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「おじゃましまーす」
酷い雨から逃げ込むように、私はショップ・シャクティに入る。いらっしゃい、と声をかける店主のジーコさんが、リラックスチェアでくつろぎながら、新聞を読んでいた。
「あぁ、ラブさんか」
ジーコとかラブとか言うのは、ネット上のハンドルのことだ。私とジーコさんは、ネット上の小説投稿掲示板で出会った。仲良くなるうちに、意外と通っている学校の近くに住んでいることを知る。
インド風、エスニック調の服飾品を売る店を経営していて、初めて入った時から、私はオレンジ色の不思議で非現実的な空間に心を奪われ、何度も通っている。客が入るところを殆ど見たことがないが、大丈夫なのかと尋ねると、これは副業だから平気らしい。株に成功し、余りに余ったお金で好きな空間を好きなように形成しているのだ。きっと今も、東証一部に並ぶ企業たちの数字を睨んでいるに違いない。
毎日服装が違う彼だが、いつもとは打って変わってポロシャツを着ていた。正直言って、おじさん臭さが強調されて、あまり好きになれない。普段の、店と同じのエスニック調のゆるい恰好の方がいいのにな、と思った。
「寒いですねぇ、今日も」
「そりゃあ、11月だからなぁ」
新聞をめくり次のページを開いたところでドッグイヤーをして、カウンターに置く。
「時にラブさん、11月は何の秋だか分かるかい?」
時々彼が投げかける、不思議な問いかけ。答えは人それぞれだが、物書きのはしくれとして、面白い発想を探してみたい。が、
「……スポーツの秋、は10月だし、食欲の秋、あたりですかねぇ」
いくら考えても、その程度しか浮かばない。最近はいつもそうだ。調子が悪い。
「なるほどね」
「月並みですけど」
私は言い訳して、苦笑する。
「俺なら、読書の秋、って答えるな」
「どうしてですか」
思いの他、彼の答えもシンプルだった。彼は笑って、紙とペンを取り出す。黒い字で、November、と書く。それに矢印を描きながら、説明を加えていく。
「11月。これのbを、縦棒と丸、つまりlとoに分けて、さらに並べ替えると」
Novel moreの文字が浮かび上がる。
「小説をもっと、だ」
「なるほど」
こういうことをよく考え付くなぁ、と思う。そういう発想が私にはなく、尊敬する。
「まだラブさん、企画投稿してないよね。今回書かないの? 締め切り、明日じゃん」
何気ないつもりかもしれないが、私の心臓をぐさりと突き刺す一言だった。企画というのは、期間内に、掲示板の色んな人が一つのテーマに対して短編を書く、というものだ。参加しないのもつまらない。かと言って、下手なものを書いて出しても、自分の為にはならない。ちゃんとしたものを書きたいのに、何もアイデアが降って来ない。今日の雨に似て、べとべとして暗い気持ちに囚われている自分がそこにいた。
素直に私は想いを打ち明けてみる。
「全然アイデアが浮かんでこなくて。それに、自分の文章に自信が持てなくて、こんなのでいいのか凄く不安になるんです」
連載中の小説も、いつもより更新ペースが落ちている。色々な人の文章を読んでいるうちに、自分の文章が分からなくなっていた。
「そっか」
彼は立ち上がり、色のついた奇麗な石のアクセサリーの棚を眺める。
「等身大の自分、でいいんじゃないの」
石を手の平で転がした。
「自分以上のものは表現できない。表現の限界がそこにあるのなら、自分が色んなことを知って、色んなことを考えられるようになればいいんだと思うよ」
「それが出来たら苦労しないですよ」
私は笑った。
「ホントだよね」
ジーコさんも、笑っていた。
しとしとと雨は降り続く。
「そこまでストイックになれたらいいんですけどねぇ」
私はため息をついた。
「そうだねぇ。でも大事なのは、案外ストイックとかそういう事じゃないのかも知れないよ」
ジーコさんは角の取れたサイコロのように磨かれた、真っ黒な石を手に取る。
「トルマリンって言ってね、感受性を高めてくれる石らしい」
それを受け取って、私はまじまじと見つめる。すこしホコリがついているのが気になった。
「日本語じゃ電気石って言って、静電気を帯びる性質があるみたいなんだよ。パソコンいじる時に電磁波を和らげてくれるってさ。ネット小説家にはもってこいだ。安くしとくよ」
700円ちょっとのトルマリンを、500円で売ってくれた。
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます……あ」
「どうした」
「何か書けそうな気がする」
「いいじゃないか」
頑張れ、と声をかけてくれるジーコさん。私は胸を張って、はい、と答えられた。
「あ」
店を出るとき、言いそびれていたことを思い出す。
「今度は何さ」
「そのポロシャツ、あんまり似合ってないですよ」
その瞬間、ジーコさんは目だけを逸らし、何やらいたずらがばれたような顔をした。
「いいセンスだ」
彼はそう言って、私を見送った。