#4 蜂蜜 -2-
ジャグルとドドの荷物は日数の割にかなり多くなった。特に多いのは携帯食料で、移動予定に対し3日ほど多めに積み込んでいる。これだけの量を用意させる理由について、ドドに聞いてみたものの、彼は答えを教えてくれなかった。それを不服に思わないわけではなかったが、彼のことだから何か思惑があるのは間違いないだろうと疑問を飲み込む。
ジャグルは仕事をしながら、彼の考えについて思いを巡らせてみた。まず考えられるのは、現地で食料を分けてもらえない可能性がある、ということだ。今回向かう先は、北方の山奥にひっそりと佇む辺境の村だと言う。採れる資源も限られているかもしれない。そうであれば、旅人に分けられる食料も多くはないだろう。そうなれば、自分の食べ物は自前で用意するしかなくなる。確かにそれなら、理屈は通る。
クラウディア夫人から馬を借り、移動を始めてから4日が経過した。天気も良好で、馬に疲労を癒すまじないを逐一施したことが功を奏し、際立った不調は無さそうだ。それでも油断は禁物である、と気持ちを引き締め、普段以上に様子を気遣いながら進む。
「そういえばさ、馬の姿をした人食いっていないの」
ある日の休憩時間に、ジャグルはドドに聞いてみた。
「どんな能力があるかはおいといて。そういうのを使役できれば、こういう移動も楽になんじゃないかなって思うんだよ」
おどけて喋るジャグルに、ドドは笑う。
「いたにはいたんだが、捕獲するより前に倒してしまったよ。キュウの火力が強すぎてね。炎のたてがみを持つ馬だった。あれは本当に惜しいことをした」
「手加減しろだなんて言われてなかったからな」
ケタケタと、杖が笑う。
「二言目に言おうとしたのに、それより前に相手は灰になっていたじゃないか」
ドドは反論する。おかしくて、ジャグルはけらけらと笑っていた。
その日のうちに、5つ目の山を越えた。ここから先は、村がある山まで平坦な道が続く。
道中に、クラウディア家の別荘がある。ここが最後の宿だった。道中でもいくつかの宿に泊まってきたが、やはり設備も待遇も段違いに良い。馬の世話役には移動距離と荷物の割に馬が元気そうであったことを驚かれ、ジャグルは改めてまじないの効果を思い知った。
季節は、秋。麦などを収穫し、薪を集め、冬に向けて備えていく時期だ。風は時折柔和な表情を失い、厳しさを露わにしようとしている。自分たちが北方の山中と向かっていることを考えると、目的地ではもう少し季節が進んでいるかもしれない、と思った。せめて自分たちが滞在している間は、天気が悪くならないければいいのだが。休憩所で温かいお茶をすすりながら、ジャグルは窓の外を見つめた。
「タルト様、長旅お疲れ様です」
この別荘地を管理している壮年の男が歩み寄り、ねぎらいの言葉をかけた。
「いえ、こちらこそ。泊めてくださってありがとうございます」
ドドが応対する。
軽い挨拶を交わすと、管理人がすぐに表情を曇らせた。それが気がかりで、ジャグルは二人の会話を注意深く聞くことにした。
「しかし、あの山村へ行かれるとは。いくらご夫人様からの依頼とは言え……正直なところ、私は心配です」
「と、言いますと」
「あの村については、半年くらい前ですかねえ、急に余所の村との付き合いをきっぱり止めてしまった、ということがありまして。元々山で採れた植物や獣を、小麦などと交換して成り立っていた場所なのですが、ある時急に『うちはもう小麦はいらない。だから山で採れたものも出さない。取引は終わりにしよう』と言い出したようで」
困ったような表情を浮かべ、一つため息を付くと、再び管理人は話し始める。
「元々採れる物の質が良かった訳でもなし、周囲の村への影響がそれほど大きくはなかったようなのですが、何とも奇妙な話でしてねえ。私も聞いただけのことですが、それ以来、殆ど人の往来もないようですよ」
「それは……不思議な話ですね」
「えぇ。何とも」
外部との付き合いを絶った山村。不気味が過ぎる、とジャグルは思った。タルト一族の集落を思い出し、ぞっとする。閉鎖的な環境に置かれた者達は、周りを見下し、互いの足を引っ張り合い、のけ者を作り、辛辣になり、臆病になって自滅していく。我々の目的地も、そういうところなのではないかという嫌な考えが脳裏をよぎった。
「ところが最近、あの村の使者と思われる女性がやってきましてね。山奥の村娘にしては妙にまばゆい赤い服を着ていたのですが……とにかく慌てた様子で、村を助けて欲しいと懇願されました。あまりに奇妙な事件が起こっている、そういう専門家がいるなら、一度村を見て欲しい、と。あまりに力強いお願いだったもので、我々も困りましたよ。一応領主に伝えてみると言って、その時は帰っていただきましたがね。タルト様が引き受けて下さると知った時は、ほっとしたような気持ちと、本当にお願いして良かったのかと迷う気持ちが、正直どちらもありました」
管理人は嘆息した。
「中の様子は、我々にも分かりません。なのでどうか無事に、戻っていらして下さい。私の方からも、お願いします」
「ええ。もちろんです」
ドドはゆっくりと頷いた。
温かかったはずのお茶も、次に口を付けたときには冷めてしまっていた。思い切って、ぐいと飲み干す。
中で何が起こっているのか。想像を巡らせつつ、ジャグルは窓の外を見つめた。日はもうすぐ暮れ落ちる。部屋の明るさのせいか、外の景色はもうほとんど分からなくなっていた。これから向かう場所も、そういう場所なのだ、と思った。先の見えない暗闇に、我々は足を踏み入れようとしている。
翌朝、二人は再び目的地へと馬を駆る。
ドドの話によれば、山村には昼前には着くだろうとのことだった。地平線の向こうに見えていた山々も、既に木の揺れ方まで分かるほどに近づいている。いよいよ気を引き締めなければ。強い風が吹き、少し震えた。
やがて二人は、木々の間を縫う道を進むようになっていた。道筋も弧を描くような形が多くなり、見通しは悪化していく。どうやら、山に入ったらしい。ここからは馬を引いていこう、とドドは提案した。道幅は狭くはないが、足を滑らせては困る。馬を引き、自分の足で歩いた。落ち葉に隠れてしまいそうな道を辿り、曲がりくねった道をいくつも抜け、ようやく人の気配を感じられる物が目に入ってきた。
二本の棒の間に板を張り付けただけの、簡単な門だ。村の名前が書いてあるようだが、掠れて読むことが出来ない。
「さあ、入るぞ」
ドドは言う。
ジャグルは頷き、彼の後を追う。山奥の冷たく湿った空気が手の甲を突き刺し、心臓まで到達しようとしている感じがした。山の中の閉鎖的な村。どうしてもタルトの集落と重ね合わせてしまいそうになる。この一年、自分は前に進んでいるようで、ただ平和ボケしていただけなのかもしれない。冷気を追い出すように拳をぎゅっと握りしめ、弛緩する。何とか気持ちを落ち着かせようと、目を閉じて、ふぅ、と息を吐き出す。
そして、顔を上げた時には、既に村の門をくぐっていた。
「ジャグル、あらかじめ言っておく」
馬から降りると、ドドはジャグルの耳元でささやいた。
「この村で施されたものは、一切食べてはいけないよ」
「えっ」
反射的に聞き返そうとした途端、建物から人が姿を現した。ドドは一礼し、彼の方へ向かう。
「それさえ守れば大丈夫。さあ、行こう」