逃避行 前半
白銀に包まれた氷雪の霊峰。金を薄めたような見事な尻尾に顔を埋め、キュウコンは深い眠りについていた。
……しかし、低い地鳴りと共に、ぐらぐらと地面が揺れる。
自分の尻尾に顔を埋めていたキュウコンはゆっくりと真紅の目を見開くと、音もなく雪の上から体を起した。
灰色に染まった満天の空を見上げ、空気の匂いを嗅いでから顔を顰めるが……それも銀の粉雪が静かに覆い隠していく。
やがて 氷雪の霊峰は 静かに吹雪きはじめた。
……それは群青の洞窟を抜け、火山を登り、越えて行った……
寒々とした雪道を歩くゲンガーとサーナイトにも、重く厳しくのしかかっていく……。
■
「……かなり 激しくダメージを受けているようだな……」
きょうだいは、いつも自分が眠っている藁の上に横たえられていた。
その直ぐ傍で、フーディンがきょうだいの傷の様子を診ている。
それを、フーディンを取り巻くポケモン広場のポケモンたちが静かに見守っている状態だ。
−−きょうだいの基地には、広場のポケモンたちが集まっていた。
天下の「ポケモンズ」救助隊のリーダーにして、ポケワールドの救世主がこんな状態になっているのだ。
広場のポケモンたちは心配しているが、その反面信じられないキモチでいっぱいのようで、
それは 最前列できょうだいを見守っているミドリも同じ事だった。
きょうだいの傷の様子を見ていたフーディンが立ち上がって、
背後にいるハイドロズやカラミツキ、そしてミドリやトランセル君たちにも説明をする。
「見てのとおり きょうだいは崖から突き落とされて傷ついている状態だ……
暫くは安静にしておいたほうがよいだろう」
「……でも、本当にゲンガーがやったのかなあ?」
ミドリの傍ら、困ったような顔のマダツボミとドーブル間でハスブレロが首を傾げる。
すると、やっぱり他のポケモンたちも同じようにそうだよな、と声を出した。
「きょうだいの背後を取るって相当だと思うんだが……」
「あ、でも、ゲンガーってゴーストタイプだし、やろうと思えばできるんじゃないのか?」
−−と、皆が好き勝手に話し始める傍ら。
皆の足元に埋れるようにして立っていたキャタピーちゃんが、悲しそうに呟いた。
「でも……ゲンガーさん、僕たちを助けてくれたです……」
「しかし、ゲンガーがあいつを突き落としたことに間違いないだろう。証拠が揃いすぎているからな」
「……」
そう口を開いたフーディンを、アーボが何も言わずに睨みつけている。
‐‐やがて、フーディンがきょうだいの家に集まっているポケモンに静かにするようにと呼びかけた。
「わしたちはゲンガーを追う。……きょうだいを倒そうとしたのだ。
あいつにもそれなりの覚悟はしてもらわねばならん。
ゲンガーが逃げていった方向は道がひとつ……
きょうだいたちが逃避行を行ったルートとほぼ同じと考えて間違いはないだろう」
「……うん」
ミドリがちょっと小さな声でフーディンの声に答えた。
……ミドリが取り逃がしたということで、彼がゲンガーを追うコトは少しも不思議ではない。
フーディンにゲンガーを追跡させたらきっとすぐに捕まってしまうだろう。
それは他のメンバーも同じことを思っていたようで、とりあえずゲンガーはすぐに捕まるだろうし、
フーディンたちに任せようという方向で話がまとまった。
「それじゃあ……」
「ミドリ。あとは任せたぞ」
リザードンとバンギラスがこちらを気を使いながら、フーディンが出て行くのに着いていく。
それを合図に、大勢できょうだいに負担をかけるコトはよくないという事で、
集まっていたポケモンたちも、残る事になったミドリに気を使いながら、それぞれの場所に戻っていった。
−−残ったのは、ミドリとイジワルズとキャタピーちゃん達だけだ。
「−−みんな、行ってしまいましたね……」
キャタピーちゃんがそう口を開く。
「うん。でも、人が少ないほうがきょうだいに負担がかからないから……」
と、ミドリがそっときょうだいの横顔を見つめた。
「さて。 それじゃあ、会議でもしましょうか?」
「……会議?って、 何するんだよ、チャーレム」
突然、両手を合わせてそう言い出したチャーレムに、アーボが何を言うんだ、と目を丸くする。
すると、チャーレムがすこしむっとした顔で言い返した。
「ゲンガーが犯人じゃない! って証拠を集めなくちゃいけないだわさ。
……あたしの意見としては、ゲンガーに証拠が揃いすぎてる気がするんだわね」
「? 証拠が揃いすぎてるって…… ああ! バッチと火傷後か!」
話を聞いていたミドリがゲンガーのやけどを思い出す。
すると、アーボがうんうんと相槌を打った。
「そうだな。 ……普通、あんな証拠になりそうなものって持ち歩かないだろ?
おまけに 広場に来たときだって、予想もつくのに火傷跡晒したまま来るなんてただのバカだろ」
「そ それもそうですねえ……。 あ」
「ん? どうしたの、トランセルちゃん」
「あ いえ…… たいしたことじゃないです。
ただ、フーディンさん、朝方は出歩かないのによくきょうだいさんを発見できたな〜……って……」
「!」
その言葉に、ミドリが目を見開いた。
…… そうだ。 確かに、朝一でおおいなる峡谷を通りがかるポケモンは珍しい。
その付近で暮らしているか、朝方に散歩で出歩いているポケモンがいても対して不思議ではないが、
フーディンは確か夜型だったはずだ。
どうして、彼は朝にそんな大いなる峡谷へいたのだろう?
「その話なんだけどよ」
と、どこでアーボが話に割って入ってきた。
「……フーディンなら、別に大いなる峡谷に行ってても不思議じゃないぜ」
「え? どうしてそんなことがわかるの?」
「リーダー、フーディンに頼み込んで修行してたんだわねー」
「修行……ですか?」
初耳だった。 キャタピーちゃん達とミドリが驚いていると、アーボが補足してくれる。
「アイツ恥ずかしいからってさ、隠してたみたいなんだけど、
強くなるために大いなる峡谷で特訓してたみたいなんだよ。
んで、その特訓にフーディンが付き合ってたってワケ。
…… 体黒くて分かりづらいけど、よく見たらアイツ傷だらけだぜ?」
「へー…… そうなんだ。でも、どうして強くなりたかったんだろう?」
「そらま サーナイト絡みのことデショ♪」
「……ま そうだろうな。アイツ異様にサーナイトのこと心配してるし」
そう言ってから、二人はちょっと微妙な顔をする。
……二人ともゲンガーが犯人ではない事を信じているが、ゲンガーが彼女によくしているのは知っているため、
やはりあの伝説は本当なのか、と思ってしまったようだ。
……だが、今は本題から反れないようにと、思った事を飲み込んでアーボが話を続ける。
「−−フーディンのヤツも快くアイツのトレーニングに付き合ってたから、
どうしても 今回フーディンがアイツを追い込むような事言うのが信じられなくてさ……。」
「……それはアヤシイですね……むむむ」
−−そこで話が途切れる。みんな考えムードに入ってしまったようだ。
暫く皆で粘ってみたが、やっぱりゲンガーが犯人ではない証拠が見つからない。
そんなときふと、アーボが眠っているきょうだいに視線を向けた。
「でも……どっちにしろ、きょうだいはとばっちりでかわいそうだよな」
「そうだね。 ……きょうだい」
と、そこでミドリがきょうだいに再び視線を向けたが、すぐにみゅっと眉間にシワを寄せた。
「……ん?」
「−−あれっ? どうしたですか、ミドリさん?」
「……?? きょうだいは崖から落っこちたんだよね?」
「ハイ。確かにフーディンさんはそういってましたけど……」
もう少しきょうだいに近づいたミドリが、まじまじときょうだいを色んな角度から見つめる。
きょうだいは仰向けになって、ぐったりと目をつむっている状態だが、暫く彼を観察したフシギダネがううん、と首を捻る。
「……確かに 見た目はかなりボロボロだけど……
落ちた、っていうよりかは、何かこう……
不自然に傷つけられたって感じがしない……?」
「……そうなのか? 俺にはよくわからんが……。
でもそれって、犯人ときょうだいが争った後じゃないのか?
……あ、そういやきょうだいが峡谷に行ったのも謎だよな。
ゲンガーに呼び出されて行ったのか、それとも」
「……ん? ちょっと待つだわさ」
「どうしたです?」
何気なく兄弟を見ていたチャーレムが、ふと声を上げた。
その顔は、まさか、と言わんばかりの恐怖の色を浮かべている。
……彼女はミドリを押しのけてその腕を取って脈を取った。
−−そして、ぼとっと、ヒトカゲの腕を、その藁の上に落とす。
「−−−これって、死んでるだわさ?」
「え?」
その言葉に、その場に居合わせたメンバーが固まった。
ひゅうう、と、強い風がきょうだい基地の入り口から強く吹き込み……
そして、彼の尻尾の炎が、消えた。
−−暫く、誰も何も言わなかった。いや、何も言うことができなかったのだ。
全員目を丸くして、硬直していたのだが……。風に吹かれて、彼の机からコップが落ちた。
カツン!と乾いた音が部屋の中に響いて、全員が現実に引き戻されると……
「……うわあああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」
堰を切ったように、キャタピーちゃんが大きな叫び後を上げた!!
これによって、一気にその場が−−ミドリを覗いて−−パニック状態になる!
「きょきょきょきょ きょきょきょきょ
きょーーーーーーーだーさんがっ しんっ しんっ しんっ しんっ……!!!」
「みっ、みんな、おちっ、おちつくだわさ……っ!」
「……ギャーーーーッッ!!チャーレムッ うしろッ 後ろぉっ!!!!!」
「う、後ろがどーしただわ……」
さ、と言ったチャーレムは固まった。……彼の背後で眠っていたきょうだいが起き上がったのだ!
それは背中を丸め、だけど顔を伏せたままで……だけど、尻尾に炎は灯っていない。
その得体の知れない迫力に、うわあ!っとチャーレムが転んできょうだいから距離を取った!
「きょっ、きょっ、きょっ、きょうだいが起き上がったですってぇえええ!!?」
「ぎゃああああゾンビだぁああああああああああああああああああああああ!!!!」
「……きょ……きょうだ……」
腰を抜かして動けなくなったミドリが、信じられない、といった表情できょうだいを見つめた。
対するきょうだいの顔に表情はなく、彼はゆっくりと立ち上がる。
そして、うつろな顔で、消えたほのおの尻尾を揺らして、動けないミドリを静かに見下ろす−−……。
その瞬間、ミドリがハッと目を見開いた。そしてすぐに、キッときょうだいを睨みつける。
「お前は……!」
そして、彼が口を開いた−−−そのときだった。
きょうだいの基地の入り口に、黒い影が過ぎる。
「……それはきょうだいではないぞ!!!」
風のようにがきょうだいたちの部屋に駆け込んできたのは−−アブソルだった!!
そして、彼は大混乱のアーボ達を蹴散らすと、ミドリの傍に立った兄弟の腹を……その頭のツノで、一突きしたのだ!!
ぶらぁん、と、アブソルのツノに、きょうだいがぶらさがっている。
これにはその場のメンツが戦慄した。
「うわあああああーーバイオレンスだぁあああ!! ダメですよこれ子供に見せられないですよ!?」
「……だから、これは きょうだいではないと言っているだろう!!」
「……え?」
ぶん、っとアブソルが角を一振りすると、きょうだい(?)が地面に転がった。
しゅううう、とそれは煙を上げると…… なんと、ただのぬいぐるみになってしまったのだ。
全員が黙って、そして驚いた顔でそのぬいぐるみを凝視する。
その横で、アブソルは尊大に顔を上げると、堂々と宣言した。
「これは きょうだいではない。ただの……ぬいぐるみだ」
「−−やっぱりきょうだいじゃなかったのか!」
「え、ミドリさんわかったですか!?」
「え? ええっと……カンってやつかな!」
「て、適当だな……」
「それより、アブソル! ……キミはどうして、これがきょうだいじゃないってわかったの!?」
その言葉に、アブソルがフンっと鼻を鳴らした。
「わざわいを……感じるからだ。
……きょうだいがそのわざわいであるはずがない。
それに、このにんぎょうから 『悪意』が感じられるからな」
「……おい、だったらゲンガーは!?」
その言葉に、イジワルズの二人が猛然と拳を上げる(アーボにはないけれど)。
「そうだわさ!−−フーディン達がゲンガーを追いかけているなら、それを止めなくちゃいけないだわさ!」
「そうだよ!これでゲンガーがボコボコにされたらオレ、許さないからな!」
「そうです……!これがきょうだいさんのニセモノだったって以上、ゲンガーさんは無実になるですし……!!」
「待って! でも、これがニセモノだとしたら…… きょうだいは一体、何処に行ったっていうのさ!?」
その言葉に、一同が静まり返る。
ミドリがもどかしそうにアブソルを見上げた。
「……アブソルは何か知らないの!?」
「……すまない。さすがの私もそこまではわからない」
「−−確かにきょうだいさんは一体何処へ……?」
「でも……まずはフーディンたちに知らせるのが先ですよ!」
トランセル君の言葉に、一同が顔を見合わせる。確かに−−彼らを止めないと、ゲンガーたちの身が危ない!
ミドリ達は互いの顔を見つめると、頷いた。そして、一斉にきょうだいの家を飛び出していく。
……誰もいなくなったきょうだいの家のなかでは、落ちたコップがころころと風に揺られて転がっていた……。