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祥子はふわふわ中毒だった。
それと言うのも、小さい頃に迷子だった祥子を助けてくれたシルクハットの青年が、大量のふわふわをプレゼントしてくれたのである。それ以来、祥子はふわふわが無いと生きていけない身体になってしまった。
大学生になって光の街で一人暮らしを始める。初めて足を踏み入れた時には、ふわふわの少なさに愕然としたが、いざ暮らしてみると意外とそうでもないことが分かった。例えば、生協のエントランス。例えば、ビルの曲がり角。あちこちに散らばるふわふわを見つけては、それを拾って生活をしていた。
そん な暮らしを続けて一年弱、雪の降らない街に鐘が鳴る。ぼーん、……。ぼーん、……。除夜の鐘の音だ。祥子の地元では、住職でなくても先着百七人(最後の一回は住職が突く)に突かせてもらえたが、この街ではどうだろう。少し買い出しに出かけただけだったが、それ以外に用事もなかったのでお寺の方へと足を運んだ。
結局、鐘を突かせてもらうことはなく、ただ火を焚いて周りでわいわいとご近所さんが喋っているだけだった。奇麗、と火の粉の先に見とれていたが、ここにはふわふわがそれほど見当たらず、祥子はがっくりと肩を落とした。
その帰り道、道端にふわふわが落ちていた。行きは見当たらなかったのに。ふわふわの塊は、てんてんと路地裏に続いていた。祥子は一つ一つ丁寧に拾いながら、跡を辿っていく。
そして、祥子は溢れる笑みを両手でふさぐことになる。小さな段ボールの中から、信じられない量のふわふわが! 胸のどきどきが抑えきれず、逸る足を抑えきれず、祥子は一瞬でも早く段ボールの中を覗きたい衝動に駆られた。
大量のふわふわに囲まれて、一つのタマゴが眠っていた。ただ生まれる一瞬の為に、ひたすら内へ内へとエネルギーを循環させるタマゴ。見た目は全く動かないが、掌から伝わる温もりが、実態を教えてくれた。
段ボール箱の側面をよく見てみると、「拾ってください」と書いてあった。そう、それじゃあお言葉に甘えて。祥子はタマゴを抱えて、一直線に我が家へ向かった。
家に着いた瞬間、タマゴは割れた。上部だけが割れて頭が飛び出す。その後、タマゴから手足が生えてきた。
祥子はその生き物と目が合った。高い声で鳴いて、つぶらな瞳で見上げてくる。かわいいと思ったのと同時に、不思議な予感があった。この子にはきっと、ふわふわを呼び寄せ、生みだす資質がある。その根拠は、段ボールに溢れたふわふわだ。もしかして、あのふわふわの多くはこの子が生み出したのではないか。背中がぞくぞ くした。一人暮らしで何か生き物を飼うのも悪くない。
トゲピー。それが、この子の種族の名前だ。大みそかの深夜に出会ったと言う事で、祥子はトゲピーをみそかと名付けた。
トゲピーの育て方を調べる正月を送っているうちに、みそかはトゲチックに進化した。
祥子は驚いた。ポケモンって、こんなに早く進化するものなのだろうか。赤ん坊から見違えて、一気に青年のような顔つきになったみそかは、祥子の目により可愛らしく映った。ただの赤ん坊よりも、智慧のある可愛らしさ。祥子の顔は自然とほころぶのであった。
再び大学が始まり、祥子は謝りながら家にみそかを置いて出ていった。みそかをあまり一人ぼっちにしすぎるのも忍びなく、可能な限り早く帰ってくるようにした。遊んでやると、無条件に喜んだ。その顔を見ると、ふっと心が安らいだ。
そんな生活も、夏が始まるときに終わりを告げた。みそかが行方知れずになってしまったのだ。
七月、テスト間際。家に帰ってみると、みそかの姿がない。祥子はいてもたってもいられなくなって、ありとあらゆる物陰を探した。おかしい、今までこんなことはなかった。ベランダの鍵が空いている訳でもない。家の鍵もきちんと締まっていた。じゃあなんでいないの? 祥子は泣きたくなった。
家を出て、辺りを走り回ってみたが、やはりみそかの姿らしきものはどこにもなかった。夜十二時を回ったところで足が重くなり、真っ暗な闇の中をとぼとぼと歩いて、ベッドに倒れ込んだ。
テスト期間中、みそかのいない悲しみに暮れながら勉学に励んだ。暗い気持ちがうまいこと集中力に切り替わってくれたおかげで、無事テストを乗り切ることができた。優が九割、可が一割。
夏休みが始まって、祥子はバイト三昧の日々を送った。稼ぎが無かった時期は、親に生活費を肩代わりしてもらっていた。その後れを取り戻さなければ。と言いつつ、それほど精神的に疲れ過ぎない仕事を選んだのは、ふわふわを探しに出かける時間が必要だったからだ。ふわふわを見つけるには、集中力が要る。こんなとき、みそかがいればもっとたくさんふわふわを見つけられたのだろうか。
九月、再び学校が始まる直前。バイトが終わって自分のアパートに帰ると、今までずっと姿を消していたみそかが廊下に立っていた。
祥子は十二メートル離れた位置からみそかの名前を呟いた。信じられず、喜びよりも先に本当にみそかなのかと言う疑いが先行した。みそかは祥子の声に振り向いた。それはとても慌てた様子で、翼を動かさず飛ぶ不思議な浮遊術を使って扉を開き、その中に逃げ込んで、扉を大きな音を立てて閉めた。祥子は締め出しを食らったような気分になったが、良く見るとその扉は祥子の家ではなく、一つ右隣の家だった。
ドアノブを捻ってみようとしたが、既に鍵をかけられて、入ることは出来なかった。
インターホンを鳴らそうと思ったが、今日はもう夜も更け、ためらわれた。安堵と疑問が混ざった不思議な気持ちで、眠りについた。
次の日、再びみそかがいるはずの扉の前に来ると、表札に「みそか」の文字があった。小学生の女の子が、自分の部屋のドアに貼る名前のような、かわいらしいデザインで。
みそかはここに住んでいるのだろうか。深呼吸ののち、思い切ってインターホンを鳴らしてみる。
がちゃ、とは鳴るが、声は聞こえない。祥子は自分の名前を名乗って、みそかに出てきてもらうようお願いした。暫く無言のまま時間が流れ、やがてホンは切れた。
もう少し待つと、ドアがそっと開いた。出てきたのは、みそかだった。本当なら祥子の腰ぐらいの身長しかないのに、浮いて祥子の胸ほどの目線となったみそかが、祥子を見上げている。
入ってもいいかと聞くと、みそかはゆっくりと頷いた。
中の様子を見れば、隣の住人がみそかを拾って飼っていたのではないか、という疑念はあっという間に吹き飛んだ。
子供の遊び部屋のような空間だった。カラフルなスポンジのジグソーパズルのマット。木で組まれた漕げない三輪車。赤、青、緑のビビッドなボックスの引き出し。線路のミニチュアが散乱している。
人の生活している家とはとても思えない。どちらかというと、楽しい遊園地のような感じさえする。どこに腰を下ろしていいか分からない祥子に、水入りのプラスチックのコップを手渡すみそか。マットの上に散乱した線路は、幾つかが繋げられていた。丁度、運動場のトラックのような円を描こうとしている。だが、それを無事一周させるには明らかにパーツが足りない。それを見るみそかの目が、妙に悩ましげなのが目についた。
一体何をしようとしているのか気になったが、聞いたとしてもそれを教えてもらう術がない。それでもせめて、何かをしてあげたいと思った。祥子がみそかにできることはないかと考えたとき、ふとこの線路のパーツに見覚えがあることに気が付いた。小さいころ、遊んだ記憶がある。
それからと言うもの、祥子は大学生活の合間を縫って、線路のパーツの売っている店を探した。祥子は近所のおもちゃ屋に走り、同じものがないかどうかを探した。しかし、それらしきものは見当たらない。何件も当たってみたものの、なかなか見つからなかった。
インターホンを押せば、みそかは間違いなく応じてくれた。みそかのおもちゃ部屋は時々、レイアウトが少し変わっていたり、中のおもちゃが増えていたりしていた。どんどん増えていったせいで、十二月になる頃には既に物の置き場が完全に消滅していた。いくら増えても捨てるなんてことは、一切考えていないらしい。ようやく祥子も、線路のパーツを売っている店を見つけて、買ってくる事が出来た。
そして大みそか。
厳密には違うが、祥子はこの日をみそかの誕生日として祝ってあげたかった。ケーキを買って、ロウソクも一本だけつけた。みそかの家のチャイムを鳴らす。
誕生日おめでとう、と言うと、みそかはとてつもない気持ちになって、狭い部屋じゅうを飛び回って喜んだ。祥子は穏やかに微笑んだ。
クリームのケーキに、一本ロウソクを刺して、部屋の明かりを消そうとする。すると、みそかは首を振り、祥子を止めた。そして、完成したトラック上の線路の上に電車を走らせる。ジージーとモーターが回転する音が辺りを包み、子供の頃に返ったような気持ちになる。みそかはそれを二台、三台と等間隔に走らせた。みそかはこれでOKの合図を出す。
線路の真ん中にケーキを置き、いよいよロウソクに灯を点ける。部屋の明かりを消して、たった一本のロウソクが部屋をぼんやりと照らした。
祥子は不思議な現象に気がついた。ぽつ、ぽつと全方向の壁や床、天井をすり抜けて、ふわふわが部屋に集まってくる。そのたびにロウソクの灯は強さを増し、部屋に集まるふわふわの数は加速度的に増えていく。
除夜の鐘が遠くで聞こえる。ぼーん、……。ぼーん、……。その音さえもこの部屋は渦をまいてエネルギーの一部にしてしまうような感じがした。
そして。
みそかはロウソクの灯を思いっきり吹き消した。
ぶわぁっ、とエネルギーの渦が外へと広がっていく。部屋をあれほど埋め尽くしていたふわふわも、風になったエネルギーが吹き飛ばしてしまって、中心にはもうない。
吹き荒れるエネルギーの中でふと気がつけば、線路で囲んだトラックの中は別の時空間と繋がっているようだった。覗いてみれば、海が見え、山が見え、街が見え。かなり高いところを、高速で飛んでいるようだった。右へ左へ、回転しながらランダムに方向を変えて。祥子はめまいがしそうだった。
みそかは祥子の腕を掴んで、浮いた。そして、線路で囲んだ別の時空間の中へと、祥子を引っ張り込む。みそかのあまりの急降下に、祥子はためらう暇もなかった。
みそかの腕を取りながら、祥子は地球のはるか三千メートル上から落下していく。
空は淡い紫と桃色に染められ、雲がまばらに散らばっている。
全身に風を受けながら、空の明るい方に顔を上げた。時間が飛んでいる。わたしは今、すごく高いところから日の出を見ようとしているんだ。
不思議と怖くはなかった。みそかがしっかり掴んでいてくれるから。
ふいに、上から叫び声が聞こえた気がした。ふわふわが空中に満ちてくる。祥子は仰向けになって、その声の正体を捉えようとした。
何かが二人より遥かに早いスピードで落ちてくる。スーツを着た、若い男の人だった。彼の身体からは大量のふわふわが放出されていて、それがまるで彗星のように尾を引いている。
彗星の彼は祥子と同じ高さになり、祥子の方を向いて笑った。風で何も音が聞こえないはずなのに、なぜか彼の声だけは鮮明に聞こえる。彼は、石を取るんだ、と言った。指差した下の方を見ると、ケーキが重力に負けて崩れていき、中から光り輝く石が現れる。祥子は必死に手を伸ばした。やがて追いついて、その石を手に取る。掌にすっぽりとおさまるサイズの、緑色と黄色の中間のような石。それをまじまじと見ていると、みそかが手にとって、それを丸のみにした。
みそかの身体が、急に光り出す。その光が眩し過ぎて、祥子は腕で目を覆う。後ろに少し吹き飛ばされていたらしく、彗星の彼が祥子の身体を受け止める。祥子 は身体の中が熱く、柔らかくなるような感じを味わった。こんなこと、初めて。もしかして、彼はふわふわそのもの? 紅潮した顔は、彗星の尾のふわふわにうまく紛れた。
みそかの身体は変化して、真っ白い鳥のような姿になった。トゲチックの進化系、トゲキッス。この空中を制するための身体だ、と祥子は思った。さあ、乗ろう、と彗星の彼は言う。祥子の身体を抱えて、少し下方で待つみそかの背中へ。
身体が、ふうぅっと浮き上がるような感覚を味わう。ずっと落ちていたせいだ。みそかは地球と平行に、まっすぐ飛び続けている。朝日の方向に向かって飛び続け、穏やかな風を浴びる。
日の出。最初の数秒は、目を凝らした。巨大なダイヤモンドの指輪が、地球の形に現れる。奇麗、と思ったと同時に、大量のふわふわが祥子の目に飛び込んだ。太陽が見えなくなるほどのふわふわが、まるで突風のように祥子たちの体を吹きつけた。
すごい! 祥子は声を上げた。その様子はあまりにも美しく、祥子の目にはいつの間にか涙が溜まっていた。みそかと彗星の彼に、ありがとうとお礼を言った。
暫く、三人は太陽の昇る様子を眺めていた。最初に口を開いたのは、彗星の彼だった。
彼は、自分は流星中毒なのだと言った。満天の星空を流れる大量の流星を見てからと言うもの、今までずっとそうなのだという。ある日どこかで祥子とすれ違った時に、瞳に大量の流星を見て、忘れられない存在になったのだった。
彼には人よりたくさんの流星が見えている。祥子と同じように。
何だか分かり合えるような気がして、祥子は彼を見つめた。彗星の彼も、同じように見つめた。
一月一日の朝日の中、トゲキッスに乗った中毒者たちは密やかなキスをする。