飽食のけもの - #2 火矢を放つ
#2 火矢を放つ-12-

「地面をよく見てごらん」
 ドドの指し示す先をじっと見つめる。ブースターの足跡が点々と続いていた。そして、一つ一つがかなり深くまで沈み込んでいる。
「足跡がはっきりと残り、消えなくなるまじないを地面にかけた。これを追えば、いずれはやつの居場所に辿り着く」
「いつの間に」
 それと、どれだけ広範囲に。思わず周囲を見渡した。試しに地面を踏みしめると足跡がくっきりと残り、雨上がりの土のように固まった。この一帯全てを、こんな土に変えてしまったというのか。どうやら彼の術力もまた、強大なものらしかった。
「私も、実は特別なんだよ」
 ドドはそう言って笑った。特別。レガも度々口にした言葉だ。それは、一体どういう意味なのだろう。だが、今はこの集中力を途切れさせたくない。余計なことは、考えないでおこうと思った。
 ブースターの足跡を追い、二人は早足で進んだ。ドドのかけた術の効果はてきめんで、辿るのはあまりに容易だった。わざわざ目を凝らさなくても、目につくのだ。
 歩きながら、見つけた後の算段をドドから聞いた。急ぎながらであったせいか、口調もつられて早くなり、喋り終わる頃には二人とも息が荒くなっていた。

「しっ」
 燃える赤い毛並みが見え、ドドはジャグルを制した。ブースターは、そこにいる。
「ジャグル、頼むぞ」
「分かった」
 と、頷く。矢は残り七本。ドドの見立てでは、やつを仕留めるまでにぎりぎり足りるかどうかと言う本数だった。無駄打ちは出来ない。ジャグルは矢立てに手を伸ばし、その一つを手に取った。
「やつの、視界掠める、横」
 呟き、矢に火を灯し、軽く放つ。矢はブースターの目の前を通過し、すぐ近くの地面に刺さった。すぐにこちらに気付き、顔を向けた。
「さあ、始めよう」
 ドドは呟き、ジャグルは応じた。ブースターは自分の居場所をなぜ辿れたのか分からず、一瞬驚いた顔を浮かべる。そして状況を判断したのか、遠くへ逃げ、隠れようともがく。二人はその姿を視界から消さないように追った。ジャグルはその矢を、いつでも放てるように腕の横に浮かせた。
「ほらほら、追いつくぜ」
 ジャグルは二発、火を灯さずに放った。すうっと弧を描きながら、ブースターの身体を掠めた。自分なりに冷静に狙ったつもりだったが、どうも音や空気を察知して避けられているらしい。
「さすが獣、鋭い感覚を持っている」
 ドドは呟いた。ジャグルは次の矢をつがえる。
「でも、このままでいいんだよな」
「あぁ。続けてくれ」
 焦ることはない。この段階では、まだ牽制と威嚇だけで良いというのが、ドドの指示だ。
「くっそー。こうだ!」
 ブースターが振り返りざま、火球を放ってくる。すかさずドドはジャグルの前に杖をかざして、火を打ち消す。
「守りは任せろ」
 ドドの微笑みに、ジャグルも応えた。
 ブースターの走りが徐々に速くなっていく。それに合わせて、二人も速度を上げる。一瞬木の葉に隠れて見えなくなったが、避けてみればまたその姿を見ることができた。矢を放ち、更にブースターを追い立てる。途中、ドドはジャグルの放った矢を術力を使い回収した。流れるような動作で、二本の矢を矢立てに戻す。
 そろそろだ、とドドは言った。
「火矢に切り替えろ!」
 ジャグルは術力を右手に込めた。矢の中の中まで、しっかりと伝わるのを感じ取る。熱を発した矢の先端に、炎となって溢れ出す。
 そして、放った。
 獣の身体を貫くほどの張力はかけていない。矢は弓なりの軌道を描き、ブースターの頭上を飛び越えた。
 ジャグルは願った。気付け。矢を見ろ。矢に灯った炎を見ろ。
 それでいい、という確信がドドにはあった。
 ドドは、ジャグルの炎が獣の体を焼くことは無いだろうと考えていた。ブースターが炎を吐く人食いである以上、その身体はきっと熱に強いはずだからだ。自分の扱うエネルギーが、そっくりそのまま人食いの好物となることは多い。
「お」
 獣から、声が漏れた。走りながらも、その首は、目は、矢を追っている。
 ジャグルは二発目の火矢を放った。さっきよりも、更に遠くの方へ。矢がブースターを追い越した瞬間、灯る炎は吸い込まれるようにブースターに寄せ付けられた。炎を食っている。
「さあ、食え、食え」
 ジャグルは火矢を連射した。矢が壊れない程度の高熱を込めて、出来る限りブースターにとって美味しそうな炎を作った。まるで、釣りにおける擬似餌のように。
「おおお〜! んっ!」
 奇妙なうめき声を上げながら、一つ、また一つと串に刺して焼いた肉を噛みちぎるように食らっていく。
「うすあじだけど、んまい!」
 ブースターは叫ぶ。薄味かよ、と心の中で呟いた。

 そして、矢が残り三本になった頃。

 目の前の視界が急に開けた。それと同時に、ブースターの姿がふっと消えた。
 この先は、切り立った崖だった。さぞかしブースターは驚いたことだろう。自分の足元にあるはずの地面が、消滅しているのだから。矢の炎に気を取られたブースターは、足元が崖になっていることに気付かず真っ逆様に落ちていった。
「うわああああああ」
 そしてその底は、湖だ。
 どぼん、と濁った水の中に落ちる音がした。二人は落ち行く獣と、広がり渡る水の波紋をしっかりと見届けた。
「ジャグル」
「分かってる」
 十人近い人間を圧倒するような獣が、この程度の水でくたばるとは思えない。追い討ちのため、ジャグルは矢を構えた。もちろん、食われて体力を戻されないように、火は灯さない。張力だけをただひたすらに込める。
「はぁっ」
 ドドがその両手を獣の方にかざす。術力を行使して、とどめを刺しにかかる。ブースターは水の中で暴れた。少しでも水面に顔を出して息を吸おうと、もがき、あがく。だがそのたびにドドの術力によって押さえつけられ、また沈む。
 火事場の馬鹿力というものだろうか。元々強力な獣の力が、更に強大になってドドに抵抗する。ドドは腕が反動で押し返されそうになるのを、必死で食い止める。
「いいぞ、ジャグル。よく狙うんだ」
 目をすっと閉じ、矢の張力を絞りきり、真っ直ぐその身体を貫通するイメージを浮かべる。目を開き、獣にしっかりと狙いを定める。ばしゃり、ばしゃりと上がる水しぶきの中、息を吸おうともがく獣の姿をはっきりと見定めた。
――ごめんな。
 心の中で呟き、ジャグルは矢を放った。
 すとん。高速で宙を駆ける矢が、赤い毛皮を貫通する。更に一発、もう一発と繰り返す。すとん。すとん。まるでただの的のように、矢はブースターの喉を、腹を、足を貫いていく。
 その衝撃に、ブースターの身体がびくん、と痙攣した。
 水しぶきが止み、獣の姿が沈んでいく。全てを諦めたように、辺りが静かになった気がした。
「死んだ……のか」
「あぁ」
 レガは頷く。獣はとうとう、自らの命を手放したのだ。
 術力の通った手を振り上げると、ブースターの死体をぐぅんと引き上げた。それが、捕えられた兎のように、頭を下にしてドドの目の高さにぶら下がる。急に上げたせいか、毛に含まれた大量の水がしたたり落ちた。黒い目は薄く閉じられ、四肢に力がないことを見るに、本当に死んでいるのだろうと思った。三本の矢は、それぞれの部位に刺さったまま残っている。自分でやったことではあるが、無残な姿だとジャグルは思った。
 人食いは、人間の敵だ。だがこうして死体をみる度に、薄ら寒さと憐れみを覚えてしまう。ジャグルは死体から目を逸らした。
 ふいに、ドドがもう片方の手の杖を振った。ブースターの尻尾と胴体が切り離され、残った身体を湖に落とす。宙に投げられた身体はむなしく落下し、湖に叩きつけられた。
「さよならだ、ブースター」
 ドドは、切り離した尻尾を手に取り、獣に向かって呟いた。今度こそ、全ての緊張感が取り払われた気がした。ジャグルはどっと疲れて、腰を下ろした。
「……それは?」
 ブースターの尻尾の方に目を向けた。
「戦利品だよ。炎の力が宿っているだろう」
 確かに、ほんのりと熱を感じる。内在している力のせいか、湖に落ちて水浸しになっていたはずの毛並みはすっかり乾いて、かつての柔らかな調子を取り戻している。
 ドドはそれを、杖の先端に近付けた。突然、尻尾の毛並みが本物の炎に変わり、杖に施された獣の頭部を包んだ。いや、これは炎を食っているのか。徐々に沈静化していく炎を見て、ジャグルはそう感じた。炎が完全に消えて、ドドは少し待っていたようだったが、何も起こらなかった。
「……だめか」
 残念そうに呟くと、ドドは調子を変えてジャグルに微笑みかけた。
「ありがとう、ジャグル。君がいなければ、あのブースターという人食いを倒すことはできなかった」
 口元には笑みを浮かべているものの、額から汗を流して、肩で呼吸をしていた。彼も相当に気を張っていたのだろう。
「いや」
 ジャグルは首を振った。
「俺は、駄目だったよ。あんたがいないと」
 勝手に怒り狂うだけで、まともに傷も負わせることもできず、焼かれて終わっていたはずだか ら。この勝利は、自分の力で成し遂げたとは全く思っていなかった。むしろ、自分がしたことなど、これっぽっちもない。
 俯くジャグルに、ドドは微笑みを投げかける。何か言葉を紡ごうとしたが、息を整えるのに必死で、それどころではなさそうだ。その様子を答えと見て、ジャグルは次の質問を投げかける。
「でも、何で俺を連れてきたんだよ。それだけ強力な術をいくつも使えるんだったら、あんな人食い、そんなに苦労しないんじゃないのか」
「そう、見えるかい」
 ドドの様子がおかしいことに、ジャグルはようやく気が付いた。彼は完全に、憔悴しきっている。ふらふらと身体が左右に揺れ、振り子の動きは段々大きくなってくる。
「おい、どうしたんだよ。大丈夫か」
 ジャグルが言い切るより先に、ドドはジャグルの肩に倒れこんだ。全体重を乗せてきたため、非常に重かった。
「すまない、術力を使い過ぎた……ここで……休ませてくれ……」
 最後の方の言葉がほとんど声にならないまま、ドドは意識を失った。
「おい、ちょっと待てよ」
 ジャグルは慌てて体を離そうとした。だが、完全に体重の乗った身体を起こすのには骨が折れそうだ。呼吸は少し落ち着いたものの、昏々と眠っていて起きる気配を見せない。
 よくよく考えれば、無理もない話だ。彼がこの戦いに使った術は、とどめを刺すために使ったものだけではない。足跡を残すまじないを広範囲にかけ、崖と湖に誘導するために結界を張って道を作っていた。その範囲、歩数にして千歩四方か。それだけの術を扱える人間は、きっとタルトの中でも数少ない。それほどの高等技術であることは、すぐに分かった。だからこそ、体力的にも精神的にも大きな負担を強いていたことは想像に難くなかった。今までの疲労が、術を解除したと同時に一気に押し寄せたのだろう。
 さて、どうしたものか。ジャグルは思案した。ここで休む、と彼は言ったが、放っておくわけにもいかない。サンダースやシャワーズと戦う人達のことも気になる。勝手に抜け出してしまったが、後で何を言われるだろうかと呑気な考えを振り払い、戦いの行方を案じた。
「戻ろう」
 ドドの体は重たかったが、運べないわけじゃない。肩を担げば、多少引きずるけれど何とかできそうだ。杖を腰の紐に差し、ドドの肩に手を回した。方向は、ドドのかけた術のおかげでよく分かる。ドドの体をしっかりと抱きかかえ、足跡を辿った。


 かつて泡の壁があった場所には、もう何もなかった。壁どころか、人間も獣も、一つとして生き物の気配がなかった。戦いの痕跡だけが、そこにあった。
 木に刺さった矢。焦げた草木。千切れた布。血の臭い。みんなが消えてから、それほど時間は経っていない。
 この戦いの途中で、何かが起こったのだろうか。ジャグルの胸の中に、一抹の不安がよぎる。ここから全員を別の場所に移動させた、何かがある。でも、どこへ。
 頭の中に、ある一つの答えが浮かんだ。これ以上ないほどの、最悪としか言いようのない答えが。ジャグルは背筋が凍りつくのを感じた。
 とにかく、戻らないと。この予感が、ただの杞憂であればいいのだが。激しく鼓動する心臓を何とか静めながら、ジャグルは集落の方へひたすら歩いた。



乃響じゅん。 ( 2013/04/27(土) 22:05 )