3:南島恋愛専科〜または恋は言ってみりゃボディブロー〜
翌日、オルフェ一家の漁の手伝いを終えた後、祭の会場の準備に参加していた。この島の住民のおおよそは自分より小柄なため、力仕事を任されることが多い。おおよその舞台は完成しているが、細かい装飾などで決まっていない部分や急な変更も多く、その対応に追われていた。
「いやーナガレさんが色々やってくれて助かるわぁ」
ひと段落したところで、傍に座っているヌオーのおばさんに声をかけられた。私は微笑む。
「これくらい、お安い御用ですよ」
「明日はあんたも出るんでしょう? 活躍期待してるからねぇ。はい、お水」
「さあ、そっちはどうでしょうか。ありがとうございます」
私は苦笑し、水の入った器を受け取る。
その時、丁度オルフェが近付いてきた。
「ナガレっ、今ヒマかー?」
「うん。休憩中」
汗を拭い、配られた飲み物に口をつけて答える。ココナッツのような果実から取れる液体は、ほんのり甘い。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
オルフェはバツが悪そうな顔をする。一体どうしたんだ、と聞いてみても、言葉を濁すばかりで要領を得ない。
「あー、何て言うか……とにかく、付いてきてくれよ。頼む」
一体どうしたというのだろう。そそくさと立ち去るオルフェを見失わないように気を付けながら後を追う。やがて一つの建物が見えてきて、そこが集会所であることに気付いた。この島では標準的な、高床式の建物である。今はちょうど、デンリュウの村長や隣村の上役達が明日の祭の打合せを行っている最中だった。入口の階段前には見張りが一人立っており、物々しい雰囲気を伺わせる。
こんにちは、とオルフェは見張りに挨拶し、建物の横を通り過ぎていく。私も彼に習い、何食わぬ顔で挨拶を交わす。彼(彼女かもしれない)は声を出さず、こちらを一瞥して頷くだけだった。オルフェの時もそうであり、職務に忠実なのかもしれないな、と思いながら建物を横切る。
オルフェは建物の裏で立ち止まった。彼に追いつくと、オルフェは声をひそめた。
「ファインプレーだったぜ、ナガレ。あの見張りに気付かれるとまずいんだ」
彼の用事は、出来るだけ素早く済ませる必要があるらしい。私は一瞬、見張りの方を見やった。オルフェも周囲を警戒する。自分たちを見ている者は誰もいない。建物の中からは話し合う声が僅かに漏れてくる。彼の真意は掴みかねているが、正直なところ、彼の行動に興味があった。壮大な計画を練るかのような、子どもの頃に戻ったかのようなわくわくした気持ちが沸き上がる。
「何をして欲しいんだ」
私はしゃがみ、オルフェに顔を近付け、率直に聞いた。
「この中にあの子がいるんだよ。この集会所、結構壁がオンボロじゃん。その隙間から覗けば、もしかしたら見られるかもしれない。だから、肩を貸してくれ」
彼の言う通り、集会所の壁にはいくつか隙間がある。場所によっては、隙間というよりもはや穴と呼んでもいいほどの大きさである。加えて、その穴は自分の背丈よりも少し高い位置にある。オルフェが私の肩に乗れば、中の様子が伺えるかもしれない。
「分かった。乗りな」
「ありがとう」
オルフェを肩に乗せ、私は立ち上がった。穴の位置まで移動し、オルフェが覗きやすい高さに調整する。もう少し下げて、とオルフェの声が聞こえ、僅かに膝を落とす。ここでいいのか、と確認を取ろうとしたが、返事はない。恐らく上手くいったのだろうと判断し、その姿勢を維持する。
「しかし、一日や二日で来ることがないとは言え、もし嵐が来てしまったらどうするのです」
中の話し声が聞こえてくる。悪い客のお告げのことらしい。
「参加する方々には申し訳ないが、こちらに泊まっていただくのがよろしいかと」
「やり過ごす方が安全でしょう」
「パネマのこともございます。この子に何かあったらと思うと私は心配で……」
「しかし、今回に限ってはそうでない可能性もある。現に本土の方からこうして警察の方が来てくれたこともありますし」
「警戒は十分にすべきですな。特にパネマ様、御付きの者から離れないように」
耳を澄ませているうち、あっ、とオルフェが声を漏らした。そのまま、彼は硬直する。そして何か身体を動かしたが、降りようとはしない。気付かれた訳ではないらしい。そのまま、どれくらいの時間が経ったのだろうか。足がそろそろ辛くなってきた頃、明らかに先ほどまでと違った調子の声が鼓膜を直撃した。
「パネマ、一体どこを見ているんだい?」
気付かれた。
心臓が跳ね上がる。
オルフェも同様で、とっさに私の肩から飛び降りる。
「逃げるぞ、ナガレっ」
「おう」
ささやくようなオルフェの声に応えて、建物が見えなくなるまで走る。
振り返って見たものの、特別な動きはない。追っ手は来ていないらしい。息を切らして、近くの木を背にしゃがみ込んだ。オルフェもその場に倒れて、空を仰いだ。
「あの子、パネマって言うんだな」
オルフェはつぶやく。
「君にとっては、願ったり叶ったりじゃないのか」
祭のバトルに勝つことは島の住民にとっての名誉だが、今回に限ってはもう一つ、褒美がある。
優勝者には、隣村の村長の第三女と結婚する権利が与えられる。
つまり、あのパネマというピカチュウと。
「親父にもさ、そろそろ結婚のことは考えろって度々言われてる」
オルフェは絞り出すような声で呟いた。
「でも本当はさ、この島を出てみたいって思うこともあるんだ。海の向こうには、大陸があって、とてつもなく大きな街がある。この村よりももっと沢山の人がいて、広い世界があるんだ。そう思うと、憧れてしまって止まらないんだ。でも、ここにいるみんなのことも大事だから、置いてはいけない。どうしたらいいんだろうな、俺」
海を見つめて、その表情は見えない。
脱出ポッドが入手した地理情報から、海の先に街があることは知っている。恐らく、この星の中でも有数の大都会だ。この島は、そこからさほど遠くない位置にある。海を渡る手段さえあれば、オルフェにも街の地面を踏むことは出来るだろう。だが、今までの自分を全て捨てて、新しい世界に足を踏み入れることは簡単なことではない。本人の覚悟が問われることだろう。
「明日、決めればいいさ」
私は答えた。
結婚もしたい。バトルで成果を残したい。だが、新しい世界を求めている自分もいる。
同時には叶えられそうもない願いを抱いた時には、過去の行いと咄嗟の行動に聞いてみるしかないのだ。
私は、彼がどれだけバトルに励んできたのかを知っている。
祭の当日。
朝一番から会場は賑わい、とりわけバトル会場の周囲には銘々色とりどりの衣装を身に纏っている。頭に花飾りを付けている者、ふわりとした真っ赤な布を腰に巻いている者、それぞれが思い思いの形で周囲を彩っていた。この日の為に沢山用意された祝いの料理も、あっという間に数が半分になっていた。作った人たちも呆れながら苦笑している。この島の人たちにとっては、自身に宿るありあまる超常の力を発揮する最大の機会なのだ。スポーツ、或いはダンスのようなものなのだろう。騒がしさに紛れているうち、自分も楽しくならずにはいられない。
高台にデンリュウの村長と隣村の村長(あれは確か、キュウコンという種族だっただろうか)が上ると、促されるようにして後から一人のピカチュウ……パネマが隣に並んだ。
「みなの者。今日はお集まり頂きまして、ありがとうございます」
「皆もご存じの通り、もし今日のバトルで最後まで勝ち残った者が未婚の男性の若者だった場合は、私の三番目の娘、パネマと結婚することを許します」
彼女が畏まった様子で頭を下げると、周囲から興奮に湧く声が上がる。めっちゃかわいいじゃん。あの子とケッコンとかサイコーだね。野性的な呟きもちらほらと聞かれる。楽しそうな会話のする方を見やると、あまり品の良い奴らではなさそうだ。姿を見たことはないが、彼女を知らないと言うことはこの村の者だろうか。自分が勝負に勝てる気は全くしていないが、彼らにはあの子を渡したくないな、と思った。少し潤んだ瞳が、周囲をゆっくりと見渡している。村長の娘にふさわしい、毅然とした立ち居振る舞いだ。一体何を思って、彼女はあの場に立っているのだろう。親に生涯を共にする相手を決められると言うのは、あの子の気持ちに沿ったものなのだろうか。そんなことを考えてしまうのは、よその惑星の全く別の文化からモノを見ているからなのかもしれない。
二人の村長の説明が終わり、いよいよ宴もたけなわ、バトル大会本番の始まりである。
「それでは、第一戦を始めます。オルフェ対ジョアン。前へ」
審判はデンリュウの村長が務めるようだ。張り上げた声に従って、オルフェと、ジョアンと名乗るリングマが踊り場へと上がる。二足で歩く熊のような生物はこの星の住人にしてはかなり大柄な種族のようで、彼の背丈は自分よりも高い。オルフェからすれば、もはや巨大な戦艦のようなものだろう。一見、まるで勝ち目がないように見える。
オルフェは至ってのびのびとした様子で舞台の中央へと歩き、パネマの方を見やった。そろそろ始まると言うのに、相手を見もしないでそんなに悠長にしていていいのだろうか。胸の内に焦燥感が募る。
「それでは、始めっ」
掛け声と共に、ばちっ、という音が周囲に響いた。
オルフェの身体が電撃を纏った弾丸となり、リングマの腹を直撃したのだ。
なんという威力だろう。
熊の巨体が吹き飛んで、舞台から転げ落ちたではないか。
「勝負あり。オルフェの勝ち」
村長が叫ぶと、周囲から大歓声が上がる。気が付けば、私も声を上げて手を叩いていた。あいつ、こんなに強かったんだな。村長と手合わせしているところしか見たことがなかったが、ピカチュウの小さな身体に秘められた力がどれほどのものだったのか、初めて目の当たりにした気がした。思わず笑いが止まらない。
舞台の上で倒れ込んでいたオルフェは身体を起こし、頭を痛そうにさすりながら会場に手を振った。
「お疲れ」
用意された水を貰い、戻って来たオルフェに駆け寄った。水を手渡すと、彼は一気に飲み干した。
「あー緊張した。どうだった? ナガレも見てくれてた?」
「見てたよ。凄いじゃないか。あんなに大きい相手を一発で倒してしまうなんて」
傍から見ていたら緊張している素振りなんて全くなかったんだけどな。オルフェの背中をばしっと一発叩いてやった。
「そうだろそうだろ。まだまだ始まったばかりじゃん。負けてらんないぜ」
「次も頑張れよ」
「おう。ナガレもな」
そうだった。この戦いには自分も参加するのである。オルフェの鮮やかな戦いぶりにすっかり忘れそうになっていた。
「とにかく、やれるだけやってみるよ」
「応援してるぜ! ナガレは三つくらい後だろ。そろそろ準備しとかないとな。それじゃまた後で」
解放された笑顔で去っていくオルフェとは対照的に、私の心は縛り付けられるような思いだった。
後に続く闘いを見ていたが、彼らにとって体格差はそれほど大きいものではないらしく、己の持つ超常の力を以て小さい者が大きい者に互角の闘いを演じることは珍しいことではなかった。
「それでは、次の試合を始めます。ナガレ、ナダ、前へ」
やがて自分の名前が呼ばれる。ナダと呼ばれた相手は、クチートという種族だった。
背丈は低く、オルフェより二回りほど大きい程度。クリーム色をした人形のような姿は、攻撃をためらわせる。
何とかしてあまり相手を痛めつけずに勝つ方法はないだろうか。あらかじめ聞いた話によると、場外に押し出すか戦闘不能にさせるかギブアップを宣言させることが出来れば勝ちらしい。場外くらいなら相手が小さければ持ち上げて投げ飛ばすくらいは出来るかもしれない。
「始めっ」
上手く立ち回る算段を練っているうちに、開戦の合図が叫ばれる。
持ち上げて場外へ投げ飛ばそうとクチートの方へ近付いたが、その瞬間彼女の頭の房がこちらを向き、牙を向いた。
それから一体何をされたのか、皆目見当もつかなかった。
牙で噛まれた後は、ただ途轍もない騒がしさでじゃれつかれただけのように感じた。その中に攻撃を織り交ぜていたのであろう。全身が右へ左へと揺さぶられ、気が付けば場外へ吹っ飛んでいた。
「勝者、ナダ」
目が回る。やっぱり、体格差なんてあったものではない。
自分の試合も終わり、残りは観戦に徹することができた。
オルフェは相変わらず素早い身のこなしで終始相手を圧倒し続け、勝ち星を増やしていた。周囲では優勝候補の一人と囁かれ始めている。
そういえば、デジカメを持ってきてなかったな。折角電源が入ったのだから、彼らの闘いの様子を記録しておくのも良いかもしれない。そろそろ夕方も近い時間になっており、撮影の機会は残り少ないかもしれないが、ないよりはマシだろう。
脱出ポッドの家は祭の会場からそれほど遠くはない。今から戻れば歩いて帰っても次のオルフェの試合には間に合うはずだ。
自宅周辺まで来ると、流石に誰もいない。先ほどまでの喧噪との落差で、周囲がひどく静かに感じる。既に祭が終わった後のような寂しさがあった。
「あれ」
デジカメが、家の階段前に落ちている。
普段は寝る前にポッドの決まった位置に置いている。祭の準備に疲れてポケットの中に入れたまま眠ってしまい、朝出掛ける時に落ちたのだろうか。いや、確かに昨晩は定位置に置いた記憶がある。
祭の雰囲気に飲まれて興奮した村の子どもが勝手に入り込んで、私物を漁ったか。あり得なくはない話だ。昨日、風景を切り取る不思議な機械は色んな人におもちゃにされた。恐らくそうだろうな、と溜息をつきながら、カメラの電源を入れる。写真の履歴を見れば分かることだ。
だが、取られた写真を見て、私は驚愕した。
ピチューという、ピカチュウの幼い時の姿が写っている。彼はの表情は途轍もなく焦った様子で、何処かを指さしていた。まるで、この写真に何かしらのメッセージを込めているように。
他にも何かが写っているのかもしれないと思い、ボタンを操作して一つ前に戻す。
写っていたのは、同じ風景と、私と同じ地球人の男だった。
まさか、自分以外にも。撮影された時間と時計機能の現在時刻の差は約十五分。殆ど入れ違いのようなものだった。だが、先ほどのピチューの少年の焦りようは一体何だ。二つの画像を交互に見比べてみる。そのうち、一つの事実に気付く。
写真の男が手にしているものは、銃だ。
嫌な予感がして、ポッドの中に駆け戻った。今まで使う必要が無かったが、ポッドの中には護身用の銃が一丁備え付けられている。まさか。まさか。手の震えを抑えながら、収納されている場所を確認する。
「やっぱり……無い」
全身から、冷たい汗が吹き出した。