1話 旋律をもう一度
今日もまた、彩りの刻を待ち侘びた。
一日の仕事を終え、西空を見上げながら海岸へ小走り。潮風に歌い、空に奏で、旋律を紡いでは心を癒す。色相は真逆へ、世界が青いオーバーレイを被れば、階段を駆け上がってギルドへと帰る。
そんな日常は――
「足りないっ!!」
戻った、とはいかない。
本日五度目の叫びに、アルトはさすがにイラついた様子で彼女を見やる。彼女の気持ちは痛いほどわかる。でも戻ってきて以来毎日この調子なのだ、さすがに不満を露わにしたくもなる。
「わかったからよ……」
彼女の機嫌が最低値を取るのは決まって夜だった。なぜか、アルトが散々トランペットを楽しんだ後だからだ。
夕食前の時間。ギルドメンバーたちが広間で待機する中、ラピスはその中央で目に炎を宿す。
「アイツ、絶対許さん」
「わかるー」
「そこで意気投合するとは思わないよねぇ……」
気だるげに返したのはエルファ、そしてほあぁと歓声をあげるのはリズム。前に進まない展開に痺れを切らしそうなシイナはうあーと頭を抱える勢いだ。
「でも普通のフルートじゃダメなんでしょ!?」
「そう言ってる、じゃん!」
「こだわらなきゃいけないものね」
溜め息をつくラスフィアは最初から事情を知っているからこその苦い顔だ。
ラピスがこんな調子なのは、幻の大地で愛用のフルートがスイに壊されたからである。どうしてもあの氷のフルートでなければ満足できないのだ。そして、それを破壊したスイへの闘志にも滾っている。その矛先が、嫉妬として楽器が無事であるアルトに向いているのだ。
ただこの氷のフルート、いかんせん貴重なものだそうで、持ち主でさえ現世の何処へ行けば入手できるのかの検討もつかない。
「…………もうやだ」
「絶対見つかるから、私も探すの頑張るよ……!」
「不安そうに言うから、余計に」
そしてぺたんとうずくまったところを、リィに慰められればこう跳ね返す。お互い自信の無さのため消えそうな声だ。もはや恒例になりつつあってギルドの面々も慣れた顔ながら、やはり心配の気は消えないようだった。
「……ねぇ、思ったんだけどぉ」
はーい、と短い腕を上げてリズムが口を開く。余計なことを言うなと冷たい顔のラピスを見ても、彼の和やかな笑顔は一切崩れない。
「音楽都市出身なら何か知ってるんじゃないかなぁ?」
「はぁ、最近調子よろしくなさそうだったのってそういう理由……」
マリーネオはラピスの前にレモネードを置きながらそう答えた。店主のパッチールが作ってくれたものである。せめてものご機嫌取りと、マリーネオの手で八分音符の形のチョコレートを添えてある。
翌朝、朝礼が終わって一目散に飛び込んだのはマリーネオとヴァイスのところ、カフェ「リサウンド」。パッチールのカフェ内に設けられているスイーツをメインとしたコーナーである。
「そうならそうと早く言ってくださればよかったのに」
カフェエプロンのシワを伸ばすマリーネオの横で、無言でクリーム色の紙にペンを走らせるのは彼の双子のヴァイス。座席は四席一テーブルなので、マリーネオは飲み物を出した流れで机の脇に立った状態、メロディとヴァイスは飲み物を手元に座っていた。
アルトは渡されたアイスティーを一口含んで、慣れない香りをじっくり観察してから飲み込んだ。甘いのもオススメですよ、とマリーネオに渡されたシロップを垂らし、それが描く軌跡を眺める。
「音楽都市……」
「もうね行きたいって顔してるのわかりますよ、うん。今はギルド忙しいでしょうけど、いつか長く休めたら是非」
「いつになるんだよ」
アルトは机に肘を乗せて、カフェの出入り口に差し込む温かな日差しを眺めた。常日頃から休日というものに無縁の生活だ。大陸を超えた長期旅がそう簡単に許されるとは思えない。
「とはいえ、ギルドだけが居場所じゃないですからね。このままギルドに居続けるでもいいし、僕たちみたくギルドから離れて……まぁ探検隊から離れるかは置いとくとして、そんな形だってあるわけですよ」
「……そっか」
アルトにしてみれば、記憶の殆どがギルドの日々だった。文句を言いつつもその日々は嫌いではなかった。辞めたいな、消えたいな。そう思った理由は星の停止を望む自分がいたからだ。全てが解けた今、特に離れる理由もないし、このままの日々を過ごすつもりでいた、のだが。
言われてみれば確かにそうだ。ギルドは探検隊としては単なる通過点にすぎないのだから、その先を考えるのも悪くはない。
「え、あぁえっと、そんな今すぐ卒業しましょう! とかじゃ全然ないですからね!? ……でももしそういう時が来たら、海を越えた旅も、そこに根差すのも悪くないですよ」
そう微笑むマリーネオの顔に曇りはない。今の日々を後悔していない証拠だった。
アルトはストローからふっと息を吹き込んで、コップの水面に現れた泡が溶けるのを眺める。そんなことをしつつ今後のあり方について考え始めたところで、ヴァイスはカランと軽い音を立ててペンを置いた。
「はい、相談の手紙ですっ。こんな感じでよろしいですか?」
細い線で、しかしはっきりと書かれたヴァイスの字をラピスはじっと見つめる。横からリィがひょいと覗き込むと、頬が触れそうになって、ラピスはむすりとして紙の半分を譲った。
書いてあることは至極シンプルだ。三行のご無沙汰の挨拶の後、氷のフルートについて簡素な質問と説明の文が添えられている。単に探検隊としてだけでなく、音楽家として欲しいということまで記されている。情報量として過不足はなかった。
「……大丈夫」
「ではこれで送りますねっ。遠いから返信は時間かかるかもしれませんが、そこはご了承くださいね」
当の本人は不満げだが、彼女たちで対応できる問題でもないため渋々頷いてその場を締める。
丁寧に畳まれた便箋は、ツタの絵が縁取る封筒にすとんと吸い込まれた。エスパータイプらしく念力による動作だった。無駄のない動きに感嘆の声を上げたリィは、そのまま首を傾げて問うた。
「ちなみにこの手紙の相手ってどんなポケモンなの?」
「僕たちの先輩……そして、『モルト・ビバーチェ』現ギルドマスター、ですよっ」
マリーネオが言い終えると同タイミングで、ヴァイスの手により封筒に「スコア・グランディオーソ宛」と記された。