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「妹を探して欲しいんです」
鳥坂は女子生徒に頭を下げられて困惑していた。
「そんなにかしこまらなくてもさ、同い年だし、そんな風にされると」
彼にはその後にどう言葉を続けるのが一番賢いのか、見当もつかなかった。放課後、今から生徒達は部活に向かおうかという時間帯のことだった。
「とりあえず、話は聞くよ」
肩に担ぎかけていた学校用かばんを下ろし、誰の席か分からない机の上に腰かける。鳥坂はため息をつきたくなったが、目の前にいる彼女の深刻な表情を見てためらった。
彼女は何から話そうか悩んでいるようで、しばらくの沈黙が流れた。出来れば放課後は早く帰りたい鳥坂にとっては、早く終わらせたかった。
「てか、何で俺に相談しようと思ったの」
鳥坂は聞いた。声から漏れる苛立ちを何とか隠そうとする。
「波多野君から。部活が同じだから相談したらさ、『鳥坂くんを頼ったらいいよ』って」
「波多野?」
思わず顔が引きつる。波多野は、高校に入ってから仲良くなったクラスメイトだ。やたらと鳥坂と共に行動を取りたがるので、鳥坂は色々自分の話をせざるを得なくなった。
鳥坂の先祖の中で一人だけ、人食い妖怪を退治する仕事をしている者がいたらしい。実家には彼の残した文献が保管されていて、両親はよくその妖しい存在のことを寝る前に聞かせ、鳥坂を怖がらせた。
そんな血筋のためか、人には見えないものを見て、引き付ける力がある。あまり嬉しくはない。おおよそそういう存在は、鳥坂にとってよいものとはならない。
波多野はそれを知ると、どこからか妖しい事件を持ちこみ、鳥坂に解決してもらおうとする。鳥坂にとってはただのトラブルメーカーだ。
「鳥坂くん?」
苛立つ気持ちに囚われ、少し黙ってしまったようだ。
「あぁ、ごめん。そう言えば君の名前聞いてなかったね」
「7組の岸田よ」
岸田さん、と鳥坂は復唱する。毎度毎度、新しい人に会うたびに冷や汗をかかずにはいられない。鳥坂は人の名前を覚えるのが苦手なのだ。
「それで、岸田さんの妹が行方不明なんだ」
岸田は頷く。
「昨日祭りあったでしょ。4日連続の初日のやつ。妹もつれて行ってたんだけど、途中ではぐれちゃって」
「あぁ、神社の周りのやつね」
「そうそう。色々探しても見つからなくて、結局帰ってこなかった」
大事じゃないか、と鳥坂は驚く。
「迷子のお知らせとか、警察行ったりとかは?」
「したよ。それでも見つからなかった」
言葉を発した分だけ、岸田の肩が小さくなっていくような気がした。鳥坂は空気の抜けていく風船を思い出した。
岸田は息を吸い込み直すと、顔を上げて続けた。
「それでね、もしかしたら神隠しじゃないかって話になって」
「神隠し、ねぇ」
「ねぇ、どう思う」
「どう、って言われてもなぁ。見てないから何とも」
一瞬期待したような岸田の目は、また伏せられた。その様子を見て、気持ちが焦ってしまった鳥坂は、ついうっかり言葉を出してしまう。
「でも、まぁ、少し努力はしてみるよ。岸田さんも、今日はお祭りの関係者のとことかと協力して探して」
本当に、ありがとう、と岸田は声を上げる。鳥坂はメールアドレスを交換し、また連絡すると伝えて別れた。
岸田を見送り、教室を出ようとすると、廊下に波多野が立っていた。
「よぉ」
「よぉじゃねぇよ。また面倒なことを押しつけやがったな。それに部活はどうした」
鳥坂の怒りを尻目に、波多野は笑った。
「まぁいいじゃん。人助けだと思えば。それに鳥さん、部活やってないからいつも暇そうじゃないか」
悔しいが、反論できない。波多野は鳥坂のことを鳥さんと呼ぶ。
「どうせ俺の頭は鳥さんですよ」
鳥坂は吐き捨てるように言った。波多野は全く聞く様子もなく、部室の方向へと歩き出した。そう言えば、と考える。結局波多野が何の部活をしているのか、鳥坂は知らない。聞こうと思っても会ってからはついつい言い忘れる。
「鳥さんで悪かったな」
もう一度、鳥坂は呟いた。
家に帰って、資料をひっぱり出しながらプランを練る。
先の残した情報は膨大で、調べるのには時間がかかる。段ボールをふた箱、自分の部屋に移す。重量に負けて、どすんと落とすように置いてしまった。
今日の祭りに参加して今から急いで探す、というのは、得策ではない。もしただの誘拐だったなら、出来るだけ早く対応した方がいいし、一高校生が関わることではない。警察に任せればいいのだ。
しかし、魑魅魍魎の仕業だったなら、事情は違ってくる。妖怪たちの行動原理は人間には理解しがたいものばかりだ。例えるなら、奴らは人間で遊んでいる。恐らく、得体の知れないものに対する知識など、多くの人間は持ち合わせていないだろう。
一日などという短いスパンでは、おもちゃにした人間を捨てない可能性がある。大事なら、壊さずに大事にとっておくかもしれない。しかし、そうじゃないかもしれない。
それはふたを開けてみるまで分からないことだ。だから、鳥坂はふたを開けてから何が起こっても無事に済むように準備を整える。
ちらとカレンダーを見やった。今日は金曜日だから、明日は休みだ。今日と明日の午前中をかけて、祭りと妖怪について調べ上げる。実地調査は、明日の夜だ。
鳥坂は岸田に、その旨を伝えた。
「こんばんは」
「よう」
鳥坂は岸田と合流する。時計に目をやると、午後8時。空も暗くなり、普段の日なら高校生が外出していたらそろそろ怪しまれる時間帯だ。
「やっぱり妹さん、いなかったんだな」
鳥坂は言う。
「うん。やっぱりこれ、アレなのかな」
「アレだな。俺もそう思う」
神隠し。つまり、岸田の妹の誘拐事件の正体。急に岸田の頬が赤くなるのに気付く。
「こんなに必死に探してるのにさ、ひどいよね」
泣きそうな声をしていた。既に家族が二日間、行方知れずなのだ。心配もするだろう。鳥坂は深く息を吐いた。
祭りの囃子と雑踏が、小さな通りを張り詰めた空気に仕立て上げる。出店が神社に続く通りに並び、提灯が延々と遠くまで掲げられている。
「とりあえず、神社の方まで行ってみようか」
「分かった」
神社までは、石畳のゆるい上り坂になっている。そのせいか、神社までの距離が妙に遠く感じられた。
途中で、お面屋を見つけてはたと止まる。
「どうしたの?」
岸田が聞く。鳥坂は口元に笑みを作る。
「これ買おうと思って」
「あ、かわいいね」
色々なお面が並んでいる。戦隊モノの仮面5色、最近人気のヒロインものの妖精。
ポケモンが一番上に並んでいるのを見て、鳥坂は苦笑いする。
古くからあるようなオーソドックスな狐の仮面も売っていた。それが一番安かったので、それを購入する。
「岸田さんも買っといた方がいいよ」
「そう?」
「うん、必要だろうから」
どれにしようかな、と悩んだ末に選んだのは、ポッチャマのお面だった。一応ゲームは一通りやったので、鳥坂はそれがどんなポケモンなのかを知っている。
「似合う?」
笑いながらお面を付けて、聞いてきた。
「似合うんじゃないの」
「そっけないねぇ」
岸田は頬をふくらました。
仮面を頭に付けながら、二人は神社の前までやってきた。下に敷かれた細かい石が、踏まれるたびにじゃりじゃりと音を立てる。
暗い時間に見ると、おごそかな雰囲気が一層強まる。きっとそれは、気のせいではないだろう。目に見えない何かが、そこで力を蓄えているのだ。鳥坂には屋根の上に、うっすらと巨大な何かの影が見えていた。
「神隠しが起こる条件って言うのは、いくつかある」
鳥坂は切り出した。
「正確に言えば、今いる世界から違う世界に移動する条件だな。
一つは、一人で完全に道に迷うこと。これが神隠しの中で一番多いケースなんだ。これは元いる世界から別の世界に移動してしまう場合に起こる。恐らく、岸田さんの妹もそれで神隠しにあったんだと思う」
岸田は納得したように頷く。
「もう一つは、禁忌を犯したとき。
怪談話で聞いたことないか? 『この扉は、絶対に開けてはなりません』っていうヤツ。もし自分が妖怪とかに閉じ込められた場合、そういう禁忌は破らなきゃいけない。相手は自分を閉じ込めたいから、都合のいいように相手の行動をそれとなく禁止する。だから、世界の出口はそこにある」
岸田の顔をちらと見やると、良く分かっていないような顔をした。
鳥坂はため息をついて、話を続けることにする。柄にもなく、熱くなり過ぎただろうか。
二人はさらに、神社の本殿に向かって歩いていく。
「とにかく、入ってはいけない場所って言うのは、普段行けないような閉じた場所への入り口なんだよ。例えば、この神社の建物の中。
俺らにしてみれば、ここは地元だろ。知ってる場所じゃ迷子にはそうそうなれない。だから、こうやって行くしかない」
「行くって、その……妖怪のいるところに?」
「そうだ」
誰も見ていない瞬間を見計らって、鳥坂は手早く戸を開け、抵抗するより早く岸田を連れて中に入る。
トン、と音がした時、外との関係が完全に断たれたような気がした。外の雑踏が聞こえなくなったのだ。
鳥坂は二回拍手をし、二回頭を下げた。暗闇の向こうにいる何かへの敬意を払うためである。
――勝手にそちらの門を叩いてしまった無礼をお許しください。お邪魔します。
「よし、扉を開けて。ゆっくり」
「うん」
カラカラ、という音を抑えながら、岸田は扉を開けて行く。
外で行われている祭りは、まだ続いている。二人は外に出た。
「ここからは、お面をつけろ。絶対に外すなよ」
「何で?」
「元々お面って何のためにあるのか知らないだろ」
岸田は頷く。
「そもそもお祭りってのは、人と霊と妖怪が一緒になる場所なんだ。他のものとの違いを隠すために、お面を被る。ここから先は妖怪だらけだ。人間がいるって分かった時点で、俺らみたいなのは即、食われてしまう」
狐のお面を付けて、鳥坂は外に出た。
確かに祭りは続いている。提灯の橙色の光が続き、にぎわっている。しかし、どこか雰囲気が違う。
空がないのだ。星一つなければ、透き通って見通せるような高さを感じない。
これが妖怪の世界か。鳥坂は今更ながら、ぞっとした。
道を歩けば、いろんな姿をしたものとすれ違う。人の形をとっているものもあれば、獣のような姿をした生き物もいる。鳥坂の数倍ある巨人もいた。どうやって出店に入るんだろう、とその姿に恐れを抱きながら疑問に思う。
出店はどういうわけか、人間のやっているものと殆ど同じに見えた。フランクフルト、やきそば、たこせん、金魚すくい、スーパーボールすくい、おもちゃ。今風だ。
「手を離すなよ」
ここから先は迷子になり得る。鳥坂は岸田の手を握り、先へ進んでいった。
「離したらどうなるの」
「そんなこと聞くなよ。迷子になってお前も帰れなくなるしれないってこと。妹さんの二の舞になっても知らないからな」
「へぇ、こんな風に?」
「え?」
岸田の手が、鳥坂から離れた。と思いたかったが、どうやら違う。消えた、としか考えられないような感触だった。手のひらから急に、握っていた手が無くなった。
横をふと見てみれば、そこに岸田の姿はなかった。
「おい」
何処へ行った。返事はない。
仕方が無いので、一人で出店の間を歩いていく。
後ろ盾がいなくなったせいか、急に周りの全てが大きくなったように見えた。心を強く持たねば、つぶれてしまいそうだ。
ふと、鳥坂は自分の目を疑った。見知った人間がいるような気がする。彼は手を振って、こちらに笑いかけている。鳥坂は彼の元へ走った。
「波多野!」
鳥坂は名前を呼んだ。少し暑くなって、狐のお面を外す。
「やっほー」
「やっほー、じゃなくてさ、お前、どうしてこんなところにいるんだよ」
鳥坂は少し狼狽していた。
「いやぁ、俺もたまにはお前に協力してやろうと思って、妹さん探してたんだよ」
波多野はきしし、と笑い声をあげる。そして、鳥坂に耳打ちする。
「それでさ、見つけたんだ」
「え、妹さんを?」
「ああ。来る?」
「行くに決まってるだろ」
こんな危なっかしいところに、わざわざ何をしに来たと思っているんだ。鳥坂は眉をひそめる。
「じゃ、行こう」
元気よく、波多野は歩きだす。
場所は意外とすぐ近くだった。
路地を抜け、焼き鳥屋とお面屋の間をくぐり抜けると、少し広い広場のような場所に出た。
しゃてき、とひらがなで大きな看板がかかげられていた。広場全体を占める、巨大な射的ゲームのようだ。
「でかいな」
鳥坂は呟いた。近づいてよく見ようとする。
『いらっしゃーい! 祭り名物、超巨大射的ゲーム! 実弾を使ったリアリティがウリ! 楽しいよぉーっ!』
背中に花の咲いた巨大なカエルが、葉巻を吹かしながらはやし立てた。鳥坂は苦笑いした。お面屋でポケモンを見た時と同じ気持ちだ。
任天堂は何を考えているんだろうか、と鳥坂は思う。ポケモンと言うのはデザインもネーミングも、妖怪の姿に酷似している。
周りからは、ヒューヒュー、と口笛を吹いたり、手を叩いたりして盛り上がっている。いつの間にか、鳥坂は大勢の妖怪に取り囲まれていた。
『そこの人間の兄ちゃん、やってくかい』
はたと気がつく。そう言えば、波多野に会った時に無意識的に仮面を外してしまっていた。あわててつけようとして、やめる。バレてしまったなら、もう同じことだ。
もう一度的に目をやる。それに気付いた瞬間、鳥坂は目を見開いた。
木に括りつけられた中学生ぐらいの女子が、意識を失ってぐったりとしているのだ。な、と言葉を発して、鳥坂は固まっていた。
「これは、どういう」
鳥坂は中心に立てられた景品を指差す。波多野は淡々とした口調で答える。
「な、見つけたって言ったろ。あれがそうだよ」
鳥坂は言葉が出てこなかった。やはり、岸田妹は妖怪のおもちゃにされていた。
「どうすんの、兄ちゃん、やってくのかい、やんねぇのかい。当たったものなら何でも、兄ちゃんにくれてやるよ」
いらついたような言い方で、店主ははやし立てる。その顔は笑っていた。
「お前、本当に波多野か」
鳥坂は波多野を睨んだ。波多野は両手を大げさに上げて、にやりと笑う。
「あぁ、君の知っている波多野祐樹そのものさ。でも、白状しよう。波多野祐樹は本当は存在しない人間なんだよ」
そう言うと、飛びあがってくるくると回る。すると、波多野は紺色の狐のような姿に変わった。後ろから、ゾロアいいぞ、とはやし立て、笑う声が聞こえた。それが波多野の本名か、と鳥坂は察する。
『ついでに言うと、岸田さんもね』
「グルだったってわけか」
一歩退きたくなる気持ちを抑えて、何とか姿勢を保つ。狼狽の言葉を発してしまったら最後、奴らに心から食われてしまう。波多野は続ける。
『妖怪退治屋の血を引く人間がこの街にいるって聞いたからさ、俺らとしてはやっぱり迷惑じゃん? 早めに潰しておきたくて、皆でそいつをやっちまおうって話さ。誰がその人間なのかを探すの、苦労したんだぜ。何人かに目を付けて、仲間をけしかける。そうやって虱潰しに調べたよ。鳥坂がそうだって確信するまでに一か月かかった』
少し踊るように跳びはねながら、鳥坂の周りをぐるぐる回りながら話す。
それで、最後の仕留めにかかるためにこちらに入ってくるように仕組んだ。そう言う事か。
「じゃあ、あそこにいるのは」
鳥坂は括りつけられた女子を指さした。
『あれがホントの岸田さん。妹ってのは、ウソさ』
波多野はキシシと笑った。
うーて、うーて、と周囲からのコールが聞こえる。波多野は辺りを見回して、鳥坂に言う。
『まぁ、ただ俺達が鳥さんを食うだけじゃみんなも面白くないからさ、ちょっと遊ばれてやってよ。一回ぐらいショータイム見せてもいいんじゃない?』
「ショータイムって」
鉄砲が急に浮き、鳥坂の右手に無理やり収められる。
恐らく波多野の念動力か何かだろう、と鳥坂は推測する。ちゃんと鳥坂の手が鉄砲を持っていることを確認すると、波多野は射的の台に乗っかり、声を上げる。
『さーぁ、皆さん、鳥坂くん最後のショータイム! 助けたかった女の子を撃たなきゃいけないの巻、始まるよー!』
そういうことか。ショータイムの意味を鳥坂は理解する。鳥坂が救出する筈だった岸田を殺さなくてはいけない様子を、魑魅魍魎は楽しんでいる。
周囲の歓声は更に大きく上がる。コールお願いしまーす、と波多野が言うと、発砲をはやし立てる拍手の音が聞こえる。
鳥坂は銃を握り締めた。