#3 Vanishing Point-8-
「ジャグル・タルトは眠ったか」
「ああ。よく眠っている」
「こちらには気付いていなさそうだな」
「仮に意識があったとしても、我々の会話を認識することはできない。すべては曖昧な夢の話だ。それで終わる」
「それなら安心だ。まだこの話を聞かせるわけにはいかない」
誰かの話し声が聞こえる。だが、何を喋っているのかまでは分からない。声が小さいからではなかった。彼女自身の意識が奥深くに沈み、表面で起こっていることを認識できないのだ。肉体もなく、ただ意識だけがふわふわと漂っている感じだ。
実際に、ここは夢の中だった。いつもならはっきりとした意識を持ちながら降りていく、夢の下り坂。その下りきった先で、ジャグルは殆ど自我を持たないまま漂っていた。
目の前で、二人の男が話していた。一人は白い髪の少年で、もう一人は黒い服を着た男である。自分のことを話しているような気がするが、意識がはっきりせず、その内容を認識出来ない。会話は木々のさざめきのように、耳を通り抜けていく。
「ジャグルを保護してから四日か。目覚めてからは二日。ずいぶんと時間がかかったな」
白い髪の少年がしゃべり出す。見た目は幼いが、その精神は黒い服の男と同等か、それ以上の年月を生きた人間のもののようだった。
「先日の不運の連続が、彼女の心を蝕んだのだろう。その傷から立ち直るまでに、時間が必要だった」
黒服は応じる。
「あるいは、目覚めたくなかった、とも言えそうだ」
少年は不適な笑みを浮かべる。
「彼女は目覚める直前に、この夢の底に辿り着いたよ。いつもより長い時間この夢の中を歩いていたからね。予定より早い到着だ。喜ばしいことだとは思わないか。俺たちの計画成就が、また一歩確実になったわけだ」
嬉しそうに話す少年とは裏腹に、黒服は少年を睨みつける。その様子を少年は鼻で笑う。
「分かってるよ。ジャグルはあくまで代理ってことだろ」
二人の間に、沈黙が流れる。何やら、意見が分かれているらしい。少年は計画を進めたがっているが、黒服はその方法に迷いがあるらしい。
「やっぱり、あいつで行くべきだよ。俺はそう思う」
少年の見やった方向には、もう一つの魂が浮いていた。どんな姿をしているかまでは、分からない。もう一つの意識は、彼らの会話を認識しているのだろうか。疑問が浮かんでは、空中に漏れて霧のように消える。
「あいつのことについては、まだジャグルには喋っていないんだろう?」
少年の質問に、黒服は黙って頷く。
「どうしてだい。俺たちには時間がないというのに」
「出来る限り、ジャグルを巻き込んではいけない。この計画は俺とお前、そしてあの女の三人で完結させなければいけないんだ。それが、俺たちの責任。そう思わないか」
少年は黒服の顔をまじまじと見つめる。
「考え方が変わったな。お前はもっと、手段を選ばないものだと思っていたよ。あの子の心を掌握して、この計画に協力してもらう。それくらい、お前には出来たはずじゃないか」
少年の口調がほんの少しだけ、刺々しさを持つ。しばらくにらみ合った後、黒服はため息をつく。
「正しい判断をしただけさ」
「ふぬけたか? この期に及んで、まだ覚悟が出来てないとぬかすんじゃないだろうな」
「そういうことじゃないさ。お前の命を無駄にするつもりだって、毛頭ない。俺一人で、決着をつけるのが筋だってことを言いたいだけさ」
黒服の言葉の後、しばらくの沈黙が続く。
そして、少年は諦めたように口を開いた。
「わかった。言い過ぎたよ。ジャグルはあいつには関わらせない。それでいいな」
「ああ、助かる」
「だけど、あいつは手強い相手なんだろう。本当に大丈夫か」
「それでも、やるしかない。それくらいのことは、やらなきゃならないんだ」
黒服は切り株に座る。
「具体的な期限は、どれくらいだ」
「そうだな……もって二年、というところだと思う。短いだろ?」
「短いな」
黒服は呟き、手を組んで一点を見つめた。到達すべき未来を、見据えるように。
「頼むぜ。俺はこうなってしまった以上、お前の手助けをすることはできない。何もかもを終わらせてくれ。ディドル・タルト」
「勿論だ、レガ・タルト。パルスの最終魔術は、何としても俺たちの手で完成させる」