#2 火矢を放つ
#2 火矢を放つ‐4‐

 門の内側に広がる森は、ジャグルの知るそれとは趣が異なっていた。生えるがままに任せた荒々しい自然のそれではなく、歩きやすいように、あるいは日の光が地面にまで行き届くように剪定されていた。一族の集落でも枝を時折切り落とすことはあるが、人間の歩ける道を最低限確保するに留まっていた。人の手が細部まで入った森を、ジャグルは初めて見た。
 更に進むと、視界が開けた。それは光り輝く緑の丘だった。なだらかな上り坂の上に、赤い屋根の大きな屋敷が立っている。その周りは、四角く刈られた木で囲まれていて、この広大な庭と建物のある空間を隔てる役割を果たしていた。きれいだ、と思った。それも、とても格調高い美しさだ。
 そんな威風堂々とした空間にこれから立ち入るのだと思うと、急に気が小さくなってしまった。不安に駆られ、前を歩くレガの方を控えめに叩く。内緒話をするように手を口に添えると、レガは意図を察して耳を寄せた。
「なぁ、おれ、大丈夫かな。こんな格好であんな所に入って。こういう所の礼式とか全然分かんないよ」
「分かった。それなら、俺の真似しとけ。もしも駄目なら、俺が何とかするよ」
 レガの声も、少し強ばっていた。レガも本当のところは礼式をよく知らない。それでもとにかく、ジャグルにだけは非難が行かないようにとのレガの配慮だった。おかげでジャグルは大船に乗ったかのような気持ちになれた。まじない師として恥のないように振る舞えれば、それでいい。やがて、屋敷の正面にやってくる。屋敷の大きな扉が開かれ、三人はその中に歩を進めた。
 中にいたのは、黒い服を身に纏った、若い男だった。右手に、濃い茶色の杖を握っている。
「久し振りだな!」
 レガとその男は熱い抱擁を交わした。お互いの抱きしめる強さが、再会の喜びの大きさを物語っていた。
「ドド、元気にしてたか?」
「あぁ、レガ」
「一体どうしてこんな凄い屋敷に?」
「あぁ。ちょっと前にこの屋敷の娘さんとご婦人を助けたことがあってね。以来、深いお付き合いをさせて貰ってるんだ」
「へぇー凄いな。お抱えまじない師になったってことかい?」
「そうとも言えない。有事に駆け付けるだけだよ。お嬢様に便箋を渡してるから、何かあれば投げてくれる。この家には殆ど問題はないが、付き合いのある他家には私達が必要になる家もあるみたいでね。まあ、自分の店もあるし、頻繁にくれる訳じゃないから、お抱えにはなれないよ。ところで、そっちの子は例の……?」
 ドドはジャグルの方を見やった。
「あぁ。ジャグル・タルト。今回初遠征、期待の新人だ」
 レガのあまりの誉めように思わず顔が赤くなった。そんなことない、とレガにかぶりを振った。
「ジャグルです。よ、よろしく」
 声が上擦っていたかもしれない。
「君の噂はレガから聞いているよ。私はディドル・タルト。この街の外れでまじない師をやっている者だ。気軽にドドって呼んでくれ」
 ふっと笑みを投げかけた。
「こいつがドドって呼ばれるのは、本当にちっちゃい頃に、自分の名前が言えなくてどうしてもドドルーになっちゃうからなんだ」
「お前、会う度にそれ言うよな」
 おどけて楽しそうなレガと、呆れ顔のドド。こんなに無邪気なレガを見るのは初めてだ。
「そう言えば、キュウはどうした。いつもお前にべったりくっついているのに」
「あぁ。今はちょっとな」
 そう言うと、一瞬女中の方に目をやった。女中はそれに気付かず、ただ預かった杖を大事そうに持っている。レガは何かを察したようで、それ以上この話題について話すことはなかった。
「そろそろ夫人たちが待っているはずだ。中に入れてもらおう」
 ドドが言うと、執事が現れさっと奥の扉を開けた。中は食堂だった。暫く中で待機していると、二人のドレスを纏った女性が現れた。
「夫人、今日は無理なお願いを聞いていただき、感謝します。こちらが、申し上げていた友人、レガ・タルトと、ジャグル・タルトです 」
「初めまして。私、スージィ・クラウディアと申します。こちらは娘のロコです」
「初めまして」
 ロコはスカートの両端を摘まんで、軽くお辞儀をする。参ったな、と思った。まるで別世界の住人ではないか。自分なんて場違いもいいところだ。そんな思いもあって、ジャグルの挨拶はひどくぎこちないものになってしまった。
「ジ、ジャグルで、す。よ、宜しく」
 顔を上げた瞬間、ぎょっとした。ロコが、自分を睨みつけるような目をしていたからだ。きっと彼女はこの無礼者に呆れているに違いない。
 だめだ。
 レガに励ましてもらったが、やはり自分にはこんな格式張った場所は似合わない。逃げてしまえればどれだけ楽になれるだろう、と思った。そういえばレガの挨拶はどうなったのか。聞こえなかったが、他の四人は既に談笑し始めているので、いつの間にか終わってしまったらしい。緊張し過ぎて耳に入らなかったのだと気付くまでに、少しの時間を要した。
「そう、だからドドなのね」
 夫人は笑った。レガ、名前のことをまた言ってる。さすがのドドも、貴族の前では大人びた対応で、微笑を浮かべるだけだった。
「森の中って、どんなところなのですか?」
 ロコ嬢がレガに訊ねた。既にタルト一族のことについて、いくらか知っているらしい。
「以前からハイラ山脈の森に暮らしてらっしゃると言うことは聞いていたのですが、ドドさんは長らく森に帰っていないようなので」
「実は今日レガを呼んだのは、お嬢様に今の森のことを聞かせて欲しいからなんだ」
 少し照れくさそうに、ドドは言う。
「良いですよ。何からお話しましょうか」
「それでは……家について、はどうでしょう」
 期待に満ちた目で、夫人もロコもレガの顔を見つめる。レガは目を瞑り、上を向く。
「そうですね……タルト一族は、自分たちの住まいにもまじないをかけているんです。小さい建物の中に、多くの人が暮らす工夫が沢山施されています」
 レガは喋り続けた。しかし、語るモノの焦点は、常にまじないのアイデアそのものに当てられた。家が広いと匂わす言葉を一言も発しなかったのは、貴族相手を考慮してのことだと、後で気がついた。彼は、上手く相手を立てていた。
 その後も、和やかな雰囲気で会話は続いた。穏やかでないのはただひとつ、ジャグルの内心だけだった。気を使われたのか、時々質問を投げかけられるが、一言二言で終わってしまう。うまく話せない自分にもどかしさを感じる。
 思えば小さい頃から、抑制、抑制の日々だった。一族にも、沢山の掟がある。よその人間が聞けば、ぞっとするような悪習もある。それに異を唱えようものなら、恐らく全てを敵に回すだろう。レガが語るタルト一族の生活は、まるで夢の国のように聞こえる。実際は、そうではないのだ。そう言ってしまいたかった。だが、それを言えば、ドドと屋敷の人々との間に築かれた関係の全てが台無しになる。そんなことをしたら、ますます自分が嫌になるだろう。これでいいのだ。これで。正しいことだけが、全てではない。一族の中に収まり切らない自分など、切り落としてしまえばいいのだ。

「あら、そろそろ日が傾きかけていますわね」
 夫人が、ふとそんなことを言った。
「それでは、そろそろお暇させて頂きます。今日はこれほど素晴らしいお茶会にお招きいただき、ありがとうございます」
「私の我が儘を聞き入れてくれて、ありがとうございます」
 と、ドド。
「いえいえ。また、宜しくお願いしますわね、タルト様」
「さあ、こちらへ。ドド様はこれを」
 行きと同じ執事が切り出し、再び案内する。執事の手に、柄が獣の頭を模した杖があった。両手で、丁重に差し出す。
「あぁ、ありがとうございます」
 ドドは同じように受け取った。そして、執事が先導する。レガとドドが振り返り、ジャグルもそれに倣う。
 一礼して顔を上げると、冷ややかな視線がそこにはあった。ロコの瞳が、ジャグルの顔をしっかりと捉えている。出会い頭に突き付けられた顔だ。彼女は自分をどうするつもりだろう。最後の最後に、何かしらの罵声を浴びせるだろうか。それとも、後でタルト一族の一人が無礼を働いたとして、ドドの出入りを禁止するだろうか。何も告げない彼女が少し怖くなって、あらゆる方向に想像が働き、手が震えた。彼女はじっとジャグルを冷たく睨み続ける。落ち着きを取り戻そうにも適わず、もはやジャグルに出来ることは、そそくさとこの場所から立ち去ることだけだった。ただただ、申し訳がなかった。

 屋敷を出たところで、執事にお礼を言う。それに答えた執事が戻っていくのを見送って、レガは切り出した。
「よし。ジャグル、お前は先に帰ってろ。場所は分かるな」
「ごめん、分からないよ」
 ジャグルは首を振る。
「そうか。でも、簡単だぜ。そこの門を曲がって街中に入って、左に曲がって道なりに行けば着く」
「分かった。けど、レガは?」
「この昔馴染みともう少し喋りたいんだ。悪いな」
「ううん、いいよ。じゃ、行ってるね」
 きっと、積もる話もあるのだろう。ジャグルはそう納得した。
「あと、くれぐれもここでドドと会ったことは内緒な!」
「分かった」
 何故だろうか、ふと疑問に思ったが、聞かない方がいい気がした。あの男は、多分、わけありなのだ。ハイラの森で暮らさないタルトなんて、それだけでも相当変わってる。不思議で、少し不気味なはぐれまじない師。そんなレガの秘密の友達との時間を、無碍にすることなんてできない。
 ジャグルは手を振って、宿場に戻って行った。

 手を振って見送る、レガとドド。完全に見えなくなったところで、レガの顔は一気に真剣なものへと変わった。レガにとって、本題はここからだった。この話をするために、今日レガはドドと会ったのだ。決してまだジャグルには聞かせるべきでない、大事な話をするために。
 切り出しは迅速だった。
「……ところで、その杖」
「うん?」
「キュウなんだろう。柄の頭の形、どう見たってそうじゃないか」
 きっとドドを睨むレガ。声が荒げそうになるのを、必死で抑える。
「……さすがレガ。鋭いな」
 ドドは、杖の柄の部分ーーキュウの頭を軽く撫でた。その顔は、どこか悲しげだった。
「大分弱体化してるな。何があったんだ」
 レガがまじまじとキュウの顔を見つめる。ドドは屋敷の方を見やった。
「丁度、この屋敷でのことだった。屋敷の中に人食いが住み着いていたんだ。完全に葬ったつもりだったが、最後の最後で反撃してきたんだ。思った以上の毒を、口に直接ぶち込まれた。術力の強い木を接いで命を繋いではいるが、まだ復活にはほど遠い」
 杖を握る手に、僅かながら力が込められた。
「それで、どうするんだ。もしキュウがこんなに弱ってるなんて族長にバレたら、一体どうなることか」
 心配そうな声を出すレガに、ドドはふっと笑った。
「お前が一番そういうところから遠いくせに。らしくないことを言わないでくれよ。それからだ。レガはだからこうやって、いつも来てくれてるんだろう。お前なら絶対言わないだろ? 一族の連中には上手いこと言ってくれるって、信じてるよ」
 レガはその手を取る。
「じゃあさ、信じるついでに、一つ頼まれてくれないか」
 真っ直ぐなレガの瞳は、しっかりとドドを捉える。
「俺にもしもの事があったら……あの子を頼むよ」
「あぁ」
 ドドは彼の瞳をまっすぐに見つめ、頷いた。

乃響じゅん。 ( 2012/12/15(土) 23:46 )