第一章 日常へ還る
5話 代償
「あ、おかえり〜。遅かったねぇ。どうだった?」

 親方部屋から出てきたメロディに、リズムがおーいと手を振った。
 メロディが帰ってきたときには会わなかったから、彼らも今しがた帰ってきたところなのだろう。エルファとシイナも、外が暗い時間ながらバッグを持ったままだった。
 なだれやまへの旅路は、昼に出発、航海で一夜明かし、そこから登山。そうなると、いくら帰りがバッジで一瞬としてもギルドは一日ぶりとなる。普段のギルドは、よほどのことがない限り日帰りで仕事を終えてくるものだから、丸一日近くいないだけでもかなり珍しい状況なのだ。
 さて、先のリズムの問いかけであるが、一切の返答は無い。 黙り倒すラピスとそっと目を逸らすリィ、そして不機嫌そうなアルトは、返事を拒んでいるのか、あるいは悩んでいる途中なのか。

「……えっと、芳しくなかったりとかー……かな?」

 それを図りかねたシイナは、おそるおそる、そう声をかける。らしさのない控えめな声色だった。すると、ラピスがぎゅっと両の手に挙を作った。

「無用な争い……っ!」

「何があったの!?」

 先程までの抑えていた声はどこへやら、即座にしていつものシイナが戻ってきた。
 すかさず、ラピスの口から、彼女にしては感情の強い声が飛び出す。

「フルート、取られそうになった」

「あ、あぁ! そういうね!?」

 さすがのシイナとあれど、ラピスの食いつきの珍しさに思わず目を丸くした。

「まぁ、そうなるわよね」

 と乱入してきたのはラスフィア。この街に戻ってきて以来、すっかりわだかまりが解けた様子で、ラピスたちだけでなくギルドのメンバーや街のポケモンたちにもこうした砕けた話し方を使うようになっていた。
 ラスフィアのところにぴょっと飛んでいくと、ラピスはむっと頬を膨らませた。

「あたし、情報あげたじゃん……!!」

「いや喋ったのリィ」

 ここでいう情報とは、なだれやまのダンジョン自体の調査情報だ。具体的には位置や生息ポケモン、フロア数など。この街以外に視野を広げても、訪れたことのある探検隊はそう多くない場所だった。故に、ダンジョンに関する知見が集まるのはギルドとしても喜ばしいことであるし、探検隊の本拠地として重要なことでもある。
 しかしチャト自身としては、単なる情報だけでなくそのダンジョンで得たお宝にも興味がある――むしろそれが本命だった。メロディの顔を見た瞬間その話になるものだから、ラピスもそれだけは譲れまいと臨戦状態。
 そんなラピスは論外として、アルトもアルトで、あまりそうした報告に向いている性格ではない。となると、流れでリィが担当することになる。彼女がおどおどと報告する間、ラピスは警戒心を隠すことなく、頬から火花を散らしていたりチャトを睨んでいたりしていたのだった。
 そしてこういうときに限って、親方であるマルスは目を開けたまま眠っているのだ。両者の隔たりは一向に埋まらず。結局のところ、リィが「明日セカイイチたくさん取りに行くから」と宥めた瞬間にマルスが起床、交渉成立。そしてフルートは守られたというわけだ。

「何はともあれ、お疲れ様。良かったわ、また手に入れられて」

「……代替品、だけど」

 ラピスはフルートを取り出し、両手でぎゅっと抱きしめた。自分の記憶のものとどうしても比べては、全く同じではないことを実感する。傷一つない質感がかえって落ち着かなかった。かといって、幻の大地に行って壊れたフルートのカケラを集め、修復したって本来の音が奏でられるわけもないことはラピスもわかっている。それに、秘宝とも謳われる氷のフルートを再度入手できたのも相当貴重なことである。今できることは、これを第二代相棒として手に馴染ませることだった。
 ラピスは胸元から少しだけフルートを離すと、視線だけを静かにある一点に向けた。向けられた相手は壁に背を預けたまま、その視線に気がついて顔を上げた。

「……アイツのこと、前から知ってた、って聞いた。どこにいるのか、知ってる?」

「え〜。アイツさ、俺もよくわからないんだよね。神出鬼没だしさー。星の停止を防いだ今なら余計に手がかりなしってところ」

 その相手ことエルファ。ずっと黙って会話の様相を見守るのみだったが、話を振られて気怠げに片足を揺らした。

「アイツ嫌いすぎるからあんまり話したくない」

「あたしも」

「気が合うじゃん?」

「別に」

 煽るようなエルファの表情は、しかし愉楽とは程遠い。ラピスもふいと視線を逸らし、フルートを胸元にぎゅっと抱いた。

「……そういえば、さぁ、あー、……」

 エルファは頭の中で言葉を並べていたが、うっかり口に出ていた序盤部分によって周囲の注目を集めていたことに気がつくと、小さく嘆息して腕を組んだ。

「や、どうなるんだろうなって。そもそも″星の停止″があったから俺とアイツに関わりがあったわけでさ? その話終わってるじゃん、今」

「……そうね」

「ま、星の停止は起きませんでしたー、終わり。どうせ向こうもそんな考えだろうなーって。そう思って俺もしばらく動いてたけどさ」

 核心に一切迫らず、周囲をふらつくに限る言動に、アルトは心当たりがあった。
 スカーフの先をくるくると指で弄びながら、エルファはそっと窓に映る自分と目を合わせた。

「……なんか、俺もアイツともう一回会わなきゃいけない気がしてきたんだよね」

 そうぼやいた瞬間、夕食の時間を知らせるベルがギルドに鳴り響いた。







「……今日も、また」

 同じ空の下にいる。
 砂色のリンゴ、石色のポケモン、遠い空は未来に重なる。

 もしあの未来を続けていたら、と考える。
 もう過ぎたことだ。自分″たち″しか知らない場所だ。考えるだけ無駄だとはわかりながら、しかし夢は何度でも繰り返す。

 やはり今日も眠れそうにない。アルトは僕にしていた身体をくるりと回し、背中側にあった壁を薄目で眺めた。部屋の中に自由気ままに生えているツルの影だけは、闇に慣れた目ならぼんやりと窺うことができる。
 戻ってきてからずっとこんな調子だった。かといって、深夜まで雑談に付き合ってくれる相手はいないし、そうまでして話したいことがあるわけでもない。

 これも、何日もとなると思考する先も同じことばかり。繰り返しすぎてうんざりするものの、勝手に走る思考の止め方をアルトは知らない。気分転換にと、アルトはそっと部屋を抜け出し、静寂のギルドで微かな足音を鳴らす。
 それはまるであの未来で見たギルドのようだった。誰かはいるはずなのに、その気配は微塵もしない。明るいような暗いような、曖味で彩度の低い景色。今日は月も大きくはないようで、窓辺から差し込む光も溶けそうなくらいに淡いものだった。
 どこまでも続きそうな暗い廊下に息苦しさを感じながら進む。

 ぼやっとした意識で広間に足を踏み入れる。拓けたおかげで、心なしか息苦しさが紛れたような気がした。
 とはいえここに来てやることもない。窓に隔てられた、夜明けの気配を微塵も感じさせぬ夜空をぼうっと望むのがせいぜいだ。あまりの静けさに、呼吸の音さえ潜めながら。空を覗いて星をなぞる。

「やぁ、早いねぇ。それとも夜更かし?」

 咄嗟に頭の房は持ち上がった。月明かり弱き夜には、それが帯びる時の歯車色の光はやけに明るく視界の端を照らした。
 奥歯を噛み締め、声のした方に映る影を睨む。そしてちまっとした姿、ふんふふんと場違いな鼻歌を受け、アルトの頭の房にあったエネルギーは徐々に霧散していった。

「……リズム?」

「うん〜、リズムだよ。おはよう〜、何かが歩いてるような気がしてさぁ、おばけなら楽しそうだなって思ったんだよねぇ。正体はキミだったかぁ〜、ふふん」

「……面白くなくて悪かったな」

 警戒の色が八割解けたアルトは、その代わりに舌打ちをして少しばかりの不満を身に纏う。とはいえ相手はリズム、「あらら〜」と軽い調子の相槌を返す。

「ううん? むしろキミと二人で話すことって、あんまりないから面白いんだぁ。僕は嬉しいよ」

 ――二人で話す機会。
 思い出すのは″アルトの起こした″星の停止世界における彼だ。現実を受け止めつつ、自分がすべきことを見つけ、動く。その一連の流れが早く、そして真っ直ぐで、この世界の歩き方を探りに出た。そのあまりの判断の迷いなさに、アルト自身も驚いたものだった。リズムらしいと言えばそれまでなのかもしれないが。

「お前は、さ。どんな状況でも前向いてられてすげぇな、って思って」

「……いきなり褒めるなんてどうしたのさぁ。熱でも出した?」

 リズムの言葉を横に流し、アルトは目を伏せる。意識したのはそれだけだったのに、無意識だった口は言葉を勝手に紡いだ。

「消えたままで良かった」

「おお……」

 リズムはアルトを顔をじっと覗き込んだ。暗さもあるので細かい表情は読み取れないものの、穏やかでないことだけは手に取るようにわかる。

「こんな、俺、ずっと苦しむのは当然かもしれねぇけど。……なんで、わざわざ生き返らせたんだよ」

「んん、色々深ぁい話がありそうだなぁ、僕の知らないような、ねえ。でもねぇ、キミがいない世界を見てきた僕からひとこと」

 リズムは一歩ぐぃと踏み出すと、爪先で立って、アルトの顔を下から真っ直ぐに見上げた。

「みんな、キミたちにまた会いたいって言ってたんだよ。戻ってきたキミたちの……キミのこと、みんな喜んでくれたでしょ?」

「んなの、……何も知らないからそう言えるんだろ」

「それなら、教えてくれれば僕なりに考えるけどぉ……その雰囲気、言いたくないみたいだねぇ。んん」

 思い詰めたような俯き顔から無理矢理聞き出す気をリズムは持ち得ない。しても言うように誘導するだけ、その先の判断は相手に任せる。エルファはこういうときに話してくれるものだが、性格も普段の信頼関係も相まって、アルトはどうにも口を割りそうにはなかった。

(何かしたのかもしれないけど、それを気にすることができるだけ優しいんだよなぁ)

 本当に無関心でいられるならそのことを忘れているはずで、気にも留めないはずで、何か引っかかる部分があるからこそ悩んでいる。

(僕の言葉じゃ動かせないかなぁ、これは)

 言葉がダメなら、せめて。リズムは力無く下されているアルトの左手を、背伸びし直して両手でぷにっと包む。

「あれえ。思ったよりあったかいね」

「……だから何だ」

 リズムはヒノアラシという炎タイプの種族柄、決してその手より温かいわけではなかったが、この冷える夜にふらりと廊下を歩いていた手にしては随分な温度だった。

「そっかぁ。そういうことだったのかぁ」

「…………。」

「今日はもう寝ようか〜。どうお? お話しできて少しは気分転換になったかなぁ?」

 無垢な顔で首を傾げるリズムに、アルトは一切の視線を向けない。
 生きるのが贖罪か祝福か。そんなこと、迷うまでもないはずだったのに、意識せざるを得ない夜から今は逃げたくて仕方ない。





「お前が言うからだろ!」

「冤罪なんだよねぇ……。その時点で顔赤いなとは思ったってばぁ」

「暗いのにわかるわけねぇだろ」

 翌日、朝からアルトとリズムの間には火花が飛び交っていた。一方的にだが。

「んん〜? 僕ねぇあの前から起きててねぇ、暗いのに目が慣れてたんだよ〜」

「いや俺だって」

「それに僕、キミの手握ったときに温かいなって思ったもん〜。あれで確信したんだよねぇ」

 アルトは自分の手を太ももに置く。手から足へ、じんわりと熱が広がった。
 身体は火照って仕方ないし、普段より重くて座るだけで体力が消する。自力で体重を支えることさえできず、アルトは壁に背中を預けた。
 息を荒げるアルトの頭に、ぴとりと冷たくてごつごつしたものが載せられた。睨んだ先には、心配そうに彼の顔を覗き込むラピスと、その手前にツルをアルトの頭の上に伸ばしたリィ。

「冷たいもの乗せとけって、リィが」

「どう、かな……?」

 どうやら布袋に氷を詰めてくれたらしい。頭が焼けて溶けそうだったのがすっと冷やされて、思考が少し鮮明になった。

「少し楽になった。ありがと」

「ううん、大丈夫。氷が溶けたら替えてね」

 アルトが氷袋を手で支えたのを見て、リィはそろりとツルを離してバトンタッチ。

「本当はみんなで一緒に居てあげられたらいいんだけど、依頼の方も行かなきゃいけなくて……」

 ギルドからは、チームごと休むわけにはいかないとのお言葉をいただいていた。同じ部屋にずっといたら移される可能性もあるわけで、そういう点でも依頼に出ること自体は悪いことばかりではない。ギルド内で仕事をしているポケモンも他にいるから何かあれば頼れるのだが、やはり心配の方が勝るものだった。
 ましてや今日の依頼は親方直々の「セカイイチを取ってこい」――元々はこちらが言い出したものだが――休むという選択肢など存在しないのだ。
 ラピスは迷うことなくバッグを脱ぎ捨てた。

「あたしは残る」

 彼女がそう言うであろうことはリィもアルトもわかっていたことだ。氷を操れるという意味でも彼女が最適任である。

「ありがとう。ふたりともごめんね。今日は早く帰れそう……かは、わからないけど、がんばるね」

 その会話の様子をエルファは静かに見つめると、ツルを伸ばしてちょんとラスフィアの肩をつついた。

「……どうかした?」

 そう問い返す声は、囁くほどの音量に留めて。振り向いた彼女にそっと耳打ちをすると、向こうもこくりと頷いた。
 そしてすぐさま、エルファはその場でくるりと一回転すると、ぱっと右手を挙げた。

「あ、はいはいはーい。俺いいこと思いつい」

「ロクなことじゃねぇ」

「信用はしてなくても信頼してくれてるねありがと?」

 アルトとエルファ、お互い語尾に被せて展開されるそのやり取りに、リィとシイナは揃って不安そうな顔をする。

「それでいいの……?」

「色々と諦めてない!?」

 だがエルファは自慢げな表情を崩さず、アルトの耳元でそっと囁いた。

「熱はもう下がったんだね?」

「……何言ってんだお前」

「いや、リズムが熱出したのって聞いて熱出たんなら俺はその逆で治してあげよーっていう、ね?」

 と、完璧な作戦と言わんばかりに胸を張る。が一切の反応を示さないアルトを見て、その自信は容易く瓦解する。

「ごめん、あの、今のは本当に俺が悪かった」

「……いや、いいけど」

「ごめんなさい」

 謝るエルファの口元に愉楽はない。音を立てないように足を後ろに引いて、アルトの顔色を静かに伺った。
 なかなか遠回しではあったものの、彼が気を遣ってくれたのが珍しく、アルトとしてもなかなか対応に困っていた。
 いや、それ以前に、アルトが戻ってきて以来のエルファはずっとこんな調子なのだ。今も珍しくいつもの調子かと思いきや瞬く間に雲隠れ。だからこそ余計にどう返していいかわからず、アルトとしてもやりづらかった。

「え、っと……それじゃ、俺たちも依頼行ってくるね? ま、お大事に」

「私も行ってくるね。ラピス、後はよろしくね」

 そんな調子で、お仕事組は次々とメロディの部屋を後にしていく。
 リィはなんども部屋の方へと振り向いていたが、ラスフィアに声をかけられると、それに応ずるとともに真っ直ぐ依頼へと向かっていった。

 アルトとラピスだけが残された空間は、まるで別世界となったかのような静けさに包まれていた。アルトは頭上の氷袋がバランスを保っているのを確認すると、それを支えていた手を床に下ろし、代わりに体重を支える役割を与えた。

「……ラピスに聞きたいことがあったんだよな」

「今……? 寝た方がいい」

「眠くねぇんだよ」

「すいみんのタネ」

「無理矢理じゃねぇかよ……」

 ラピスの左手に乗せられたタネを見てアルトは溜息をついた。寝ている間は身体の不調も感じないわけで、寝かせてもらえるに越したことはないのだが、今をその時間に充てるのはあまりにももったいない。

「一昨日、か。服買って来た後のこと」

 声を出すだけでがチクチクと痛むから、声のトーンはかなり抑え気味だった。

『……さっきの話』

『ラスのことじゃない、でしょ』

 幻の大地を知っているポケモンについての話だった。アルトは暗黒の世界で出会ったあの黒い影のようなポケモンを候補とするとして、ラピスが思い当たるというポケモンに心当たりがなかった。

「そのことについての説明、お前は今は無理って誤魔化したけど……それはリィを待たせるから、もあったよな」

「…………。」

 つまり、この暇なふたりきりの時間であれば、忌憚なく述べられるはずだった。
 ラピスは耳を垂れさせると、掠れたような声で言葉を紡いだ。

「本当は、リィが少し怖い」

「リィが?」

 ラピスは視線を逸らした。きゅ、と胸の痛む音がした。

「歴史変えて、消えるときの話、なんだけど」

「あぁ。そういえばそっちのは聞いたことなかったな」

「あたし、その瞬間、知らない。……ラスも」

 アルトの口元はぴたりと固まった。一呼吸置いて、ひとこと。

「何があった」

「……。一応、ラスには確認した、から。ふたりとも見たこと、なんだけど」

 虹の石船に乗って時限の塔へと向かったアルトとリイ。そのはずだったのに、幻の大地にはリィの姿があったこと。″彼女″と対峙する間に意識を失い、そのまま消滅の時を迎えたこと。
 声も、姿も。まごう事なき彼女。でも、その言動は到底彼女とは似つかないものだった。

「俺はリィと一緒に時限の塔に行ったし、消滅のときまで一緒にいた。それは間違いない。不自然なことは何もなかった」

「ん。こっちにいたのはニセモノ。それは間違いない、けど……」

 ラピスは腕のリングに縋るように手を添えた。

「けど、あんまりにもそのままの姿だったから。いつものリィを見てるときに、思い出すこと、あって。目の前にいるリィが、本物かって、不安になる」

「……幻覚を見せるポケモン、か」

 ヨノワールやヤミラミは恐らくそんな能力は持たないし、持ってたとて完全に時空ホールの先へ消えた彼らが影響を与えたとは考えにくい。ディアルガのテレパシーは、どこか遠くの景色映すだけで、幻覚を見せるわけではなさそうだった。そして、スイの種族たるアブソルも、幻覚を見せるような能力を持つようには思えない。

「正体はわかんないけど、確かにいた。……ただ、ソイツのことだとして」

 アルトを映す瑠璃色の瞳は、僅かばかり細められた。

「アンタは、もう時限の塔に行ってた。ソイツとは、会ってないはず」

 アルトは息を呑んだ。つい喋ってしまったが、そもそも自分で星の停止を起こしたことはまだ誰にも話してなかった。それどころか、言うべきかどうかすら考えてもいなかった。言うにしたって話を伝える時間だけでなく思考や感情を整理する余裕まで必要なわけで、世間話感覚で話せるようなものではない。
 もし、このリィの”ニセモノ”に関する部分だけを「ラスフィアから聞いた」という嘘を言ったとして、彼女に口裏を合わせてもらわなければ浅い嘘に終わってしまう。いや、今しがた「そっちの話は聞いてなかった」と言ったばかりで、嘘も嘘と明白がすぎる。
 打てる手が尽きたアルトは、一旦深呼吸をすると、氷袋で目元を覆った。

「……なぁ、星の停止って、どうして起こったと思う?」

「話、逸らしてる」

「これだけ聞いときたいんだよ」

「時限の塔が崩れたから、でしょ」

「その崩れた理由って何かわかるか?」

「……そ、れ……は、知ら、ない」

 澄ました顔の奥で困惑が滲む。アルトはそれを氷袋の隙間からちらりと覗いた。

「あぁ、そうか。……ありがとな。気になってたから」

 ラピスは目を伏せたまま思案に耽る。ぱっと思い当たるのは何かしらの事故や災害だとか、どれにしても確証を持った話ではなく、あくまで今考えついたものにすぎない。
 そうして目の前のことに集中しすぎるのがラピスの気だった。アルトはそっと口を結ぶと、横向きに寝転んで目を閉ざす。ラピスに背を向けるようにして、口からそっと息を吐いた。
 ラピスは横になったアルトの目の前に回り込むと、抱え込んでいたすいみんのタネを彼の目元に置いた。それを薄目で見送ると、再度アルトは瞼を下ろした。





 翌朝、事態はさらなる混迷へと進む。

「嘘でしょ、あれ風邪だったの? てっきり寝不足のせいだと思ってた」

 エルファはツタで額を押さえて乾いた笑顔を見せた。曇り気味な空と似たような表情を浮かべ、リィは縮こまりながら彼を見上げる。

 端的に述べよう、エルファもアルトに風邪を移された。

 朝礼のときにリズムとシイナがそう述べたのをきっかけに、リィは朝礼後すぐフリューデルの部屋にお邪魔して、申し訳なさそうにちょこんと座った。なお、リズムとシイナは依頼準備に、ラピスとラスフィアはアルトのところへ行っている。

「あの、一昨日……熱出す前の日に雪の場所行ったから、身体冷えちゃったんだと思うの」

「あーそうだったね? 星の停止世界に慣れてたら体温調節もうまくいかないと」

 同じ世界の出身たるラピスは、主戦力として動き回り、技を出し続け、それも熱を伴う電気技を主体としていたから自然と身体が温まっていた。対してのアルトは、サポートの役を負う場面も多かった。そして防寒装備の隙間を縫う冷気に常時身体を冷やされる中だ、体調を崩すのも無理はない話である。

「しかし体温調節苦手って冬とか大変そうだよねー、この辺暖かいからまだマシだろうけど……けほっ」

「……だ、大丈夫?」

 話している途中で挟み込まれた咳に、リィは心配そうにエルファを見上げた。

「やー、このくらい全然だけどさ、俺のこと心配したらアルトに怒られない?」

「えっ、アルトそんなことしない、よ?」

「いや俺にはするでしょ。だから面白いんだけど」

 そうかなぁとリィは首を傾げた。

「俺はひとりで大丈夫だけど、そっちは? 今日も誰か残るの?」

「あっ、うん。今日もラピスが残ってくれるって」

「そうなのね? ……あー、じゃあ探検の方がひとり?」

「ううん。ラスフィアが一緒に来てくれるの。昨日もあの後お話ししてね、一緒に依頼行ってたんだ」

「そうなのねー。ま、気を付けてね?」

 エルファとしての感想は「安心」だった。何せ、アルトたちが居なくなって、ひとり沈んだ表情で探検を続ける彼女を見ていたのだ。一人で探検に行こうものならまた当時のことを思い出して不安に駆られないか、という点の心配は大きかった。感情的な面としてももちろんのこと、ダンジョン内ではその感傷を隙と見て狙われる可能性もあるからだ。
 だからこそ、エルファは昨日ラスフィアに耳打ちしていた。

(たぶんリィはひとりで探検に行くの不安だと思うからさ、できれば一緒に行ってあげてほしい)

(俺たちじゃなくて、″あのとき°いなかったアンタの方が、そっちの不安を抱かなくて済むから)

 そうしたことに快く、かつ向こうに裏話を悟らせないように動いてくれる点、ラスフィアは心強い存在だった。
 エルファは笑顔を作ってリィに手を振った。向こうもツルを伸ばして振り返すと、部屋の前で待っていたラスフィアと合流する。

「今日はねー……」

 二人が今日の予定について話し始める中、ラスフィアはエルファの方に視線を渡した。そして目が合うと顔を綻ばせて、それだけで裏で手を回した計画が順調と十分に察せる。
 ふたりの声が遠ざかるのを聞きながら、エルファは身体を支えていた力を全て抜いて仰向けに寝転がる。

「っあーーー、頭痛い。お兄ちゃん欲しい」

 寂しくなると第一に思い浮かぶのは、やっぱり誰よりも大好きで、この先も何よりも大好きな兄の顔。彼との記憶をなぞるだけで、全ての感情は幸福へと置き換わる。

「……どうしてるかなぁ。も、何もないんだけど、さ」

 溢れていた笑顔はすっと消え去る。尻尾を身体の前に持ってきて、そっと手で抱え込む。
 大好きな記憶を手に取って、笑って、そうして記憶を反芻することでしか得られない幸せだから。

「……許してない」

 星の停止という事件が、どんな形であれ、歴史にその名を残したことを。

音々 ( 2023/01/07(土) 02:21 )