ」
「ああ、お姉さまのお言葉を聴いていて、なんだか
鬼胎観念があっという間に取り除かれてしまったような気がいたします。お姉さまが手を引いてくださったらあたし、悪いことでも何でもきっと出来てしまいそうな気がいたしますの」
あたしがそう申し上げますと、お姉さまはとても嬉しそうなお顔で、
「私はあなたが悪事を働いて心地よい気分になれるように助けてあげたいわ。悪事をおっかながるあなたがそれは可愛らしいものだから、もっといろいろと教えてあげなくてはと思えてくるの。だからこれから先、困ったことがあったらいつでも私を頼ってちょうだい。そうしてくれたら私も嬉しいからね。だって、楽しいことは誰かと一緒にやったほうがもっと楽しいに決まってるもの。
そうよ、きっと一人では難しいことだって分かち合うことさえできたら少しは違うはずだわ……一緒に立派なR団員になりましょうね」
こうしてメノクラゲ姉さまのお陰で、あたしはようやくR団の一員になれそうな気持ちが湧いてくるのでした。
まだ自らが悪事を働くということにこそ実感が持てませんでしたが、お姉さまとこれからもっと仲良くなれるというならば、もしかして本当にできてしまえそうにも思えます。
それからあたしはお姉さまにご一緒していただいて
先輩の方々にご挨拶をすることができましたが、その後はもっぱら二人きりでお話することを好むのでした。