飽食のけもの - #2 火矢を放つ
#2 火矢を放つ-13-
 集落は変わり果てた姿になっていた。
 シャワーズとサンダースと戦ったあの場所と、状況は大差ない。人の手で作り上げられた造形物が崩されていることが、余計にそのひどさを物語っている。建物の屋根は崩れ、壁は煤で黒くくすんだ色に変わっていた。あちこちから煙が上がり、所々が水でびしょびしょに濡れていた。
 一族にとっての最悪の状況が、脳裏をよぎる。これは、まさか。
 ジャグルが歩を進めると、その予感が確信に変わった。
 タルトの人間が、あちらこちらに倒れ、重なりあっていた。そして、彼らは例外無く体の一部を失っていた。ある者は、右腕が。ある者は、頭が。ある者は、下半身まるごと。大人も子供も区別なく、みんな、みんな、殺されていた。
「なんだよ、これ」
 震える唇で、ジャグルは呟いた。
 食われたのだ、人食いに。シャワーズとサンダースと名乗る、無邪気な二匹の獣に。
「おーい!」
 ふと別の場所から、叫ぶ声が聞こえた。
「他に生きてる奴はいるかー! いたら返事しろー!」
 はっとして、ジャグルはその方角を向いた。ドドをその場にゆっくりと下ろし、声の主を探す。どうやら雑木林の向こう側にいるらしい。声の主とは、すぐに合流出来た。ジャグルは男の姿を見つけ、状況を聞き出すために駆け寄った。
「なあ、何があったんだ」
「お前、ジャグルか」
 男は怪訝な顔をする。ジャグルはそんなことを意に介さず、答えた。
「そうだけど」
 男はひとしきり考え事をした後、踵を返して歩き始める。ジャグルはその後を追う。倒れる人、人。もう動かなくなってしまった、タルトの男たち。
「惨い」
 ジャグルは呟いた。男はジャグルを見やる。
「酷い有り様だろう。急に集落に人食いが入って、仲間を食い散らかして行きやがったんだ」
 ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。彼も、きっと人食いが憎いのだろう、と思った。
 だが、違った。
「それもこれも、おまえ等のせいだ」
 彼は小さく呟く。
「お前らが」
 彼の声が、ドスの利いたような低い声に変わる。そして振り返り、ジャグルの肩を掴んだ。
「お前らがちゃんと倒して来ないから、こんなことになるんだ」
――何の話だ!?
 がんと殴られたような衝撃が走った。吐き捨てられた言葉は、明らかにジャグルを非難していた。自分は、シャワーズ達が何をしたのか、まるで知らない。ドドに言われるがまま、別の戦いに身を投じていたのだから。そう反論を試みたが、彼の目を見るとそんな反論でさえ受け付けてはくれなさそうで、言うに言えない。抜け出したあの戦いで、何が起こったのか。

「お前なんか役に立たなかったろう。最初からいてもいなくても同じだったんだな……いや、そんなことよりも。お前、本当にジャグルなんだよな」
「何度言ったら分かるんだよ。そうだって言ってるだろ」
 相手の態度に、思わず言葉が刺々しくなる。まだジャグルは、その言葉の意味するところを察することが出来ない。
 男はジャグルの身体のある部分に触れた。感覚が鋭くなっていることに気付き、思わず声を上げそうになる。その瞬間、ジャグルはこの男の言葉の意味を悟った。思わず触られた部位を手で隠す。自分の身体に、変化が起こっている。いつの間にか、元の姿に戻っている。
 まさか。まさか。とうとう気付かれてしまったと言うのか。そんなことが。一体、いつ。なぜ。ジャグルの目に、怯えの色が浮かぶ。
 男の顔が歪む。いや、自分の視界が歪んだだけかもしれなかったが、それすらも判別できないほど、ジャグルの頭はもはや正常に働いていなかった。
「お前はずっと、俺たちを騙していたんだな」
 その言葉と同時に、乱暴に腕を掴まれた。
「来い!」
 腕が潰れるほど強く握られ、強引に引っ張られる。
 姿勢を立て直すことが出来ないまま、半ば引きずられるように集会所に連れ込まれた。集落の壊滅という異常事態に、大人も子どもも一所に集められている。
「また一人、ノコノコ帰ってきやがったぞ」
 ジャグルはタルトの男達の間に投げ込まれる。辺りにざわめきが起こる。
「おい、こんな奴いたか」
「ああ。確かにいたよ。姿を違うが、確かにみんな知ってる奴だ」
 誰なんだよ、とじれる声が聞こえる。
「ジャグルだ。こいつ、女だったんだ。ずっと男のふりをして、俺たちを騙してたんだ!」
 男はジャグルを指さして、そう叫んだ。
 ジャグルは震えた。口をぱくぱくとさせて、手を情けなく宙に浮かせた。バレた。バレてしまった。十五年間、今までずっと隠し通してきた秘密が、ついに。
 彼が自分の胸を触るまで、ジャグルは身体の異変に気付かなかった。髪が長く伸び、肩は少し撫で肩になり、胸が膨らんでいることに。
 恐らく、あの時だ。ブースターに対して怒りとともに自分の術力を全放出し、火矢を放った時。あの瞬間に、自分の秘密も一緒にほどけてしまったのだ。
 ざわめく男達の声は、怒りと困惑に満ち溢れていた。女だって。全然気付かなかった。女だから、術が使えなかったのか。当然だな。
 ジャグルに向けられる視線は、最早明らかに同じまじない師を見る目ではなくなっていた。
「俺たちを、騙していたのか」
「穢らわしい。こんな奴、最初から切り捨ててしまえばよかったんだ」
「心の中で俺たちのことを笑ってたんだ。こいつは、きっと」
「クズだ。女の館にいる女より、もっと淫らに俺たちを誘惑しようとしている」
 焦点を定めることができない。何も聞こえない。目の前の全てが信じられず、体を動かすこともままならない。
「だったら」
 誰かが言った。
「こいつの血を飲んでしまおう。そうしたら、あの人食いに対抗できる力を、一時的でも得られるかもしれない」
 
 すべてが、恐ろしいほどの早さで決まっていった。
 明日の朝まで、ジャグルは幽閉されることになった。血の濃度を高めるため、一切の飲食を禁止するという。逃げないように地下の深くに閉じ込めて、日の出とともにその血を抜く。残ったタルトの術力を高めて、全員であの人食い、恐らくサンダースとシャワーズに対抗するために。
 全員分の血をたった一人の身体からまかなうことなど、恐らく出来ないだろう。それなのにジャグル一人から取るつもりがない理由は、容易に想像できた。きっと、憎いのだ。大見得きって出かけた戦いに敗北した討伐隊が。十五年間、女の身でありながらずっと男の世界で生きてきたジャグルが。彼女が、タルトを騙していたことが。自分は今、二重にタルトの恨みを買っている。きっと彼らは罰を与えたくてたまらないのだ。今までずっと一族を欺いてきた報いを受けて欲しいのだ。戦闘の出来る人間を増やすため、というのは恐らく建前でしかないだろう。全てを失った悲しみや恨みを晴らすためには、戦犯を裁く以外に最早方法がないのだ。朝が来れば、死んでもなおその血を抜かれ続けるのだろう。

 扉の迷宮に、四人がかりで担ぎ込まれる。
 魔具庫に行く時にも使った、不思議な廊下の奥へと進む。
 魔具庫への扉とはまた違う道筋を辿り、辿り着いたのは暗く湿った石畳の部屋だった。壁にいくつも垂れ下がった手錠を、両手にかけられた。
「この手錠は、繋いだ者の術力をかき消す力がある。お前なんかにはもったいない代物だが、念のためだ。明日の朝まで、俺たちを騙してきた今までの人生を詫びるんだな。このカタリが」 
 連れてきた男は、そう吐き捨てた。もはや、タルトの全てがジャグルの敵だった。何もかもがどうでもよくなった。このまま自分は死ぬのだ。タルトで生きていくことができなくなってしまえば、もう自分の居場所はどこにもない。ひっそりと、ただ静かに死を待つのみだった。
 音も、光もなかった。臭いは、わずかにあった。肉の腐ったような、嫌な臭い。暫くすると、それすらも気にならなくなっていた。一体どれくらいの時間が経ったのか分からないまま、ただただ時が過ぎ去った。
 がちゃりという微かな音と共に、扉が開いた。ついに時が来たか、と思ったが、どうも様子がおかしい。音を殺そうとしているのか、動きがやけに密やかだ。
 ろうそくの火に映った顔を見て、ジャグルは驚いた。タムだった。彼もまた、まるで人が変わったように虚ろな顔をしている。
「……よう」
 先に声をかけたのは、ジャグルの方だった。強がって、笑ってみたが、それもすぐに消えた。強気なふりをする気が起きなかった。
 タムの顔を見上げると、どこか様子がおかしかった。その瞳はただ虚ろなだけではない気がする。
「お前、女だったんだってな」
 妖しく、ろうそくの火が揺らめいた。タムの両手がいきなりジャグルの服に伸び、閉じた胸元を開いた。
「おい、何をするんだっ」
「なぁ、いいだろ。こちとら、色々ありすぎて気が滅入ってんだよ」
 タムの生暖かい息が、ジャグルの耳にかかる。
「色々、だと」
「最悪だったよ」
 その声には、やり場のない感情が込められていた。
「テレポート用のペンダントをな、使われちまったんだ。サンダースとかシャワーズとかいうケモノに!! そうでなくても、やつらは強すぎた。あの二匹の連携は俺たちの手に追えるものじゃなかった。お前も見てたから知ってるだろ」
 声を荒げるタム。
「奴らがペンダントを使ったのに気付いて、追った所で後の祭りだった。子どもも大人も、皆殺しだった」
 揺らめくろうそくの炎で、わずかに見えるタムの顔をぼんやりと見つめる。
「お前、あの時どこにいた」
 タムの声が、塊となってジャグルの心に吹きかけられる。
「あ、あれは」
「俺は気付いてたぜ。お前が途中でいなくなってたこと。あのドドとか言う分家の野郎と一緒に。あんだけ偉そうな顔をしておいて逃げやがった。ふざけんじゃねえよ」
 ジャグルの体を乱暴に揺さぶるタム。時々殴りつけたりもした。その度に、繋がれた手錠の鎖がじゃらじゃらと鳴る。
「待ってくれ。あれには訳が」
「訳なんかあるわけねえだろ。ずっと男だってウソついてたような奴の言うことなんか、聞くわけねぇだろ!」
 もう一発、怒りを乗せた拳が飛んできた。口の中いっぱいに、血の味が広がる。
 タムはジャグルに身体を密着させる。
「これは罰だ。舐めやがって。どいつもこいつも、俺を舐めやがって」
 タムは乱暴にジャグルの身体を抱きしめた。
 ジャグルはもう、何かを感じたり、考えたりはしなかった。部屋に閉じこもって本を読むときのように、心を閉じ、外からの声を拒絶する。そうすれば、体の痛みも心の痛みもなかったことに出来るような気がした。何もかもが、早く終わってしまえばいい。ただ夜の揺らめきに任せて、ひたすらに時は過ぎ去っていく。かいくぐった先に待つのは、どうせ死だ。
 ふと、ぱきん、という音が聞こえた気がした。音の方向を向くと、手錠が割れている。理由は分からないが、どうやら片手は自由になったらしい。タムはまだ気付いていない。

 獣なのだ。タルトも、この男も。そして、自分も。
 そう考えると、全てが簡単に思えた。
 誰もが、己の欲望と憎しみに忠実な獣。人食いは、そんな人間の弱みを食らって生きている。
 食われる人間は、食われるべくして食われているのだ。自分の心の中に潜む、欲望と言う名の獣に。

 ジャグルの中で何かが弾けた。手足の枷が外れるような音がした。自分を閉じ込める檻から解き放たれ、完全に自由になる感覚があった。ジャグルの中に存在する、溢れんばかりの術力を阻害するものは何もなくなった。自分を捉える枠を失ったことで、心はどこまでも広がっていく。他者の存在しない、唯一無二の自分。言葉は意味を無くし、それゆえに自我は次第に消滅してゆく。
 灰色の力が、爆発する。目の前に広がる現実を、自分の心の方に引き寄せ、合わせるような感覚があった。力が勝手に暴れ出そうとしている。
 ジャグルは力に従った。
 まず、部屋の片隅にあった木製の箱を浮かせて持ち上げ、タムの頭めがけて思いっきり飛ばした 。
「おぐっ」
 情けない声を上げて、タムは吹っ飛んだ。木箱と共に、壁に叩きつけられる。
 まだ片方に残っている手錠を見やる。もう片方の手で触れると、ぱきん、と音を立てて割れ落ちた。立ち上がり、倒れたタムを見下ろす。力なく、四肢をだらりと放り投げて気を失っている。
「……」
 次の術を行使する。ぱちん、と指を鳴らすと、タムの姿がふうっと消えた。ペンダントにかけられた瞬間移動のまじないと同じもののつもりだった。見よう見まねでやってみたが、上手くいったらしい。ちゃんと目標地点ーー彼の寝床に下ろせたかどうかは分からないが。
 これでもう誰もいなくなった。揺れる蝋燭を背に、ジャグルは扉を開いた。ぼろぼろに破けた衣服を辛うじて纏い、長く伸びて無造作に広がる髪を持つ女。今のみずほらしい姿を見て、恐らく誰一人としてそれをジャグルだと解しないだろう。
 廊下に出た。感覚が研ぎ澄まされているのが分かる。真っ暗で壁と扉の境目も分からなかったが、目に術力をかければわけのないことだった。周囲の様子どころか、正しい出口への道筋までもがはっきりと見えた。


 扉の迷路を何一つ間違えることなく抜け出し、そっと建物の外に出る。見上げてみれば、月がこうこうと輝いていた。森が青白く光って見えた。まだ夜は少し寒い。風がほんの少しそよいで、ぶるっと震えた。
 冷たくなった足を無視しながら、ジャグルはひたすら歩いた。タルトの建物を通り過ぎ、集落を抜けて、青い森の中へと入っていく。
 奥へ進むにつれ、木々の背丈が高くなったような気がした。自分の存在が、森に飲み込まれていくような感覚を覚えた。奥へ進めば進むほど、闇の中へ進んでいるような気もするし、明かりの中へ進んでいるような気もする。どこまで行っても同じ葉が、高いところで揺れている。森は何も言わない。ただ、踏み込んだ者を己の一部とするだけだった。
 草木を踏みつける音と共に、獣のうなり声が聞こえた。ジャグルはゆっくりと振り返った。
 人食いか、と思ったが、どうやらただの野犬らしい。闇の中から、一匹、また一匹と現れて、黄色い目を光らせ、ジャグルを囲む。
 ぐるる、と唸った。その声を聞いて、ジャグルは微笑んだ。
「……食べていいよ」
 不思議と、怖さはなかった。
 これは罰なのだと思った。自分を信じてくれた人間を、おれは生まれた時から裏切り続けてきた。いつかはこうなるのだと、心の底では理解していた。随分昔から、覚悟は出来ていた気がする。自分が生まれてきたことが、のうのうと育ってきたことが全ての間違いだったのだ。ひたり、ひたりとにじりよる獣の歩調が、段々速度を増して近付いてくる。
 だがせめて、受ける罰は選ばせて欲しかった。奴らの、タルトの血になるくらいなら、森と言う名の自由に身を委ねてしまったほうがましだと思った。本望だ。全てにさよならを告げて、大地に還ろう。ジャグルはふっと目を閉じた。獣の飛びかかる勇ましい声を、首もとで聞いた。

 痛みは、なかった。
 死の感覚かと思ったが、どうやら違うらしい。
 目を開けると、野犬達の身体が全て、ぴたり、と静止していた。死んではいない。ただ動きを止められているだけだ。獣の姿から、かすかな術力を感じる。ジャグルが食われる寸前で、誰かが術をかけたのだ。
 どこかから、馬の駆ける音がする。こんな所に誰だろう、と振り返ってみると、一匹の馬と、人間がそこにいた。
「……」 
 黒髪を揺らし、その手に獣を模した杖を握り、ジャグルを見下ろす姿。ディドル・タルトだった。彼は馬をその場に止めて、ジャグルの目をじっと見つめた。つかの間の、静寂があった。
「行くぞ」
 彼はジャグルに手を伸ばした。
「こんなところに、いてはいけない」
 ほとんど無意識に、ジャグルは手を伸ばした。ぐっとドドが引き上げると、ドドの後ろにすっぽりと収まった。ジャグルはドドの背中に手を回した。
 ドドは馬を走らせた。月明かりの下、深い森をひたすら駆け抜けた。
 ドドの背中に顔を押し付けながら、なぜ自分は手を伸ばした理由について、考えてみた。答えは見つからず、やがて堂々巡りとなり、ついに眠ってしまった。



■筆者メッセージ
次回、ディドル・タルトはどのようにしてまじない師になったのか
乃響じゅん。 ( 2013/05/02(木) 21:50 )