5:おやすみなさい、小ネズミちゃん!(終)
朝が来て、空は呆れるほど穏やかだった。
「はっ」
パネマが目を覚ましたようで、声を上げた。
「あ、起きた」
「おはよう、まだ痛むところはないかい」
一瞬彼女は自分の顔を見上げて、ぎょっとした顔になったが、こいつが助けてくれたんだ、とオルフェがフォローを入れてくれた。
「いや、オルフェの助けが無ければどうなっていたことか。まあいずれにせよ、あなたを襲った人は僕らで何とかしたので、安心して下さい」
自分がこの星の住民の見分けがついていないように、彼女からしても私とあの男の見分けられていない可能性は大いにあり得る。何とか別人であることを分かってもらおうと、説明する。
「そう、みたいですね。あっ、他の人たちは……」
「多分大丈夫。助けを呼んだから」
オルフェは何とか明るく取り繕おうとした。心配なのも無理はない。しばらくして、パネマはようやくほっとしたような表情を浮かべてくれた。私は腕をほどいて、二人を膝から下した。
「あぁ、いい天気」
パネマは木陰の外に出て陽の光を浴びながら、うんと伸びをした。その後をゆっくりとオルフェが追う。
「本当だね。見て、虹も出てる」
「きれい」
交わした言葉はまだほんの少しなのに、並び立つ二人の背中はよく似ていた。これはお似合いかもしれないな、とぼんやり考える。
顔を綻ばせていると、急に頭の上に固いものが降って来た。何かと思って確かめると、黄金色をした柑橘類のような果実だった。
「あっ、オボンじゃないか」
オルフェの声がして、上を見上げると、沢山の実が成っていた。
「これ、食べれるのか」
「うん。皮とかはミツ漬けにした方がうまいけど、中身はすぐ食べれる。電撃で落とすから、受け取ってくれないか」
「分かった」
正確な指向性の放電で、きれいに二つ、果実を落とす。落とさないように、私はそれを受け取り、それぞれに手渡した。皮を千切り、中の実にかぶりつく。渋味と辛味、それから苦味。最後に訪れる、甘酸っぱさ。喉を通ればすぐに身体全体に染み渡るような、不思議な味だった。
山を下ると、村では大騒ぎだった。
隣村の村長はパネマの姿を見るやいなや、途轍もない勢いで彼女に飛び込んだ。キュウコンの身体はピカチュウの倍以上の大きさがあり、パネマが押しつぶされていないか心配になる。
「お騒がせして申し訳ありません。パネマさん、無事につれて帰りました」
オルフェはぺこりと頭を下げた。
「おお、君がか、ありがとう」
隣村の村長の取り乱しようは凄まじかった。それも無理からぬことだろう、と思った。自分の愛娘が突然一晩いなくなり、その上にあの嵐だ。下手をすれば、取り返しの付かないことになっていたかもしれない。
「私の方からも礼を言わせて下さい」
灰色のワニのような頭部を持った、ゴーリキーという種族の者が話しかけて来た。彼が街の方からやって来た警察のようだ。
「もしかして、街から凶悪犯が逃げ出したことを伝えてくれた……」
「そうです。しかし、奴の持っている奇妙な武器に撃ちぬかれてしまい、逃がしてしまいました。この島の方々がいなければ、私の命も危なかった。本当に、ありがとう」
彼は深々と頭を下げる。
「して、もし良ければ、何があったのか御聞かせ願えませんでしょうか」
私は頷き、彼に顛末を話した。パネマを攫い、山の方へと逃げ込んだものの、山道から足を踏み外し、落下した、と。彼に手を出した上での結末であったことは、言う必要はないだろう。
「きっともう、無事ではないでしょう」
「何と……署に戻って、危機は去ったとお伝えしなければ。住民の命を守って下さったこと、感謝致します。本当に、ありがとう」
いえいえ、こちらこそ、と私も頭を下げた。
警察との話を終えると、隣村の村長はようやく少し落ち着いたようだった。頃合いを見て、恐らくオルフェからは話しにくいであろう話題を振ってみる。
「そういえば、祭の結果はどうなりましたか。最終戦だけ、まだ行われていないとのことでしたが」
投げかけた質問には、傍で見ていたデンリュウの村長が答えてくれた。
「最終戦のオルフェの相手は、パネマさんの警護に当たっていた人だったのだが、警察の方と一緒に怪我してしまってね。片や不在、片や戦闘不能。そして、そのうち片方がパネマを見つけて帰ってきたとあっては、どちらがパネマの結婚相手にふさわしいかは自明、というものじゃないか、ねぇ」
「そうだとも!」
キュウコンの村長も、大きく頷いた。対戦するはずだった相手も同様だった。オルフェは口をぽかんと開けて、二人の村長を代わる代わる見つめた。
「えっ、それじゃあ、もしかして」
「そうだ。パネマと結婚する権利は、オルフェ、君にある」
デンリュウの村長は、にっこりと微笑んだ。
「さあ、どうする」
周囲の視線が、オルフェとパネマに集中する。
オルフェは居心地が悪そうに狼狽したが、やがて覚悟を決めたように大きく深呼吸をした。
「パネマ、結婚してください。村長さん、パネマさんとの結婚を、お許し下さい」
「ああ。娘を、よろしく頼みます」
その瞬間、大歓声が上がった。パネマは嬉しそうに涙を流している。
デンリュウの村長は手を叩くと、話を纏め始めた。
「それなら、早速結婚式の準備をしよう。奇しくも同じピカチュウ同士だ。それなら、このような作法がある」
何やら耳元でその作法とやらを二人に吹き込んでいるようだ。オルフェは多少慌てたものの、パネマはまんざらでもないように見える。
式の準備は村人総出で行われたこともあって、あっという間に終わった。
「おめでとう、オルフェ」
「緊張するなあ」
「そんなもんさ。頑張ってこい。折角の晴れ舞台なんだから、胸を張らなきゃ。写真、とっておくよ」
私は笑った。
結婚式の流れとしては地球人の感覚としても割とライトなもので、永遠に二人が添い遂げることを誓うと言うものだった。壇上の二人の晴れ姿を、皆で見つめている。
「それでは、パネマ、オルフェ。誓いのキスを」
私はカメラの電源を入れた。足元には、ピチューの姿が映った。とても幸せそうな顔をして、私に頷く。オルフェはもう、大丈夫だね。そう語りかけるようだった。
緑色の宝石のような石が、二人に手渡される。それを口に含み、互いに肩を寄せ合って、そっとキスをした。
その瞬間、二人の姿がまばゆく輝き始める。
ピカチュウの身体は倍ほどの大きさになり、尾は細長く伸びていく。光が消えると、体毛も黄色から橙色へと変化していた。彼らの言葉で「進化」と呼ばれる、成長現象だ。ピカチュウからライチュウへ。オルフェとパネマは今、大人への第一歩を踏み出したのだ。
私は何枚も、シャッターを切った。彼らの晴れ姿がいつまでも残るように。そして、オルフェの兄が安心できるように。
その夜、私はデンリュウの村長のいる離れ小島へと足を踏み入れた。
「あれ、ナガレさん。あの子たちはもういいのかい」
村長は先に帰っていたようで、ふと呼び止められた。
「そりゃまぁ、折角一緒になれたんですから。二人きりにさせてあげないと可哀そうですよ」
「ははは、それもそうだねえ」
村長は笑っている。
「して、何かこの島に用があるんだろう」
「はい。このデジカメを、オルフェのお兄さんに渡そうと思って」
オルフェの、と村長は言葉を繰り返した。
「これって、動力は電気なんです。元々電源が入らなかったのに、この島の裏手の池に近付いたことをきっかけに電源が入った。それから度々、ピチューの姿が映るようになった。あいつに聞いてみたら、お兄さんだって言ってました。このデジカメにあの子が憑りついたから、このデジカメは動いていたんです。彼がこのデジカメから離れたら、また電源は切れてしまうでしょう。僕が持っているくらいなら、彼にあげたい。オルフェが立派な大人になった証拠を、つぎの次元へ持って帰って欲しいんです」
なるほどね、と村長は呟いた。
「ちょっと、聞いてもいいかな」
何でしょう、と私は答える。
「君はどうして、オルフェをあんなに気にかけてくれたんだい」
村長のまなざしは優しい。話したくなければ、話さなくてもいいという雰囲気を持っている。だが、そんな村長だからこそ話したいと思った。
「私にも、婚約者がいたんです」
思い出せば、辛い記憶だ。
「私はかつて、惑星開拓の作業員をしていました。お金を貯めて、結婚しようって。もうすぐ結婚するっていう時に、その星の原住民の反乱が起きてしまいました。あっという間に我々の住居は侵略され、脱出を余儀なくされました。あの人を探している時間なんてないほど、あっという間の出来事だったんです」
目を閉じれば、あの日のことは鮮明に思い浮かべることが出来る。冷凍睡眠装置の眠りの中では、永遠の時間も一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。私の中では、まだ塗り替えることのできない、つい最近のことなのだ。
「私が流れ着いたこの島は、本当にたまたま、みんな優しかった。だから、できるだけ恩返しをしたい。そう思ってるんです。そうすることでしか、あの日を忘れることが出来ないんです」
気が付けば、私は泣きそうになっていた。
村長は短い腕で、そんな私を抱きしめてくれた。私がオルフェにしてあげたように。
「ありがとうね。きっと君にも、いいことがある」
私は細い胸の中で頷いた。ここに来てから、ずっといいことばかりです。
ドダイトスの裏に回り込み、池に近付く。それに伴って、ピチューの姿がカメラ越しで無くても見えるようになってきた。真夜中はあの世に近い時間帯なのかもしれない。
池の前に、私は腰を下した。最後に、オルフェの兄と少し話をしてみたかったのだ。暗闇にぼんやりと、半透明の黄色い小さな身体が浮かんでいる。
「君がいてくれたから、オルフェを助けることが出来た。教えてくれて、ありがとう」
私は頭を下げる。ピチューは少し申し訳なさそうな顔をしていた。
それもそうだ。いくら悪人だったとは言え、間接的に私は同郷の者を一人殺めてしまった。そのきっかけを、彼は作ってしまった。
「不可抗力……と言ってしまうには重すぎるね」
あの時殴りぬけた右手の感触は、正直未だに残っている。これから一生、ずっと抱えていくことになるだろう。だが、消えなくても時間と共に薄まっていくと信じている。守りたいものを守ったという思いが消えない限り、私は重さを忘れることが出来るだろう。
「大丈夫。僕は負けない」
私はデジカメをピチューに差し出した。彼は両手でしっかりと受け取った。
「後は任せて」
私の瞳をじっと見つめて、彼は納得したように頷いた。そして、池にぴょんと飛び込むと、水面に僅かな波を立てて消えていった。
私もいつか、つぎの次元へ。永い眠りに付くときは、ここで眠りたいと思う。
「話は出来たかい」
広場に戻ると、村長が待っていてくれた。
「はい」
私はにっこりと微笑んだ。そうか、と村長はゆっくりと頷いた。
「そう言えば、警察の方が何かお礼をしたいって言っていたよ。私の一存で勝手に決めてしまったが、街へ行くラプラス便のチケットを三枚、もらうことにした。オルフェとパネマ、そしてナガレさんの分。みんなで街を見てくるといい」
「本当ですか。きっと、オルフェも喜びます」
私は笑った。なんて幸運な男なのだろう。何だかんだ言って、オルフェは欲しいものを全て手に入れてしまったのだ。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
祭のあとも、日々は続いていく。明日彼に伝えたらどんな顔をするだろうか。考えるだけで、面白くなってきた。
満天の星空の下、私は砂浜を駆け抜けた。