第一章 日常へ還る
2話 差し伸べられた手

「すげぇ……」

 それから二日後。ヴァイス宛てに届いた返答の手紙を見せてもらい、アルトは感嘆の声を上げた。
 スコアから届いた手紙には氷のフルートや、それに類する楽器の情報が事細かに記されていた。なんでもこのほかにも水や草、炎などのタイプに応じた楽器があるらしく、それぞれダンジョンの奥でポケモンが護っているようだった。
 氷のフルートに対してはもちろん、「他の楽器も興味ありそうだからどうぞ」なんてことで、計七つの楽器が眠るとされるダンジョンや待ち構える護り手の存在までまとめてあった。

「これでも音楽都市に建つギルドですし、歴史もあるし、スコアも楽器やってる方なので……お宝の楽器についてもお手の物と言うわけですっ」

「あ、ありがと」

 ラピスの口からも、思わずそんな素直な言葉がこぼれてしまう。

「これ、すごく手に入れるの大変って聞いた、から。……頑張る」

 表情の変化は乏しいながら、手に持った手紙を大切そうに胸に抱く姿に感謝と戦いの意志が滲んでいた。
 そんなラピスの姿に微笑んでから、リィは「でも」と控えめにツルを上げる。

「ねぇ。個人的にダンジョンに行くのって、ギルドの許可は大丈夫なのかなぁ……? ほら、依頼とか、時の歯車探すーみたいな急ぎのじゃないから……」

 親方様はともかくとして、チャトは本来の仕事外のことに対して厳しそうである。
 不安そうなリィに対して、ラピスの表情は一切曇らない。

「お宝を手に入れるため、とでも。言い方でどうにかなる」

 ――実際、ラピスの言う通りだった。
 ギルドに戻り話をすればあっさり許可が下りた。「海の先にあるダンジョンに珍しいお宝を探しに行く」と述べただけで、マルスは前向きに背中を押してくれたし、チャトもお土産を期待していると笑顔で答えてくれた。
 もっとも今回の目当ては氷のフルートのみ。それが普段の依頼報酬同様にギルドに徴収されるとなったらたまったものではないので、できれば他にギルドに渡せるものも探したいところではあるが、望みあるとは言い難い。いざとなれば戦ってでもフルートを死守する覚悟をラピスはとっくに決めていたし、アルトとリィもそちらを応援するつもりだった。

「なだれやま、だったよね。絶対雪たくさん降る場所だよね……」

 リィは身を震わせるが、星の停止世界出身のふたりはいまいちピンと来ない様子だった。とはいえ氷の宝物眠る土地であること、故に経験したことないほどに寒いであろうことはそのふたりも頭では理解していた。
 そこで彼らが訪れたのは洋服屋。トレジャータウンからは少し離れた街にちょこんとある店だった。雪山に対応できる装備を整えるには、カクレオンの店で探検隊用の装備品よりも、こうした普通の服屋の方が選びやすいのだ。
 といっても、気温の変わることない世界に慣れた二名に防寒の勝手はわからない。リィに案内されて防寒装備のコーナーへ向かう。色とりどり、そして質感もサイズも種々多様な棚に、アルトとラピスはつい目を走らせてしまった。
 リィは手近にあった紺色のアウターの袖をツルで掬った。

「このカサカサした素材は風通しにくくて、あっちみたいなもふもふしてるのはあったかくて触り心地いいの」

「これがいい」

 即答したラピスの手には、ブースターのようにもこもことした素材のマフラーが握られていた。

「本当だ、すごく手触り良い……! ねぇそれ巻いてみてよ」

「巻く……こう?」

 無造作にぐるぐるゆるりと首に巻き、前でぎゅっと一度結ぶ。が手を離した途端緩んできて動けば落ちてしまいそうだった。

「えっとね、こうやって結ぶと……ほら、可愛いし解けにくいよ」

 リィはツルを使ってラピスのマフラーを解くと、今度は首の後ろで蝶々結びをして留めてみせた。包み込まれるように柔らかな感触とぽかぽか暖まる首元が心地よく、ラピスはふわぁとあくびをした。鏡に映る自分を眠そうに見る彼女の表情は、しかし満足とまではいかない。

「戦うのに邪魔」

「それもそうだね……。マフラーよりネックウォーマーの方が動きやすいし、戦っても外れにくいと思うよ。アルトは何か気になるものある?」

「こういう着るヤツなら動きやすいかと思って」

 と言ってウインドブレーカーを手に取って羽織る。黒い上着は確かに様にはなるが、布地が触れ合うときに音が鳴るのが欠点だった。ダンジョン内で敵に気付かれないように動くのが難しくなるからだ。

「難しいな……」

「うん。でも急がないからゆっくり探そう」

「ダメ。急ぐ」

「あはは……。わかった、なるべく早く決めるね」

 帽子から上着、手袋に靴。一通り必要なものをリストアップしてから、棚を見て合うものを探していく。
 一口にポケモンと言ってもその種族は様々。サイズどころか形も千差万別、機能性やデザイン以前に自分に合うものを探すところから一苦労である。
 しばらく整列された布の図書館を掻き分けていると、静かだった店内に明らかな音が響き始める。

「うわーーーーーっ!!!! 目綺麗な子だ!! あのときの! あのときの!!」

「!?」

 まずは響き渡る音に驚き、その相手が自分たちであることに再度驚き。きょとんとするメロディを差し置いて、ぱたぱた、駆け寄ってくるのは茶色の毛玉、ミミロル。彼らの前にててんと立ち、にこっと笑いかけてみせた。
 耳先や下半身を覆うもこもこには多数のビーズ飾り。煌めくそれに彩られた少女の姿は随分と愛らしいものだったが。

「え、えっと……誰?」

「知らん……」

「あれぇ!? ほらあの、シュシュです!!」

 両手をばしっと広げて見せたが、ラピスはぴんとしない顔のままだった。

「ほんとに誰」

「あ、わかった! 手芸屋さんの子だよね?」

「そうですううううぅ!! なんでヴェレちゃんと話してた子の方が覚えてくれてるのおぉ……っていうかあの! また会えると思ってなくて! あのですね」

「……誰だよ」

 ひとり、まったく話が読めないアルトに、一切の発言権が回って来ないまま。シュシュは饒舌に語り続ける。ラピスはじりじりと後退する。

「……あたしは服選びたい、の!」

「逃げないで!! お悩みなら相談に乗れるよおお!!」

 と言われようと、警戒心強めのラピスはアルトを盾にシュシュを睨む。自然と目が合うシュシュとアルトは、軽く頭を下げてまずは挨拶。

「ミミロルのシュシュです!! 普段は手芸屋やってます!」

「手芸屋っていうと、これで知り合ったのか。俺はアルト。そこのふたりと同じ探検隊やってる」

 アルトは下げたペンダントのチェーンを指で弾いた。この切れたチェーンの替えをラピスが買いに行ったときに出会ったのが、この賑やかなミミロルのシュシュだった。
 ふたりの自己紹介が済んだところで、リィは現在の悩みを彼女に打ち明ける。

「そういうことなら薄手のパーカーなんかを重ねるといいんじゃないですかね!」

「重ねる……動きづらくならね?」

「まぁ普段何も着ずに生活してるところからだと違和感すんごいですけど……行動の邪魔にはなりにくいですよ!! 分厚いのひとつより重ね着の方が空気の層ができて保温性ばっちりなのでおススメです! こういうインナーも良いかと。フィット感抜群、動きやすさ完璧! です!!」

 ぱっと手に取ったインナーをアルトにぽんと渡し、シュシュは別の棚を身軽に行き来する。

「あとはー、裏起毛なら見た目すっきり中ふわふわなあったか万能。ネックウォーマーもパーカーもこういうのあってー。でも吹雪の中だとやっぱり防水や防風性必須ですよね〜ってことで、カサカサ系でも柔らかめの素材なら音控えめかと!」

「確かに……。少しは音鳴るけどさっきよりはずっと小さい」

 受け取った瞬間から音の鳴り方が違った。動くたびに布が擦れる音がするのは鬱陶しさの面でも好みでなかったアルトは、似た素材という線で好みに合うのを探し始める。

「これ気持ちいい、ふわふわしてる」

 とりわけもっちりもっふりとしたボア裏地のものを片手に、ラピスは棚を漁って他の色を探す。

「これはイーブイ毛から作ったやつですね! この棚の少し高いところにもあるので脚立持ってきますね! ……あ、でも電気タイプだからメリープやモココの毛皮の方が相性いいかもです。そっちはこの辺に、っと!」

 と渡されたモココ素材にラピスの耳はぴんと立つ。電気に強いという点やとろけそうなふわふわ具合、きらりとラメを交えたボア素材がお気に召したようで、あとは合うサイズとデザインを探すのみとなる。
 二足歩行で手のあるリオル向け、ピカチュウ向けと、四足歩行のチコリータ向けでは少し棚が離れている。そこをぴょんぴょこ身軽に往来し、次々とアドバイスを出し、要望に見合う機能付きのものを探し出す。見事な手腕に、リィの目は輝くばかりだ。

「へぇ、すごく選びやすい……! ありがとうシュシュ」

「いえいえ〜、布のことならお任せあれですよ!!」

「あ、あとね。吹雪の中だとゴーグルも欲しいのかなって思ったんだけど……」

「あぁそれならあっちに小物類でまとめてあります! 靴も近くにありますよっ! だけど種族によってかなり形変わるから、サンプルに無ければオーダーメイドになりますねっ」

 そんな調子で各々の寒冷地衣装は瞬く間に決まっていった。幸い店頭にあるもので揃えられたので、今日にでも出発できそうなくらいだった。
 会計を済ませて袋詰めされたものは、各々両手で抱え込むくらいの大きさになっていた。でもそこは不思議なトレジャーバッグ、いとも簡単にそれを飲み込んでしまった。心なしか以前よりも収納力が増えたような、とアルトは自分のバッグを訝しげに睨んだ。

「あっそうだった! あの、目綺麗な子、これ」

「……何?」

 吸い込まれそうな群青の石を中心に置き、それをリボンタイが取り囲む。

「ブローチです。あなたに会ってからこの新作のアイディア浮かんだのです、出来ればひとつお渡しできたらなぁと思っていたのです! でもまさか本当に会えるとは〜……」

「……ありがと」

「いえいえ、こちらこそ〜! ちなみにこちら、結構好評だったりします」

 にぱっと笑って自慢げな顔には、しかし少しの謙虚さが滲んでいた。行き詰まっていたものがすっと解けたのだろう。

「服選ぶの手伝ってくれて助かった。……それで、お前の用事はもう済んでるのか?」

「あ、ああああぁっ!? いえ、まったく、これっぽっちも!!」

「だろうな! ずっと俺らのところにいたし」

「危うくこのまま気分良く帰るところでした」

「そ、それはダメだよ……! ちゃんとお仕事、かな? しなきゃ……!」

 純真さゆえのリィの発言は、今はむしろ鋭い言葉となってシュシュに刺さる。うぐっ、と、まるでここがダンジョンでバトルの最中ではないのかと疑うような声が毛玉から漏れた。

「それじゃあまたー!! いつかーっ!! 探検頑張ってくださいー!」

「あっ、うん! そっちもがんばってね!」

 リィがツルを振る間もなく彼女は脱兎の如く駆け出していた。あまりにも慌ただしすぎて、まるで竜巻のようだった。突然ピンポイントで現れて、強風を巻き起こして、すぐにどこかへと去っていく。でも、それがもたらしたものは被害ではなく手助け。通り過ぎた後にはむしろ暖かな風が残されていた。

 建物を後にし、アルトはぐぃと腕を前に伸ばした。太陽は真上から煌々と輝いていた。「探検の準備をする」という言葉は万能そのもので、今日は依頼を受けずにこの時間まで服選びに充てていた。

「でもここ、かなり遠そうだよね……」

 そう言って取り出した地図を、片方をアルト、もう片方をリィで支える。そしてリィは空いているツルで目的地があると思われる場所を指し示した。南西の遠方ということで、この地図ではちょうど雲に覆い隠された場所になっていた。

「磯の洞窟から幻の大地までは、夕方に出て朝着いたんだったよな」

「そうだね。地図の距離で見たらそれより少しかかりそう……ってなると、お昼ご飯食べたらもう出発してもいいかも」

 突然、地図を指し示したツルがぐいと持ち上げられる。咄嗟にツルをしまいながら横を見れば、ふたりの間から背伸びして地図に目を凝らすラピスの姿。随分と真剣な目つきだった。

「ど、どうしたの?」

「幻の大地、描いてあるんだな、って」

 たしかに、とアルトとリィは今一度地図に視線を落とす。自然に受け入れていたが確かに不自然なことだった。こんな手元に描いてあゆのなら、「誰も知らない土地」と云われていたことや、その在処を懸命に探した日々が何だったのか、なんて話になるからだ。海を渡らせてくれたセイラが場所を知っていたから良かったものの、そうでなかった場合は海を彷徨うことさえあり得たのだ。
 なんて、アルトとラピスは揃って幻の大地、そして時限の塔を睨みながら思案する。その険しい表情とは裏腹に、リィはあまり動じていない様子だった。

「えっと、確かこれって、だんだん雲が晴れていく不思議な地図なんだよね。私たちが幻の大地に行ったことで、そこの雲も晴れたのかもね」

「そうなんだ。……ヘンなの」

 普段依頼場所に行くときも、アルトかリィが地図で場所確認をすることが多かった。それ故に、彼女は地図の細かい違いを意識していなかったのだ。

「あはは……。でもそういうことなら、たぶん幻の大地の場所が書いてあるのって、私たちの地図だけなんじゃないかな」

 それなら特別感があるよね、リィはそうはにかんだ。
 ギルド西方に浮かぶ島、そこから突き上がる紺色の塔。それを改めて見て「そうだな」と、そう言いかけた口をアルトは慌てて閉じる。目を輝かせているリィにこれを言うのは正直心引ける。が、それで黙り倒したところで事態が進展するわけないのはとっくに学んだことだから。それにラピスならともかく彼女なら、彼女だけなら。

「……少なくともふたり、持っているかもしれない奴はいる」

「えっ? あったしかに……ふたり?」

「ふたりだろ、スイと――」

 そういえばあのポケモンの種族も名前も知らなかったな、と。言葉に悩んでアルトは一旦そこで言葉を止める。それと入れ替わるようにして、リィはツル同士をぽむんと叩き合わせた。

「あっ、ラスフィアも同じ地図持ってるってことだよね。ごめんね、さっきそこまで含めたつもりで『私たち』って言ったの。普段のチームは違うけど、一緒に幻の大地に行った仲間だったから……。わかりにくい言い方しちゃってごめんね」

(そうじゃなくて)

 それはアルトだって前提に置いていたのだが、リィのことだ、敵対したポケモンのことより味方の方が先に意識に上るのだろう。
 これ以上はラピスを置いて行きそうだった。既に退屈そうな目つきでこのやり取りを見ているあたり、長引かせても彼女をイラつかせそうだった。ことばって難しいね、そう笑うだけに留めて、それぞれのバッジを起動させれば、あっという間に見慣れた交差点の景色だった。

「お腹すいたなぁ。お昼ご飯楽しみだね」

 今日はパッチールのカフェでランチをする予定になっていた。ドリンクスタンドで好きなグミをアレンジしてもらいつつ、マリーネオとヴァイスお手製の料理を食べる。
 ……という昼間のカフェの風景を、普段ダンジョンで過ごしているメロディはここまで見たことがなかったのだ。この予定は服屋に行く前に決めていたことで、発端たるリィは待ちきれない様子で一番にカフェの入り口を潜った。

「……さっきの話」

「あー……あんま気にし」

「ラスのことじゃない、でしょ」

 アルトを見上げる群青は凛と据わっていた。一切揺れぬその目つきに、むしろアルトの方が動揺してしまって返す言葉を迷ってしまう。

「あぁ」

「なら、いい」

「″なら″?」

「……今は、むり」

 ラピスはたっとカフェの入り口に身を滑り込ませた。どうせリィも待っている、アルトも早く行かねばならないのだが、どうしても回る思考が足を重くしてしまう。
 自分たちがニンゲンだった頃に何かあったか、あるいは別件か。その辺りはまた、ふたりで話せるときに聞くしかなさそうだった。

音々 ( 2022/02/16(水) 02:16 )