第一章 日常へ還る
3話 初雪を踏む
 きらきらと輝く砂浜を進むと、目的とするシルエットが見えた。そこに駆け寄る一番乗りはラピスだった。

「連れてってもらいたい場所がある」

 と単刀直入なラピスの頼みにも嫌な顔一つせず、相手は「どこでしょう?」と優しく微笑んだ。説明の続きは、次いで追いついたリィが引き受ける。

「それでね、私たちなだれやまってところに行きたくて……」

「わかりました。場所は知ってますのでご案内しますよ」

 と簡単に述べたのはラプラスのセイラ。トレジャータウン南のいつもの海岸が気に入ったようで、よくここに居てくれるのだ。

「ありがとう。幻の大地まで連れて行ってくれただけでも感謝しきれないのに……」

「お安い御用ですよ。僕で力になれることがあれば頼ってください」

 というのが今朝の話だった。涙が滲みそうなほどの優しさだ、ことばだけではお礼がし足りなかった。何か喜んでもらえそうなものがあれば渡したいし、メロディで力になれることはしたい。が現状そのどちらも最適解は出そうになくて、リィに至っては半ば申し訳なさすら感じていた。

 腹ごしらえを済ませた昼下がり、眩しく高い太陽の下で、一行はセイラの背に乗り込んだ。
 行く方角は南西。陸地が遠ざかるのを見て楽しめるのも最初だけだった。アルトは、セイラの甲羅に生えた棘の上で腕を組み、セイラの頭上を特等席として潮風を浴びるラピスを見上げた。

「なぁ、氷のフルートって、元々どうやって手に入れたんだよ?」

「貰った」

「いや、それが誰かって話」

「……。パパ、だけど」

 耳慣れない音に、アルトとリィはしばし固まる。そしてその意味を理解してから、揃って「えっ」と声を上げた。

「親……いたのか」

「いるでしょ」

「考えたことなかった」

「なんで」

 姉があれば親もあるだろう、とラピスは当然のような顔だったが、アルトからしてみれば滝に打たれたような衝撃だった。今まで親の話、もといその気配すら感じたことがなかったからだ。
 リィはまた別の観点で首を傾げていた。

「でも、じゃあお母さんもいるってことだよね? 今の世界にニンゲンがいるなんて全然聞いたことないけど……未来にはたくさんいたの?」

「知らん。身内しか会ったことない」

「そっか……。うーん、不思議だなぁ。前に世界を救った元ニンゲンの救助隊は、ニンゲンとポケモンの世界から呼ばれたって聞いたけど……」

 星の停止をきっかけとして召喚された存在が複数居たか、あるいは現代にもひっそりとニンゲンが生きていて、未来世界まで種を繋いでいたか。自身の親のルーツについてはラピスも大して詳しくないらしく、「知らん」と興味なさそうに横顔を見せた。


 当初は遮られることない日差しに焼かれ汗が滲んでいたものの、旅路の半分を超えたくらいから風は冷たくなり始める。目的地が見える頃には、防寒装備を整えねば体が凍りついて動けなくなりそうなほどの寒気に包まれていた。
 そんなわけで、各々の防寒具に身を包んだ三匹は、白塗りの地面に足を下ろす。すぽりと爪先が沈み込み、アルトは前に手をついて倒れかけた体を支える。

「え、なんだこれ……」

 アルトは地面の白いものを手に取る。凍りつくような冷たさが手に走ると同時に、それは溶けて消えていった。

「そっか、二人とも雪は初めてだったね。って言っても私もあんまり慣れてないんだけど……。これね、寒いときに雨の代わりに降るの。全部小さな氷だからたくさん積もるんだ。ほら、あの木の上に乗ってるのも全部雪なんだよ」

 と指し示した先には、伸びる枝全てにこんもりと雪を乗せた木々。普段よく見ていた緑の葉っぱは少しも見当たらない。別世界に足を踏み入れたようだった。
 アルトは体勢を立て直し、冷えた手を反対の手で温める。

「……冷て」

 ラピスは手袋を着けているが、アルトはバトルの時にほぼ確実に手を使うという理由で手袋を不要と判断した。今思えばダンジョン外での防寒として有用だから用意しておくべきだった。

「あはは……。たぶんこの先ずっと雪の上や氷の上歩くから、慣れてなくても靴は履いた方がいいよ」

「……ニンゲンのときは、ずっと履いてたから大丈夫」

「ポケモンになってからは初めてだから大丈夫ではねぇだろ」

 とアルトは一歩だけ足を踏み出した。現に今、足を包む感覚が慣れずにもぞもぞとしていた。
 逆にラピスはもう馴染んだ風で、涼しい顔をしながら雪を眺めていた。

「それじゃあ。ありがとう、セイラ。行ってくるね」

「はい。お気をつけて」

 さくさくと新雪を踏みながら山へと向かう。慣れない感触だったが歩いていれば少しずつ慣れてきた。
 先頭を歩いていたラピスは足を止めると、片足を少しずらしてその痕跡を睨む。

「足跡残るの嫌」

「うーん、私は面白いと思うけど」

「敵に目つけられる」

「あ、そっか……。そこまで考えてなかったけど、うぅん。足跡付けないように移動するのは難しいんじゃないかなぁ。そりを使っても跡は残るし」

 元々は追われていた身。そして、雨も風もない、地面の痕跡はいつまでも残る世界にいた過去。その経験のために、ラピスはどうにも受け入れがたかった。
 しかし特にダンジョン内では一歩一歩足跡を消していく方が非効率だし隙になる。寒いのはごめん被りたいが、足跡を消してくれるのならむしろ雪はたくさん降ってくれと。ラピスは心密かに祈りを捧げる。

 元々ラピスからすれば一刻も早く達成したい目的だった。見晴らしの良いところは走って抜け、そうでない部分もなるべく早足で進む。体力の消費はあれど、身体が温まってくれるおまけ付きとあらばやる価値はある。
 現れる氷タイプのポケモンたちを、電撃で、あるいはアイアンテールで。今日だけはとチームの先頭を担うラピスは、バトルもまた先陣を切って技を叩き込んでいた。

「……水タイプ、いるんだ」

 ぼそりと呟いて、通路の先にいるマリルリの背中を見据えた。こちらに気づく様子はまだなさそうだった。ラピスはでんこうせっかで急接近。指鉄砲の構えをして、電磁波を放つ――前に。
 気付かれていない、かと言って、その接近の間に気付かれないとも限らない。こちらに背を向けたままながら、両手をぱっと広げた仕草でラピスはそれを察する。長い耳の持つ聴力は想像より高かったらしい。

「……間に合って」

「るりーっ!!」

 ようやくこちらを向いた。それと同時にラピスの電磁波がマリルリの腹を掠める。

「つめた、っ」

 見上げた先には灰色の雲。瑠璃の目に落ちるは水のカケラ――要するに雨。
 なるほど、だからこちらを見ずとも技を出せたし、狙いを定める時間がないから電磁波より先に発動できた、と。ラピスは端的に頭でまとめる。

「でも、それ以上動かせない。……10まんボルト!!」

 身体が痺れたマリルリに避ける術などない。その一発で易々と体力の全てを奪われ、きゅうと唸りながらその場に倒れ込む。

「こんなに寒くてもあまごいってできるんだね……」

 バトルを終えたラピスに駆け寄りながら、リィはそう困り顔を見せた。途中でみぞれになることもなく、れっきとした雨が降り続いていた。何が困るって、温かさ重視で選んだもこもこのファーたちがみるみるうちに水を吸い、重く冷たくなっていくことだ。かといって屋根の代わりになるようなものはこんなダンジョン内にあるわけもない。

「急いで次のフロアに行こう。そうすれば天気変わるかも」

 と提言し、走り出したリィはぴたりと足を止めた。見上げた先には自分たちの何倍もの体躯を持つ茶色の毛皮のポケモン。――その名を、マンムーと言う。

「えっと、げんしのちから!」

「でんこうせっか」

 リィは咄嗟に出した岩をとりあえずとぶつける。対してのラピスは頬から火花を散らして駆け、相手の視覚と聴覚を自分に引きつける。ちらり、後ろにアイコンタクトを送って「やって」の合図。

「――はどうだん」

 がらんと空いた軌道を通し、青い球をマンムーの隙だらけの横腹に撃ち込む。そしてアルトも、このどっしりとした体躯が、リィのと合わせて技二発如きで倒れてくれるとは思っていない。流れるように次の技の準備を始めていた。

「はっけ――はどうだん!」

 一歩だけ踏み出してから、慌てて技を切り替える。その声を聞き、ラピスは即座に頬を温める。

「っ、10まんボルト!」

「ぶおおぉ!!」

 少しでも相手の気が逸れれば――という打算は、相手からしたら既に見た手だ。弾ける閃光など意に介せず、こなゆきを辺りに撒き散らした。
 粉雪の間を縫って二発目の波動弾が命中する。マンムーが倒れると同時に、身を叩く粉雪と冷気は緩んでいった。
 ラピスは電撃によって温まった頬に手を当てて暖を取りつつ、少し離れたところにいるアルトをじとっと睨んだ。

「今の何?」

「足場悪過ぎてうまく距離詰めれる気がしなかった」

 アルトは雨やら雪やらでぐしゃぐしゃの地面を慎重に歩きながら言う。さっきの粉雪のせいで雨が凍ったのか、一部に薄い氷も張っていた。

「……そ」

 と冷たい対応なラピスも、さっきのでんこうせっかのときに転びかけたので何も言わない。技を失敗したり転んで敵の技を避けれなくなったりするくらいなら、一瞬遅れてでも確実なものを出してくれた方が安全だからだ。
 マンムーによる粉雪で、雨で湿っていた布も凍りそうだった。当初のリィの提案通りに早く階段を探さなければ、体温が奪われきってしまう。

 幸い階段はすぐに見つかったし、その次のフロアは柔らかく晴れ渡っていた。それでも肌を刺すような冷気は健在だが、ひとまずの休息程度にはなる。日差しに照らされる雪ばかりが眩しく輝いていた。
 かと思えば、その次のフロアでは風上に向かって歩くのが億劫になるほどの風と視界を遮る雪の舞い。せっかく回復させた体力も、これでは歩くだけで削られてしまう。
 アルトは頭から垂れる房を手で持ち上げた。

「これ、動かすからって帽子とか着けなかったんだが……千切れそう」

 無防備に雪風に晒される房を刺すのは、寒さにして痛み。手で温めたいところだが、肝心のそれが今は氷のようだから思うようには温まらない。

「気持ちはすごくよくわかるよ……。私もフード被ってたら葉っぱカッター出せなくて」

 と、もこもこのフードから顔を覗かせてリィは言う。リィの場合、頭の葉っぱからの放熱が激しいため、なるべくはフードを被っていないと低体温で倒れかねないくらいだ。でも戦闘時には素早く外し去る必要があるし、それが隙になる、且つ急激な温度差に刺されるような痛さを感じるのがなかなか厳しいところだった。

「それで今日げんしのちからばっかり使ってたのか」

「あはは、実は……。氷タイプ相手なら、相性もいいからね」

 その点ではこの岩タイプの技は優秀そのものだった。
 実のところ、頭の葉っぱを活用した技にハンデを負うところまでは想定していなかった。つい癖で葉っぱカッターを出しかけては、最適な選択でないと後悔することもしばしばだった。





 急ぐはずが、慣れないフィールドや立ちはだかる巨大の最終進化ポケモンたち、そして天候を味方にして暴れる氷タイプに阻まれて随分と時間がかかってしまった。
 一段と開けたフロアの様子を見て、それが頂上であると判断する。閑散としたその地、しかしそれで登頂成功おめでとうとはならないのが今回の探検である。

「フリーザー!」

 静かな声質ながら、ラピスなりに精一杯張った声が風に乗る。すっと雪に溶ける。ラピスは上空を睨み、微かな兆しさえ見逃さまいと目を光らせる。
 やがて、ちらちらと舞うだけだった雪を、音鳴るほどの風が攫っていった。アルトは思わず、後方に流された頭の房を手で押さえた。対してのラピスは四つ足になってバランスを取り、しかし目はある飛翔体を追い続ける。
 空を覆った灰雲を背に、尾をきらりと靡かせるシルエット。ぐんと高度を下げてくるに従って、場に流れる風もまた一段と冷たくなった。

「私を呼びましたか」

「あたしは氷のフルートが必要なの」

 ラピスは挨拶も抜きにそう切り込む。対峙する相手は、透き通るような水色のポケモン。伝説の三鳥の一匹――氷の化身、フリーザーだ。

「秘宝について知っている者か……ふむ」

 フリーザーの目が先頭に立つラピスを鋭く捉える。続いてその後ろにいたアルトとリィまでを静かに見渡した。

「ならば、その実力を示してみなさい!」

 翼を広げた瞬間、突風が吹き抜けて景色を一段と白く染めた。胸を張るフリーザーの様子を見て、しかし誰も焦りはしなかった。

「……言ってた通り」

 実はスコアからの前情報で、「たぶん番人は戦いを挑んでくる」とは聞いていたのだ。世界の命運を握る時の歯車の番人ならともかくとして、こちらは交渉すればどうにか――なんて穏便に済むものではない。あくまで秘宝、向こうも簡単に渡す気はさらさらないのだ。

「だから覚悟はできてる……っ!!」

 ラピスは四つん這いから勢いよく体を起こし、左の指先をフリーザーに向ける。右手はその手首に添え、視界を鮮明にすべく右目を閉ざす。

「あたしは、強くなったから」

 ――実力を示すくらい、お安い御用だ。

■筆者メッセージ
交渉でいけるパターンも面白そうだけど、どこぞのあれ見たらフリ様は……むり、かな……って(同一個体とは言われてないとしても印象ががが)
ジャングルの子ならワンチャンある
音々 ( 2022/03/09(水) 15:15 )