#2 火矢を放つ-8-
レガ・タルトが死んだ。
その知らせがジャグルの耳に入ってきたのは、二日後の朝だった。
七人の精鋭が、とりわけ気合いを入れて出て行った朝。ジャグルは早起きをして、彼らを見送った。心のどこかで、いつものように簡単に、良い知らせを持って帰ってくるのだろうと高をくくっていた。
だがその考えは甘かった。部隊は、壊滅した。
最初に異変に気付いたのは、ラッシュだった。ロークを先頭に、三人の男がそれぞれ一人を背負って帰ってきた。全員、傷だらけだった。背負っている者はまだましで、服が破けたり、切り傷を負ったりする程度だったが、背負われている方はぐったりとして、完全に動かない。足を片方失っている者もいた。
ラッシュは大人たちを呼び、手当てを求める。しばらくして、ざわめきが起こる。
担架の上に寝かされる、生死の境を彷徨う男たち。ジャグルは大人たちに混じって、ただ彼らを見つめていた。何か行動を起こそうにも、動けなかった。今の自分には、何も出来ない。
「おい、もっと水を持って来い」
「誰か女の館に! ありったけの灰を作れ」
「治療のまじないが得意な奴いるか」
「薬草だ! 蓄えがあったはずだ」
大人たちは、それぞれに役割を振り分け始めた。右へ左へと人が往来し、全てが慌ただしく動き出す。その中で、ジャグルはどこにも行けなかった。ただただ、怪我人たちの姿をまじまじと見つめることしか、ジャグルに出来ることはなかった。
ロークが地面に座り込む。土と汗にまみれたその顔は、憔悴しきっていた。
「なぁ、ローク」
「すまない」
ジャグルが何かを言う前に、ロークはそれだけ言った。
「レガは」
うなだれるローク。討伐隊は七人だったはずだ。だが今いるのは、担架で運ばれた三人と、ロークのようにその場に腰を下ろしている三人だけ。一人、足りない。何だか、嫌な予感がする。
「レガはどうしたんだよ」
ジャグルはすがるような声で言った。
「すまない」
「レガはどうしたんだよ!」
ジャグルはついに叫んだ。最早、泣きそうだった。自分の感じる不安をどうにかしたくて、真実を知ろうと迫った。だが、今彼がここにいないというだけで、その答えは明らかになっているようなものだった。
「あいつは殺された」
ロークは、聞いたこともないような低い声で呟いた。
「人食いに殺されたんだ!」
ロークは拳を地面に叩きつけた。やり場の無い怒りを、地面に向けて放った。殺された。レガが。人食いに。そんな。昨日あんなにへらへらと笑っていたじゃないか。やるせなさが胃の底から込み上げてくる。
とっさに、自分の手がロークに伸びた。自分は彼を殴るのだ、と思った。胸ぐらを掴んで、反対の手で、彼の頬を、ありったけの力で。怒りに任せて、胸にぽっかりと開いた穴の虚無感に任せて、レガを見殺しにしたこいつを殴るのだと。
だが、手は肩に伸び、ぐっと握り締めただけだった。おれにこいつを殴る権利は、ない。だって、俺はその場に居合わせたわけじゃないから。ただただ、やり場のない怒りに堪えて震えることしか、自分には許されないのだ。
「あいつは、俺たちを逃がしたんだ」
ロークは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
討伐隊が森の散策を始めて二日後。つまり、今日の朝。突然、鬱蒼と生い茂る木々が燃え始めた。そして火の向こう側から、明らかに感じる妖気。この炎が、人食いの放ったものであることは、容易に想像出来た。
攻防があったというより、一方的になぶられただけだった、とロークは言う。
「奴らの奇襲に手も足も出なかった」
全員警戒を強め、陣を組んで広範囲から対応しようとした。だが燃えた木の間から、赤い炎が隊目掛けて飛んできた。あまりに速い速度で噴射される火炎に一瞬全員の動き乱れるが、何とか態勢を立て直す。間違いなく、そこに人食いはいる。討伐隊はそう確信した。炎の向こうから、こちらを狙っているのだと。ほんの数秒のことだったが、丸一日続く睨み合いのようにも思えた。
敵が動いた。とてつもなく速い。草の擦れる音が、有り得ない速度で移動する。目で追うことでさえ適わない。裏手に回った瞬間、人食いの二撃目が討伐隊を襲う。青白い閃光が、一番後ろの男を襲った。堪えきれず、叫び声を上げる。矢を放って反撃するも、連射される閃光の前にあっさりと燃え尽きた。そして再び、人食いは高速で移動する。
止まった瞬間、もう一人が火矢を試みる。矢を撃つために腕を伸ばす。その瞬間、無色透明の何かが彼を襲った。火矢を放つはずの腕が、無残に切り落とされていた。
悶絶する彼に、急いで一人が止血に回る。そうしているうちに、無色透明の弾はたたみかけるように一行を襲う。弾の嵐に、前を見ることさえ適わない。ロークは術で弾を逸らすことを試みた。開いた傘のように、円錐形の力の流れを作り出す。しかし、弾の一つ一つが想像以上に重い。作り出した力の流れを拒絶するように、無色透明の弾は突き進もうとする。一人、また一人と防御を弾かれ、生身の身体もろとも貫通する。全員が、多かれ少なかれ傷を負う。何とか防いだとしても、集中する意識の隙を突くように、閃光が襲ってくる。一行の足元は血で染まった。最早、立っていられるのは四人だけ。まともに戦える状況ではなかった。
「撤退しましょう!」
そう叫んだのは、レガだった。彼の負傷も、かなり激しいものだった。辛うじて立ってはいたが、最早気力のみで動いているように見えた。
レガは、守りの術をかけた。作り上げた結界はひどく弱々しく、大きさも七人がぎりぎり入れる程度だった。
「ここは俺が時間を稼ぎます。まだ歩ける人は、歩けない人を担いで」
極限の状況の中、皆がレガの言葉に従うしかないと思った。ロークは一番近くにいた男を背負い上げる。
「走って!」
レガ以外の三人は、その声を合図に駆けた。全力。ただ前だけを見て。集落の方角だけを目指して。
一度だけ、ロークはレガの方を振り返った。レガが、紅の体を持つ獣と対峙するのが見えた。獣は、白い炎をレガに吹き付ける。それと同時に、レガが崩れ落ちた。
助けに戻ろう、とは言えなかった。そんなことをすれば、全員奴の餌食になるのが目に見えていたからだ。
「自分を囮にしたってこと?」
ジャグルは訊く。
「なんだよ。なんだよそれ」
「すまない。俺たちのせいだ」
ロークは首を振る。
手が震えている。握るでも、開くでもなく、やりどころに困った中途半端な掌から、力が離れていく。
これは、怒りだろうか。
「最後に見た人食いって、どんな奴だったの」
ロークは顔を上げる。答えようとしたが、その表情を見て躊躇った。
「あいつら、今もその辺りにいるのかな。戦った場所はどこ」
「……お前、それを聞いてどうする」
「決まってるだろ。レガを助けに行く」
「止せ」
「なぜ!」
「お前の力で、何ができる。火矢を放つことしか出来ないお前に」
何かを言い返そうとしたが、出来なかった。
「それでも、おれは行きたいんだ」
やっとのことで絞り出したその声は、殆ど力がなかった。ロークはジャグルの顔を見て、呆れたように首を振った。
「犬死にするだけだ」
そのまま、ロークはうなだれた。もう、前を向く気力もないと言わんばかりに。
「なんなんだよ……なんなんだよそれ……」
ジャグルはひたすら、同じ言葉を繰り返した。自分の今抱いている感情が何なのか分からないのは、今まで自分をずっと抑えて、本当の気持ちを隠して生きてきたことに対する罰だろうか。この状況をどうにかしたい。今すぐにでも駆け出したい。だが、何もできない。
結局やるせない気持ちを抱えたまま、ふらふらと自室に戻り、ベッドに倒れ込むしかなかった。この寝室に、邪魔者タムはもういない。だけど、それでも、レガまでいなくなっちゃ、意味がないじゃないか。
次の日、召集がかかった。一日立っても予期せぬ敗北のショックから立ち直れない者もいれば、自分が行けば油断などせず、もっとうまくやれたと息巻く者もいた。だが、少なくともかなり強大な力を持つ人食いが、すぐ近くに潜んでいる。いつ襲われるか分からない危機を目前にしていることを自覚しない者はいなかった。だがここに残っているのは、それを打開する実力のない連中ばかりだ。レガで敵わなかった奴に、他の連中が勝ってたまるかとさえ思う。そうやって、自分の中でレガの存在を高めておかなければ、気がどうにかなりそうだった。
族長が檀の上に立って演説を始める。おほん、と咳払いをすると、一人、また一人とその顔を上げていく。
「今こそ、一つになることが大事であるぞ諸君。その為には、指針が必要だ。昨晩、私とルーディでその指針を考えた。今からこの方策に従って、タルトは動く。方策は三つだ」
三の形を作って、前に突き出す。
「一つ。集落の結界を強化する。今は確か、毎日二人がかわりばんこに結界を張っているな。それを四人に増やす」
辺りを見渡して、全員の顔を確認してから、続きを話した。
「二つ。二人一組で森の偵察を行う。その際、もし人食いに出会ったときのために、いつでもここに戻ってこられる術をかけたペンダントを作った。これをつけて、行動してもらう。もし見つけたら、速やかに報告するように」
一瞬息が止まった。危険な任務だ、と思った。だが、今はそのくらいの危険を犯すくらいでないと、状況を打破することはできないだろう。
「そして、三つ。先ほどの件にも関わることだが……一族の分家を召集する」
辺りがざわついた。一族の分家。つまり、普段はこの森にいないタルト一族の者達のことだ。そんなまじない師なんていただろうか。
いや、いる。
ジャグルの脳裏に、かつてたった一度だけ会った男の顔が浮かぶ。
「昨日の夕方には、既に各地に手紙を送っている。そろそろ、一人くらい来てもいい頃なのだが……」
ルーディがそう呟いたのとほぼ時を同じくして、集会所の扉がゆっくりと開かれた。
「皆さん、お待たせしました」
その笑みはやけに、不敵に見える。獣の頭部を模した杖を手にする、黒い帽子の男。彼こそが、かつて一度だけ会った分家のタルトであり、レガの唯一無二の友人でもある男、ディドル・タルトだった。