逃避行 後半
ヒュォォォ…… ……
「……ケッ。 ひょうせつのれいほうまで来たか……」
「そうですね…… 一気に寒くなってきて……」
彼らは群青の洞窟を抜け、火の山を超え、樹氷の森を抜けて……
ついに、ひょうせつの霊峰の近くまでやってきた。
逃避行するルートは、きょうだいとミドリが辿った同じ道を辿っている。
−−地理的に、逃げ込める場所がそこしかないからだ。
「(クソ……サーナイトを守りながらここまで来れたのはいいが……)」
吹き荒れる粉雪をその腕で庇いながら、ゲンガーは複雑そうな表情を浮べる。
……彼はここに来るまで、嫌というほど味わったからだ。
ここまでくる道のりが、どれだけ過酷で辛いものなのかを。
それを、自分がきょうだいたちにやってしまったことだ。
「(……俺様は、なんてことを……)」
−−風が強く吹雪いている。雪の上はただひたすら白く、誰かが通った痕跡は見られない。
……ゲンガーたちは互いに顔を見合わせると、降り積もった雪を踏みしめて再び歩き始めた。
ざく、ざくと雪を踏みしめながら歩く。
「……あっ」
「!」
ここまで来るのに相当体力を消費しているのだろう。
サーナイトが、雪に足を取られて転んでしまった。
……ゲンガーは、そんなサーナイトを見ると、無言で彼女の前に立った。
「……ゲンガーさん? あの……」
「ケッ。 これで少しは吹雪もマシになるだろ。
……つっても、オマエの方が身長が高いからあまり意味はないかもしれんが……」
「……でも……」
「行くぞ!」
ゲンガーは、彼女の発言を許さんとばかりに、再び吹雪の中を歩き出した。
……その背後で、サーナイトがついてくる気配がする。
その間にも、吹雪はますますひどくなっていった。
−−その中を歩きながらも、ゲンガー自身、自分がここまで来れたことに驚いていた。
今まではきょうだいやミドリに付き添ってもらわないとここまでこれなかったのに、
今ではこうしてサーナイトを守りながらここまでこれるぐらいには強くなっていたのだ。
「(……これも全部、フーディンのお陰だな……)」
「−−さん」
「あ?」
「ゲンガーさんは、あの時なんで……泣いてたんですか?」
「!?」
−−突然、背後から予想もしなかった質問を浴びせられ、ゲンガーは一瞬硬直した。
しかし、すぐに慌てたような口調で、言い訳をする。
「あれは! 目にゴミが入っただけだ、ケケッ!」
「ウソですね?」
「ぐっ」
ストレートに否定され、ゲンガーは言葉に詰まった。
……前を歩いているから、その表情を彼女に見られなかったのが救いだ。
だけど、その表情も予想できているかのように、サーナイトが彼の背中を見つめながら言葉を続ける。
「それと、もう一つ……聞きたいことがあるんです。
ゲンガーさん……私は、広場で「きょうだいさんを襲ったのは本当なのか」って聞いたんです。
でも、あなたは私の顔を見て、「お前との記憶は最低だった」って答えた……。」
「……あ」
ざ、っと、ゲンガーの顔から表情が抜けた。
……そして、吹雪の中、お互いに立ち止まった。暫く間をおいた後に、ゲンガーが恐る恐る彼女を振り返る。
彼女は真剣な目でゲンガーを見下ろしていて…… お互いの視線が噛み合った。
彼らの間を、激しい雪がごうごうと吹き抜けてゆく。
あのとき。ゲンガーは、「サーナイトから問いかけられたこと」は、
「自分が昔のパートナーだったのか」と、焦りと動揺も手伝って、
咄嗟にその質問を中途半端に解釈してしまった。
……サーナイトから問いかけられるかもしれない、一番聞かれたくない言葉を
ありありと心の中に思い浮かべてしまってしまったせいだ。
そんなゲンガーを前に、サーナイトは切羽詰ったような調子で続ける。
「ゲンガーさんは私のパートナーだったんですか?
ワタシ ずっと広場にいたときから考えてたんです……
私が、もしかしたらキュウコン伝説に出てくるポケモンなんじゃないかって。
あなたは 私との過去が最悪だって言った……
私は過去に……あなたに、ひどいことをしてしまったのですか?」
「違う! 俺さまは……」
−−ゲンガーは、黙った。目の前で不安そうな顔をしているサーナイトを前に、
何て答えたらいいのかわからなくて、そんな自分に涙が出そうになる。
ここで 自分がキュウコン伝説に出てくるトレーナーだと知られたら……
サーナイトはどう思うのだろう? 自分を……軽蔑するのだろうか?
ゲンガーの中で色々な感情が渦巻いた。
嫌われたくない。笑って欲しい。知られたくない。……このままウソは突き通せない。。
泣きそうな声で、続きを紡ぐ。
「オレ…は…… ただ……」
そのときだった。
サーナイトが音もなく、雪の上に崩れ落ちた。
ゲンガーは一瞬何が起こったのか分からずに硬直する。
しかし……すぐに我に帰ると、すぐに彼女に駆け寄って、雪の上からサーナイトを抱き起こした。
「サーナイト!? だいじょうぶか!?」
「…… す すいません。 少し…… 疲れてしまって……」
彼女が申し訳なさそうな顔でゲンガーを見るが……大分疲労しているようで、
ゲンガーの顔に焦点があっていない。彼は泣きそうになりながら、彼女の手を強く握った。
「ばかやろう、やっぱり着いてこない方が良かったんだ……!
まずいぞ、ここから戻ることなんてできないし……」
そう言ったところで、と彼はあることに思い当たった。
「……」
「……ゲンガーさん……?」
ゲンガーの腕の中で、サーナイトがぼんやりと目を開ける。
彼は探検バックの中から何かを取り出すと、サーナイトにあるものを向けた。
それは−− きょうだいから借りた探検バッチだ。
それを向けられたサーナイトが目を見開く。
そして、そのバッチが意味する事に気づいてしまった。
それでも、聞かずにはいられない。
「ゲンガーさん…… 何を……するんですか」
「……ケケッ。 サーナイト……。
やっぱりお前は……俺に着いて来るのは、間違いだったんだ。
このままじゃおめえは死んじまう!
幸い、お前が俺についてきたって知ってるのはあいつらだけだ……
お願いだ、ミドリたちの元へ戻ってくれ!」
「イヤです……!!」
サーナイトが泣きそうな声で答える。ゲンガーはその顔をまともに見られない。
彼女の冷たい手がそっと、ゲンガーの黒い腕に触れた。
「まだ本当の事を聞いてないのに…… ズルいですよゲンガーさん……!」
「……」
ゲンガーはバッチをかざしたまま目をぎゅっとつむった。
……自分は卑怯だ。 この場をごまかすために彼女を送り返そうとしている。
だけど、まだ…… ここまで知られてしまっているというのに……
本当の事を言い出すことができない。
「−−サーナイト、すまねえ……っ!!」
そして彼は、目を瞑ったままバッチを彼女に使おうとした瞬間だった。
「……見つけたぞ!!」
「!」
ゲンガーが背後を振り向くと同時に、固い石が彼の手に当たった!
そのせいで彼が手に持っていた探検バッチが雪の上にポロリと落ちる。
そして、彼が焦って背後を見つめると……猛烈な吹雪の中に、三つのシルエットが浮かんだ。
彼はぎゅう、と、サーナイトの肩を強く抱いた。
……吹雪の中、ざくざくと雪を踏みしめて彼らの元に追いついたのは、フーディン達のチームだ。
ざくざくと雪を踏みしめながら、フーディンが先頭にゲンガーの前に立つ。
リザードンとバンギラスがその左右に並んだ。
吹雪の中、対峙したゲンガーと彼らの間に、鋭い緊張が走る。
そして……最初に口を開いたのは……ゲンガーだった。
「ケケケ! ……こんなところまで追ってきやがるとは…… 大したモンだぜ、フーディンさんよ!」
「そうだな。 ……救世主をボロボロにしたお前を野放しにするわけにはいかぬ……」
そう、言葉を交わすゲンガーとフーディンの背後に控えていたリザードンが、静かに口を開く。
「……おい、ゲンガー。 お前 サーナイトと一緒だったのか?……」
「ケッ。 それがどうした。 言っておくけどナ、サーナイトはオレさまとは全然関係ねーからな!」
「……違うぞ。 お前は……サーナイトを庇いながらここまで来れたということだろう?
以前のお前からはとても考えられないことだぞ……?」
そして、同じように控えていたバンギラスもそう感想を漏らす。
……彼がそこまでの力をつけていることに、リザードンとバンギラスは本当に驚いているようだった。
しかし、そんな空気を打ち消すように、ゲンガーが皮肉っぽくフーディンの方を見る。
「誰かさんのお陰でな? ……フーディンさんよ」
「ふふふ……」
フーディンがくつくつと喉の奥で笑う。
……そして、持っているスプーンを構えて、戦う姿勢を見せた。
「……ここまで逃げ切ったコトは褒めてやろう。
だがしかし、救世主を傷つけた罪は重い。
……さぁ、大人しくきょうだいを殺した犯人として覚悟……」
『……まて!!』
「!」
フーディンの話は途中で中断された。……背後から、ざくざくと雪を踏む気配がする。
その気配にハッと顔を上げたフーディンだったが、すぐにスプーンを構えると、
そのままサイコキネシスの念波をゲンガーに向けた!
それは目を見開いたゲンガーの頭を締め付け、思わず彼は頭を抱えて呻き出す!
「うがああああ……っ あ あ 頭がぁ……ッ!!!!」
「ゲンガーさん!」
『−−そのまま、死んでしまえ!』
「………!?」
ゲンガーの頭の中に、全く知らない誰かの声が響いた。
それは、とても悲しそうな、だけど怒りを露にしている声。
『お前は…… サーナイトの傍にいることすら許されない……。
サーナイトは…… お前なんかと一緒にいないほうが幸せなんだ……!』
「お お前は……ッ!?」
痛みの中、ゲンガーは脂汗を浮かべながら目を開く。
そこには、フーディンの姿がある。必死に念力を操る彼の思考がこちらに流れ込んできている?
いや、でも、それにしては…………。
「−−−グッ!」
しかし、急にゲンガーはサイコキネシスから開放された。
余りの痛さに息が止まっていたようで、げほ、げほと咽ながら、
大丈夫ですかゲンガーさん、と、力を振り絞ってこちらを心配するサーナイトの声を聞く。
−−目の前で、雪を踏んでやってくるイジワルズの姿が浮かび上がってきた。
「オイフーディン!話盛ってるんじゃねーーーよっ!!」
「そうだわさ! リーダーは無実だったのさ!!」
わあああ、と、雪崩が起きるのか、というぐらいの勢いで乗り込んで来た
アーボとチャーレムに、リザードンとバンギラスが雪の中で驚いた表情を見せた。
「お お前ら!?どうしてここに……!?」
「ボクもいるよ!!っていうか……うううう やっぱ草タイプにはこの場所辛いよ……」
「−−そうだな。無理せず私の背中に乗っても良かったのだぞ?」
「いや、あの二人を守りながら来るんだから無理でしょ」
「……それもそうだな」
そして、イジワルズの後に現れたのはミドリとアブソルだ。
……ミドリの方は特に問題ないのだが、大変なのがアブソルだ。
−−運ぶのがめんどくさかったのか、ツノに、きょうだいにんぎょうがぶらさがっている。
しかし、バンギラスとりザードンは知らないわけで。二人は顔を真っ青にして叫んだ。
「っっっっぎゃあああああーーーーー!!!?」
「す スプラッターーーうわああああああああ!!」
期待通りのリアクションをするバンギラスとリザードンとは対照的に、
フーディンは黙ってそのきょうだいを見つめている。
そして、アブソルがきょうだいの家にいたときと同じように、きょうだい人形を雪の上に叩きつける。
「よく見るんだな。 これはただの人形だ!」
「あ……」
「つまり きょうだいはケガを負ってるワケではない。
何処に居るのかまではわからないが……
お前たちはずっと騙されていたのだ!」
「な なんだって……!?」
驚愕する彼らに、ゲンガーがサーナイトを支えながら猛然と怒り出した。
「ほれみろ!オレさまは無実だったんだよ!!
ちくしょう、こんなところまで追い込みやがってよう!!
サーナイトに謝れってんだ!!」
「あ、いや、その……」
「……実はさぁ、俺もお前が犯人じゃないんじゃないかって思ってたんだよな!!」
「……リザードン、それ、ボクらにも同じこと言ってたでしょ?」
相変わらずのリザードンに、一同が呆れたような顔をする。
「でも…… そしたらきょうだいは、何処に行ってしまったんだ?」
「それは……」
「……きょうだいの居場所なら知ってるよ」
突然、それまで黙っていたフーディンが口を開いた。
けれど……その言葉は短いが、口調が何処かおかしい。
「え?」
「ど どうしたんだよ、リーダー……?」
「……ふふ、ふふふふふ…… あははははは!!」
突然笑い出したフーディンに、一同が困惑した顔になった。
ひとしきり笑ったフーディンが突然、妙な口調で……真実を言い放つ。
「知ってるに決まってるでしょ!?
きょうだいを崖から突き落としたのは……ボクなんだからさあ!!」
『……おにび!!』
突然、吹雪の中から青白いおにびが飛んできた!
それはフーディンに激突すると、愛白い炎を吐き出しながら燃え続ける。
普通だったら、おにびはそこで消滅して消えるはずだが……
冷たく燃え上がったフーディンに、その場に居合わせた全員の顔が真っ白に染まる。
−−吹き止んだ吹雪の中から、キュウコンが姿を現した。
「姿を現せ…… 今ならまだ浅い傷で済むぞ」
「……きゃはははははははは!!あーあ。バレちゃったぁ!!!」
燃え尽きる寸前、激しさを増した炎の中から一匹のポケモンが現れた。
−−白い火の粉を撒き散らしながら、宙に舞ってにやにやと笑っているそれは……
星のシルエットをした小さな小さなポケモンだった。
しかし、その体は薄暗く、全体がグレースケールで統一されている。
突如現れたそのポケモンに、その場に居合わせたポケモンたちが目を見開いた。
「お お前はダレだ!?」
「ボクは闇のツカイ。 可愛い可愛い闇の精霊でぇーっす☆」
きゃは、きゃはと笑いながら、闇のツカイと呼ばれたポケモンは空中でくるくると浮かんだ。
彼は何も悪びれることなく、今回の事件について淡々と語り落としていく。
「ボクがせっかくセッティングしてあげたのに……
ゲンガーがキュウコン伝説に出てくる卑怯な人間だって全部バラしてあげたのに……
全部ぜんぶバレちゃった!! ……ねーっ?サーナイト!」
「え……? わ 私ですか?」
自分に話を振られるとは思っていなかったのだろう、突然名指しされたサーナイトがぼんやりと目を見開くと、すいっとサーナイトの前に近寄ってきた闇のツカイが、ぐいぐいと彼女の顔を覗き込むように言葉を連ねる。
「ゲンガーって酷いヤツだよね?きょうだいたちを逃避行にまで追い込んで……
挙句の果てには キミのこともずーっと騙してたんだよ!?」
「な……っ!!」
「キミには知る権利があるのに…… 自分が嫌われたくないからって、ずーっと黙って……
もう一度新しくやり直そうとしてた?そんな権利、お前にあるはずなんてないのにね!」
「う……うるさいっ!!」
その言葉を横で聞いてたゲンガーが彼を捕まえようと手を伸ばしたが、
それをすり抜けて闇のツカイが元いた上空へと戻った。言いたくなかったことの全てを言われて、
ゲンガーはぐしゃぐしゃな気持ちになったまま叫ぶ。
「……お前に……俺さまの……オレの、何がわかるっていうんだ……!」
「ゼンブ」
その顔は笑っているけれど、ゲンガーに向けられた眼差しはとても冷ややかなものだった。
その冷たさに、ゲンガーがハッと息を呑む。闇のツカイは静かな雪の中、静かなトーンで淡々と喋り続けた。
「見てたよ……サーナイトといっしょに。 キミのこと、ずっと、ゼンブ、最後まで……」
「お お前は一体……」
言葉をなくしたゲンガーに、キュウコンが厳しい目のまま、闇のツカイを見上げた。
「……本来実体を持たないお前がどうしてこちら側に現れたのかは分からない。
だがしかし お前がここに存在する事によって、こちらのエネルギーバランスが少しづつ崩れているのだ。
それに お前もそう長くはこちらに留まることができないはずだ。
悪いコトは言わない。 早く元居た場所に戻るのだ!!」
「そんなの知らない!」
闇のツカイはそう叫ぶと、もう一段高い灰色の空へ、空中浮遊した。
そして、集まっているポケモンたちを見下ろしながら、イジワルな口調でこう続ける。
「ねぇ、キミ達のきょうだいは何処にいるのかなあ?
いなくなったら寂しいよね……
だって、キミ達にとってはかけがえのないヒーローだもんね……」
「! オマエッ! きょうだいを何処にやった!?
きょうだいに何かしたら…… このボクが許さないぞ!!」
「ミドリ……!」
「きゃははは!!そう熱くならないでよ!
キミの大切なヒーローはね…… 今は闇の洞窟にいるんだ。
そうだね、キミ達が洞窟に来るんだったら返してあげてもいいかなぁ?
……ゲンガー。キミは絶対来てよね? 責任あるんだからさ」
「−−待て!!!」
「きゃはははっ!! キミ達が来るの、楽しみにしておくよ! じゃあねーーーっ!!」
一際高い笑い声と友に、闇のツカイがテレポートをしようとする。
それを阻止するために、アブソルが空へかまいたちを放ち、
そしてキュウコンがかえんほうしゃを放ったが…… その攻撃が終わる頃には、
闇のツカイは完全にその場からいなくなってしまっていた。
……そして、彼が消え去った場所に、ひとつの光が落ちる。
……ホンモノのフーディンが帰ってきたきたのだ。
フーディンに集まる彼らの横で、ゲンガーはサーナイトを支えたまま空を睨みつける。
「……ゲンガーさん」
「……サーナイト」
彼は空を見上げたまま、言葉を紡ぐ。
「……俺はきょうだいを取り戻すために洞窟に行く。
お前は一端ポケモン広場へもどってくれ。
全部終わったら……オレさまからお前に言いたいことがある」
「……」
「……ごめんな」
ゲンガーは目を閉じて、その言葉をかみ締めるように口を結んだ……。
……引き上げていくポケモンたちを雪の中かから見送りながらも、
キュウコンの視線はゲンガーとサーナイトに向けられている。
そして彼は、誰にも届かないぐらい小さな声で呟いた。
「自分を認められぬそのココロが、命取りになるかもしれないな……」