#4 蜂蜜 -5-
部屋に戻ると、ドドは既に起きていた。
「おはよう。ジャグル」
「おはよう、ごめん、ちょっと散歩してた。朝になったら蜂蜜が襲ってこなくなったから」
持ち場を離れていたことを咎められるかな、と思い、つい言い訳がましくなってしまう。
「やはり襲ってきたのか」
うん、とジャグルは頷いた。するとドドは顎に手を当て、苦い顔をした。
「十分に封じ込めたと思ったが……破られるとは思わなかったよ」
ドドは、どうやら蜂蜜を封じ込めきったと思っていたらしい。あるいは、自分のかけた封印で朝まで持つだろうと考えていたのか。勝手に外出したことは咎められずに済みそうで、内心ほっとした。
「その様子だと無事だったみたいだな」
「まあね。封印しても封印してもゆっくり破ってくるからびっくりしたよ」
ちらと蜂蜜を見やる。今のところは悪さを働くつもりはないらしい。
持ち込んだ携帯食を今のうちに食べ、動く準備を整える。
「そうだ、さっき村の人に会ってさ。色々話を聞いたよ。蜂蜜は湖へ行く道をもっと奥に行ったところにあるんだって。行ってみる?」
ジャグルは提案する。ドドは少し考え込んだ後、そうだな、と短く答えた。
「おはようございます、タルト様」
身支度を整えて外に出ると、丁度村長と従者一人がジャグル達を迎えに来たところだった。
「昨日はよく眠れましたか」
「はい。お陰様で。蜂蜜もおいしかったです」
ドドが言うと、急に村長の目が輝き出した。
「おお!! お口に合いましたか!! それは良かった。本当に良かった」
さっきまでの表情とはまるで別物だ。まるで秘密を共有する悪友のような顔をしている。蜂蜜の味を知ったことで、遠くから来たまじない師二人はこの村の仲間になった。彼らはそう思っているに違いない。
「是非今後とも、好きなだけ召し上がって下さいね」
知ってしまったからにはもう逃げられないぞ、という警告のように、ジャグルには聞こえた。
「ええ、遠慮なく」
平然とドドは言う。こういう時に、この男の飄々とした態度は本当に頼りになる。ジャグルは苦笑し、後をついていった。
蜂蜜の採取現場を見てみたい、とドドは提案した。村長は、案内しますよと頷いた。村の人間が一緒だとやりにくそうだな、とジャグルは残念に思ったが、こちらの動きはなるべく明らかにしておいた方が不信感は少ないというのがドドの意見だった。
「ここからが、蜂蜜の採取場になります」
案内された場所には、柵も何もない、ただの森を行く道の半ばだった。確かに少し開けてはいるが、言われなければ素通りしてしまいそうなほど、特徴のない空間だった。
「蜂は木の根本に巣を作っているんです」
従者が適当な木に近づき、しゃがみ込む。あまりの無防備さに、ジャグルはぎょっとした。
「身を護る服とか、要らないんですか?」
「はは、大丈夫ですよ。近づいただけでは、彼らはうんともすんとも言いません。お二人もどうですか、見てみませんか」
ジャグルとドドは顔を見合わせる。彼がそう言うからには、大丈夫なのだろう。
「うわぁ」
中を見て、ジャグルは思わず声を上げた。
木の根本に開いた穴の隙間に、びっしりと六角形の巣が詰まっていた。六角形の構造体は外を向いているが、中身が詰まっているものがほとんどである。六角形の一つ一つは、おおよそ小指ほどの大きさである。想像していたものより、はるかに大きい。
「大きいな。ぎょっとしちゃったよ」
ジャグルは顔をしかめた。
「巣の形態も大きさも、通常の蜂とは異なるようだね」
ドドはつぶやく。
「良かったら、少し蜂蜜を分けてもらいましょうか」
「大丈夫なんですか、近づいても」
ジャグルはぎょっとする。
「ええ、大丈夫ですよ。ちょっとくらいなら、触っても彼らは動じたりしません」
従者はニコニコと笑いながら、蜂の巣に手を突っ込む。中からつまみ出したのは、芋虫のような姿だった。幼虫だろうか。
「手を出してください」
ドドは言われた通りに、右手を差し出す。従者はつまんだ芋虫を、指先で押しつぶした。すると、中から粘度の高い液体が滴り落ちてくる。その様に、ジャグルは思わず顔をしかめたが、すぐさま取り直して、興味があるふりをする。
「蜂蜜は、この蜂の体液で出来ているのですね」
ドドは言うと、満足そうに従者は頷いた。
「では、お味を拝見」
そう言って、ドドは手のひらの蜂蜜を口に放り込んだ。
ジャグルは驚いたが、すぐにそれは見せかけなのだと気付く。蜂蜜をまじないの膜で包み、口に手を当てる瞬間に袖口に滑り落としたのだ。なんて器用なことを。思わず苦笑しそうになる。
「ジャグル様もどうですか」
従者はこちらを向いて微笑む。
「今はお腹がいっぱいなので……大丈夫です」
ドドの真似をするのは、ちょっと自分には難しそうだ。
従者に案内され、蜂蜜の採取場を大まかに歩き回る。この蜂が巣を作る木の種類には、統一感がない。この場所に巣を作っているのは、少なくとも周囲の木々が適しているため、というわけではなさそうだ。だが、少しでも太い木には、必ずと言っていいほど巣が存在している。巣穴の六角形が外を向いているせいで、常に監視されているような薄気味悪さがつきまとっていた。
蜂達はまだ、直接我々を攻撃して来たことはない。自分の身体をすり潰されても、抵抗すらしない。自分たちは安全ですよ、あなた達に有益なものを差し上げますよと、親切な顔をして近づいてくる。それは、彼らが献身的だからではない。我々の油断を誘っているのだ。何度も何度も思い出して、ジャグルは警戒を怠らないようにする。
ふいに、ドドは足を止めた。
どこかの一点を、じっと見つめている。木の根本ではなく、上の方だった。
「どうしたんだ」
聞いてみると、一瞬だけ、彼が見る方向を指さした。
「親玉があそこにいる」
思わず息を飲む。目を凝らして見てみたが、木の葉に隠れているのか、まるで見えない。
「あまり探そうとしないように。気取られると良くない」
ドドの忠告に、思わず顔を背ける。彼は振り返り、歩き出したので、ジャグルは後を追う。
どうかされましたか? と、従者が聞いてくる。
いいえ、何でもありませんよ。ドドは何事も無かったかのように返事をした。
昼過ぎに二人は集会所に戻る。一度休憩を挟み、携帯食料を噛んでいると、ドドの口から思いがけない言葉が飛び出してきた。
「さて、ジャグル。今夜中にここを出るぞ」
えっ、と思わず聞き返してしまう。
「蜂はいいのか。このまま放っておくのか」
「いや。蜂はきっちりカタをつけるさ。だが、村の住人の同意を得るには、恐らく時間がかかりすぎる。俺たちが蜂蜜を食べていないことも、じきに暴かれてしまうだろう。携帯食料も底を尽きかねない。そうなれば、蜂蜜を食べざるを得なくなる。多少強引な方法だが、蜂達を駆除し、気付かれないうちに村を抜け出すしかないだろう」
「確かにそうだけどさ」
ジャグルは言う。
「何か、納得が行かないところがあるようだね」
「うん。何が村の人にとって本当にためになるのか、分からなくって」
村の人たちは、人食いの犠牲者だ。味覚を食われ、蜂蜜の虜にされ、蜂達に食われる為だけに生かされている。
「蜂を倒して蜂蜜がなくなってしまえば、この村の人たちは蜂達の支配から解放されるかもしれない。だけど、そのままじゃ宙ぶらりんじゃないかって思うんだよ。彼らはその後、どうやって生きていいんだろう。そんなことを、考えてしまうんだ」
依頼は、虫の被害をどうにかすること。だけど、原因を退けたり、大本を絶ったりするだけでは、村人達は救われない。彼らを悩ませているものと、求めているものが同じだから。皮肉にも、本人達はそれに気付いていない。
「本当のことを教えてしまってもいいんじゃないか。あの蜂蜜を供給しているのが、この村の人たちの命を奪っていた張本人だって気付かせて、自分たちから離れてもらう。それが出来れば、手っ取り早いだろ」
ドドはうっすらと笑みを浮かべて語る。
「それでも、彼らは蜂蜜をやめることは出来ないだろう。真実から目を背け、犠牲者を増やしてでも蜂蜜を守ろうとする。教えたところで、彼らは変わらないよ。人とはそういうものだ」
「……だけどさ」
何かいい手はないものか。考えても、他に方法は思いつかない。ジャグルは頭を抱えた。
「手が無いわけじゃないさ」
ドドは言う。
「少し卑怯な方法かもしれないけどね。気に入らなければ、手伝わなくても構わないよ。聞くかい」
「分かった。教えてくれ」
ドドには策があるらしい。少し戸惑ったが、ジャグルは身を乗り出した。自分に出来ない発想を、彼は持ち合わせている。状況が良くなるのであれば、それがどんなやり方であろうと手を貸すつもりだった。自分に何が足りなくて、彼には何があるのか。それを見極めたいと思った。
そして、日は暮れていく。夜になってからが、本番だ。