#3 Vanishing Point-4-
人間って、血縁を作ればお互いの家と家が結びつくきっかけになるらしいじゃん。自分の一族を末永く繁栄させようってことで、やれ息子をどこの婿にやるだの、娘をどこの嫁にやるだのってやるわけさ。
そういうのはどうも、まじない師にもあるらしくってな。タルト一族も時々、一族の女性を他のまじない師の一族に嫁がせることがあったんだ。この場合、嫁さんは言うなればスパイなのさ。他の一族の術を盗み取り、裏で本家にその技術を流す。普通におつきあいしていたら、多少は技術を教え合ったりするもんらしいが、嫁さんの狙い目はそんなところからはずれた、門外不出の秘伝の術さ。タルト一族はそうやって他の家の術を根こそぎ盗んで、まじない師の一族として成長してきたんだとよ。でもこれは、どうも上層部だけで勝手にやっていることらしいから、タルトの人間のほとんどは知らない。ジャグル、お前も知らないだろ? ……そうか、やっぱり。
その時もタルトの女が一人、言霊使いの一族の嫁に貰われていった。やたらと美人で、一見おしとやかでいて、その実芯の強い人物だったそうだ。お見合いを通じて、すっかり言霊使いの男は惚れ込んじまって、二人はあっと言う間に結婚した。
そうして出来た子どもが、ディドル・ガレット……今のディドル・タルトってわけさ。
生まれてから十六年とちょっとの間、俺が言霊使いを皆殺しにするまでは、あいつもただの言霊使いの子どもとして生きてきた。言霊使いの一族はタルトと違って男と女を分けたりはしない。そういった意味では窮屈さはなかっただろうな。あいつは随分なお母さんっ子だったらしくてな、十歳近くになるまで、寝る前には母親のお話を聞いてからじゃないと眠れなかったらしい。周りにしつこく茶化されて、ようやくそれをやめる決心をしたそうだ。親ばか親にばか息子、なんて呼ばれてさ。母親も母親で、本人が拒否しても時折部屋に立ち入ってはもう寝てる息子に語りかけていた。あまりの親バカっぷりに周りも呆れかえっていたが、大体は好意的に受け止められていたってところだ。だが、この夜のお話には仕掛けがあった。母親は言葉にまじないと言霊を混ぜて、息子の意識の下に、自分の記憶と役割を少しずつ、少しずつ刷り込ませていったんだ。もちろん、本人はそんなことをされていることに気が付かない。条件を満たさない限り、その記憶はずっと閉じこめられたままになっているからだ。
俺はまじない師のにおいに誘われて、言霊使いの一族を食い尽くした。その中で、俺はあいつの母親も食った。そして、それこそが刷り込ませた記憶の蓋を開く鍵だったんだ。
自分の母親が死んだ瞬間、ドドは何もかもを理解した。
自分はどうして言霊使いの一族に生まれてきたのか。
この母親は自分の一生を、誰に捧げようとしていたのか。
ドドはあの時、自分に与えられた使命に忠実に従った。この混乱に乗じて、言霊使いの秘伝……あの封印玉を手に入れることが出来るんじゃないか、と考えた。突然現れた人食いのせいでみんながばかになっている中、あいつは一人だけ冷静だった。
既に母親は秘伝のありかやその暴き方まで掴んでいた。後はいかにして他の一族の目を盗むか。後は時期の問題だった。秘伝への監視をかいくぐるのは、他に術を持たない母親にとっては至難の業だったろう。彼女は全てを息子に託すことを決意した。息子がそれをやり遂げられるほど成長したら、自分で自分の命を絶とうとしたんだ。
俺が一族を襲った時には、ドドはもう母の信頼を得るだけの力を持っていた。あとはどうやって、他の連中に怪しまれずに死ぬかということだけだった。彼女にしてみればまさに好機だったろうな。他の連中がバッタバッタと死んでいく中に、自分も紛れればいいんだからよ。
ドドはまんまと玉を自分のモノにして、一族を裏切ることに成功したんだ。一人を除いて全員が死んじまったんだから、買う恨みもほとんどない。すぐに言霊使いの一族の住処を出て、タルトの集落を目指した。タルトに尽くすための記憶や知識は完全に受け継がれたから、迷うことなく森の中の集落にたどり着いた。この時点で、もはやドドは完全にタルトの人間だった。
最初に出迎えたのは、長老と補佐のルーディの二人だった。お前も知っている奴らさ。ドドは彼らに、自分の身に何が起こったのか、こと細やかに説明した。最初は訝っていた二人も、あの母親の息子だって聞いた途端、ころっと態度を変えた。よくぞ帰ってきてくれた。数十年の悲願、よくぞその玉を手に入れてくれた、ってね。
ドドは他の上部の人間を交えて、さっそく紫色の玉の力を披露した。あれはたまったもんじゃなかった。ドドが火を吹けと言ったら吹かなきゃならなかったし、逆立ちしろと言ったら逆立ちしなきゃならなかったし、ただの見世物にされていた。あれは今でも思い出すだけで腹が立つ。ああ、屈辱だ。呪縛が解けたら、あの時の俺を見た連中を真っ先に燃やしてやろうかと思っていたんだが、この前の騒動でみんな死んだんだっけな。いや何人か生き残ってるんだっけか……まあいいや。生きていたらそのうちやるさ。ふん。
何日かかけて、連中は玉の呪縛について研究を重ねた。まず最初に分かったのは、この呪縛で俺に言うことを聞かせられるのは、捕まえたドドだけだってことだ。俺個人としても、他の奴に命令されても頭が痛くなることはないから従わなくても平気だった。だから今日みたいなことでも無い限り、お前の言葉なんて聞かないからな、覚えておけよ。
それから、玉はめちゃくちゃ頑丈だ。どんだけ強い力で殴っても壊れない。火をつけても燃えない。水も吸わない。タルトの術じゃ、土で出来ているのか金属で出来ているのかさえも分からなかった。中のまじないの構造についても、タルトの人間からしたら訳の分からないシロモノだった。まるで外国の言葉を聞いているみたいだって、言ってる奴もいた。そんなわけで、結局構造の本質的なところは分からずじまいだ。
上部の人間ってのは大体歳を食った男ばかりだったんだが、その中に一人だけ若い奴がいた。それがお前も良く知ってる、レガ・タルトだ。確か、最初はレガの方から近づいて来たんだったかな。
「初めまして、ディドル・ガレット、いや、もうタルトか。俺はレガ・タルト」
「初めまして、レガ。君は若いな。まわり年上ばっかりなのに、この計画に参加できるなんて、すごいじゃないか」
「そりゃあそうさ。俺は特別だからな。他の一族の子ども達よりも二年早く大人になれた。期待されているんだぜ。それが出来るだけの実力と、境遇があるからな」
二人が握手を交わしたその時、レガはドドに顔を近づけて何か耳打ちをした。それを聞くと、ドドはやたらと安心したような顔になったのがやたらと印象に残っている。何を言われたのかは絶対に教えてはくれなかったが、この一言が二人の距離をぐっと近づけたことには違いねえ。
案の定、二人はすぐに仲良くなった。どちらかと言えば、ドドの方がレガに絡んでいくことが多かったな。隙あらばレガの姿を探していたし、レガも喜んでそれに応じた。二人は色んなことを語り合った。まじないのことだとか、将来のことだとか、本当に色々だ。無二の親友、ってのはああいう関係のことを言うのかねぇ。あるいは、秘密を共有する運命共同体ってところか。
レガは自分で言うだけあって、まじない師としての実力は申し分なかった。遠征に連れていってもらったことがあるが、多くの人間の心を掴み、問題の要点を掴むのも早い。まじないも見せてもらったことがあるが、確かに万能だ。そして何より人なつっこい。自分のことをやたらと特別だと言い張るのはいけ好かないが、それを抜きにすれば謙虚で朗らかで、誰にでも親切だった。人間の世界では、ああ言うのが好かれるんだろうってことをひしひしと感じさせてもらったよ。ただ、その裏で何を考えているのかは全く読めないところがあってな。あいつとだけは絶対にやりあいたくはないとは思ったね。だがそいつも、この前の戦いで食われたんだっけか。あぁ、悪い悪い。泣きそうな顔するなって。悪かったよ。もう言わねえから勘弁してくれ。
二年くらい経った頃、玉の解析も煮詰まってきたこともあって、ドドは別の場所で暮らすことに決まった。ドドにとってタルトの集落はあまり肌に合わなかったらしく、新しいところで一人で住んだ方が気が楽だったそうだ。とりあえず俺が勝手に人間を襲うことはないって納得したから、ドドの手元にさえあればいい。一度環境を変えて観察することも必要かもしれない。タルトの勢力が及ばない土地で活躍してくれれば、自分達もやりやすくなる。まぁ、向こうの腹はそういうところにあって、ドドの願いは割と好意的に聞き入れられた。俺の状態について、定期的に報告はする。住む場所はタルトの方で手配する。その条件で、ドドは集落を離れたんだ。
まじない稼業を一人でやっていくってのは、楽じゃあなかった。タルトの用意した家はこんなへんぴでちっぽけなところなもんだから、当然ながら客が来ない。誰もこんな所に店を構えてるなんて知らないんだ。いざ仕事が入ってみればやれ結婚相手はどっちがいいか占えだの、やれ効力のあるお守りを作ってくれだの、すぐに終わってしまうようなものばっかりでな。実際のところは人食いを相手にするような依頼は殆どなかったんだ。そしてそういう仕事も、大抵は割に合わないときたもんだ。自分一人の食い扶持を稼ぐってだけで、苦労してたぜ。タルトの奴らからも色々もらったりするが、ほんのわずかだった。いつか腹が減りすぎて死ぬんじゃないかってちょっと期待してたぜ。だがだんだんと軌道に乗ってきて、そうやすやすとは死にそうにはなくなっちまった。残念。
ドドは暇な時はいつも、自力で封印玉を作ろうとしていた。奴自身も言霊は使えるから、やってやれないことはないだろうと思ったんだろう。森に入って自分で木を掘って器の形を作って、まじないをかける。だが、この玉の詳しい仕組みが分かっていない以上、手探りもいいところだった。暇は十分あったから、実際のところは気楽なもんだったがな。
タルトとドドの橋渡し役は、専らレガが請け負った。ちょくちょくこの家にやってきてはドドと喋り、時々食い物も持ってきたりした。自分の仕事に連れていったこともあったな。常に一人で生活するドドの身にしてみたら、それが一番の楽しみだったかもわからねえ。二人は時々、まじないを使ってまで人払いをすることがあった。それも、何時間にも渡ってだ。中で一体何を喋っていたのか分からねえ。後で聞いても絶対に答えなかった。あの二人の間には、きっと俺たちには想像もつかないような秘密があるんだぜ、けけっ。そのうちお前にも探ってもらいたいもんだ。
ある日、ドドは人探しをすると言い始めた。何でも、同業者の中に探している人物がいるらしい。馬を借りて、北は雪の降る土地まで、南は雨の降らない荒野まで、ひたすらに動き回って他のまじない師を探した。まじない師ってのは秘密の多いものらしいからな、普通の人間にはその存在すら知られていない一族も多かった。それでもあいつは根気よく根気よく根気よーく探して、これまでに片手では数え切れないくらいのまじない師に会ってきた。偽名を使って、表向きはまじないの武者修行をしているってことで通していた。こう言うと、案外色々教えてくれるもんで。自分の知っているまじない師の知識と引き替えに新たなまじないを身につけたりもした。まじない師の一族同士の交流ってのはどこもタルトほどはやってないところが多いみたいで、よその知識をほぼタダ同然で教えてくれるドドを重宝がったよ。
さて、封印玉の複製だが、実は既に完成してるんだ。
人間、必要に迫られたときには何事も成せるものらしくってね。俺がちょっとへまをやらかしてこんな格好になっちまったあの日から、一ヶ月もしないうちに完成させちまいやがった。言霊の密度を上げたら、上手くいったらしい。俺のときみたいに無傷でも絶対閉じこめられるようなものとは違って、相手を多少弱らせる必要があるがな。それでも一度閉じこめてしまえば、自分の言葉に従わせるくらいの封印力はあるんだぜ。
この机の下にじゅうたんが敷いてあるだろう。それをめくってみな。地下室の入り口があるから。全部、そこにしまってある。